三の太刀
「貴様、勇者だか知らんが生きて帰れると思うな!!」
立ちはだかる武者が剣を構えて迫り来る。今もじわじわと生えてくる左腕を見つめていた下呂だが、考えるのは後と割り切って向き直り、刀を右手のみで構える。
左手を失ったいま、得意の居合いは使えない。鞘を左手で握って後方に引くという不可欠の動作が出来なくなってしまったからだ。
それならばと抜き身の刀を下段に構える。
左足を前にした半身となり、両腕は力を抜いてだらりと下げる。刀が右半身に隠れ、正面の敵から見えなくすることでこちらの間合いを測らせない。転じて相手は間合いを詰めることをためらう。
それでも迂闊に間合いに入るならば即座に攻撃に移り、慎重に攻撃してくるならば止めることなく斬撃の勢いに逆らわずに受け流す。
本来ならば味方が駆けつけるまで持ちこたえるといった場面で使われる、守りに特化した地龍の構えであった。
怒号を撒き散らしながら近づく武者であったが、その動きは言葉とは裏腹に慎重なものである。すり足で少しずつ距離を詰める姿からはその腕前が伺える。
先ほどの居合いを見ただけではこちらの間合いを把握しきれていないのだろう。ゆっくりゆっくりと進んでいたが、その後ろから小娘が驚きの声をあげ、次いでいらぬことを口走った。
「ッ! ガイウス、その男の腕!!」
ちぃっ、手首を回す感覚が戻ったからもう少しだと思ったのにうるさい小娘め!
「恐らくユニークスキルですよ!! 回復しきる前に倒すべきです!!」
「ハッ! 了解いたしました!!」
焦る小娘の声を受けたガイウスというらしい武者が最後の一歩を詰めて斬りかかってくるが、こちらに焦りは無い。
すっと音も無く一歩下がりつつ、右腕を前に出して刃先を相手の剣に添える。
違和感もなく斬り下げられた剣は、僅かに本来の軌道を変えて下呂の顔に風を送るに留まった。
思わぬ妙技にガイウスは目を丸くして驚きをあらわにしたが、王女を守るという堅固な意志でもって身体は下呂に次の一太刀を浴びせるために動き続けた。
次も、その次もガイウスの一撃は下呂に当たらなかった。もうじき、下呂の左手に全ての指が生え揃う。
「む、無理だわ、一度も剣が当たらないなんてずるいじゃない!! 仕方がないわ、近衛騎士団を呼んできます!!」
「しかし! それでは王や姉君たちに事が露見してしまいます!!」
焦る王女リリアと騎士ガイウスの前で、下呂もここに来て初めての焦りを感じた。
援軍を呼ばれるのはダメだ! 目の前の男との死合は非常に心が躍る。邪魔者に入ってきて欲しくはない。そして、これだけの技量を持つ者達に包囲されれば流石の下呂でも切り抜ける自信はなかった。
ゆえに、多少の無茶をしてでもこの場で二人とも殺さねばならぬ!!
スゥと腹に力を込め、両腕を上に掲げる。刀を持つ右手が右耳に沿うように、左手は本来なら右手の下で握るべきところを、ようやく生えた手のひらを刀の腹に添えてブレを完全に無くす。
多少変則的ではあるが、薩摩自然流・火龍の構えである。
ただただ最初の一撃を相手より先に打ち込む、それだけに特化した捨て身とも言えるこの構え、しかしその真髄は、この構えの真の恐ろしさは……
「キェェーッッ!!」
猿去。
地獄の底からの叫びが如く、対面せし者が腰を抜かし逃げていくほどの不気味な発声にあった。
部屋の扉に手を掛けていたリリアはビクッと身体を震わせて、とっさに振り返った。
ガイウスは突然の叫び声に思わずギョッとして身体が硬直、僅かに反応が遅れてしまう。
大胆な踏み込みから、愚直なまでの縦一文字に振り下ろされた下呂の一撃を、すんでの所でガイウスが左手の盾で受け止めた――
――ように見えた。
はたして、下呂の刀は充分な厚みがあるはずの盾を切り裂いた。
使い手の下呂さえ予想だにしていなかったことであったが事実、盾は断ち割られ、盾を構えるガイウスの左腕を両断し、その奥にのぞく額に深く食い込んだのである。
到底生き延びることは不可能である、と医者でなくとも断言できるほどの致命傷を受けたガイウスであったが彼の執念は、忠誠は、王女リリアを守るための僅かな時間を掴み取った。
薄れる意識の中でガイウスは右手を持ち上げ、自らの頭蓋骨に深くハマった刀が抜けないことを喜びながら下呂へと致死と一撃を突き放つ。
その一撃は下呂の胸へ吸い込まれ、皮膚を破り肋骨をへし折り、剣先は心臓へと達した。
互いに致命傷を受け、どちらともなく背中からドッと倒れる。その手の獲物を死の際でも離さなかったのは武士と騎士の矜持ゆえのことであろうか……。
「ガイ……ウス……。やったの、よね?」
あまりの凄惨さに腰を抜かしたリリアの声が聞こえたかどうか、ガイウスの顔が輝く兜の中で微笑んだような気がした。