四の太刀
血のにおいが蔓延する部屋に死体が三つ。否、その内の一つがぴくりと動いた。
胸に開いた奈落の如き深い穴から、大量の血を垂れ流しつつも目を開けた男は床を這いつくばって唯一の扉へと近づいていく。
「小娘……リリアといったか。あやつが兵を引き連れてくる前に脱しなくては……」
武士と騎士の戦いから少しばかりの時が経ち、尻餅をついていたリリアは自分が生きていることに心の底から感謝した。次に考えたのは保身である。
第三王女としてこの国に生まれた彼女には、男兄弟はいなかったが二人の平凡な姉がおり、王位継承権三位という微妙な立場に苦しんできた。いよいよ父王が病に倒れ余命幾ばくも無いと知ると彼女は密かに行動を始めた。
彼女が心の底から信頼できたのは、護衛として彼女が幼少の頃より傍で守ってきた近衛騎士ガイウスと、家庭教師として多くの時を共にした宮廷魔導師マリアーネの二人だけであった。
平凡でつまらない姉達に国を任せるなどとんでもないと思ったリリアは、自らが王となるべく相応しい功績を求めた。しかし王女であるリリアが戦場に出るわけには行かないし、軍事的な才能も持っていなかった。
そんなある時、マリアーネが一冊の古い文献を発見した。文献はこの国の建国記にまで遡るような代物であり、その中に記された勇者召喚の文字に三人で胸を高鳴らせた。
曰く、我が国の建国には日ノ本より召喚された勇者が深く関わった。
曰く、勇者は召喚時にユニークスキルを得たという。その力の前には並ぶ者がいない。
曰く、日ノ本には勇者が数多おり、再び求めれば必ずや召喚できよう。
本当に勇者を召喚できるのであれば、この国を悩ませてきた戦線を一気に押し上げることもできるかも知れない、そうなればつまらない姉やその婿達を押しのけて、功労者であるリリアが次の王となる可能性は飛躍的に高まる。
宮廷魔導師マリアーネは文献を隅から隅まで読み込み、遂に複雑な魔法陣を解読し、再現してみせた。そして召喚されたのが下呂 以下であった。
後は知っての通りである。
血にまみれた部屋を出たリリアは呆然としながらも、まだ全てを失ったわけではないと考えた。王を暗殺するために王宮に入り込んだ賊を、あの二人が命をかけて倒したことにしようか。
それとも比較的信用できる召し使い達に命じて、あの部屋を綺麗にしてなにもなかったことにしようか。その場合はマリアーネに預けていた文献を回収し、自分が発見したと魔道院に報告しても良いだろう。
どちらにせよ、自分が王になる目はまだある。諦めるつもりなど無いと決意を固めたが、再びリリアがあの部屋に戻ったときには死体が一つ消えていた。
部屋を這い出た下呂は改めて自分の身体を見下ろした。左腕は既に完治しており、胸の傷は深いものの確かに脈打つ心臓の鼓動が感じ取れる。
「理由は分からんが、俺はまだ生きているらしいな」
無様だろうと落ち延びねばならぬ……千人斬りをしたのはこのような知らぬ場所で野垂れ死ぬためでは決してない。
部屋の外に出てすぐの柱に、体重を預けながら立ち上がる。倒れた際にも握っていた刀は、今は邪魔になるので鞘に収めて腰元に提げている。
それなりの長さの廊下を、よたよたと壁伝いに進むが人の気配はない。たまに置かれた火を使わない不思議な明かりがあるだけで、月の明かりも見られないし窓もない。ここは地下……なのか。端にたどり着くと昇り階段があり、そこを慎重に上がると窓が目に入ったことで、ようやく地上に出たらしいことが理解できた。
豪奢な扉を体重を掛けるようにして押し開け外に出ると、夜空には月が二つ輝いていた。大小二つの輝きに目を奪われた下呂は、ここが日ノ本ではないことを確信した。いまだなにが起こったか分からないものの、自分があの三人組の手によってどこか別の地に連れてこられてしまったのだろうことは理解できた。
「となると、しっかり事情を聞きだしておくべきであったか」
と考えてももう遅いが。
さて、ここを離れるにしても穏便に……とは行かないか。下呂の押し開けた扉から数歩先に立っていた衛兵が、扉の開く音を聞いて既に振り向いていた。互いに見詰め合うこと数瞬。
我に返って首に提げた笛に手を伸ばした衛兵、対する下呂は抜刀しながら前に倒れこむように距離を詰め、不運な衛兵の喉元に突きを放つ。
目に怯えを見せながらも笛を口につけ異常を知らせようとした衛兵だったが、喉に開けられた穴からは空気が漏れ、口は血が溢れ、笛はその音を響かせることなく、膝をついてバタリと前に倒れるとそのままこと切れた。