お茶
退院前に、病棟長さんから文が知らなかった話を聞かされます。
七時過ぎに目が覚めた。カーテンを開けて外を見たら晴れていた。日記帳に睡眠時間、天気、気分を○と書いた。
ベッドの上で深呼吸しながら、ストレッチをした。
洗面所で顔を洗い肌のお手入れをして歯を磨いた。パジャマを脱いで部屋着に着替えた。顔にお粉をはたいてリップクリームを塗った。
朝食を知らせるチャイムが聞こえて来て、私は部屋を出て食堂に歩いて行った。ほっそりとした女性が私の分のお盆もテーブルに並べてくれていた。お礼を言ってから、「いただきます」と手を合わせて、朝ごはんを食べ始めた。ほっそりとした女性は先に完食なされた。「主治医から食べないと診断書を書かないって言われたのー。痩せ過ぎだってー」と嫌そうに言われた。「私も頑張って食べていますよ」と言い、二人で笑い合った。
部屋に戻り朝薬を飲んで歯を磨いた。それから煙草を吸いに喫煙所まで行った。知っている方々に会釈をして、喫煙所は一杯だったから木の下で煙草を吸った。寒かったが天気が良くて気持ちが良かった。
部屋に戻り、洗面所で石鹸で手を洗いうがい薬でうがいをした。
部屋をノックする音がして返事をしたら、副長さんとお洒落な看護助手さんだった。検診と問診を終えて、副長さんが「後で話したい事があるから部屋にいてね」と言われた。お洒落な看護助手さんから「文ちゃん、何したのー?叱られるんじゃない?」と揶揄われてしまった。「何もしていませんよ?」と私は二人に言った。副長さんは「病棟長が貴女に話があるんだそうよ。私も同席するわ」と言われるのだった。何だろう、と考えながら、私は副長さんがいつ来られてもいいように部屋で待っていた。
副長さんは九時前に部屋に来られた。「詰め所で話しましょう」と仰ったから、私はカウンセリングノートとペンを持って副長さんの後を追った。副長さんはこの前担当の看護師さんが案内してくれた、畳の部屋の襖を開けて私に入るように促した。奥に病棟長さんが座っておられた。病棟長さんはニコニコといつもの笑顔で、「お茶を淹れるからね、飲みながら話しましょう」と仰った。副長さんは病棟長さんの横に座られた。私は台を挟んで向かい側に座った。カウンセリングノートを開いて、何を話されるのかな、と思いながら病棟長さんの話を待った。
「さ、お茶をどうぞ」と淹れたお茶を私に渡された。「ここはね、私たちが休憩したり、仮眠を取る部屋なの」と畳の部屋の説明をなされた。私は頷きながら聞いていた。
「今日は私たち二人揃っているから、あなたと退院前に話したかったの」と病棟長さんは仰った。
「貴女が転院して来た時は、身体の状態がとても悪かったから、私は先生にうちの病院では無理です、と言ったの。それでも先生は『大丈夫ですから』と仰られてね。私は貴女が目を覚ますまで毎日隔離室に貴女の様子を見に行っていたわ」と仰られた。知らない話だった。
私は「病棟長さんと初めて話した時に、男性の方ですか?女性の方がですか?と尋ねましたよね。生理が始まってしまった時に。生理用品はタンポンしか使った事がないから、ナプキンは嫌だと駄々をこねて、副長さんが私物のタンポンを分けて下さいましたが、使った事がないタイプので怖いと言ったら、副長さんが挿入してくれましたよね」と話した。我ながら恥ずかしくなった。お二人は「そうそう」と言っておられた。
「暴れる貴女の身体を拘束する時に、お母さまから娘は肌が弱いから、と言われてタオルを巻いてから拘具をしたの」と言われて、夢うつつで見た身体を拘束されていた自分の様子は現実だったんだと分かった。目覚めた後に手首や足首に傷や痣などが無くて夢だと思っていた。「ありがとうございました」と私は礼を言った。
「先生や私たちは患者さんが入院する時に、保護者の方に患者さんはどんな人であるか、経歴や人柄を詳細に聞くの。お母さまは貴女のことを幼い頃から手がかからず、賢くて真面目で、優しい自慢の娘です、と仰っておられたわ。そんな娘がどうしてこんなに状態になるんですかって必死になっておられて、貴女が正気を取り戻すまで毎日病院に来られては、貴女のことを案じておられたわ」と仰った。私は俯いて話を聞いていた。親不孝ばかりしていたのに、母は深い愛情を持って私の事を想ってくれていたのだな、と思った。
「貴女がご家族に大切にされているのに、なかなか受け止められなくて悩んでいるようだったけれど、試験外泊などをしてから貴女は変わったわね。病院での生活ぶりも落ち着いたし、活動の時間も集中していると報告が来ています。無事に退院出来そうですね」と仰った。
「両親とは変な話ですが、入院してから関係が改善する事が出来ました。病棟長さん、副長さん、お世話になりました。副長さんには隔離室にいたい頃からお世話になりっぱなしでした。ありがとうございました。生理になった時や、鳥の巣頭になった私の髪をコームで解いて下さったり、あと歯を抜いた時にも。。。」と恥ずかしくて言葉に詰まったら、「本当よね、貴女とは下の仲だわね」と副長さんは明るく笑いながら言われた。
「担当の看護師さんにも助けられました。とてもお世話になりました」と私が言うと、「貴女は男性恐怖症と言うから、彼を担当にするのに躊躇いがあったのだけれど、相性が良かったようで良かったわ」と病棟長さんは微笑みながら仰られた。
「退院しても、いつでもいいから病棟に顔を出してね。元気にしている姿を見せに来なさい」と副長さんが仰った。「はい」と私は返事をして、頭を下げて「お世話になりました」と礼を言った。
詰め所を出ると、作業療法士さんに「音楽療法に出られませんか」と言われて、最後の音楽療法だから出ようと思って、彼女にとって頷いて「出ます。部屋にノートを置きに行って来ます」と断ってから部屋に戻り、カウンセリングノートを引き出しにしまった。
部屋を出て音楽療法に参加する患者さんが集まっている所に歩いて行った。
看護師さんと作業療法士さんに誘導されて階段を登り、四階にある広間に入った。並べてあるCDのファイルからスコットランド出身のバンドのCDを選び、中でもメロディアスな曲を選んだ。小さい紙に名前とバンド名と曲名と選んだ理由には、聴いたら心が落ち着きます、と書いた。そして作業療法士さんにCDと紙を渡した。
バンドの曲を、心が癒されるな、と思いつつ聴いた。
日本人形のような面立ちの患者さんは参加されていなかった。
音楽療法の活動が終わって、部屋に戻って洗面所で手を石鹸で洗いうがい薬でうがいをした。それから外に出て喫煙所に煙草を吸いに行った。ベンチが冷たかった。ゆっくり煙草を吸った。ほっそりとした女性が来られて私の横に座られて「寒いねー」と言われながら、煙草に火を付けておられた。細い煙草は女性らしい彼女に似合っていた。「年金の書類作りで頭がおかしくなりそう」と彼女は嫌そうな顔をされた。「頭が働くようにするのには、甘い物がいいそうですよ」と私が言うと、「お菓子はねー、食べ吐きしたくなるから、今は我慢」と言われた。「私も退院したら、一人暮らしですし、食べ吐きすると思います。やめられません」と言った。「だよねー」と彼女は笑いながら言った。二本目の煙草に火を付けて、ゆっくりと煙を吸い込んだ。私は身体に悪い事が好きだな、と思いながら吸っていた。
二人で病棟に戻りエレベーターを下りた所で別れた。それぞれの部屋に歩いて行った。部屋に入って戻って洗面所で石鹸で手を洗ってうがい薬でうがいをした。
部屋の外から昼食の時間を知らせるチャイムの音が聞こえて来た。部屋を出て食堂に歩いて行った。ほっそりとした女性の分のお盆もテーブルに置いて並べた。彼女が食堂に現れて「ありがとー」と言いながら、席についた。「いただきます」と手を合わせてから、食べ始めた。木曜日は麺類の日で今日は天ぷら蕎麦だった。お汁が濃い味付けで、天ぷらとお蕎麦だけを食べた。お汁は残した。おにぎりも食べた。お漬物だけ残した。彼女はお汁も飲み干して完食していた。「私たち、頑張ってるよねー」と言うから、私は可笑しくなって笑ってしまった。
部屋に戻り昼薬を飲んで歯を磨いた。
机について、引き出しからカウンセリングノートと日記帳を出して、病棟長さんさんから聞かされた話や、副長さんが元気な姿を見せに来なさい、と言われた事を書いた。お忙しい中お二人が、私の為に時間を割いて下さった事を有り難く感じた。
日記帳には、ほっそりとした女性が食事を完食している事や、食べ吐きをやめられないと言い合った事を書いた。
主治医の先生が、摂食障害について何も言われないのが不思議だった。
ベッドに横になりながら本を読んだ。そのまま寝ていて、「文さん」と名前を呼ばれて起きた。担当の看護師さんだった。「晩ごはんの時間ですよ」と言われて時計を見たら、夕食の時間をかなり過ぎていた。「食べます。すいません」と言いながらゆっくりと体を起こして、パーカーを羽織った。彼は机の上に食事のお盆を置いてくれていた。彼はパイプ椅子に座った。私は彼に珈琲を淹れて渡した。彼は丁寧にお礼を言っていた。晩ごはんのオカズは煮魚とほうれん草のお浸しと里芋の煮付けだった。少しずつゆっくりと食べて完食した。彼は静かに私が食べる様子を見ていた。
「お腹一杯です」と私はお腹をさすって見せた。「珈琲ご馳走さまでした」と彼は言い、「就寝前にお茶を淹れますね」と言ってくれて嬉しくなった。「楽しみに待っています」と私は言った。
彼は「食膳を返しに行って来ます」と言って、お盆を持って部屋を出て行った。私は夕薬を飲んで歯を磨いた。
に
私はお腹が落ち着いてから、看護師詰め所に行き、シャンプー類とドライヤーをかける出して貰った。部屋に入って入り鍵を掛けて、クローゼットからバスタオル、タオル、パジャマ、下着を出して、机の引き出しから入浴剤を取り出した。部屋着と下着を脱いで、洗濯カゴに入れ浴室にシャンプー類と入浴剤を持って入った。シャワーカーテンを引いて、頭からシャワーをを浴びて頭を洗い身体も洗った。また頭からシャワーを浴びて髪のコンディショナーと身体の泡を流した。浴槽をシャワーで流してから、お湯を張り入浴剤を入れた。檜の香りがして爽快だった。お湯が緑色に染まっていた。ぼんやりと長湯した。
栓を抜いて髪と身体をバスタオルで拭いて、顔と身体の手入れをした。浴槽を洗ってシャワーを出て洗い流した。バスタオルで濡れた床を拭いた。
浴室を出て下着とパジャマを身に付けて、パーカーを羽織り、ドライヤーで髪を乾かし、ブラシでブローした。
看護師詰め所にシャンプー類とドライヤーを返しに行ったら、担当の看護師さんが窓口に来られて、「お茶を淹れます。どうぞ」と言って詰め所のドアを開けてくれた。彼の後について歩いて畳の部屋に案内された。私は「この部屋、好きです。落ち着きます」と彼に言った。彼は黙ったままお茶を淹れる用意をしていた。手にしているのは、私が渡した水源の水だった。彼がお茶を淹れる手順をずっと眺めていたが、特別な事は何もしていなかった。お湯呑みを渡されて飲んだら、やっぱり美味しかった。「美味しいです」と私が言うと、「茶葉を実家から送ってもらっています。自分はお茶はこれじゃないと飲んだ気になれません」と話された。「今日、病棟長から文さんが自分を褒めていた、と言われました。嬉しかったです」と彼は無表情な顔つきで言われた。「お世話になりました。私を細やかに気遣って下さっていましたね。準夜の時のお茶も楽しみの一つでした。今日が最後になると思うと寂しいです」と私は言った。彼は黙っていた。私も静かに彼が淹れてくれたお茶を味わいながら飲んだ。
彼に促されて詰め所を出て、部屋まで送って貰った。「おやすみなさい」と言い合って私は部屋に入り、彼が外から施錠してくれた。
就眠薬を飲んでから、日記帳を引き出しから出して、ベッドに横になりながら、彼の事を書いた。書き出したら止まらなくなり、数ページに渡り書いてしまった。彼に対する感謝の気持ちで一杯だった。
明かりを消して目を閉じて眠りについた。
担当の看護師さんは、非常に仕事が出来る方でした。私よりも若かったですが、頼りにしていました。
彼が淹れてくれるお茶は最高でした。
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