跋文
徒然草 底本 跋文
這両帖、吉田兼好法師、燕居之日、徒然向暮、染筆写情者也。頃、泉南亡羊処士、箕踞洛之草廬、而談李老之虚無、説荘生之自然。且、以晦日、対二三子、戯講焉。加之、後将書以命於工、鏤於梓、而付夫二三子矣。越、句読・清濁以下、俾予糾之。予、坐好其志、忘其醜、卒加校訂而己。復、恐有其遺逸也。
慶長癸丑仲秋日黄門
光広
徒然wwは超イケメンの京野うん子が徒然草に感銘を受けて悪ふざけとも取れるような現代学園ドラマにアレンジしたものです。
なんかすいません。
正直、ここまで皆様に愛される作品になるとは思っていませんでした。
ブクマ、及び評価をくださった皆様。
感想をくださった皆様。
レビューをくださった皆様。
読了ツイートをくださった皆様。
本当にありがとうございました。おかげで書くことが出来ました。
「頭がおかしい」やら、「うんこうんこ」やら、「すこすこのすこ」やら、感想欄がカオスなのもこの作品の魅力の一つなのでしょう。
読者様も頭がおかしいのです(暴言)
苦しい時もありましたが、楽しかったです。こうして振り返ると、色々な事を思い出します。
初めて目からチクビームを出したあの日。
初めてカブトガニを味噌煮込みうどんと見間違えたあの日。
初めて正装で成層圏を清掃した幾星霜。
どれもが私の宝物というか、捏造された大切な思い出です。
正気でしょうか?
本当に私は徒然ww最後の跋文をこんなにふざけたノリで書ききるつもりなのでしょうか?
それがうん子ワールド。
生意気な事を言いますが、ここで本作の内容について何かを語る事はありません。
私はアマチュアですが、作家であります。
作品以外で語る事はしたくありません。
この作品を読んで感じてくださった事が全てでございます。貴方様の心の栄養になれば幸せであります。
私にとっても、この作品はたくさんのかけがえの無いものを与えてくれました。
多くの人と本作品を通じて繋がりが出来たこと。
作品を愛してもらえる悦び。
ランキングにも載る事が出来、こんな自分でもやれば出来るんだと、一歩踏み出してみる事の大切さ。
頑張るって悪くないなって教えて貰いました。
感想への返信で何回か言っていますが、私は徒然wwを書こうと思うまで徒然草をよく知りませんでした。
まずタイトルを思いつき、内容を模索していた所、そういえば本家の徒然草はどんなだろうと気になり読み始めたら見事にハマってしまいました。
そしてあの序段が生まれました(何でやねん)
私は徒然草を「古文の勉強ツール」として扱って欲しくありません。
本作をご覧になられた方ならお分かりでしょうが、徒然草はその内容がとんでもなく面白いです。今でもそのまま感じる事が出来るものばかりで、「今も昔も人の本質は変わらないのだなあ」と深く心に染み入ります。
「古典とは教養ではない。共感である」
この言葉は本作に頂いたレビューのタイトルです。本当にその通りだと思います。
古典を教育ツールとしてではなく、ただ面白いものとして消費するのも全然アリじゃん!
そう共感して頂けたら。
そして徒然草や古典にも興味を持って頂けたら。
吉田中学の生徒達の優しさにほっこりして頂けたら。
トベ先生の生き方に笑って泣いて頂けたら。
この作品を読んで貴方の心に何かを残して頂けたら。
そう願って、この跋文を締めさせて頂きます。
ありがとうございました。
令和元年 六月十一日 京野うん子
徒然草 跋文 現代訳文
このつれづれぐさ上下二巻は吉田先生が引きこもった晩年、暇をもて余して浮かんできた妄想等をつらつらと書き記したものです。
最近、堺で儒学者の三宅寄斎先生が炬燵に入りながら老子の虚無を、荘子の自然を説いており、時間があれば弟子に徒然草の講義をしていたそうです。
講義だけにとどまらず、徒然草を書き写し、印刷屋に発注して弟子にあげる事になったそうな。
その際に私に徒然草の句読点や清音、濁音等の校正を依頼してきたのです。
私はそれを聞いて、恥ずかしげもなく校正に取りかかった次第であります。
精一杯やりましたが、取りこぼしが無いことを祈るばかりです。
一六十三年 八月十五日 中納言




