ぼくと新しい友達
「ルーベル、そっちはもういい。十希和の世話をしてやれ。先に部屋は整っているはずだろう」
「はい、レブラス様」
東の紗里真を出てから6日目の今日。
当初の予定を変更して、西の大国プロントウィーグルの王家専用高速船に乗せてもらったぼくたちは、行きの半分くらいのスピードでパナーシアに帰り着いた。
美威さんから預かった十希和という半妖精の子供は、相変わらずおとなしい。
もっと色んなことを話してみたいけれど、僕が何か話していても微笑んで聞いているだけで、自分からはほとんど喋ってくれない。
でも先は長いんだから、ゆっくり仲良くなっていけばいいと思う。
彼の身には色々なことがあったそうだし、新しい環境に慣れるのにも時間が必要だろうし。
4日目くらいまではそう思っていた。
さすがにもうそろそろ、「あの」とか「その」とかじゃなくて、ちゃんと名前くらい呼んでくれてもいいんじゃないかな、と思ってしまう。
正直に言うと、最初のワクワクが半分くらいにまで減ってしまっていた。
はじめて会った時の衝撃は、言葉に言い表せるようなものじゃなかったから、余計かもしれない。あまりのうれしさに内心舞い上がっていたくらいだ。
だって、ぼく以外の半妖精なんて、会ったのも見たのもはじめてだったから。
今は亡きレブラス様のおじい様に拾われてから、ぼくはずっとハーンの家で従者として育ってきた。従者という立場でも、本当に大切に育ててきてもらったことには感謝しかない。
レブラス様も、ぼくを家族のように思ってくれているのが分かる。だから、今のこの暮らしに不満があるわけじゃない。
それでも人と暮らしていると、種族の違いというのが、思ったよりも色々なところで出てくるのも確かだ。
物心つく頃には人間の中で生活していたから、ぼくは妖精の暮らしを知らない。
妖精族は人間よりもずっと寿命が長くて、人とよく似た森妖精の一族も、千年の時を生きると言われている。
ぼくがハーンの家に来た時に生まれたレブラス様は、あっという間に僕の身長を追い越して、大人になってしまった。
睡眠の周期や時間も、食事を摂る回数も、人間はぼくよりずっと多い。
同じ時を生きていながら、どんどん先に行ってしまう人間の世界に、とまどいを覚えたことがないかと言ったら嘘になる。
未来の見えないマラソンに、みんなやレブラス様はどんどん走って行ってしまって、ぼくだけがどんなに焦ってものろのろとしか動かない足を前に進めているような、そんな気持ちになるからだ。
だから、十希和に出会った時の、ぼくのワクワクがただ事でないくらいだったのは、言うまでもない。
「あの」
十希和が横から声をかけてきた。相変わらず遠慮がちに。
「なに? こっちの荷物ならぼくが持っていくから大丈夫だよ」
「あの、そうじゃなくて、トイレ……」
言いにくそうにそうモジモジしている姿に、そんなこと普通に言えばいいのに、と思ってしまう。
「左の奥だよ。ぼく荷物を持って先に3階に上がってるから、すんだら上がってきてもらってもいいかな?」
「うん、分かった……」
ぱたぱたとトイレに走って行くのを見ると、相当我慢していたんだろうか。
ぼくはその場にあった、大人の体くらいありそうな荷物を肩に抱え上げた。
半妖精というのは、人間よりも身体能力が高いらしい。ぼくも力だけで言ったら、レブラス様よりずっと怪力だと思う。
十希和がトイレから出てくるのを待たずに、ぼくは階段を上った。
他の従者が整えてくれていた奥の空き部屋に、荷物を運び込む。
それほど広くはないけれど、従者が住む部屋としてはかなり上等な方だろう。調度品は一通り揃っているし、足りないのはベッドくらいだ。
レブラス様が子供用のベッドを発注したと言っていたから、おそらく1週間以内には出来上がってくると思う。
荷ほどきをして、洋服類をチェックしているところで十希和が部屋に入ってきた。
「あの」
「ああ、来たね。ようこそ、ここがこれから君の部屋だよ」
笑顔で迎えると、とまどったように部屋の中を見回して、ぼくに視線を戻した。
「僕の……部屋?」
「うん、レブラス様が用意してくださったんだ。ぼくの部屋は隣だから、なにか困ったことがあったらいつでも聞いてね」
「僕は、ここにいてもいいの?」
聞いてね、とは言ったけれど、その質問は予想外だった。
何を言い出すんだろう。いてもいいから連れてきたにきまってるし、ぼくは責任持って君を面倒見るって決めているのに。
「当たり前だよ。何にも心配しなくていいよ。ここの人はみんないい人ばかりだから」
「……」
不思議そうにぼくを見つめる黒い瞳は、不安そうにもみえた。
彼は一切記憶が無いと聞いているけれど、人の親切や愛情が自分に向かうことにも理解が追いつかない様子だ。一体どうやってここまで育ってきたのか、とても気になった。
「ルーベル、入るぞ」
開けたままのドアをコンコン、とノックしてレブラス様が部屋に入ってきた。
「もういい時間だ。他の人間にも手伝わせて、早く部屋を片付けるといい。お前達は疲れているだろうから、夕飯の前に湯浴みでもして、今日は早く休め」
「ありがとうございます、でも……」
「俺のことはいい、必要があればお前の他にも従者はいる。お前は、お前にしか出来ないことをそいつにしてやれ」
「はい、ありがとうございます!」
レブラス様はそれだけ言うと、自室に引き上げて行った。
言葉や態度がちょっと厳しい方なので誤解されやすいんだけれど、ぼくの主はとても優しい。せっかく友達が出来たんだから、子供らしく好きにしろと、そう言ってくれているのが分かった。
なんだか心が温かくなったところで、ぼくは着替えを二組、用意した。
部屋に入ってきた従者の女性にあとの整頓を頼んで、ぼくは十希和の手を引いて、部屋を出た。
「あの、どこに」
「レブラス様もああ仰ってくれているから、先に湯浴みしてさっぱりしてからご飯にしよう」
そう返して、離れにある住み込み従業員用の脱衣所に向かう。
今の時間は忙しい時間帯で使う人もいないから、浴場もガラガラだ。
棚からカゴを引きずり下ろすと、そこにタオルと着替えを一式投げ込んでぼくはばさりと上着を脱いだ。
「脱いだ服はこっちに入れてね。その四角いカゴは1人ひとつ使うことになってるけど、混んでて足りないときは一緒に使ったりもするんだ」
壁際に備え付けてある洗濯用のカゴに、脱いだ上着を放り入れながら説明する。
「いつもはもっと遅い時間に入るから混んでることもあるんだけど、今日は誰もいないから浴槽で泳げそうだね」
笑って言うと、十希和は洗い場の方を見て「大きいお風呂……」と呟いた。
「パナーシアには住み込みの従業員が12人いるんだ。こっちは男風呂だけど、女性の方が少ないから女風呂はもうちょっと狭いよ。ちなみに掃除は当番制」
「……男風呂」
「とりあえずさ、夕飯まであんまり時間がないからさっさと入っちゃおう。ほら、早く脱いでカゴに入れて」
シャツのボタンを外しながら言うと、彼も少し考えた後、のろのろと服を脱ぎだした。
十希和が上に着ている下着を脱いだところで、ぼくはなんだか違和感を覚えた。
肩下までのびた黒髪が流れた場所に、自分にはないような膨らみが見えた気がしたからだ。
違和感の正体が分からないまま、彼が服を全部脱いでしまうまでぼくは無言で待っていた。
脱いだ服を抱えて、彼がこちらを向いた時にはじめてその正体が分かった。
「そっちの、カゴに入れればいい?」
「…………っ!」
ぼくは即座に足下のカゴからタオルを掴みあげると、バサリと十希和の頭の上からそれをかぶせた。
ちょっと乱暴だったかもしれないけれど、そんなことを言ってる場合じゃない。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って……!!」
「?」
「服!! いいから服着て!!」
あんまり動揺してたので、やっとそれだけ言えた。
ぼくは自分自身ももう一度猛スピードで服を身につけると、「ちょっとそこで待ってて!!」と言い残して1人脱衣所を飛び出した。
心臓がバクバク鼓動を打っていた。顔が火照って熱い。
違う、これは不可抗力だ!
本館に飛び込んで階段を駆け上がると、レブラス様の自室のドアをノックする。
「レブラス様! いらっしゃいますか?!」
「ルーベルか、入れ」
落ち着いた声が返ってきて、僕は勢いよくドアを開け放った。
「なんだどうした? 騒がしいぞ」
「話が……話が違うと言うかっ! ぼく聞いてませんよ?!」
「……何がだ?」
書棚の前に立っているレブラス様に駆け寄ってそう言うと、主は眉をよせて首を傾げた。
「ですから! 十希和が!」
「十希和がどうした。少し落ち着け」
「十希和が、女の子だなんて……ぼく聞いてません!!!」
そう叫んだあと、レブラス様とぼくの間になんとも言えない沈黙が流れた。
「……なんだって?」
「十希和が、女の子、なんです……」
絞り出すように言った僕を見て、レブラス様はちょっと迷った後に聞いてきた。
「まさか、見て確認したのか?」
「湯浴みに行けって言ったのはレブラス様じゃないですか! ご自身でも確認してくださいよ!」
「俺が確認するとなると、絵面的に犯罪な上、美威になんと言われるか分かったもんじゃないな」
そう言うと、レブラス様はかるくため息を吐いて女性の従業員を呼んだ。
すぐに十希和のところへ行ってもらって、間違いなく女の子だったので女風呂に移したという報告が届いた。
「中性的な顔立ちだとは思っていたが……まさか女だったとはな」
「話が違いますよ……」
「十希和は一人称も『僕』だしな。おそらく今まで誰もが男だと思って疑っていなかったのだろう。そうなると今日の寝床だが……ベッドが出来上がるまでお前と一緒でいいかと思っていたのだが」
「いや! 冗談ですよね?! 十希和にはぼくのベッドを使ってもらっていいですから、ぼくは他の従者部屋で雑魚寝しますから!」
「ルーベル……」
レブラス様が、さも愉快そうにぼくを見下ろして唇の端をあげた。
「お前も、男だったんだな」
その言葉に脱力して深いため息を吐くと、ぼくは「失礼します……」と主の自室を出た。
とぼとぼと歩いて、自分の部屋の隣をのぞき込むと、荷物は整頓されて綺麗になっていた。
「あの」
背後からかけられた声に、飛び上がった。
「お風呂、まだ入らないの?」
女性従業員に手早く洗われたのか、湯上がりの姿で十希和がそこに立っていた。
「は、入らないのって……あ、あの、さっきのは本当に知らなかったとはいえ……」
やましいことは何もないはずなのに、おどおどしてしまう。
ぼくはひとまず、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい……!」
そんなぼくを、十希和はきょとんとした顔で見ていた。
「どうして謝るの?」
「いや、それは謝るよ……ハダカ、見ちゃって、ごめんなさい……」
なんだろう、この罪悪感。生まれてはじめてだ。
「別に、気にしない」
「いや! そこは気にして?!」
そもそも、この子に女性としての自覚が足りなさすぎるのが問題な気がしてきた。
「女の子だったのなら、そう言ってくれないと困るから!」
「僕が女の子だったら、困るの……?」
一気に落ち込んだような気配を察知して、ぼくは言葉を間違えたことに気がついた。
「いや、違う! 困らないけど、女の子でいいんだけど……その」
「……ごめんね」
謝られてしまったことに、失敗した、という気持ちが沸いてくる。
違う、女の子だったことがまずいんじゃなくて、ああ……もうどう言っていいか分からない!
ぼくは下に向いてしまった視線を上げさせたくて、ぼくより少し身長の高い十希和の肩を両手で掴んだ。
「謝らないで……ぼくこそごめん! だからその、十希和は……」
どう言って訂正したらいいか分からないけど。
何か言わなくちゃ。困ったり、嫌ったりしてるわけじゃないんだって。
「……十希和が女の子でも、ぼく好きだから!!」
……やっぱり何か間違えたようなセリフを吐いてしまった気がする。しかも、相当に恥ずかしいセリフを。
ぼくはおそるおそる十希和の様子を窺った。
驚いたような顔の後、うっすら頬を赤らめて黒い瞳はうれしそうに笑った。
「ありがとう、ルーベル」
……はじめて名前を呼んでもらえた。
なんだろう、ほわっと心が温かくなって、ドキドキする。
「……ほう」
ぼくの後ろから聞こえてきたその声に、心臓が違うリズムで跳ねた。
十希和の肩から手を離して、ガバッと後ろを振り向いたら、あごに手を当ててニヤニヤ笑うレブラス様が立っていた。
「微笑ましい告白を聞かせてもらった」
「れ、レブラス様、これは違……」
「邪魔したな、ルーベル」
珍しくうれしそうな表情を顔に浮かべたまま、くるりと方向転換して去って行く背中にぼくは「違うんです」という言葉をのみこんだ。
違うけれど違くないし、訂正してまた悲しそうな顔をされるのも嫌だ。
「?」
振り向くと、いつもの穏やかな表情の十希和と目が合った。
黒い静かな瞳を見て、考える。
(異性とは、友達になれるんだろうか……)
でも、ひとつだけ分かったことがある。
この子は、ぼくが目を離さないでいないとダメだってことだ。
なんていうか、すごく危なっかしい。
最初に感じたワクワクが、ドキドキに変わってしまっていたけれど、ぼくは改めて十希和を本気で面倒見ていってやろうと、心に誓うのだった。
『没落の王女』番外編。ルーベルと十希和のその後でした。
内容は恋愛ものですが、本編に合わせてハイファンタジージャンルを選択しています。
本編は第2章から恋愛要素入り。
そういえば、言い忘れましたがルーベルの語り口を「ですます」調から友達用に変更しています。
前と違うぞ?! とお気づきになった方はある意味すごいですが。
本編読者の皆様、完結後までお付き合い下さいましてありがとうございます!