8-7
高校に合格した。
それなりに自信はあったとはいえやはり多少の不安はあったので、肩の荷が降りた気がした。
公立の受験が終わり、多くの者は進路が確定したようだ。クラス内にはなんだか平和な空気が漂っていた。
結衣も無事に合格したようだ。
「私なら当然」などと言っていたが、本当はかなり不安だっただろうと思う。言っても絶対認めないだろうから言わないけど。
あれから一週間ほど経った。幹はまだ学校に来ていなかった。当たり前かもしれない。
あの後僕は幹に会いに行っていなかった。さすがに顔をあわせづらかったのだ。
結衣と由香は一度差し入れを持って行ったが、幹に断られたそうだ。
山岡とも、特に幹のことについて話していなかった。なんだか宙ぶらりんの状態だった。
クラスでは謝恩会での出し物についてあれこれ話し合っていた。僕はあまり魅力を感じなかったがサボるわけにもいかず、いつものようにボーっとしていた。
僕達はこれからどうなるんだろう。
幹のことだけじゃない。もちろんそれもあるけど、それだけじゃない。漠然とした未来だ。
僕達はこれからどうなっていくんだろう。
僕は小学生の頃。自分は大人になんてなれないんじゃないかと思っていた。理由なんて無い。単に自分の成長した未来が想像できなかっただけかもしれない。だけど今は中学生になり、もう高校入学を控えている。ふとその時の記憶がよみがえり、大きくなったものだなぁと思う。
もちろん何かが起こらないという保障なんて、誰にもない。明日病気になるかもしれないし、今日下校中に車に撥ね飛ばされてしまうかもしれない。
幹だってそうだ。今のような状況になってしまうであろう事を、一体いつから理解していたのだろう。
人類がこの先到底達成出来ないであろうことの一つに未来予知があると僕は思うのだが、もしも未来を知ることが出来たなら…僕は知りたいと願うだろうか。
僕は…
「宗君」
教室のドアが開いて、山岡がこちらを見て手招きしている。
僕は教室の入り口に向かった。
「なんですか?」
「今、幹君が来てるんだ」
「幹が…学校に?」僕は驚いて、当たり前の事を聞いた。
「そう。今ちょっと話しててね。まだ進路指導室にいるから、ちょっと行ってくれば」
「いいんですか?」
山岡はうなづいた。僕は山岡に感謝して、進路指導室へ向かった。
進路指導室は僕らのクラスと別の棟にある。僕は不安な気持ちを押さえつつ、進路指導室の扉を開けた。
「幹…あれ?」
進路指導室には誰もいなかった。もう帰ってしまったのだろうか。
山岡が教室に来たタイミングから考えても、まだ近くにいるかもしれなかった。僕は少しためらいを感じたが、僕は走り出した。階段を駆け下り、下駄箱から靴を取り出すと、校舎を飛び出した。あたりに幹は見当たらなかった。もう帰ってしまったのだろうか。もしかしたらまだ校内にいるのかもしれない。
一旦山岡のところに戻ろうかと思い、ふと校門に目をやると、人影が見えた気がした。
幹だ。
直感的にそう思い、今度は校門に向かって走り出した。なんだか最近走ってばっかりだな僕。
「どうしようかと思ったんだけどさ」
幹が口を開いた。僕達は学校の近くにある、公園のベンチに腰掛けていた。
「さすがにこのままって訳にはいかないからさぁ…とりあえず住むところも見つかって、昨日引越し終わったよ。ははっ、引越しってのもなんか変な感じだけどな」
僕は自販機で缶コーヒーを買った。缶コーヒーなんて別に好きじゃなかったけど、暖かいものが飲みたかった。学校からそのまま飛び出してきてしまったので少々寒かったのだ。
「はい、幹」僕は暖かい缶を手渡した。
「なんだよ、俺はいらね」
「半分こ。全部飲んじゃダメだよ」
「…はは、サンキュ」
幹はコーヒーを開けた。
「ちょ、飲みすぎだよ!」
「そんなことねぇって」
幹からコーヒーを取り返して、僕も一口飲んだ。
暖かいコーヒーを飲んで、少し落ち着いた。
「幹…」
「ん?」
「あのさ…幹の事、山岡に話しちゃった。幹怒るかもと思ったんだけど、このままじゃその…」
「あぁ、やっぱりそうか。さっき話したとき、やけに準備がいいなと思ってたんだよ。ありがとな。俺もこのままじゃどうしようも無いって思ってたし、いずれ話すつもりだったから」
また大きなお世話だと言われるかもしれないと思っていたけど、幹は穏やかだった。
「俺の家ってさ、親父が個人の左官屋やってるじゃんか」
左官屋と言われても漠然としたイメージしかわかなかったが、僕はうなずいた。
「去年の暮れくらいから全然仕事が入らなくなってさ、このご時勢だろ。おれんちもあんまり裕福な方じゃなかったからどうしょうもなくなって、親父がサラ金から金かりちまったんだよ。バカな親父だよな、結局仕事が全然入らずじまいで、返せなくなったらしくて…。借りるときは簡単に貸してくれたって言ってたなぁ。はは、宗も気をつけろよ」
幹が茶化した。
「なんだよ、もう…」僕は幹のほうを見たが、思わず固まってしまった。
幹の目は、赤くなっていた。
「結構キツかったよ。俺も取り立ての相手させられた事もあったっけ。親殺して自分も死のうとか、何度も思った。結局あの家手放してどうにかなったみたいだけどさ」
幹は淡々と話した。僕は黙っていた。
「山岡ってちょっと変だけど、結構いい教師だよな。こんなやっかい事めんどうだろうけど、すげぇ話聞いてくれてさ。俺でも行けそうな学校探してくれたりして」
「幹、それじゃあ…」
「今年はさすがに無理だよ。家もこんな状態だし。だけど、来年からは高校行こうと思ってるよ。そのアドバイスもしてくれたんだ。そんなわけで、今はだいぶ落ち着いたさ。とりあえずの目標も定まったしな」
幹がしゃべり終えてしまうと、沈黙が流れた。
昼下がりの住宅街は、静かだった。
僕は相変わらずかける言葉がわからなかった。これだけ幹が話してくれた後だって、幹の気持ちを本当に理解することは難しいような気がした。解った気になったって、全然解ってない。
当たり前だ。僕は幹じゃないし、ただの15歳の中学生だった。
だけど、このまま黙りこくってるなんて事はしたくなかった。
「幹…」僕は口を開いた。
「僕は全然なんにもわかってないボーっとしたヤツだけど、幹は迷惑かもしれないけど、なんていうか上手く言えないけど…」
僕は、言葉を考えるのをやめた。とにかく気持ちを伝えたかったんだ。
「これからもさ、楽しくやろうよ」
我ながらどうしようもないなぁと思うけど、突き詰めればそういうことかもしれなかった。
「…なんだよ、それ」
幹が僕をじっと見ていたが、やがて吹き出した。
「そんなの今更言うことかよ」
「わ、笑いすぎだよ!人がせっかく搾り出した言葉なのに」
僕はむくれたフリをしたが、幹の笑顔が見れたことが本当は嬉しかった。
風が吹いた。
三月の風は少し温かみを帯びているような気がした。