十七段 つれづれもなく
※サプライズというか、私からのありがとうの気持ちです。エピローグ。
徒然草 十七段 原文
山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁も清まる心地すれ。
吉田中学での最後の日。
生徒達が春休みでいない中、俺は二年四組の教室の大掃除をしていた。
恩返しのような物だ。
吉田中学には新卒から六年間、本当に世話になった。教師としての全てをここで学んだ。思い出が多すぎる。
最後にゆっくりと、この教室とお別れがしたかったのだ。蛍光灯のカバーも外し、普段やらないような所まで丁寧に掃除していく。
黒板とロッカーを拭きあげて、生徒達の机をピカピカにしてやる。
「プッ、山田の机、なんだよこれ」
恐らく輝ける聖光XXに決定する前の名前の候補達なのだろう。中二病ネームの落書きが書いてあった。
「灼熱の薄紫999」
「大変動天変地異黙示録」
「佐藤従三位九郎右衛門文忠」
碌なのがねえ。
全部酷いな。灼熱なんだから赤くしろよ。地球何回滅亡するんだよ。従三位って高貴だな文忠、ってか何で佐藤なんだよ、山田どこいったよ。
「まさか輝ける聖光XXが一番まともだったとは……」
名残惜しいが洗剤を使って落書きも綺麗に落としていく。代わりに「黒滅の沙羅曼陀羅」と書いておこうかと思ったけど来年度の二年生が不憫に思えてやめた。
『徒然ww 十七段 つれづれもなく』
椅子と机を全部廊下に出して床にワックスをかけておく。教室の床ってザラザラして埃っぽいからな。ワックスをかけるとツヤツヤとして照明をよく反射して部屋全体も明るくなる。
「終わった。全部」
あとはワックスが乾くのを待つだけだ。
しばし想いに耽る。
来月からこの教室で新しい二年生は何を思うのだろう。来年度はカエラが二年四組の担任を受け持つらしい。今度はカエラがこの教室で教師として生徒と向かい合う事になる。心配ではあるが、あいつは人の嫌なことによく目がつく奴だから大丈夫だろう。
「兼好くん、ここにいたの?」
抄子ちゃんが俺を呼んだ。その左手の薬指にはプラチナとダイヤの指環が光っている。それは幸せの証。
「ああ。見てよ、ピッカピカだろ?」
「すごいね、ワックスまでかけるなんて。香取先生も喜ぶと思うよ。じゃなくて、兼好君を呼びに来たの」
「俺を? 今日なんかあったっけ?」
今日の用事は片付けだけのはずだ。
「いいから」
要領を得ない俺の手を掴んで強引に引っ張った。訳がわからないが大人しくついていく。
やがて体育館の扉の前に着いて、抄子ちゃんがスマホを操作すると中から吹奏楽部の楽器の音が聴こえてきた。俺が高校時代によく聞いていた男性バンドの曲だ。
「卒業先生入場」
近藤の声だ。アナウンスが聞こえてきて、扉がゆっくりと開いた。
「これは……」
中央にはパイプ椅子が一つ。舞台に向かって左手には山田と土井、夏目、三島といった二年四組の吹奏楽の生徒達が少ない人数で必死に演奏をしてくれていた。残りの生徒達は舞台右手の壁に沿って座っていた。まるで来賓だ。
「兼好くん。ほら、座って」
抄子ちゃんに促されるまま、中央へと歩いていく。拍手の中を狐につままれた顔で進んだ。俺が椅子に座るとピタッと拍手が止んで、五組の奥田が演台の前に上がった。少し肩幅を広げて偉そうだ、校長先生のつもりなんだろうか。
「卒業証書授与」
近藤が言うが、俺はまだよくわかってない。だってこんなの嬉しすぎて、頭がついてくるわけない。
「四組の子達に相談されてね、卜部先生の卒業式をやる事になったの。ほら、ぽけーっとしてないで背筋伸ばしてシャンとしなさい卒業先生!」
パンッと背中を叩かれ、反射的に姿勢を正す。
「卜部兼好!」
「はい!」
声を張り上げて返事をする。
シンと静まり返った体育館に俺の革靴の音だけが聞こえて、演台の前で頭を下げた。
「ゴホン、卜部兼好。吉田中学校を卒業する事をここに認めます」
丁重に証書を受け取る。俺はとっくに泣いてしまって、もう涙で前が見えなくて、奥田の顔が見たいのに見れない。
「ちょ、ちょっとトベ先生! まだこれから歌のプレゼントとか花束贈呈とかあるんだから泣くの早すぎ!」
「そん……な事言っだっで無理っ……に決まっでんだろ!」
顔中をびたびたにした涙は暖かくて心地よくて、寂しくて嬉しくて、教師になって良かった、心からそう思った。
おしまい。
徒然草 十七段 現代訳文
山寺になどに籠って、余計な事は考えずに一心に掃除などをしていると、無駄なことも自分の世界から無くなって、心の曇りが雨上がりの空の様に真っ青に晴れた様な気持ちになる。
【作者から最後に】
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
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本当に、本当にありがとうございました。
またね!
京野うん子