夢の中で
入院生活に何とか慣れようとしていました。
父は仕事帰りに毎日病院に来てくれていた。父は出張が多い仕事をしており、お土産も、行った場所の土産話も楽しかった。
母は、二日おきくらいに忙しい中、家から病院まで遠いのに、母の危うい運転で来てくれていた。
私は一人暮らしをしていたから、バスタオル、タオル、服、パジャマ、下着などから、私が収納している場所を母は知らなかった。それなので、それらが置いてある場所について詳しく、箪笥の引き出しの何段目に入っているから、とメールを、母に事前に送って、入院生活に必要な最低限の物を病院に持って来て貰っていた。
妹は遠く離れた都市に住んでいたのに、今回の私の入院騒動の為に幼い娘を連れて帰って来てくれていた。妹は、私が意識混濁中に見ていた夢から目覚めた姿を認めて安心したのか、幼い娘を連れて義弟の元へ帰っていった。
まだまだ私の意識は混乱中で、あれらの夢がフラッシュバックするようになっていた。夜には寝ていても繰り返しまた夢の世界に入り込んでいた。翌日もまだ夢と現の狭間にいる気分だった。
夜中に起きた時に、看護師さん達のところへ行き、睡眠薬をもらえる事を、若い彼女から教えられて、お薬をもらいに行っていた。
閉鎖病棟から、開放病棟に移り、若い女の子とは、活動の時間にたまに活動の時間に会うだけになっていた。
三階の開放病棟へ移動が決まった時に精神保健福祉士であり、社会福祉士の男性が、書類を持って来られて、開放病棟へ移動することに同意する、という内容のものであった。主治医の先生の署名は既に記されていた。私はまだその時、物事の判断能力が戻っていなかった。言われるがままに署名をした。
次に、「煙草を吸われますよね。喫煙所は駐車場にあります。何か買い物をしたい時には、近場ならば買いに出られます。遠くて時間が掛かる場合は、外出の届けや外泊の届けを出して、主治医の先生の許可を受けてください」と、仰られた。
私が喫煙家である事をどうして知っているのかが気になって、あまりお話の内容は入って来なかった。怖かった。これがこの後様々な事でお世話になるようになったワーカーさんとの出会いだった。
開放病棟では、毎朝、七時に出入り口になっている、強固な扉の鍵をスタッフさんが開けてくれていた。エレベーターの前には、朝一番で煙草を吸われる方が行列を作っておられた。病院敷地内は完全禁煙であった。
私は夢から抜け出す為に、庭に出て太陽の光を身体に浴びて、散歩をしながら、病院内に植えられている、多種多様の花々を楽しんで、気持ちの切り替えを行なっていた。
一人で花を眺めていたら、一緒に「歩こうよ」と、男性と女性の患者さんが声を掛けてくださった。それから毎朝、病院内の道をぐるぐると五周ほどするようになった。
開放病棟に移ってから、皆さんと一緒に食堂でご飯を摂るようになった。二人がけ、四人がけのテーブルが並んでいた。
私は四人がけのテーブルが、一人空いた椅子があったので、「ここ、よろしいですか」と声を掛けた。
それから女性ばかりで座って食べるようになったが、その内のお一人に私はどうも悪感情を抱かれているように感じていた。その方はピリピリとされていた。他のお二人はマイペースで明るい方々だった。お三人ともシングルマザーだった。子どもさんの話をよくされていた。
活動の中で必ず出ていたのは、「陶芸」と「アート」、「ストレッチ体操」だった。たまに「音楽鑑賞」に出ていた。
陶芸は、タタラという手法で作っていた。
成形して、乾燥して、いよいよ釉薬を掛けて釜で焼く、という流れで、大体三週間で作品は出来上がっていた。
私はちまちまと箸置きを五個にして、小さな作品を作ることにした。母にプレゼントしようと考えていた。一個一個それぞれ、釉薬の色を変えて着色したので、小さいながらも手が掛かった。
アートでは、小さなビーズを選んで、母の眼鏡掛けを作っていたが、意外に重くなってしまい、ネックレスに作り直した。ロングネックレスが出来上がった。
「すごく集中していましたよ、休憩しながら作りましょう」と注意されていた。
携帯のストラップ作りはとても簡単だった。スタッフさんから、「二個までにしして下さい」と厳命されてしまった。
ストレッチ体操は、私は元から体が柔くて、向いているように感じる体操だった。ゆっくりと深呼吸をしながら、ストレッチ体操をしていた。脳からα波が出るのを感じていた。
月・水・金曜日の午前中には、大浴場での入浴が楽しみだった。私の部屋は個室で、お風呂とトイレが付いていたが、大浴場に午前中に入るのが楽しみだった。
「文さんは、長風呂ねぇ」と嫌味を看護師さんたちから言われながらも、採光の良い大浴場で、湯船に浸かりぼんやりと長風呂するのは、何も考えずに無心になれて気持ちが良かった。大きな窓から、外の空の様子がよく見えた。
妹の友達の彼氏が、ある時、お洒落な鉢植えのサンスベリアを持ってお見舞いに来てくれた。
背たけが約1mあった。
最初にお世話になった副長さんから、「(病院に)根付くつもり?」とからかわれた。
夜に、また夢を見ていたら、部屋の鍵が解錠される音がして、懐中電灯で私の様子を窺われた。私は寝たふりをして様子を窺っていた。心臓がドキドキしていた。
翌日、以前から入院されておられる患者さんに尋ねてみた。
「幽霊よ」と、からかわれたが、スタッフさんが患者さんの様子を夜中に見て回っておられるのよ、と教えられた。
病院で夏祭りが開かれた。
私は若い彼女と一緒に浴衣を着てお祭りを楽しんだ。
スタッフさんが売り子になっていて、地域の方々や、患者さんが触れ合うお祭りだった。
私は舞い上がっていた。
まだまだ序の口です。
お付き合い願います。