#36 俺を裏切らない
未来とデパートでさよならの挨拶をした後、俺とキヨ爺は車へと足を向けた。パニックになりながらも、しっかりとノートは手に入れることは出来た。
だけど…
キヨ爺への疑問が、俺の中から拭えない。
いつ知ったのだ?
どうして、知っていることを俺に教えなかったのか?
よく考えてみれば分かることだった。何でキヨ爺は冷蔵庫にまで、あんな細かい工夫をしてくれたのか。
知っていたからだろ。俺のことを、悠のことを。
最近は未来の温もりに浸りすぎていた俺の頭脳は、少し麻痺にかかっていたようだ。前までの俺なら気付いていたはずだ。
駐車場へつき、車の前まで行くとキヨ爺が後部座席のドアを開けた。俺は何も言わず乗り込む。
車を走らせること数分、重苦しい空気の中俺は思い切って口を開いた。
「キヨ爺」
なぁ、キヨ爺?
「何で“悠”のこと…知っているの? 未来との関係を何で知っているの?」
俺のその問いに、キヨ爺は何の迷いも無く答えた。俺が今日のご飯は何? と聞いているかのように。
「書類上で確認いたしました。私は、今回未来さんを見るのは初めてです。お坊ちゃんの反応、そして“未来”と呼んだことにより、私は彼女を“悠”の彼女と確認したわけです」
その言葉を聞く限り、俺の近辺を調べたのはキヨ爺ではなさそうだ。それよりも問題がある。
親父だ。
「“悠”のことは…親父知っているのか? 俺の…その…目的も知っているのか?」
その問いに、キヨ爺の顔が一瞬曇ったのを俺は確認することが出来た。
「……」
黙っているキヨ爺に俺は苛立ちが増した。
「書類で見たって言ったろ! ということは、親父は知っているんだろ!?」
「…いいえ」
まさかの答えだった。
「お、親父は、本当に知らないんだな?」
俺は最後の確認をとった。ここまでして、キヨ爺が嘘をつくわけがない。俺は、キヨ爺を…信じているから。
「はい」
本当に親父が知らないなら、ここで疑問がいくつか浮き上がる。何故キヨ爺は知っていて、親父は知らないんだ? 親父は、俺が未来と付き合っていることを知っていることは確認済みだ。
…親父は、書類をしっかりと見ていなかったのか?
俺が悩んでいるとき、キヨ爺はお坊ちゃまと呟いた。
「何?」
「お坊ちゃまの周囲の状況を調べるように言ったのは、私でございます」
その言葉を聞いた俺の心は時が止まったかのようだった。
「え…なんで…」
キヨ爺は知っているはずだ、俺について調べられることを俺が嫌っているということを。それなのにどうして? どうして、キヨ爺は俺を調べた?
「私も仕事でございます。申し訳ございません」
「仕事…」
キヨ爺が、俺を…。
「なぁ、キヨ爺」
泣きそうな心を抑えながら、俺は言葉を放つ。
「俺が嫌いなのを知っていたよな…?」
キヨ爺ははっきりと『はい』と答えた。
「仕事だから、俺を裏切って…いいのかよ!」
その言葉を吐いた後、俺の目からは涙が一つ、二つとこぼれた。
本当に悲しかった、心が痛かった。キヨ爺は、俺のことを一番に考えてくれていると思ったのに、大事にしてくれていると思ったのに、
キヨ爺だけは俺を裏切らないって…思っていたのに。
「お坊ちゃま」
俺の声が震えているのを知っているのに、キヨ爺は俺に話しかけてくる。
「何だよ!」
俺は声を張って、返事をした。そして、キヨ爺は言葉を発する。思わぬ言葉、そして、俺の心を動かすようなことを。
「お坊ちゃまは、未来さんに同じことをしているのではないですか?」
「え?」
「未来さんは自分を一番大切にしてくれていると思っている貴方に、名前も、住所も、年齢も、近づいた目的も…全て嘘をついているのではないですか?」
「な、にが言いたいんだよ」
そこまで言われて、気付かない俺ではなかった。だけど、見たくなかった。自分に良くない方向に向いていっているから。
向き合いたくなかった。
「しっかりと、考えた上で行動してみてはいかがでしょうか?」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか。それほどまでに、俺の心はどん底へと落ちて行っていた。
車を降りるとき、一言キヨ爺に謝ると、ニッコリとキヨ爺は笑ってくれた。
キヨ爺の言うとおりだ。俺は今、キヨ爺がしたことと同じことをしようとしている。
いや、している。
未来を裏切っている。一番大切な人物を。
だけど、だけど…止まることはできない、もう戻れない。選択肢は進むしかないんだ。ここまできてしまった。
部屋に戻ると、俺は何故かまっさきに未来へ電話をした。今、動揺しているのに、俺としては冷静ではない判断だ。
「未来」
ぷっと言う音と共に、むこうからは未来の声が聞こえてきた。
「今日、びっくりしたよな」
あはは、と笑いながら俺は未来に話しかけた。未来はいつもと変わらない声で答えてくれている。
「なぁ、未来」
「なにぃ?」
「未来は俺のこと信じているんだよね」
何を聞いているんだ俺は。
「当たり前じゃない! この前だって、信じてって言っていたよね? 悠、何かあったの?」
「俺も未来のこと信じているよ」
未来の問いには答えずに、俺はそう言った。ありがとう、と電話の向こう側から聞こえてくる。
「いつ、家に来る?」
俺は軽く明るい声でそう言った。そうでもしなきゃ、俺の声はどんどん音を下げていってしまう気がするから。
「明日がいい!」
未来の元気な声が聞こえると、俺は笑って分かった、と答えた。
そして、それから未来が今日デパートであったことを淡々と話してくれた。どうやら、俺達と分かれた後、果歩たちに会ったらしい。
俺はそんな話を聞きながら、涙が零れ落ちてきた。さっきの言葉、俺を信じているというものを思い出していたから。
「悠、泣いているの?」
不意に話を止め、俺に聞いてくる。やべ、声が泣いているように聞こえたのか。
「泣くわけねぇだろ」
未来に心配されると、余計涙があふれ出てくる。止まることを知らないこの涙は、俺の頬を伝って下へと落ちていった。
「どうした…の?」
何の予兆もなしに泣いている俺を聞いている未来は不思議に思うだろうな。
「いや、未来に会いたくて」
本当のような嘘のような言葉を俺が言うと、恥ずかしそうな未来の声が返ってきた。
「あ、明日会えるんだから! ちょっと我慢しよっ。私も、悠に会いたいんだから」
「うん、分かった」
その後、少し喋って電話は終わった。電話からはプープーと言う悲しいメロディが流れてくる。
そして、俺は切れた電話に話しかける。未来、俺は謝っても許されないことをしているんだ。ごめん、俺を嫌いにならないでくれ。俺は未来を愛しているから、と。
俺のその届かない言葉は、苦しみを増やすだけだった。