#37 今のみの幸せ
「ここが、悠の家かぁ」
未来は、俺の部屋に一歩足を踏み入れた。
「狭いだろ?」
俺が軽く笑いながらそういうと、あまり私の家と変わらない大きさだよ、という言葉が返ってきた。
昨日、俺はちゃんとキヨ爺の所へ謝りに行った。キヨ爺は快く許してくれたが、俺はこの一番愛おしい人には許されないのだろう。
まだ、俺の正体を明かすつもりはない。出来れば、最後までこのままでありたい。けど、多分そう上手くはいかない。俺が“悠”であり続けることは、不可能だろう。
お金はある。戸籍や保険証、パスポート、その他全てのものは、お金を使えばなんとかなると思う。だけど、一番の問題は俺の心だ。
未来に嘘をつき続ける。
不可能に近い。ようは慣れだ、という言葉をよく聞くけど、これは慣れない、慣れてはいけない。大好きな人に嘘をつき続けること。このままでは俺の心が壊れてしまう。
「どうしたの?」
玄関で俺はぼんやり考え込んでしまっていたようだ。
「ごめん、ごめん! ちょっと、何か買い忘れたものが無かったか考えていたんだ」
「大丈夫だよ! 悠は心配性だなぁ。もしかしてA型?」
「正解だよ」
「私はO型なんだよ」
そんな他愛もない話を俺達は少し続けた。今日の夕飯は、ここで未来と一緒にご飯を食べることになっている。しかも、未来の手作りだ。
「楽しみだなぁ」
俺の家のキッチンで、トントンと音を立てながら包丁を扱っている未来を見ながら俺は声を漏らした。
「ちょっと、あまり見ないでよ!」
ぷぅっと頬を膨らましてこっちを振り向いた未来。
「沸騰してる」
俺はそんな未来にそう言って、鍋のほうを指差した。あわてて未来は火を消して、あぶなかったぁと呟いている。そんな未来を見ると俺は笑みがこぼれた。幸せだ。こんな、
「こんな日が続けばな…」
つい、思ったことが言葉に出てしまった。
未来は沸騰事件に慌てていて、俺のこの言葉に気付いた素振りはない。
俺はそっと立ち上がって、料理をしている未来のほうへと近づいていった。未来に気付かれないように、後ろから何をしているか覗くと、キャベツを切っているようだ。
そして、俺はゆっくり未来を抱きしめる。
「きゃっ」
びっくりしたのか、未来の声が漏れた。
「な、ななななな何!?」
俺の突然の行動に驚きを隠せていない。そんなところがまた可愛いのだけれども。
「ん、未来ってあったけぇ」
夏休みというこの時期に、こんなこと言うのもおかしいと俺も思う。だけど、俺はこの未来の温もりが大好きなのだ。
「もう」
未来は大きく息をはくと、優しい声で俺の名前を呼んだ。
「ん〜?」
俺は未来の肩に顔を擦り付けるようにしている。すると、未来のお腹辺りに置いた俺の手には手の柔らかい感触を感じた。
「私、こうしているのも幸せ。悠と一緒に居るの幸せだよ」
「俺も幸せぇ」
泣きそうになった。声が少し震えていたのかもしれない。甘えるように言ったのだが、うまく言えてなかったかもしれない。
「悠っ」
名前を呼ばれたと思ったら、未来は振り返って俺を抱きしめた。
「み、未来?」
普段なら考えられない未来の行動に俺は驚いてしまった。そんな彼女は、俺の心拍音を上げるかのような、天使の笑みを俺に見せた。
そして自然と、俺の口は未来の唇を捕らえる。
「もう一回!」
未来の要望に答え、俺はもう一度キスをした。今度は少し長い。
「ふはぁ」
キスが終わると、未来のよく分からない息の漏らし方を聞いた。そんな未来が愛おしくて、俺は頭を軽く撫でる。
「それじゃあ、ご飯作ってくるからそっちで待っててね!」
未来の言葉に俺は軽く頷き、元の場所へと戻っていった。
料理をしている未来の後姿を見る。多分、俺は夫として、家族としてこの後姿を見ることは無いのだろう。
今だけ、今のみの幸せだ。
本当はそうじゃないと願いたい。今だけだなんて考えたくない。
「未来」
俺は小さな声で未来の名前を呼んだ。
「はいっ!」
未来は大きな皿に盛ったサラダ、そしてご飯と味噌汁、その他のおかずを俺の前に置いた。
「上手そう…」
それはお世辞ではなく、心の底から漏れた言葉。目の前には未来が一緒に、お箸を持って、食べる準備をしている。
「ありがと!」
未来はニッコリと笑うと、いただきますと呟いた。それに続き俺もいただきますと呟く。
一口、おかずを口の中へと運んだ。
「美味しい。未来、本当に美味しいぞ!」
ニシシと、声に出しながら笑っている未来を見て、俺は箸が進んだ。いつも一人で食べている夕食とは違い、未来と一緒に食べているからかもしれない。本当に美味しかった。幸せを感じた。未来の温かさをこの料理に感じた。
何もかもが俺には幸せに感じて、気付くころには目の前にあったはずのご飯全てがなくなっていた。
「早っ!」
「美味しかったからなぁ」
俺は未来に笑ってそういうと、未来も一緒になって笑顔になってくれた。
「未来、おいで」
ご飯を食べ終えた俺は、未来の温もりが欲しくなって未来を呼んだ。未来はご飯中だからと言ったけれども、お構い無しに俺から未来へと近寄った。
もう、と未来は言っていたが、なんだかんだ嬉しそうだ。未来の後ろに回ると、俺はぎゅっと未来を抱きしめた。
「食べにくいでしょ!」
「気にしない、気にしない」
俺はそう言って、未来の肩へと顔を下ろし目を瞑った。
「未来」
「何ぃ?」
「…大好きだよ」
その後、未来は何を言ったのかは分からなかった。俺は、未来の温もりに負け、昨晩あまり眠れなかった体を睡眠というものに預けたから。
更新遅れてしまい申し訳ございません。