017.娼婦ソフィーと国王陛下。愛は成就するのか
オウゾ王国・王都カラッカゼメの郊外、フシャーセ地区。
近年繰り広げられた王都の目まぐるしい発展と、巨大なビル群の影にひっそり佇むようにして、その町はあった。
旧時代の煉瓦づくりの建物の間を馬車が通り、地方貴族が物乞いの少年少女に硬貨を投げつける光景がそこかしこで見られる。
濁った川で洗濯をする老婆たち。
昼間から酒に酔った職人風情が、王都で得た一日の稼ぎを握りしめ、そこでうけた差別のうっぷんを晴らすかのように、賭博場へと足を運ぶ。
「ここは百年前の世界か」
王都で生まれ育ち、興味本位でここを訪れた十代の若者たちはそう言い、馬糞と埃にまみれた空気に顔をしかめ、すぐに踵を返すという。
王都の高級料理店に並ぶ野菜のいくつかは、ここの土壌で育ち出荷されたものだが、それに気づく者はいなかった。
◆
この町の中で、とりわけ貧困層が集中する区画がある。
そこに住む女は色を売り、男たちは愚連隊をつくり町のいざこざに駆り出されていた。
ここの住人は家族を得たら移住するか、年をとる前に病で死ぬか刺されて死ぬかのどちらかであり、年寄りの数はめっきり少なかった。
その区画は小高い山の上にあることから「不遇の山」と呼ばれていた。
あばら屋が集中する一角に、王都のビジネスマンから、国内で魔物を討伐して回る冒険者、好色な地方貴族が列をなして並ぶ「色宿」があった。
「スイトピー」と薄い板にペンキで書かれた看板がかけられており、四階建ての建物のそこかしこから、のっぴきならない吐息が漏れ出している。男たちはそれを耳にして欲情するのだ。
パンパンパン、と手拍子を打つ音が聞こえた。
「はいはい、みなさぁ~ん!ソフィーちゃん、二時間待ちでぇす。他のお店に迷惑になるのでぇ、もっとお店側に寄ってもらっていいすか?」
数年前、ダンジョンの魔物に右の頭をかじられてから思考力が低下してしまい、働き口がここしかなかったという、元・冒険者のボーイが長蛇の列に向かって手を振る。
黒いベストに黒い蝶ネクタイ、下半身がデニムの短パンという常識はずれのコーディネイトだが、この店の売れっ子ソフィーに会いにきた彼らは、ボーイの言葉に素直に従うしかない。
「もし、あれだったら新人の子いますからぁ、そっちなら今からご案内できやすよぉ、ぐへへへ」
ボーイは鼻水を垂らして笑った。
◆
「はぁ~、つっかれたぁ~、二十人目から早いやつらでよかったわ」
スイトピー売れっ子ナンバーワンのソフィーは、この日、三十八人目の客を相手し終わったあとに、ようやく一本煙草を吸うことができた。
「ソフィーちゃ~ん。あと五分でお客さんご案内しますから。準備よろぴくっくっく」
頭の足りないボーイがドアの向こうで話しかけてきたが、ソフィーがそれに答えることはない。
◆
三十九人目の客がノックをする。
ドアが開き、見えた顔は見慣れない人種の男だった。
「時間は二時間とった」
男は言った。
「一見さんよね。一時間だろうが二時間だろうが、一回は一回よ。そういうルールだから」
男は黙って立っている。
「なによ、脱がないの」
「俺の名は和也。この二時間は会話しかしない。朝からずっと客につかされてるんだろう。疲れた身体を癒す時間に充ててくれないか」
自らをカスヤと名乗る男はベッドに腰掛け、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めるがそれ以上なにかをする様子はなかった。
「へぇ」
半信半疑ではあったが、一時間を過ぎた頃から、ソフィーは会話に夢中になり、大笑いをした。
いつもの「のっぴきならない」声ではなく、笑い声が聞こえるからと、ボーイがドアの向こうでこちらを伺ってるのが分かったが、ソフィーはお構いなしにカスヤとの会話に没頭していった。
「でも、あなたみたいなのは初めてよ。二時間とって指一本私に触れない客なんて…あ、いや、もう一人いたかな」
ソフィーは煙草に火をつけ笑った。
「それどんな男?」
「ただの肥満男よ。不細工だし。身なりからして金持ちなんだろうけどさ、毎回喋って帰るだけだし、何がしたいのかよくわからない」
「きっと彼も俺と同じ目的なんだろうね」
カスヤは言った。
「どんな目的?」
「君を本気で落とそうとしてるのさ」
ソフィーは陳腐な誘い文句に素直に笑った。
「外に連れ出せばタダでできるからでしょ」
「違うよ。身体よりも心がほしい。それだけだ」
カスヤはソフィーに口づけする。
◆
一ヶ月が経過した。
ソフィーは店が終わるとすぐに、カスヤとの待ち合わせ場所に駆けつけるようになっていた。
「お待たせ~」
胸元のあいたドレス姿のソフィーは、王都の高級料理店の前で煙草を吸うカスヤに手を振るが、カスヤはそっけない態度で欠伸をする。
◆
店内はスーツ姿の貴族や淑女で満席だった。ムードある音楽が薄く流れる中、ボーイがワインを注ぎにくる。
「十万ダラ。ピンチだから頼む」
ワインを飲み干し、魚料理をくちゃくちゃと食いながら、カスヤはソフィーに言う。
「なによ~、昨日あげたばっかでしょ?博打はやめるって言ったじゃん」
「うるせぇ!このアバズレ!てめぇが股を使って稼いだ汚い金を社会に還元してやってんだ!」
「痛い、痛い、やめて!わかったから…」
カスヤはソフィーの頭を鷲掴みにしてテーブルに押しつける。周囲の客が目を剥き、ボーイがカスヤを止めに入った。
「カスヤにとって…私って何なの」
カスヤがそれに答えることはなかった。
◆
ソフィーがこの商売を始めたのは今から三年前。
十八歳の春からだった。
貧しさ故に売るものがなかった少女がその仕事を生業とするのは当然の流れであり、両親が病で他界した今、幼い弟や妹たちを養う収入源でもあった。
だが数年前の大地震で弟、妹たちは死んでしまった。
王都に住む経済力があれば、弟たちは死なずにすんだのに、と倒壊したあばら屋を見てソフィーは泣いた。
「王国は貧しい人間を見捨てている。王都のやつらが一人一枚金貨を出してくれたらこの町は救われるのに」
色屋で働く意味を失った後もソフィーは、そこで働き続けた。
奪う側に回り、金を貯め、いつか王都へ繰り出し富裕そうに勝利してやるのだと途方もない野望を抱き、自分を慰めた。
しかし、
カスヤに出会い、彼にすべての金を奪われた。
はじめて愛した人が、人ならざるクズであることに気づきながらも、ソフィーは彼の存在に縋るほかなかったのだ。
「こんなに金を巻き上げるなら、一回抱いてくれたっていいじゃないか」
ソフィーは毎晩、枕を涙で濡らしている。
◆
カスヤへ渡す金のためだけに、毎日毎日、客をとった。
「最近よく働くね~」
店のオーナーの機嫌はよくなる一方だが、ソフィーからは愛想笑いも消えた。
「ソフィーちゃ~ん、バラタイコさんから指名、入りましたよ~」
ボーイが歯の抜けた笑顔を見せる。
「最近疲れ気味っしょ。バラタイコさんは指一本触れずにラストまでいてくれるから、今日はもう身体を休めてね」
ソフィーは泣きそうになった。
頭のいかれた元・冒険者のボーイの何気ない気遣いでさえ、今のソフィーには染み渡っていたのだ。
◆
常連客のバラタイコはいつものように、指一本触れようとしないものの、ベッドに座り一方的に喋り続けた。
「今日も我が輩、きまってるでしょ?このジャケット高かったんだよね~選ぶまで時間かかってさぁ~、んでね、色のコーディネートなんだけどさ、これ実は」
正直、つまらない。
ソフィーは思った。
「あのね~、我が輩、好きな料理があってね~地方の民族料理なんだけどさぁ~」
バラタイコは自分の話しかせず、ソフィーの話を聞くことはなかった。
身体を求めるようなことはないものの、それは自己満足のために店に通う他の男たちと何ら変わりはない。
「ところで、ソフィーちゃん。最近顔色よくないね」
バラタイコが初めてソフィーに質問をしてきた瞬間だった。
「なんで?」
「いつもは何かを胸に秘めたような、意志の強い表情だったけど、最近はなんていうか…生きることに疲れたような顔をしてる」
「そう…」
自分の変化に気づいてくれる人など、世界にいないと思っていたソフィーは、朝露のような雫を瞳から潤ませた。
「我が輩にできるのはこれくらいだけど…」
バラタイコは五百万ダラを封筒に入れて手渡してきた。
「これが我が輩の全財産。もうこの店にはこれない」
「こんな大金…」
それは王都の人々が二年で稼ぎ出す額だった。色宿で働いても半年はかかる金額でもある。
「これをつかってソフィーちゃんの夢の一歩を叶えてほしい」
バラタイコは微笑んだ。
これまで醜いと思っていた男の顔だったが、はじめて可愛らしいと思えた。
◆
その夜。
カスヤから魔法手紙が何通も送られてきた。
「金がないから百万ダラもってこい」
「なぁ怒ってるのか?お前がいないと俺は生きていけないんだ」
「百万ダラつかって博打に勝ったら、まともに生きるから」
カスヤからの魔法手紙はそのあとも続いた。
ソフィーは泣きながらそれを破り捨てた。
◆
翌日。
「みんな、元気にしてた?」
ソフィーが訪れたのは孤児院だった。
数年前の大地震で親を無くした子供たちがそこにはいる。
この施設の運営費は、この町の愚連隊が喧嘩や用心棒で稼いだ金と、女たちが男に抱かれて稼いだ金の一部が使われている。
彼らは誰に強制されたわけでもないのに、自分たちと同じ境遇の子供たちに同情し、彼らを守っていかねばならぬと思い、この孤児院を建てたのだ。
道を踏み外した者たち、と王都で蔑まれている若者たちは胸を張ってこう言う。
「俺らがやんなきゃ、誰がやる」
逆境が人々の絆を強くすることもあるのだとソフィーは思った。
「ソフィーねーちゃん!」
生きていれば弟や妹たちも彼らくらいの年齢になっていたことだろう。
ソフィーはバラタイコから渡された金を、カスヤにではなくこの孤児院に全額、寄付をした。
◆
その夜、孤児院で子供と遊んだ帰り道、夕暮れを背負いながら歩くソフィーに近づく影があった。
「おい、こら。クソあま」
カスヤだった。
ソフィーは暴力の予感に震え、立ちすくんだ。
「なんで金もってこなかった。殺すぞ」
カスヤはソフィーの胸ぐらをつかむ。そして右の拳が彼女の頬をひっぱたこうとしたその時。
「やめろ!」
現れたのはバラタイコだった。汗をかき、息切れをしている。どうしてこのタイミングで現れたかは知らないが、ソフィーは多少、安堵した。
巨漢のバラタイコはカスヤに突進した。カスヤはすっ転ぶものの、バラタイコの腹を蹴り上げ、拳を顔面に叩きつけた。
「ぶっ殺すぞ!デブ!コラ」
カスヤは怒り狂う。
数分か数十分に及ぶ暴力。カスヤはバラタイコを殴り続ける。
「もうやめて…」
お願いだから、ソフィーの涙の雫が地面に落ちる瞬間。
「やめたまえ!」
そこにはグリフォンに跨がる男の姿があった。
その独特な紋章を背負った制服からして、その男が王族に仕える立場の人間だと言うことは田舎者のソフィーにも理解できた。
「僕は聖騎士ダリオ。国王陛下への狼藉。君を逮捕する」
「はぁ?このデブが国王?それは何かのまちが…」
「うるさい!こっちに来い!お前は死刑だ!」
「ひぇぇ!」
カスヤはダリオという聖騎士に捕らえられ、空の彼方へと消えていった。
「ら、大丈夫かひ?」
バラダイコが腫れた顔のままソフィーに手を差し伸べる。
「それより…バラタイコさんが国王陛下って本当なの?」
ソフィーは目の前の状況を信じられず、膝から崩れ落ちた。
「我が輩は、チャライダサイ三世だほ。君に恋いひて、身分かくひて、店に通ってたんら」
バラタイコ、チャライダサイ三世国王陛下はソフィーの手を取り、ペガサスを口笛で呼んだ。
そのペガサスは額に王族の刻印がされている。彼はチャライダサイ三世に間違いなかった。
◆
それからソフィーはチャライダサイ三世にしがみつきペガサスに跨がり、王国中を俯瞰した。
太陽が沈み、そこかしこで灯りが輝く。それ一つひとつが命の輝きに見えた。
「我が輩、ソフィーちゃんと知り合い、貧しい民のことも考えるようになった。貴族院に働きかけ、領地の整備と、貧困層への減税。子供たちの教育の無償化、若者の雇用拡大を目指すことにした」
チャライダサイ三世は、放蕩国王として有名だった。
王家の歴史上最低最悪の失敗作だと、王族たちから揶揄されてることも風の噂に聞いている。
「あなたも私も、同じなのね」
色宿に足を運び、誰かに話を聞いてほしくて自分を指名したのだろう。行き場のない思いを抱える孤独感はソフィーには痛いほど分かる。
「ソフィーちゃん、本名は?」
「ソフィーよ。自分の運命から逃げも隠れもしたくないから本名で仕事していたの」
「我が輩の嘘を怒ってるかい?」
「びっくりしたけど、王様なのにあの物騒な町を歩いてたなんてすごい。他の王族じゃビビってできないわ」
「ソフィーちゃんに会いたかったから…」
「いい王様になってね」
ペガサスに跨がり、二人は口づけを交わした。
二つの無垢な心が重なり合った瞬間だった。




