7-2
「宗くん」
幹と下校していると、後ろから佐倉くんに声をかけられた。
「大変だったね、さっき」僕は佐倉くんを慰めた。もちろん、さっきの高梨のことだ。
佐倉くんは渋い表情で苦笑いした。
「しかもあの後、残りの一人も見つけとけよな、なんて言われちゃって…」佐倉くんは悲しそうに笑った。
「佐倉、別に高梨の言うことなんて聞かなくていいだろ」幹が言った。
幹も体育会系に属していたが、高梨のグループとそうでないグループ、ほぼ二分されていると言ってもよかった。
幹はあまり高梨のことを良く思っていなかったので、高梨とは別のグループにいた。
もっともこの意見は幹だから言えるのであって、気の弱い佐倉くんにそれを求めるのは酷だろう。高梨は体格もいい。
「うん…でも俺、一応探してみるよ。幹くんは…リレーどう?」
「お、俺はいいよ」幹は慌てて首を振った。
幹は、走るのが遅い。本人曰く、空手でついた筋肉が邪魔をしているというが、彼はがっしりはしているが影響が出るほど筋肉で武装しているようには見えなかった。
佐倉くんもそれを覚えていたようで、逆に申し訳なさそうな顔をした。
「な、なんかごめんね。…宗くんは?確か足、結構早かったよね」
今度は僕に振ってきた。
僕はというと、足は早いほうだった。二年生の時は、確か学年で何番目かに早かった。
その後二年の終わりに部活を辞めてしまったから、今ではどれだけ走れるかわからないが。
「ぼ、僕もちょっと遠慮するよ…こういうの苦手だし」
僕も断ると、佐倉くんは実に残念そうな顔をした。
「わかった…ごめんね。ほかを当たってみるよ」
佐倉くんとは、そこで別れた。
次の日のホームルーム。
予想はしていたが、やはりリレーの候補者は出なかった。
みんな当事者のはずだが、うんざりした空気が流れる。
その空気は佐倉くんに向かっているような気さえした。
「佐倉!決めとけつったべ!」
高梨の激が飛んだ。
「てめー、いじめんぞ!」
高梨の側近がヤジを飛ばして笑った。
佐倉くんは一瞬ビクついたが、引きつった笑い顔でごまかしていた。
高梨の佐倉くんいじりは段々エスカレートしているようだった。
佐倉くんは困り果てているようだった。
「無理だって、佐倉友達いねぇから」
佐倉くんは特にみんなから嫌われているというわけではなかったが、高梨達からしたらいい遊び道具なのだろう。完全に舐められてしまっていた。
しかし、冗談にしても僕は気分の悪いものを感じた。
標的は今でこそ佐倉くんだったが、クラスが変わる前は別の人であったはずだし、あるいはそれは自分だったかもしれない。
僕が小学校低学年の頃、クラスで一人の男子がいじめにあっていた。
彼は生まれつき顔にアザがあった。
最初はみんな遠巻きに見ているだけだったが次第にからかう様になり、それがエスカレートしていった。
机の下から彼の足を蹴ったり、何かにつけ彼に順番を回さなかったりした。
ぼーっとした児童だった僕にはいじめという概念自体がまだ無く、何でみんなあんなに酷い事をするんだろうと不思議に思っていた。
いじめは、発覚した。
「あいつに触るとアザがうつるぞ」
そんな風にからかっていた時に、ちょうど担任教師が教室にやってきたのだ。
教師は彼らをひっぱたいて説教し、いじめは無くなったようだった。
僕は、子供達は正義の味方に憧れるものだと思っていた。
ヒーロー物では悪役がやられ、正義が勝って話が終わる。
悪い事をしたら罰が当たる。うそつきは泥棒の始まり。
僕は多くの家庭の子供は悪い事はいけない事だと教えられて育つと思っているのだが、では何も教えられなかった者はどうなるのだろう。
仮に、まだ真っ白な紙に以下の文章を記載したとする。
"電車でお年寄りに席を譲る事はいけないことだ"
こう教え込まれた者達は、目の前で立っているお年寄りに向かって笑顔すら浮かべるだろう。
それが正しい事だからだ。
僕達は、ある程度作られた倫理観・道徳観の中に生きている。
人は成長するにつれ悪を学ぶのか。
人は成長するにつれ正を学ぶのか。
「高梨君、ちょっとひどいよ〜」由香が口を挟んだ。
僕はまた自分の世界に入ってしまっていたようだ。
由香の声で我に返った。
由香はこういう場で発言するタイプではなかったので、ちょっと意外だった。
「何だよ由香ちゃん、しゃしゃり出ちゃって。また構ってほしいのかい?」高梨は笑った。
由香の顔は血の気が引いたようになり、俯いてしまった。
僕は高梨の言った意味はわからなかったが、由香にとっていい思い出ではないことは明らかだった。
"友達は大切にしましょう"
僕の白い紙にもそう記載されていたのだろうか。
仮にそれが作られた倫理観だったとしても、関係なかった。
僕は反射的に発言していた。
「俺が出る」「僕出るよ」
声のした方を見ると、幹だった。