#39 ナゼ、彼女ガココニ
「未来…?」
ナゼ、彼女ガココニ?
俺の頭はもう、パニック状態だった。
「ここって…」
「え、いや」
何を答えて言いのかわからない。今は“紺野 大将”の家なのだから。
「昨日…私のところにメールが来て」
未来はそれだけ言うと、ぱかっと携帯を開き俺に見せてくる。そこには、堂本 悠のことが事細かく書かれていた。俺が偽名を使っていること、ここに住んでいること。確信である、俺が大将ということは書いていないことが、唯一の救いだ。
しかし、今日ここに来れば全てがわかると記入されていた。誰が、送ったんだ?
「しかも…ここ…」
俺がパニックになっていて黙っていると、未来はそっと口を開いて家を見渡した。
「確か…大将君の」
家だったようなまで言ったとき、俺の背中には冷や汗が流れた。しかし、俺が冷や汗を流したのは、未来の言葉のせいだけではない。
自宅から親父が出てきたからだ。
「おや…」
その姿を見て、ボソッと口が動いてしまった。
「先生ではございませんか!」
俺の動揺を知っているのか知らないのか、俺の親父は家の者には決して見せないような笑顔で先生を出迎えた。
「いつも、こいつがお世話になっています」
親父は俺の横まで来て、俺の頭をくしゃくしゃとしながらそう言った。その言葉に、俺と未来はもちろん、キヨ爺までもが凍りついたように固まっていた。
未来は口をパクパクとしながら、俺の顔を見たり親父の顔を見たりしている。
「え、それは…」
「“大将”は学校でどのような子でしょうか?」
親父は何も変わらないように、悪魔の姿を隠したその笑顔で決定的な一言を言い放つ。気がついたときには未来の瞳からは涙がこぼれていて、俺は未来の名前を叫んだ。
「え、どういうこと…え? や、やだ…やだ!」
未来は一歩一歩俺から離れていく。俺は未来を追いかけるかのように、小走りで近寄った。
「み、未来、違うんだ…」
「来ないで!」
未来の張り上げる声。その声は、周りの家までに聞こえていたのか、ざわざわと人が小さい声で話す音が聞こえてくる。その雰囲気に耐えられなかったのか、俺と一緒に居たくなかったのか、未来は走って行ってしまった。
追いかけようとする俺。
しかし、その行動をとめたのは、親父だった。
「大将」
未来と話すときとは違う、親父の渋い声。
「どうだ? アメリカに行く気になったか?」
俺の顔を一切見ようとはせずに、家へと戻ろうとした親父。そこでかなりの違和感を覚えた。
今、未来は泣きながら走っていった。
その行動に対して、どうして親父は不思議と思わない?
「まさか…」
そういえば未来は言っていた、昨日届いた不審なメール。内容は、俺の近辺にいる人物しか知りえないことだった。
それに、あのタイミングで親父がここに出てきたこと。
最後に…俺に向けたあの言葉。
気付けば俺は振り返って、『親父』と叫んでいた。
「何だ?」
振り返るその顔には、何も悪気の無い表情。
「お前、お前!」
もはや感情が抑えられる領域ではなかった。未来は俺の心の支えだった。誰よりも好きだった。好きなのに
「どうして、こんなこと!」
涙声になりながら俺は親父に問いかける。こんなことは初めてだろう。
「…勉強する気になったか?」
俺のこんな乱れた態度を見るのを親父は初めてのはずだ。なのに、そんな冷静に対処できるものなのか?
「お前、ぶっこ」
そこまで言って、今まで黙っていたキヨ爺が止めに入った。
「離せ! 俺は、俺は!」
親父の下へ行こうとする俺を、必死に押さえつけているキヨ爺。さすがは、執事といったところか、抑えられた俺は何も出来なかった。
「離せよ…俺は……くそっ!」
涙は絶えなかった。親父の前では泣くまいと決めたのに。こんな悔しいとは思ってなかった。
「お坊ちゃま」
「離せよ、離せ!」
一度乱れた俺の心は、静寂を取り戻そうとはしていなかった。
「いつかはこうなっていたんです!」
キヨ爺の叫ぶ声。
その声で、俺の力は一気に抜け、死体のようにその場で横になっていた。そんな俺を、数秒間見つめたキヨ爺は、いつもの笑顔に戻り、俺を背負って部屋へと運んでくれたのだ。
「どうしよ…」
部屋に着くと、何度も携帯が鳴り響いた。
ディスプレイすら見る気すらしないが、多分恭平さんだろう。
動転した未来が、果歩に言って、果歩から恭平さんに渡ったってところだ。
未来…。
心の中で、俺はその名前を呼び続けた。
全てが、終わったのだ。
全てが。
「はは…」
自分のこの状況がおかしく思い、俺は何故かベッドの上で笑っている。
「あははははは!!!」
おかしかった、本当に…。
自業自得だ。
「はは…」
数分間笑っていた俺も、無性に悲しくなってきて、その声はいつしか泣き声と変わっていた。
「未来…未来…」
涙を堪えることを知らない、赤ちゃんのように俺は泣き続けた。
月曜日。
学校が再び始まる。
俺は行きたくなかった、未来の顔を絶対に見るから。それは避けて通れない道だった。
だけどキヨ爺は無理やり俺を起こし、無理やり学校へと向かわせた。
家を出るとき、一瞬親父の顔が見えたが、もはや怒鳴る気力もなくなっていた。
何も言わず、俺は家を出てキヨ爺に学校まで送って行ってもらう。
校門前で降ろされ、キヨ爺は去っていった。そのとき帰ろうかと迷ったが、ここまで来て帰るほど俺も馬鹿ではない。
仕方なく、足を校舎へと運ばせた。
校内に入ると、俺を待っていたのか、そこには龍之介が立っていた。
「大将」
いつもと変わらない声で俺の名前を呼ぶ。そんな龍之介には悪いが、俺は笑う気力さえ失っていた。
「大将」
「どうした?」
俺は比較的いつもと同じように言ったつもりだったのだが、やっぱり上手く言えていなかった見たいだ。
「ごめん、龍之介」
なんだが悲しくなり、突っ立っている龍之介の横を通って、先に教室へと向かった。
教室に着き、いつもと変わらぬ生徒の雰囲気の中を通り抜け、俺はいつもの場所へと足を運んだ。
そこは、教壇の前、一番未来と近い場所。
ゆっくり腰を下ろすと同時に、非常なほどまでに俺の心を焦らす、一番聞きたくない学校の始まりの音、チャイムが学校中に鳴り響いた。