発作
珍しく文の持病の発作が起きます。
喘息の発作で目が覚めた。携帯の時計表示を見たら四時前だった。喘息の吸入器は看護師詰め所の私用のボックスに預けていたから、ベッドから起き上がって、看護師詰め所に行って、窓をノックして休まれているであろう看護師さんを呼んで「吸入器を出してください」と、なんとか声を絞り出して伝えた。看護師さんは慌てられて「大丈夫ですか」と言いながら、私用のボックスから、「これですか」と言いながら、吸入器を出してくれた。その場で私は口に吸入器を咥えて、シュッと吸入器をプッシュした。しばらくゆっくりと呼吸していたら、発作は治った。「治りました」と言って、吸入器を看護師さんに返そうとしたら、「持っておられて良い薬でした。すいません、こちらの手違いでした」と謝られた。「気にしないでください。部屋に戻ります。おやすみなさい」と看護師さんに言ってから部屋に戻った。
部屋に戻って、ベッドに横になったが発作が久しぶりに起きたことに動揺していた。身体も実家に帰ることに拒否反応を起こしている気がした。吸入器を枕元に置いてまた眠った。
看護師さんに起こされて目を覚ました。もう八時を過ぎていた。「朝食を持って来ましょうか」と、夜中に吸入器を出してくれた看護師さんが心配気に言われたが、「大丈夫です、すいません」と言ってから、口をゆすいで、パジャマにカーディガンを羽織って看護師さんと一緒に食堂に行った。「喘息の発作は収まりましたか」と問われて、「はい、平気です。喘息が出ていても煙草を吸うのですよ」と私が言うと、表情を緩められて「仕方がない人ですね」と言われた。
食堂に着いて、私の朝食をその看護師さんがカートから取り出してくれた。お礼を言ってから、いつものテーブルに向かった。二人組から「どうしたの?」と言われて、「寝過ごして、看護師さんに起こされました」とおどけた調子で私は答えた。朝食は匂いだけで、息が詰まって、食べきれなかった。「文ちゃん、調子悪いの?」とほっそりとした女性から問われたけれど、「寝起きで食べれません」とだけ答えた。闊達な女性も「無理してない?外泊が嫌なの?」と聞いて来られたが、「いえ。もう荷造りもしていますよ」と私は悪いな、と思いつつも誤魔化し続けた。
部屋に帰って、鏡を見たら酷い顔をしていた。顔色が悪く目の下にクマが出来ていた。蒸しタオルを作って、目を覆うようにタオルを載せるのを繰り返した。顔を丁寧に洗顔フォームで洗って、化粧水でパッティングした。なんとか見れる顔になった。歯を磨いてから、パジャマを脱ごうとしたが、今日は大浴場の日だから、着替えるのはその時でいいか、と着替えるのを止めた。
部屋をノックする音がして返事をしたら、日勤の看護師さんたちが朝薬を持って来られた。「夜明けに喘息が出たそうですね。いかがですか」と検温、脈拍、血圧を測られながら、尋ねられた。深夜のあの看護師さんが報告されたのだな、と思った。「主治医の先生にも報告してあります」とも言われた。「今はもう治っています」と言うしかなかった。看護師さんに「外泊するので、臨床心理士の先生のカウンセリングの時間を良ければ早めて欲しいと伝えてください」と頼んだ。看護師さんは、問診表に私の言葉を書いておられた。喘息が出たせいなのか、微熱があり、脈も早く、血圧もいつもより数値が高かった。
大浴場に行く準備をしていたら、部屋をノックする音がして主治医の先生が入って来られた。
「喘息が出たそうですね。微熱もあるし、血圧も上がっているそうですね。大丈夫ですか」と問われて、「発作は久しぶりで、自分でも驚きました」と私が言うと、先生は私の手首を手に取られ、脈を測られた。「まだ早いですね。頭痛薬を持って来ました。解熱作用もありますからね。内科の先生に診てもらいますか」と言われて、「もう、発作は治っていますから、大丈夫です。頭痛薬を飲んで寝てみます」と私が言うと「それがいいですね。今日は大浴場の入浴は禁止です」と言われて、「え、ダメなのですか」と私ががっかりすると、先生は苦笑しておられた。「外泊は延期してもいいですよ。私からあなたのご両親に説明してもいいですが、どうしますか」と聞かれて、「大丈夫です。寝ていたら、治りますから。実家に帰っても大人しくしておきます」と私は答えた。「発作がまた出たら、ナースコールを押しなさい。看護師に伝えておきますから」と言って先生は部屋を出て行かれた。先生の思い遣りが有難かった。
先生がくださった頭痛薬は胃腸が傷んでいる私でも飲めて、子どもにも処方されるというお薬だった。私はそのお薬を精神安定剤のように感じていた。頭痛薬を飲んで私はベッドに横たわって寝た。
ドアをノックする音で目を覚ましたら、看護師さんが体温計と血圧計を持って部屋に入って来られた。「何時ですか」と尋ねたら、「十一時過ぎています」と言われて、三時間も寝ていたのか、とぼんやりとした頭で考えていた。体温は下がっていて、血圧も普段と変わらない数値に落ち着いていた。「体温と血圧は下がりましたね。脈も落ち着いています。息は苦しくないですか」と看護師さんから問われて、「平気です。よく寝ました」と私は大きく伸びをした。「よかったです。お昼ご飯食べられそうだったら、無理しない程度に食べてくださいね。臨床心理士の先生は午後三時にカウンセリングしてくださるとのことです」と言われて私は嬉しくなった。「ありがとうございます」とお礼を言った。看護師さんも微笑んでくれた。
シャワーなら浴びてもいいだろう、と自己判断して、身体を石鹸で洗ってから、顔も洗顔フォームで洗った。顔や身体のケアをして、部屋着に着替えた。
昼食を摂るために食堂に向かった。看護師さんから私の食事が乗ったお盆を受け取って、いつもの席について二人組が来るのを待った。まだ食欲は無かった。大半を残してしまった。幼い頃から喘息の発作が起こると、胃に食べ物が入らなくなるのが常だった。二人組から「どーしたのー?」と言われたが、曖昧な返事をして誤魔化し続けた。
部屋に戻って歯を磨いてから、引き出しから日記帳とカウンセリングノートを出して、日記に喘息が出たことや、不安感、看護師さんや主治医の先生の優しさが嬉しかった事を書いた。
カウンセリングノートを見直して、ため息が出て来た。実家に帰るのはやはり気が重いのだった。
ニット帽を被り、上着を羽織って煙草とライター、携帯を持って部屋を出た。看護師さんに言ったように、喘息が出ていても煙草を吸うのは止められないのだった。煙草はキツく感じたし、不味かった。でも二本たて続けに吸った。
病棟に戻って、手を念入りに石鹸で洗って、歯も磨いた。カウンセリングの先生に不快な思いをされたくなかった。
三時前にカウンセリングノートと筆箱を持って、看護師詰め所の前に立って、先生が来られるのを待った。先生もすぐに来てくださって、私が生けた花を看護助手の女性から聞いておられたのか、「文さん、きれいねぇ。素敵!」と仰ってくださった。
看護師詰め所の仕切られたスペースの椅子に座って、テーブルにノートと筆箱を置いてから、私はノートを開き筆箱からボールペンを出した。
「実家に外泊することになりました。父がそう決めて逆らえませんでした。気持ちが重くなる一方で、今日の明け方に喘息の発作まで起きて、精神的に追いつめられているのかな、と感じています」と先生に言った。先生は黙って私の言うことを聞いておられた。「きつかったですね。大丈夫ですか?文さんは、どんな家庭でしたか」と聞かれた。
「父が一番で、母は父のことを最優先にしていました。私たち姉妹は両親の喧嘩のたびに小さくなっていました。両親は共働きでしたから、私たち姉妹は祖父母に預けられていました。祖父母と母の仲は良くなかったようでした。妹が今でいう学習障害で、母は妹が小学生になってからは妹にかかりっきりでした。私は身体が弱いことで両親に迷惑をかけていましたから、引け目を感じていて距離を置いていました。夏休みや冬休みに母方の祖父母の家に預けられていましたが、妹は従姉妹と仲が良かったですが、私は従姉妹と性格が合わなかったし、嫌われていて一人でいました。中学で市内の学校に進学して両親や妹と離れてホッとしました。妹とは大人になってからも余り話をしませんでしたが、私が入院してから遠くから娘を連れて駆けつけてくれたり、ここにもお見舞いをしに来てくれて、私を心配してくれていたのだな、と分かりました」とぽつりぽつりと話した。
「妹に、死にたかったの?そんなにあの町が嫌なら私がふーちゃんを引き取る、と最初入院で目が覚めた時に妹に泣かれました。妹は強情で泣く姿は子どもの時以来でした」とも先生に話した。
先生はパソコンを時折打ちながら、「一人暮らしを続けたいの?」と聞いて来られた。「続けたいです。ですが、無職にもなりますし、生活面で経済的に不安があります。両親に助けを求めなければならなくなるのが嫌です」と答えた。「実家に帰ったら、自由がなくなります。それも嫌です」と重ねて言った。
「自由って何だろうね」と先生から言われて、「好きに食べ吐き出来なくなります」と答えたら、「また食べ吐きするの?」と言われてしまって私は「たぶんします」と答えた。
「なんでするのかな?」と問われて、「カタルシスというのでしょうか。一瞬の開放感や快楽があります。でもそのあとに罪悪感があって、落ち込みます」と答えた。
「妹さんは医療従事者だったね。前に通っていた精神科の病院も妹さんが見つけてくれたって言っていたよね」と言われて、「はい、看護師です。今は休職していますが。学校で精神科の勉強も学んだようです。妹が私の食べ吐きに気づいて、病院を調べてくれました」と答えた。
「ご両親は食べ吐きについてなんと仰ってるの」と聞かれて、「父は何も言いませんが心配しているだろうと思います。母からは時々食べ吐きしていないか尋ねられますが、入院してからしていないと言ったら、喜んでいました」と答えた。
「実家に試験外泊して、何かあったらすぐに病院に電話をしてくださいね。文さんのご両親も戸惑いがおありです。文さんから歩み寄ってみられたらどうですか」と言われて、私はハッとさせられた思いがした。私は自分のことしか考えていなくて、両親の気持ちを全く考えていなかった。「先生、私は自己中心的ですね」と言った。恥ずかしかった。
「今は自分のことしか考えられなくても、いずれ周りが見えて来ますよ」と先生はにっこりと笑顔になられた。
「言い残したことや、言い忘れたことはないですか」と、カウンセリングの終わりに先生がいつも仰る言葉でカウンセリングの時間は終わった。先生にお礼を言ってから、看護師詰め所におられた看護師さんたちに「終わりました」と声を掛けてから、詰め所を出た。
部屋に戻って、カウンセリング中に走り書きしていた先生と話したことをまとめた。両親や妹が私を心配しているのだと改めて気づかされて、迷惑ばかり掛けているな、と後ろめたい気持ちになった。両親の思いに応えよう、と実家に外泊するのを嫌がる気持ちをなんとか打ち消そうとした。
外泊する時に持って帰る物リストに、吸入器も書き加えて荷造りをしたが、手提げバックに収まる量しか無かった。
部屋着から、少しはまともに見える格好にするかとクローゼットの中を覗いた。私が住む町は北にあり、寒いから黒の中綿入りのジャンパーを羽織ることにした。黒のタートルネックのセーター、黒のコーデュロイのパンツ、靴下も黒のに履き替えた。靴もバックも、黒色だった。赤色のニット帽だけが目立つ取り合わせだった。
顔色が悪かったから、父が気にするといけないと思い、看護師詰め所に行って、化粧ポーチを私用ボックスから出してもらって、部屋に帰って洗面所の大きな鏡の前で化粧をした。少しは顔色がマシにみえる顔になった。
看護師詰め所に化粧ポーチを返しに行って、看護師さんから「お父さんが来られた、と連絡がありました。準備は出来ましたか」と問われて、「出来ています」と答えたら、二泊三日分のお薬を説明しながら看護師さんが渡された。「先生が、なにかあったら、すぐに病院に電話をするように、と仰っていました。夜中でも何時でもいいですから、電話してくださいね」と言われた。「ありがとうございます。行ってきます」とご挨拶したら、「部屋は鍵を掛けておきますから」と言ってくださった。私は外泊届の用紙も看護師さんから受け取って、部屋に置いていたバックを持って、エレベーターで一階に降りたら、主治医の先生と父が一階のフロアで話をしていた。
父が先生に頭を下げたので、話は終わったのだな、と思い先生に「帰ってきます」と言うと、「何かあったら、電話しなさいね」と穏やかな顔をして言ったあとに、先生は階段を昇って行かれた。「先生は必ず階段を使われるのよ」と私が父に言うと、父は感心していた。
父は車を喫煙所のすぐ側の駐車場に停めていた。「一服するか」と言われて、私は頷いた。「明け方ね、喘息が久し振りに出たよ」と私が言うと、「煙草吸って大丈夫なのか」と言われた。「平気。逆に吸いたくなる。お母さんには内緒ね」と父に笑いかけた。父も笑っていた。
帰りの車内では、テレビの音が嫌だと私が言って消してから、二人で話をした。「お母さんが張り切って掃除をしていたぞ」と言うから、「普段からしてればいいのに」と私が言い、「あれは毎日忙しいから仕方がない」と父が母を庇い、「私みたいに毎日少しずつ掃除してたら、大掃除の必要ないんだよー」と私は反論し、「お母さんの大雑把さは昔からだ。今更なおらない」と父が笑い出した。「料理は上手だよね」と私が言うと、「文が好きなの物ばかりを作ると張り切っていたぞ」と父に言われて、食べることに罪悪感がある私は苦い思いがするのだった。「そのネクタイ、私があげたやつだね、似合うね」と話を変えたら、「文は全身真っ黒けで、なんという格好だ。死神みたいだぞ」と言われてしまった。「これが流行りなんです」と私は適当なことを言った。
約一時間の実家への帰り道はあっという間だった。話が尽きなかった。辺りはもう暗くなっていた。
「ただいまー」と声を掛けてから、玄関の中に入ったら、飼い猫のサクラが玄関でお出迎えしてくれていた。サクラは私が大学生の時に我が家に来た猫だった。グレーの縞が美しいメスの猫だった。私のことをしっかりと覚えてくれていて、鳴きながら私の足に身体を擦り寄せて来た。サクラは抱っこを嫌がる猫だったから、顔や耳、身体を撫でてやって、マッサージしてあげるとゴロゴロと喉を鳴らしていた。外に出ないから柔らかいままの肉球を撫でるのも私は好きだった。実家には、サクラがいたんだった、と楽しみが一つ増えた。
母が「あら、早かったわね」と言って、台所から出て来た。私の顔色を見て、「文、顔色が悪いわよ。何かあった?」と聞いて来たが、喘息が出たと言ったら、サクラから離されると思って、「車に酔った」と嘘をついた。
ニット帽とジャンパーを脱いでから、洗面所で手をハンドソープで洗った。そして仏間の祖父の仏壇にお線香を立てて、帰って来たよ、と心の中で言った。
居間に行くと炬燵の台の上には、お刺身が大量に並んでいた。「すごいね」と私が言うと、「病院じゃ出ないんでしょ」と母に言われた。お煮しめと粕汁も母は作ってくれていた。
鯛のお刺身を小さく切って皿に入れて、私はサクラに与えた。鯛はサクラの好物の一つだった。
食べ終えたサクラは満足して、私の足に前身を預けていつもの寝るポーズを取った。
私は動けなくなってしまったから、母に食べたいお刺身を皿に取って貰って、お刺身、お煮しめ、粕汁をゆっくりと食べたが、途中で胃がむかむかとし出して、口を手で押さえたがその場で耐えられずに戻してしまった。なかなか嘔吐は止まらなかった。父も母も一瞬呆気に取られていたが、「大丈夫か」と言いながら、父は私の背をさすってくれて、母が台所からタオルとボウルを持って来てくれて、私はボウルに胃液を吐いた。サクラも私を心配するように鳴いていた。
やっと何も出なくなってから、母に頼んでぬるま湯を持って来て貰った。母に「明け方喘息が出て、今日何も食べていなかったから、胃が驚いたんだと思う」、と話をした。母からは「なんで言わなかったの!」と叱られてしまった。「先生から、なにかあったら電話をするように、と言われといたけど、これくらいでしなくてもいいよね?」と私が母に言うと、父が「電話しろ」と母に言った。母が病院に電話を掛けて、夕食を戻したことを話していた。「あなたに代わってって」と子機を渡されて、私は横になったままの姿勢で、電話に出た。「気分はどうですか」と看護師さんから問われて、「ムカつきは収まりました。喘息も出ていません」としゃがれ声で答えた。「もう、夕薬と就眠薬を飲んでから寝てください」と言われて、私はお礼を看護師さんに言ってから電話を切った。
「お薬を飲んでもう寝てくださいって言われた」と両親に言って、母にパジャマ貸してと頼んでから、服を脱いで母のパジャマに着替えた。発作が起こると自室の二階へ一階からの上り下りはきついから、と言って、仏間に布団を敷いて貰った。
お薬を飲んでから歯を磨いて、布団に横になったら、戸をサクラが咲いカリカリと引っ掻く音がして聞こえて来た。私は起き上がって、仏間にサクラを入れてあげて、以前していたように掛け布団をめくって、サクラが入るスペースを作ってあげたら、出たり入ったりを繰り返したあとに、私の腕枕でサクラは眠った。私も眠りについた。
喘息の発作は精神的な要因からも起きる、と言われたことがあります。不確かな情報で、すいませんm(_ _)m
本人としては、今となってはたまにしか発作が起きないので、喘息のことを忘れていますが、頻繁に発作が起きていた時には、吸入器が手元にない、と気づいたショックで発作を起こしていました。やはり精神的な要因があるのでしょうか。
摂食障害は、文の「主病」ではありません。ですが、かなり悩んでいました。
お付き合いくださり、ありがとうございます!




