二百四十一段 望月の円かなる事
※ 追加エピソードになります。十七段の七か月後、南部中に赴任したトベ先生の、ある日の授業の風景。
徒然草 二百四十一段 原文
望月の円かなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る様の見えぬにやあらん。病の重るも、住する隙なくして、死期既に近し。されども、未だ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、閑かに道を修せんと思ふ程に、病を受けて死門に臨む時、所願一事も成せず。言ふかひなくて、年月の懈怠を悔くいて、この度、若し立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成じてんと願ひを起こすらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願皆妄想なり。所願心に来たらば、妄信迷乱すと知りて、一事をもなすべからず。直に万事を放下して道に向ふ時、障りなく、所作なくて、心身永く閑かなり。
南部中では俺がまだ小学生の頃、虐めで一人の生徒が死んだ。
自殺だ。
我が校ではこの事を深く反省し、各教室に監視カメラも置いているし、各学年に虐め担当の先生がつき早期発見、防止に努めている。
そして生徒が自殺した日を「命について考える日」と定め、全クラスにて「命の授業」が行われる。
授業の内容は担任教師に一任されており、教師にとっても虐めについて、学校で起こる犯罪行為について、命について、重く考えさせられる日となっている。
虐めの加害者は今ものうのうと生きているかと思うと反吐が出るが、加害者に対して罰を与えるのは俺の役目ではない。俺も学校側の過失を認め、自分事として捉えて生徒達にしっかりと教える事。
それが俺の責務だ。
今日は十一月二十七日。彼の命日。
命の授業の日。
生徒達に何かを伝える事が出来るだろうか。
『徒然ww 二百四十一段 望月の円かなる事』
三年四組の教室に入る。
何でだろう、四組って数字に落ち着くのは。世間だと不吉な数字のはずだが、多分四組って聞くと優しい生徒達の笑顔しか浮かんでこないからだろうな。
「みんなおはよう。日直、号令」
「起立 礼 お願いします」
「お願いします」
「着席」
全員の着席を待って、少し重い口を開く。
「今日は十一月二十七日、命について考える日だ。まず皆で彼の遺書を読もうと思う。配っていくから後ろに回してくれ」
遺書を印刷したプリントを配る。
B5ノート十三枚にものぼる遺書は家族への謝罪と、自分の弱さへの後悔でびっしりだ。
「もう何回も読んでると思うが、再度これを読んでもう一度考えて欲しい。十分間の時間を取るから各自読んでくれ」
俺はもう三百回以上読んだ。文の端々に垣間見える家族への愛が痛々しくて、ひたすらに悲しい。
俺の後輩も自殺で命を絶った。アイツは遺書なんか残してくれなくて、全く気持ちをわかってやれなかった。だからこの生徒の遺書もアイツの言葉に感じる時があって、そんな時は涙が止まらなくなる。
「はい十分。各自その遺書を持ち帰ってこれから始める俺の授業とあわせて、家族で話し合って欲しい。じゃあ、俺の命の授業を始める」
黒板に年表を書いていく。今日をスタートとして、一週間後、一ヶ月後、三ヶ月後、半年後、一年後と区切っていく。
表題は「卜部兼好が死んだ後の周囲の環境と反応」
「皆には自分がもし今日死んでしまったら周囲がどうなっていくかを考えて欲しい」
生徒達はざわつき始める。少しショッキングな内容だと自分でも思う。
「まずお手本を見せる。というか、皆も俺が、卜部兼好が死んだらどうなっていくと思うか、意見をくれると助かる」
死と向き合う。それが俺の命の授業。
「まず一週間後。クラスはどうなってると思う?」
「担任の先生が変わってると思いまーす」
女子の戸沢が手をピンと伸ばして答えた。
「まあ、そうだな。担任不在って訳にもいかないし、誰かが四組の担任になるだろうな。って言うと今川先生が副担任から繰り上がるかな? でも今川先生はまだ担任をうけもった事ないから荷が重いか。教頭先生が代理で見る事になるかもなあ」
今川先生は三年目の若い女性で、これが超美人でおまけに巨乳と男子から絶大な支持を得ている英語教師だ。
「えー!? 今川先生がいいよ! むしろ今から今川先生と変わってよトベ先生!」
「殺すな! まだ生きるわ!」
男子の舩津の心の底からの叫びに苦笑しつつ、黒板に担任が替わる(今川先生希望)と書いていく。
「じゃあ三ヶ月後」
「卒業式で、きっとトベ先生を思い出して泣くと思います。式の後に先生のお墓へ行って、皆で卒業アルバムを墓前にお供えします」
三ヶ月後には卒業だ。卒業式なんて受験直前なのに、嬉しい事を言ってくれる。
「ありがとう三浦。さすが学級委員長、百点満点の答えだな。じゃあ三浦、半年後は?」
「高校生活が楽しすぎて忘れてると思います」
「ズコッ」
ガクッと大袈裟にズッコケる。でもまあ、そうなるだろう。
「でも、折々で思い出します」
「私も、苦しい時とかに思い出すと思う」
「俺はもし夢が叶ったとしたら、先生の事を思い出すと思う。俺が医者になりたいって言って笑わなかったのトベ先生だけだもん」
「私も思い出します。一生、時々、それでも一生をかけて、時々先生の事を思い出します」
生徒は口々にそう言ってくれる。イカン、本当にもう死んでしまうような気になってきたぞ。
「ありがとう。じゃあ次は俺のプライベートだな。婚約者はどうなるかな?」
四組の俺の机には抄子ちゃんの写真が飾ってある。俺も事あるごとに彼女を自慢しているから生徒達も抄子ちゃんの事をよく知っている。
「式場のキャンセルとか、一週間は忙しくて悲しんでる暇もないかもしれない」
女子の佐々木が至って真面目な顔で答える。
「そうかもな。身近な人が亡くなると意外にやることっていっぱいあるからな。じゃあその一週間後は?」
「悲しくて何も手につかないと思う」
少しだけ表情を曇らせて佐々木は答えてくれた。
「うん。逆だったら俺もそうだ。3月に式を控えてたのに全て無くなってしまう訳だからな。しかも絶対に戻る事はない」
そして半年、一年と経っていく内に忘れてくれればいい。忘れるまでいかなくても、新しい恋人を見つけてくれればいいけど、何時までも俺の事を引き摺って欲しくない。でもそれは俺の我が儘で、死んでしまったらその後の事は俺にはどうにも出来ない。
「ま、俺の事はこんなもんか。とまあ、死んだ後の事を考えると、どう生きていかなければいけないかがわかる。俺の場合、やっぱり明日死ぬかもしれないからお前達にはいつも本気で向き合っていたい。お前達がいつか思い出してくれた時に、ああ卜部っていう鬱陶しいセンセーがいたなあって思い出してくれる様に。そして後悔しないように精一杯恋人を愛したいと思う。何より、死にたくない。生きていたいと強く思った」
生きるってのは、死ぬ事。
決して避けられない。ならばそれと正面から向き合うしかない。
「じゃあ各自、自分の場合はどうだろうか考えて、プリントに書いていってくれ。それは俺に見せなくていい。持ち帰って、自分の心にしまっておいてくれればいいから。よし、始め」
そして出来れば、名前が挙がった大切な人の為にこれからどう生きるべきか、真剣に考えて欲しい。これが俺の「命の授業」だ。
皆真剣にプリントに向かい、残り時間も少なくなってきた頃、嗚咽の声が聞こえてきた。里中が涙を流し、すすり泣いていた。
ああ、そうだった。里中は昨年父親を亡くしている。愛しい人達の中に父親も入っているはずだ。酷な事をさせているのかもしれない。
「大丈夫か里中。辛かったらやめていいよ」
「ひっ……もし……お父さんがこれをやってたら私の事はどんな風に書いたかなとか考えたら、どうしようもなく泣けて来ちゃって……」
「きっと、里中の為に長生きしたいって書いてたと思うよ」
少なくとも大人になる姿を見届けたい。親ならそう願うはずだ。
「死んじゃう時も……私の事思い出してくれたのかなって。痛かったよねって……」
里中の父親は仕事中の事故死だ。化学薬品を扱う工場で爆発に巻き込まれた。最初意識はあったそうだが病院に搬送される途中で意識不明になり、里中は看取る事も出来なかった。
「すまん。辛い事を思い出させてしまった」
生徒のトラウマを刺激するような授業を、なんて非難されるかもしれない。
だけどこれは命の授業だ。遊びじゃない。上っ面だけの綺麗事なんかで命は語れない。
「ううん、大丈夫。これは私が忘れちゃいけないことだから」
「優しさっていうのは、想像力だ。相手がどう思うか、それを考えるのが思いやりだ。里中は優しい子だよ」
里中は涙を拭って、またプリントに向かった。強い子だ。心からそう思う。
さて、残り時間も僅かになってしまった。
俺の命の授業はこれで良かったのだろうか。生徒達にちゃんと伝わっただろうか。
「よし、じゃあこれで今年の命の授業は一旦おしまい。家庭でも両親や兄弟と話し合ってみてくれ。それと、最後に一つ、俺からのお願いだ。みんな、どうか」
何があっても、絶対に。
「生きろ」
徒然草 二百四十一段 現代訳文
満月が円を描くのは一瞬のこと。あっという間にかけてしまう。気にしない人は月が一晩の内にこんなにも姿かたちを変えていることにも気付いていないだろう。病もまた満月と同じ。今の病状がずっと続くのではなく、死は着々と近付いている。しかし、まだ病気がそれほど酷くない内は「こんな日がいつまでも続いたらいいのに」なんて思いながら暮らしている。そして死ぬまでに多くの願いを成し遂げて、満足してから死に向かい合おうと考えたりする。そうしているうちに病気が悪化し臨終の間際で、結局何も成し遂げていないことに気がつくのだ。死んでしまうのだからもう何を言っても仕方ない。今までの怠惰を後悔して「もし生き延びる事が出来たら心を入れ替えて全ての事に全力を出そう」なんて反省するのだが、結局は危篤になり、志し半ばに死ぬのである。世の人は大抵がこんなものだ。人はいつでも死ぬことを考えていなければならない。
やるべきことを成し遂げてから静かな気持ちで死に向かい合おうと思えば、いつまでも願望が尽きない。一度しかない使い捨ての様な人生で、何かを成し遂げる事に意味があるのか。願望というのはすべて妄想なのである。何かを成し遂げたいなんて思ったら、妄想に取り憑かれているだけだと思っていっそ全てを止めてしまえばいい。人生を投げ捨てて死に向かい合えば、日々のノルマも、煩わしさもなくなって、心身に平穏が訪れるから。




