由香
中学生になるといっても、そんなに多くのものが変わるとは思っていなかった。
周りの友達は大体同じ公立の中学校に進学するし、その中学校の校舎も今まで通っていた小学校の隣にあるのだ。通学路だって今までと変わらない。
入学式の日。
「いってきま~す」
なんていつもと同じように家を出たんだけど、中学校って制服もあるし教科ごとに担任も違うし、やっぱり小学校とずいぶん違うみたいだった。
とはいえ、周りの友達はほとんど小学校から知っている人たちばっかりだったから、あまり新鮮な感じはしなかった。
二学期が始まり文化祭が終わった頃、わたしは好きな人ができた。
この中学校には二つの小学校から生徒が集まってきてるんだけど、別の小学校から入学してきた男の子をわたしは好きになった。
かっこよくてスポーツもできる彼は、人気が高いようだった。
「ひとみ、わたし好きな人できた~」
ひとみは私の小学校からの友達で、一番仲のいい友人だった。
「え、誰?誰?」
「えー、わたしだけ教えるの?ひとみはいないの好きなコ」
ひとしきり二人で盛り上がった後、わたしは好きな男の子の名前を告げた。
ひとみははしゃぎながら応援してくれると言った。
わたしは、勇気を出して彼に告白した。初めての経験だった。
彼は驚いたような顔をして、少し考えさせてと言った。
わたしは、どんな結果になっても受け止めようと思った。
今まで好きな人ができても告白できず、臆病だったわたしが告白できた事が、なんだか私を誇らしい気持ちにさせた。
翌日学校に行くと、黒板にでかでかと相々傘が描かれていた。
名前はわたしと彼の名前だった。
わたしは顔が熱くなるのを感じた。
彼の方を見ると、彼は目をそらした。取り巻きの高梨くん達が、ニヤニヤしていた。
それから何かが狂い始めた。
クラスの友達が、何となくわたしを避けるようになった。
わたしは彼と話をしたかったけど、彼は何も答えてくれなかった。
黒板に落書きしたのは高梨くんだった。彼から告白された事を聞いた高梨くんは、面白半分で黒板に落書きをしたのだった。
それが形になり始めるのには、そう時間はかからなかった。
最初は上履きがなくなった。上履きはトイレに、サンダルと一緒に並べられていた。
私の机だけ、廊下に出されたままになっている時があった。引き出しを開けてみると、教科書に落書きされていた。
グループで何かに取り組む際には、私の順番は抜かされた。
行為は次第にエスカレートしていった。
私の通学カバンが便器に投げ入れられているのを見つけた日、私はひとみを捕まえて聞いてみた。彼女と話すのもずいぶん久しぶりのような気がした。
ひとみは答えてくれた。
クラスの中心的存在である一人の女子が、彼の事を好きだったらしい。
そこへ高梨くんがある事ない事吹聴し、彼女はそれを信じたというのだ。
ひとみは、それだけ話すとそそくさと離れていった。
私は誤解をとけば解決するだろうと思ったが、もはやそういう問題ではなかったようだ。
彼女と直接話したが、何も解決しなかった。
男子の前でぶりっ子をする、人によって態度を変える、自分のした事にも気付いていない自己中心的な女、私にはそのようなレッテルが貼られてしまった。
いじめは続いた。
ある日、私はキレた。きっと私の中で、何かの許容量がリミットを越えてしまったんだ。
帰りのホームルームで、私は狂ったようにぶちまけた。
ワタシハナニモシテイナイ!
モウコンナコトハヤメテホシイ!
イゼンノヨウニタノシクスゴシタイ!
涙を流して狂ったように叫ぶ私を見て、クラス担任である川合先生は焦ったように口を開いた。
「お、おい、この中に由香をいじめているやつがいるのか?どうなんだ」
などと間抜けな質問をした。
誰も何も言わなかった。しばらくの沈黙の後
「先生、私達は何も知りません。あの子が勘違いしてるだけじゃないですか」
彼女が言った。
フザケルナ!オマエガ
オマエガイチバンヤッテイルジャナイカ!
彼女は何も言わなかった。
不思議な事に、川合先生の追求はそこで終わった。
その日以来、私は完全に無視されるようになった。
誰に何を話しかけても、レスポンスは無かった。
私の存在は、完全に否定されていた。
イジメってなんだ?
この行為が善か悪かと問われれば、間違いなく悪だ。
いじめられる方にも原因があると言われればそれまでだが、原因があるからといってその行為を肯定する理由にはならない。
人間は弱い。そして、あらゆる事に慣れる事のできる生物だ。
中には使命感を持ってイジメをしている者すらいるかもしれない。
力のある者を裁くのは、さらに力のある者にしかできない。
私には、何も裁く事はできない。私は何もできない。強い方が正義なんだ。
誰にも相談できなかった。
あれだけ私が取り乱したホームルームを見ても何もアクションを起こさない川合先生には、何を言っても無駄だと思った。
家族にも言えなかった。
毎日私が学校でどんな目にあっているのかを伝える勇気が無かった。それを知ったとき、家族はどんな顔をするだろうか。想像しただけで、気持ちはさらに暗く沈んだ。
なんだか全てに対して申し訳ない気がした。
季節は二月。もう私は限界だった。
あの日々があと少し続いていたら…と思うとぞっとする。
進級した際のクラス替えが、私の唯一の望みだった。
新しい環境に救いを求めた。
幸い、クラスの女子の多くとは別のクラスになる事ができた。高梨くんとは同じクラスになってしまったが、私のことはもう飽きたようだった。
それでも私は怖かった。心無い生徒によって、一年次の私のおかれた環境が繰り返されないとも限らない。
怖くて、誰にも話しかけられないでいた。
「あ、あのさ、消しゴム持ってたら貸してくれないかな…持ってくるの忘れちゃって…」
最初は話しかけられたことに気がつかなかった。
学校で私に話しかける人なんていなかったから。
「ねぇ…」
私は我に返った。隣の席の男子だ。
「え、け、消しゴム?いいよ…はい」
「すぐ返すから…ありがと」
男の子は笑顔を浮かべた。
たったそれだけのやり取りだったけど、私は安心した。
宗くんとはそれからよくしゃべるようになって、次第に友達もできた。
わたしはまた、段々笑えるようになった。
「由香ー、どしたのボーっとして」
わたしは我に返った。いつもの図書室。結衣だ。
「ううん、なんでもないよ~」
「ちゃんと考えてよ!文化祭でやる曲!宗も幹もほんとにセンスないんだから!曲数少ないんだから、もっと盛り上げれるのやらなきゃ!」
結衣がぷりぷりしている。文化祭でバンド演奏する曲を決めているのだ。
文化祭では四人でバンド演奏をやる事になった。ギターが宗くん、ベースが結衣、わたしがキーボードでドラムが健志くん。幹くんは何も楽器ができなかったけどどうしても参加したいと言うので、照明係をやってもらうことになった。
センスがないと言われた二人は悲しげな顔をしていた。
わたしはその顔が可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
わたしは、もう大丈夫みたいだ。
宗くん、本当にありがとう。
本人はおそらく覚えていないだろうけど、関係ない。
わたしは心の中で、隣の席で悲しげな顔をしている友人にそっとお礼を言った。