#41 愛を語らないで…
病院に着き、受付で未来の名前を言うと、看護婦さんが病室へと案内してくれた。話を聞くところによると、軽い貧血だそうだ。
しかし精神的ストレス、睡眠不足が重なっての貧血らしい。
そこまで無理をさせたのは、俺のせいだ。俺が未来と出会って、未来を裏切る真似をしたからだ。
病室に着くと、そこには仰向けで目を瞑っている未来の姿があった。隣には、あの体育の先生が座っている。
未来が寝ているのをいいことに、その体育教師は未来の手を握っていた。その光景を見た俺は頭で考えるよりも、口が先に動いていた。
「おい、五十嵐!」
五十嵐とは、体育の先生の苗字。俺は怒りのあまり、呼び捨てをしてしまった。いくらムカつく教師とはいえ、こんな言葉遣いをしたら成績が下がってしまうだろう。
「え、あ、紺野!」
五十嵐は驚きの表情を見せ、未来からすっと離れた。
「未来に触れるな」
興奮は冷めず、俺は言ってはいけない言葉を放つ。その言葉に、五十嵐は驚きながらも聞き返してきた。
「お前は未来先生の恋人気分か? お前こそ何している。授業はどうした? さぼりか?」
開き直ったような態度で、五十嵐は俺に突っかかってきた。
「どけよ。お前が寝込んでいる未来先生の手を握っていたって、言いふらすぞ? 俺と未来先生はただの生徒と先生の関係。他に何か用事ある?」
俺が軽く脅しをかけると、五十嵐は悔しそうな顔をして病室から出て行った。
五十嵐が居なくなるのを確認すると、俺は椅子へと腰をおろす。
そして、布団から出ている未来の手を握ろうとしたとき、俺は行動を止め考えた。
俺が未来の手を握っても、未来は喜ばないだろう。と思ったのだ。
「未来…」
寝顔を見るだけと決めた俺は、そっと覗きこんだ。
たまに、顔をしかめる未来を見ると心が痛くなった。
「ごめんな」
この言葉を、俺は何度呟いたことだろうか。許されないことは分かっている。
「ごめんな」
何度もいえる。言って許してくれるなら、俺は何度だって言おう。
「ごめん…」
だけど、それは叶わない夢だ。それが分かっているのに、他の言葉が出てこなかった。かわりに俺の瞳からは涙が零れ落ちる。
俯きながら泣いていると、背後から声が聞こえてきた。
「え、どうして…」
聞き覚えがある。
「果歩さ…ん」
未来の親友である、果歩だった。隣には絶句している恭平さん、そして美智子が立っていた。
時計を見ると、昼を過ぎたころだった。この時間だから、仕事を放り投げてきたのだろう。
しかし、ここで俺は気付く。
自分が着ている服を、姿を。
中途半端なこの変装は、俺が悠だと断定するには十分だった。服は学生服。それを果歩たちに見られたのだ。もう、言い訳も効かない。
この反応を見る限り、未来は果歩と美智子には俺のことを言っていなかったようだ。
「ごめんな…さい」
一番に出てきた言葉は、さっきから何度も言っているものだった。
「悠…さん?」
信じられないような顔をしている果歩に俺は近づくため、立ち上がる。
何度もシミュレーションしてきた。俺の正体がバレた場合の対処を。一番恐れていたこと、一番想像したくないことを、毎日のようにシミュレーションしていたのだ。
「果歩さん、美智子さん、そして…恭平さん」
俺はひとつ間をおき、言葉を放った。髪をかき上げ、俺は髪の毛で少し隠れている自分の顔を覗かせた。
「俺、高校生なんです。分からないように容姿を変えて、未来に近寄ったんです」
そして、これまでの経緯を軽く語る。
肝心な部分、恭平さんが知っていたこと、成績のことは話さずに。龍之介に関しては、申し訳ないが知っていたと本当のことを言った。ここで分かりやすい嘘をつくと、恭平さんまで疑われてしまうから。
「あ、あんた…最低!」
美智子は泣きながら、俺の頬を思いっきりビンタする。病室に一つ大きな音が鳴り響いた。
「それで…未来は知っているんだよね?」
俺は頷く。そして、一昨日に知ったことも言った。
「悠、おま」
恭平さんが何か言おうとしたとき、俺は止めに入った。恭平さんと果歩には幸せになって欲しい。
その願いのために、俺はこの嘘をついた。恭平さんの性格からすると、俺をかばうだろう。本当に優しい人だから。
「本当にごめんなさい、だけど俺の気持ちには嘘はなかった。本当に、未来が大好きです」
その衝撃の告白に、三人は固まる。
俺は真剣な目をしたまま、言い続けた。
「愛しているんです」
その言葉の後、果歩が震えるのが分かる。そして、病室には再び頬をビンタする音が鳴った。
「簡単に人を裏切れるお前が、愛を語らないで…」
果歩の目からは大粒の涙が流れていた。果歩のその乱れた姿を俺はただ、黙っていて見ていた。
いや、何も言えなかったのだ。果歩の言うとおりだから。
「もう、帰って」
果歩は俺の横を通り過ぎて、未来の隣へと向かう。
「帰ってよ。未来をこれ以上悲しませないで」
「でも…」
それだけは嫌だった。
未来と今、離れたらもう駄目な気がしたから。
「でも? 今のお前に拒否権は無いのよ…」
俺に背を向けたまま未来を見下ろして立ち尽くしている果歩。
何も言い返せない俺が悔しくて、病室を出ようとしたときだった。
「ねぇ」
静まっているこの病室では、果歩の小さく呟いた声でさえしっかりと俺の耳に入ってくる。
「何で、未来に…近寄ったの?」
果歩の声は震えていた。
「……」
俺は振り返ることも出来ずに、ドアに手をかけたところで止まっていた。
「好きだったの? 好きだったから…付き合ったの? あの時、合コンに来たの? それとも…面白半分で、未来を騙していたの? 美智子まで…。私達、本当に、本当に!!」
果歩の言葉は、泣き声へと変わっていった。その続きを、何と言おうとしていたか分かっていた。
本当に友達と思っていたのに。
「俺は…試験に悩まされていたんです」
俺は振り返ることをせずに、果歩たちに背を向け話し始めた。
「果歩さんと会う少し前、親父に条件を出されてしまって。それが、簡単に言えば成績アップさせること。いつも、頑張っているんだ! 頑張っているんだけど…現代文だけが点数が上がらなかった。そんな時、たまたま果歩さんたち、そして未来に会ったんです。未来の担当科目は現代文。最初はズルをしようと思って近づきました。だけど、時間が経つにつれて…好きになったんです」
振り返れば、多分この人たちは絶句しているのだろう。
勇気を振り絞って、振り返ってみると、そこにはベッドに寝ているはずの未来は、起き上がっていた。
逃げ出したくなった。
だけど、逃げられない。覚悟を決めた俺は未来の瞳をそっと捕らえた。