母校の悲報
はじめて一万文字もの文章群を書き上げることに成功しました。
がんばってはみたものの、足りないところや、誤用があるのかも知れません。
自分が書き上げたものをできれば読んでいってもらいたいです。
母校の悲報
いつからだろうか、何気ない後悔をたくさん踏んできたように思える。
そのどれもがささいなことで5年も10年も経っているのに、
まだ忘れられないでいる自分がただの精神衰弱者なのではないかと疑問に持ち始める今日この頃、
なつかしの我が母校がテレビ画面に映った。
自殺者が出たらしい。
16歳、女子。
まだまだ楽しいこともたくさんあっただろうにと、
無責任なニュースキャスターのような安い言葉が僕の口からついて出た。
久しぶりに見える母校のグランドや校舎に不謹慎ながら懐かしみを覚えた。
気楽な日々がそこにあったことに思いを馳せた。
そのグランドは、いつかみた友の落書きを思い出させる。
教室からグランドを描いた絵だった。
友人が楽しみながら絵を描いて、それを僕がながめる。
友人はよくある保険だとかそういう意味ではなく、
「絵があまりうまくない」と自称していた。
それは自他ともに認めるものだった。
「僕はそんなことはないよくかけてるじゃないか」と答えた。
誰もが認める絵の上手でなさを僕は否定しようとこころみた。
それは僕が学生時代、絵の上手い人で通ってきたからに他ならない。
上手い人が下手な人を褒める。
優越感に浸りたかったわけではなく、
僕は他人を否定するのが苦手なだけだった。
友人と僕、この両者が感じているのだ、
僕のほうがこの絵をうまく描くことができると。
でも、ことはうまく運ばなかった。
「いや、それ逆だから」
「だから、いったろ。絵はうまくないんだ」
いまではその友人の名前すらまともに思い出せないが、
絵がうまいと言われていた自分が彼の絵を褒めることで、
なにかしらの褒章を彼に与えることができるなんておもっていた自分の浅はかさを
バカらしさをたたきつけられたような気分になった。
絵を描くのが好きなんだといった彼はいまどうしているだろうか。
下手の横好きを外聞もなく言い切ることができる彼を
思い返してみると中々うらやましい性格だと思った。
テレビ画面からニュースの続きが流れる。
生徒たちの精神保護の観点から臨時集会が行われるらしい。
自殺の理由はいじめとは確認できていない。
決まり文句のようにいう頭を下げる教頭の姿があった。
もちろん、僕はその教頭の顔なんて知らない。
卒業してからずいぶん経ったのだ。
僕の見知った先生なんて一人としていないだろう。
なぜかそのニュースが気になって、
自発的に情報を集めることはしなかったが、
その知らせが入るたびにおなじ内容であるにしろ、
僕はそのニュースをしっかりと見聞きした。
時には無責任な同級生が顔を隠して、
「こんなことになるとは思わなかった。おとなしくて優しい人だったと。」
悲しそうに話していた。
空々しいものを感じた。
この子は十年後に今の映像を見せられたらどう思うのだろうか。
きっと、僕と同じようにその白々しさを感じ取ることになるだろう。
けれど、多く人がそうであるように忘れたい過去を人は長く覚えておくことも思い出すようなきっかけを
得ることもないのだろう。
だから、この子は後悔もせずに軽々しい言葉を積み上げただけなのだろう。
あくる日、兄の携帯から電話が入った。
出てみると兄からの連絡ではなく、兄の娘からだった。
「おじさん、知ってる?うちの学校まじやばいんだけど。母校だったんでしょ?気にならない?」
要領を得ない会話だった。
かみ砕いてみるとそうでもない。
自分の通っている学校が僕の母校だと知っている彼女は僕にその話をふってきたのだ。
断っておくが、彼女と僕の関係は年の離れた姪と叔父の関係そのものだ。
年に2回、盆と正月に顔を合わすだけに他ならない。
こんな他愛もない会話を持ちかけられるような関係ではないのだ。
その点からいっても、この会話はやはり要領を得ないのだった。
突然、なんでそんな話題を振るのか気になったのでそのままきいてみる。
彼女はあっけらかんと答えてみせた。
「自殺した子、私の友達なんだよね。」
「でね、なんでそんなことしたのかわかんないから気になるの。」
「探偵にいっても、未成年だからってとりあってくれなかったの。わかる?」
なにもわからないけれど、その怒りには賛同しておいた。
「わかるわかるちょーわかる。」
「さっすが、おじさん。」
電話越しの声色が明るくなるが、僕の心境は暗いままだ。
わけがわからないよ。
「で、それが僕と何の関係があるの?」
「え?!なんもわかってないじゃん!!」
「いや、そう言われても」
「だから、私のかわりに探偵屋さんにお願いしてよ。」
「おじさん、一応成人してるでしょ?」
「そうだね、だいぶ前に一応成人してるね。」
「ね、なら頼むよ。」
「ああ、わかったよ。」
「今夜7時に駅前の喫茶店集合ね。」
女子高生の戯れに付き合うのは、別に一回り離れた若い女性と関わることに喜びを感じたわけではない。
いい暇つぶしになるという思いと、僕自身、彼女の死の真相が気になり始めていたからに他ならない。
でも、彼女はなんでそこまでして友人の死を探るのだろうか。
友人であるのならだいたいの予想なんて立てれているだろうに。
それとも、僕と同じように軽薄な友人関係しか築けていないのだろうか。
それなら、わざわざこんなことはしないか。
気づけは六時半、
待ち合わせ場所に指定の時間につくためにはもう家を出ないと間に合わない。
あくせくとしながら僕は駅前の喫茶店に向かった。
部屋着から外出着に着替えて5分。
原付でとばして20分。
僕はロータリーの時計を確認し、余裕をもって到着したことに安堵する。
駅前の喫茶店前にバイクをとめると、女子高生に話しかけられた。
「おじさん、おっそい。」
「遅れてはないだろ。10分前だし。」
「それでも、遅い!」
不当ないいがかりに申し訳をひらく気にはなれず立ち尽くしていると、
彼女に手を取られる。
「こっち、はやくして。」
「いや、まだ、メットかぶったままだから。」
僕は手早くメットを原付にくくりつけ、彼女の手のやるほうについていった。
駅の改札だった。
「電車にのるの?」
「目の前に探偵事務所があるのに?」
「そう。でもあそこは私にケチをつけたから。つかってやんないの。断られたのにもっかい行くのはなんか恥ずかしいし。」
最後の付け加えた言葉がわざわざ電車に乗る理由のすべてな気がした。
「で、どこまでいくの?」
「××駅。」
「お金はどうするの?それなりにかかるんじゃない?さすがにそんなに出せないよ。」
「いや、お金はいい。バイトして貯めたお金があるから。」
それから何度か質問と返答が繰り返された。
嫌な沈黙が続く前に、目的駅までたどりついた。
駅から4,5分歩いた先に探偵事務所の看板が見えた。
もうすぐ着くのだろう。
浮気、不倫、素行調査。思えば、このご時世、探偵なんて雇う理由はそれが大半なのかもしれない。
事件を解決するのはもっぱら警察の仕事なのだろう。
これから僕らが調べをお願いする案件はすでに解決しているのだから、
警察の出番もないのではないだろうか。
それとも、自殺の原因をつくった者がいるのだとすれば、それは罪に問われるのだろうか。
法律なんて詳しくないが、そんな裁きを受けた人を僕は知っていない。
とりとめもないことを考えていると横から声がした。
「ここ。」
ビルの二階に××探偵事務所と大きく銘打たれた箇所を彼女は指さした。
事務所の戸を開くと、受付の女性がいぶかしんだ目で僕をみやった。
そういえば、横の姪は女子高生、それにやつれた中年にさしかった青年。
この組み合わせは奇妙なものだろう。
要件を尋ねられたので、素直に調べてほしいことがあると答えた。
応接間に通されて、探偵事務所にしては仰々しい大きな椅子に腰かける。
横の姪は落ち着かない様子で椅子に浅く腰掛け、
スマートホンを眺めては机に起き、眺めては机にお気を繰り返した。
ものの五分も待たずに壮年の男が戸を開けて、やってきた。
「××と申します。よろしくお願いします。」
探偵というにはどこか頼りない、引き締まったというよりかはやつれた身体をしていた。
手渡された名刺にさっと目を通す。
ここの責任者というか××その人だった。
「それで、調べてほしい内容というのは、どういった内容なのでしょうか。」
そう私に語りかけてくる××に、私は姪に代わって、内容を切り出した。
「××高校で自殺があったのはご存知でしょうか?」
そのほか、いくつかの問答の末、あっけなくこの依頼は了承された。こんなものなかと思った。
「では、来週のこの時間にまたこちらにおいでいただけますか?」
僕は横をちらりとみて、姪が首をたてに振ったのでその提案を了解した。
「ええ、大丈夫です。」
それでその場の話は終わって、受付の女に手付金として5000円を支払った。
姪がポシェットから財布を取り出す様をみて、
受付の目線がきつく僕にむかうのを察知し、姪を制していやいやながら財布の紐をといた。
探偵事務所来訪というなかなかない人生経験を積めたのだ。
安い買い物だと思おう。
事務所を出たとたんに借りたねこのようだった姪がうるさく騒ぎ出した。
「お金は出すっていったのに!」
「まぁ、いいんだよ。大の大人が子供に代金を支払わせるっていうのは中々見た目がよろしくないんだ
よ。」
「そんなのきにしなけりゃいいじゃない。」
「僕は気にするんだ。それより、上手くいってよかったね。」
「そうね、案外すんなりいったけど、ひとつもよかったことなんてないわ。」
「ああ、そうだね。」
それきり僕は黙ってしまった。
まずいことをいった。
探偵事務所という響きが僕の気分をどこか軽く楽しいものにしてしまっていたのかもしれない。
ことがうまく運んだのもそれに一役かっている。
それにしても軽率だった。
彼女にとって、いいことなんて確かに一つもなかったのだろうから。
帰りの電車は重くいやな沈黙が続いた。
僕たちの最寄り駅を降りたころには時計は八時を回っていた。
いつの間にこんな時間が過ぎていたんだろうか。
「もう暗いから、送っていくよ。」
「こどもあつかいしないで。」
確かに、そんなに遅い時間でもないだろう。
彼女の声は冷たくなっていた。
「いや、レディにはふさわしい対応かなと思ったけれど、こんなおっさんの付き添いではかえって不安かな?」
「なによレディって。」
淑女の送り迎えの経験なんて僕のさびしい人生経験ではひとつとしてないのだけれど、
なんとなく申し上げてみた。
「なにかあったら僕の責任問題だからね。」
「なによ結局、自分の保身じゃない。」
そういって彼女は僕の原付のそばまでやってきた。
他愛のない会話に彼女も少しはほぐれてきたようだ。
道中、携帯電話のメルアドレスを尋ねられたので答えた。
「また、来週、お願いね。」
彼女の家についた。
リビングの明かりの影から人が動く気配を察せられた。
彼女の帰りを心配そうに待つ兄夫婦の顔が浮かんだ。
送って正解だったかもしれにない。
新築の一戸建てには僕には得れない家族の団らんとか温かい幸せが眠っているような気がした。
勢いよく玄関を開いたのは義姉さんだった。
「こんばんは。」
何の気なしに出た挨拶の言葉だったが、
こんな時間にいい年した男(義弟)が自分の愛娘と帰宅したのだ。
いぶかしんで不思議はない。
「こんばんは。」
義姉の言葉に潜む疑いに少しだけさびしい思いをした。
「ちょっとそこで見かけまして、危ないだろうからと送ってきました。」
嘘をついた。
すべてを語るよりは現実味があるだろうと思ってのことだ。
「それは、ありがとうございます。」
感謝の言葉は述べているが、まだ僕を品定めする目線はやまない。
「ありがとう、バイバイ。」
姪がそういうと義姉もそれにならって別れの挨拶を重ねた。
「さようなら、どうも、ありがとうございました。」
これいじょういぶかしんでも仕方がないと思ったのだろう、
その言葉にはさきほどよりも感謝が念が強く感じられた。
数日たって僕の携帯電話に見知らぬ着信があった。
仕事中のため、出ることはねがえなかったが、留守番が残ってあった。
あの探偵事務所からだった。
確認したいことがあるので、一人で事務所のほうに来てほしいとのことだった。
なぜ、一人という指定なのか気にはなったが、言われたままに一人で事務所に赴いた。
受付のお姉さんに要件を伝えると応接間に通された。
クッションの厚い椅子に深く腰掛けると、紅茶が出された。
冷たいほろ苦いアイスティーをすすること数分、探偵がある男とともに現れた。
互いに挨拶を済ませる。
見知らぬ男の顔を確認する。
最近何度か見たことがある顔だった。
テレビ画面で自分の娘の悲劇を語り、真相の追及を願っていた男性。
この男性が協力してくれたなら、これほど心強いことはない。
でも、どうして、この人がここにいるのだろう。
「いくつか気になっている点もあるでしょうから、説明しますね。」
男三人、平均年齢がオーバーフォーティーンになりそうな面々の会談は仕事上での会議さながらだ。
どんなかしこまった話になるのやら。
「まず、ひとつ。話しておかなければならないことがあります。」
「私は事前に本案件に関する情報を持っていました。実は、あなたの姪っ子さんのことも知っていました。もっとも、あなたのことはこの数日で調べて知ったことのほうが多いのですが。」
この探偵の言っていることがよくわからない。
「不思議なことが多いでしょうが。百聞は一見に如かずといいますし、聞くよりも早いかと思いまして、いくつか資料をお持ちしましたので、ご覧いただけますか?」
そうして渡された資料には、メールでのやり取りがプリントアウトされたものだった。
自殺した女子高生と僕の兄とがやりとりをしていた。
これは、胸にくるものがある。
何度か、視線を宙にやる。
とてもじゃないが、一度に読み切れない。
その量もさることながら、その内容が悪辣じみていたからだ。
目の前の中年男性たちは僕の小休止に口を挟まなかった。
この資料に目を通すことが疲れることだとわかっているのだろう。
我が不肖の兄、こともあろうに自分の実子と変わらぬ婦女子と不貞をやらかす。
ああ、どうしてだろう。
こんなことあるのだろうか。
仲睦まじい二人のやりとりは無関係の人間同士であれば、どんなによかったか。
けれど、兄は相手の女性が娘の友人であることを知ると激変する。
これは、親としての引けないところだったのだろうか。
僕にはわからない。
妻子を持ちながら、年の離れた女性に甘い言葉を囁く兄の言葉も、
そんな兄にすがりつこうとする女性の心理も。
いや、義姉さんはこのことを知らないのかもしれない。
たぶん、知らないだろう。
手ひどい兄の別れ文句に、彼女は自殺を仄めかす一文を返していた。
以降、メールのやりとりはない。
日付はちょうど、彼女が自殺したと言われている当日であった。
さて、どうしよう。
いや、どうしようもないのだが。
資料を戻し、ゆっくり視線を上げる。
壮年の男の固く握りしめた拳が視界をよぎった。
探偵はまっすぐこちらをむき、横の男は視線を落としたままだった。
いくらかの沈黙が流れた。
「私は××といいます。そのメールのミキというのは私の娘です。」
予想はついていたが、僕は「はぁ」「うん」ともいえない返事を返すことしかできなかった。
それからまたみんな黙ってしまった。
息が詰まる。
でも、何も言えない。
どうして、これを僕に見せたのだろう。
これを見て、僕はどう思えばいいのだろうか。
何かことを起こせばいいのだろうか。
義姉さんに報告するか?
簡単で誠実で間違いない解答のように思えるが、
一つの家庭を壊す勇気は僕にはない。
たとえ、その中身が虚ろなものであろうと、
僕はあの温かさの感じる一戸建てを崩壊に導くようなマネはできないと思った。
「これは、どうして僕に見せたんでしょうか。」
一番の疑問が僕の口からついて出た。
探偵は壮年の男に返答を委ね、男はどう答えたものか迷っている。
「誰かに知ってほしかったんです。」
そう答えた。
なら、なぜ、週刊誌なり取材に来た人間にこのことを話さないのか。
もしかしたら、この人も、一つの家庭を壊すことに恐怖しているのだろうか。
それとも、別の理由があるのだろうか。
波風を立てたくない僕はそうであるならうれしかった。
むしろ、知らせてくれないのが一番うれしかったのだが。
「これを知るのは僕だけに留めることは可能ですか?」
「ええ、構いません。私もこの事実が公にされることは望みません。」
「こんな話が広まっては娘や妻が不憫ですから。」
そうか、そんな考えもあるか。
この人にとっては諸悪の根源の住まう家庭なんて壊れてしまえばいいと思って当然なのだから、
そう言われたほうが納得できる。
でも、兄が少しでも不幸になればいいと望んでいるのは間違いないだろう。
僕でもきっとそう思う。
だから、こんな結果なのかもしれない。
だから、兄を嫌う人間を一人増やしただけのこんな結果なのかもしれない。
僕はこれを知り、感じ、それだけでいいのかもしれない。
その後いくつかの取り決めがなされた。
探偵への依頼料は前回の前払い分で済み、財布は痛まなかった。
よかった。
なんでも、特別措置らしい。
今日知ったことはマスコミ関係には知らせない。
兄がまた、よからぬことは計らないように気を配る。
僕にできることに限りはあるけれど、できることはしようと思った。
そして、姪に事実を告げるかは一任されてしまった。
対談が終わり、部屋を退出する時、人生初の土下座をかましてみた。
「本当に申し訳ありません。許されないことを兄がしました。どんな謝罪でも足りないでしょうが」
「やめてください、気が晴れないだけです。そんなことをしても。」
僕の謝罪はきつい口調で遮られた。
もっともだと思った。
こんなことをすべきではなかったのかもしれない。
それでも、そうしたいと思った。
こんなにアグレッシブになれたのは人生初の経験かもしれない。
その後なにも言えず、その場を去る。
所在の無い気持ちというのを痛いほど知ることになった。
電車に揺られながら考え事をする。
窓から見える景色も、行き交う人並みもどこから知らない誰も知らない人たちのように感じた。
僕のよく知るこの町で僕だけが浮いているようだった。
地に足つかないこの感覚で僕は必死に考える。
考えたって、結論はでないのだけれど。
言うべきか、言わざるべきか。
数十年間、薄っぺらく生きてきた人間にはつらい選択を迫られていた。
僕に他人の人生を左右するようなマネはできないけれど、しなければならなくなった。
いうべきなのだろうと思いつつ、言えないままで数日が経つ。
四六時中、兄の顔と姪の顔、時々義姉の顔に見ず知らずの女の子の顔が浮かぶ。
今日も僕は携帯電話を握りしめるだけで行動には起こせない。
そもそも、僕は姪の連絡先を知らない。
姪からは兄の携帯越しの連絡しかないのだ。
兄へ連作して姪への取り次ぎを頼むのもおかしな話ではないか。
プルルルル。
突然の着信音。
僕は心の底ではとびのいて、指の先でコールボタンを押す。
「もしもし、おじさん?」
姪からだった。
おびえたような声だった。
消え入りそうな声色で姪は言葉を続けた。
「あのね、もうあそこ行かなくていい。」
その言葉に僕の理解は追いつかない。
彼女の言葉を理解するよりも考えなければならないことが僕にはたくさんあったのだ。
いろいろな妄想が形にならず僕の眼前を行き来する。
そして、その妄想の一つが現実となって現れる。
それも、そうならないでほしいと願った妄想の一つだ。
「わたしね、お父さんの携帯見ちゃったの。」
「いや、今も見てるから電話かけれてるんだけどね。」
「あのね、叔父さんにメールしようと思ってさ。」
「メール開くじゃん。」
「そしたら、なんかあんの。」
「うちのさ、友達、ミキっていうんだけどね。」
「ミキっていうフォルダがあるの。」
「気になるじゃん。」
「わたしね、バカだからそれ開いちゃったの。」
「やっぱ、なんか偶然でもそんなのあったら開くよね。」
「まさか、ほんとにミキだなんて思わないじゃん。思わないよね。」
「でもね、それミキだったの。」
「ごめん、なにいってるかほんとわかんないかもだけど。」
「それでね、そのメールにね。」
「会えないなら死ぬとか。私を捨てないで。とか書いてあんの。」
「必死な感じって文章でも意外に伝わるものだんだね。お父さんは何も感じなかったのかな。」
「わたしが友達だからって関係あるのかな。」
「おじさん、わたし、大人ってわからない。」
「おじさんもわからないことをしてるの?」
「大人ってみんなそうなの?」
「幸せそうなふりして、自分勝手にすまして我がままし続けるの?」
「隠れてばれないように楽しいことしてるの?」
「なんでこんななの?」
「ねぇ、おじさんどうしよう。」
「わたし、よくわかんないや。」
「おとうさんの顔見れない。」
「おかあさんの顔も見てあげられない。だってかわいそうじゃん。」
「わたしはもっとかわいそうかもしんないけど。」
「でも、もっとかわいそうなのはミキなのかもね。」
「でも、死んじゃったら何もならないよね。」
「死んで何ができたんだろう。」
「わからないよ。」
涙声の一方的な通話。
言葉は返せていない。
「僕にもわからないよ。」
大きな沈黙を二人で抱えながら、僕らは互いの言葉を噛みしめていた。
「なら、おじさんも子供だね。」
ぽつりぽつりと言葉を重ねる。
「そうだね、まだ大人になれないね。一応、成人はしてるんだけどね。」
そのあともタイムラグのある会話がいくつか続き、
何度目かの沈黙がきた時に思い立ったように彼女はつぶやいた。
「わたし、だまってようと思うの。」
「なんで?」
彼女の提案を否定するつもりもなかったのだけれど、僕は思わず疑問をなげかけていた。
それは彼女が兄に怒っているだろうという予想からくるものだった。
友達の仇討ちでもあるだろうし、兄を懲らしめる理由はいくらだってあるだろう。
彼女自身、兄にいい思いをしていないとはっきりいっているし、その提案は不思議だ。
「だって、誰もそんなこと望まないじゃん。」
そんなこととはどんなことだろうか。
いつになく、脳天の回転ペースは下がっている。
ミキという子と兄の不貞を公にすること、兄を罰すること、そんなところだろうか。
「きみがそれを望んだっていいんじゃない?」
「わたしはいいよ。疲れるし。」
「あんなやつ、なんとも思わない。」
「うまく関われないなら、関わらないように立ち回ればいいだけだし。」
「それに、そんな話がニュースになったら、誰も幸せにならないよ。」
「ミキにしてみらたざまぁみろってもんなのかもしれないけど、死んだ人はもうどう思うも何もないでしょう。」
すごくドライで何かかけているような人間の論理だった。
歪な現実を受け入れるには歪な器が必要なのかもしれないと思った。
彼女はこのままこの秘密を抱えたまま生きていく。
僕にも秘密を守るようにお願いしてきた。
その後、彼女はバイトに明け暮れ家には寝に帰る状態になっていたそうだ。
年齢的にも深夜帯の勤務が可能になったことも幸いしたのだろう。
その稼いだお金を元手に地方の大学への進学を兄たちにせまっていた。
自分の夢を力説する彼女の姿に感銘を受けたという義姉の話をきいて、
姪は役者にでもなればいいと思った。
幼い身体には有り余るものを抱えながら、
月並みに生きていける能力をとってしてもその選択肢はアリとはいえないだろうか。
そんな話をすると怒られそうなので口には出さないが、
姪は僕より先に大人の階段を駆け上がってしまったのかもしれない。
それとも、大人の階段とは下に続いていくもので、
彼女はその途中で崩落事故に遭い、無理やり大人にさせられたのかもしれない。
僕はいつだって優柔不断でその一段をどう登ろうかどう降りようか必死になって考えているのでいつになっても大人になれない。
無事、下宿生活を迎えた姪はまだ未成年であるだろうに、お酒の味を覚えてしまったみたいだ。
週に一度、酩酊状態の姪から着信が入る。
猫なで声の舌足らず、絡み酒に違いない姪のお酒の飲み方にいくらか小言を挟みつつ、
僕は往々にして彼女の言葉を肯定していった。
いつの日からか秘密を共有する仲になり、
その秘密に耐えきれなくなるとそれを抱える相手に思いの丈をぶつけてみる。
それを抱えているままが正しいことなのだと断じることができるのはこの世で二人だけで、
その二人が今日も自分たちの正しさを肯定しあう。
でも、いくら慰め合ったところで不安は拭えない。
彼女もそうであるように僕も感じているのだ。
どうしたらいいのか、どうしたらよかったのか。
僕にはわからない。
もちろん、彼女にも。
誰にもわからない。
でも、こんな不安と罪悪感をこんな幼い女の子に背負わせる現実に僕はどうしようもなく嫌になる。
いつか彼女は名前も忘れた友人のように、ミキのことを語れる日がくるのだろうか。
そうしたほうが楽なのにそうもできない気持ちばかりわかって、
僕は今日も電話越しの涙声に「そうだね」としか言えていない。
なにか、正しいことがあって、
間違ったことは間違えたほうが間違えてるはずなのに、
僕らは正しいことをできないままでいる。
拭いとれない不快感を伴って大きな後悔が僕の両肩に居座っている。
彼女の言葉に肯定するたびに、その不快感は和らいでいった。
読んでいただけたらなら、どんなことでも構わないので
感想をきかせていただけるとありがたいです。
自分の文章はどうだったでしょうか?




