#18 ありがとう、龍之介
「大将」
「ん、どうした?」
後ろの席に座っている龍之介が、俺の背中をちょんちょんと突っつきながら、話しかけてきた。
いつも前の席に座っていた龍之介。俺の後ろに居ると何か違和感がある。
それにしても、教室に帰ってきてからの俺はひどかった。簡単な問題も答えられない、数学の授業なのに、次の授業である生物のノートにメモをとっていたり。
とにかく散々な一日だ。
こんなことは、俺が生まれてきてから初めてかもしれない。何もかもに集中が出来なくなっていた。
「大丈夫…?」
本当に心配そうに見る龍之介を、俺はナデナデをしてあげた。こんなことすると、女子どもに嫉妬されるだろうが、関係ない。
龍之介は無言で俺の顔を睨み付けてきた。相当嫌だったのだろう。
「大丈夫。ありがと」
俺は出来るだけの笑みを、龍之介に返した。正直、ちゃんと笑えている自信はない。
「今日くる?」
どこに? と問いたいところだが、この言い方的に龍之介の家のことだろう。果歩と親しい仲にいる恭平さんも居るし、ちょっと行ってみてもいいかもしれない。
もしかしたら、何か聞けるかもしれないから。
「うん。行かせてもらうよ」
俺はそう答え、放課後となるチャイムを待った。
「おかえりなさいませ、龍之介様。だ…悠様も、ご一緒だったのですか」
「あ、今は大将でいいですよ」
俺は軽く頭を下げながら、そう返事をした。俺達を出迎えてくれたのは、スーツをびしっと決めた恭平さんだった。
「今日は、お勉強をされにきたのですか?」
いつもとは違って、敬語を話す恭平さん。
「お部屋へ案内させていただきます」
早く、俺達と普通に話したいのだろう。恭平さんのほうから、部屋に行こうと誘いがあった。もしかしたら、この前のことを聞いているのかもしれない。
「お茶をお持ちしますので、少々お待ちください」
そう言って、恭平さんは龍之介の部屋のドアを閉めた。
「恭平さんって、どうしてここの執事をしているの?」
「わからない」
「結構若いのに。どうしてだろうね」
そんな話をしていると、ドアを叩く音が聞こえた。どうやら、恭平さんが帰ってきたようだ。
って、早ッ! まだ二言しか話してないぞ!
「どうぞ」
龍之介がそういうと、ドアは少し音を立てながら開いた。
「飲み物をお持ちいたしました」
「ありがとう」
飲み物を持ってきたのは、もちろん恭平さんだった。そのまま恭平さんは、龍之介の部屋に入り、無造作にお盆を置いて俺の近くまでやってきた。
「何があったんや?」
「何…って」
いきなりの質問に、俺は龍之介の目を見て助けを求めてしまった。
「恭平」
龍之介のその一言で、恭平さんは俺から離れる。
「果歩ちゃんから聞いた。未来ちゃんと、美智子ちゃんと何かあったそうやな」
どうやら恭平さんも、詳しいことまでは聞いていないようだ。
「…はい」
俺は正直に全てのことを話すか、躊躇ってしまった。だって俺はとうとう未来先生に告白したのだ。
そのうち知るであろうが、今言うのはなぜか・・・その忍びない。なんというのだろうか、恥ずかしい? いやいや、違う。なにか後ろめたいものがあるのだろう。
「何があったんや?」
今度はゆっくりと、俺に言ってきた。
「それは…」
「それは?」
「……」
俺は困惑していた。自分のこの気持ちに。
なぜ言えない?
後ろめたいものなんて本当にあるのか? 未来先生を騙す事を恭平さんは知っているではないか。それ以上後ろめたいものなど、ないだろう?
「その…」
なのに、俺は言えなかった。ただ『告白しました』って言えばいいのに。
「…少しは、果歩から聞いたんやけどな」
さすがの俺も、聞いてたんかい! と、関西弁突っ込む気にもなれなかった。
「ど、どこまで?」
聞きたくない質問ではあった。でも、聞かなくてはいけない質問だった。
「悠…大将が、美智子に告白されて、未来ちゃんに…」
龍之介の前だからだろうか、恭平さんはそのあとを言おうとはしなかった。
「こ、告白したことですか?」
「ああ」
やっぱり知っていたのか。未来先生は多分、果歩に相談をしたのだろう。
「何か言っていましたか?」
俺のその質問に、恭平さんは下を向いてしまった。どうやら、いい報告ではなさそうだ。
「もう会うなと?」
さっきから俺が質問ばかりしているのだが、恭平さんの表情や仕草で答えが分かってしまう。昔から、親のそういうところにばかりを、気をつけていたからだろうか。人の表情や、仕草に敏感になってしまったようだ。
「けど、俺は…諦め切れません」
俺のその言葉に、恭平さんの顔は驚きに満ちていた。
「大将…まさか?」
まさか?
「な、何ですか?」
「…いや、なんもあらへんよ。俺は、もうこれ以上言うこともないし、大将の邪魔をするつもりもあらへん。止めたいけど、お前はとまらへんのやろ?」
「…はい」
「そういうことや。後は、大将の腕次第やな」
俺は一度だけ頷いた。
「龍之介も、大将が無理しそうになったら、止めたらなあかんで? なんたって、親友なんやからな」
龍之介は、コクンと一回俺と同様縦に首を振った。
「んじゃ、俺は仕事に戻るわ。また何かあったら、相談してもええからな?」
恭平さんは、いつもの優しい笑顔で、俺にそう言ってくれた。
「ありがとうございます…」
俺は涙が出そうになった。嫌なことがあったとかそういうことじゃない。嬉しかったのだ。恭平さんがそう言ってくれたことも。龍之介が助けてくれるということも。
本当に、この人たちに出会えて俺はよかった。
「龍之介」
恭平さんが部屋から出て行って数分、俺達は沈黙の中にいた。
「何?」
「俺、未来先生に電話してくる」
「そう」
「今日は、本当にありがとう」
「……」
「本当に…ありがとう」
俺は無言で本を読み続けている龍之介に背を向けて、ドアに手をかけた。
「大将」
「ん?」
俺が龍之介の声に反応して振り返ると、こちらをじっと見ていた。
「…無理しないで」
「ああ」
ありがとう、龍之介。
俺はドアをゆっくりと開き、歩き始めた。