#17 優しい人なの
次の日の朝、俺はいつものように学校へと登校した。龍之介と喋り、昨晩出来なかった勉強をする。
唯一、違うといえば、未来先生の顔を見ることが出来なくなっただけだ。
なぜだろうか。なんか、こう心がきしむ音がする。
「何、あった?」
昼休み、俺の前の席に座っている龍之介は、パンッといつも読んでいる本を閉じ、俺に質問をしてきた。
「いや、昨日、未来先生とさ…」
俺は一通り、黙って聞いている龍之介に、昨日の全てを打ち明けた。美智子の気持ちに気付いたこと、果歩に言われたこと、そして俺が告白したこと。
龍之介に言ったからといって、何か変わるわけではないが、どうしてか口が勝手に話し始めていた。
その途中、いきなり聞き覚えのある声が、俺の耳に入ってきた。
「は〜い! 朝、言うのを忘れていたけど、席替えをするから、みんなこのクジに名前書いてね!」
未来先生のその言葉に、教室中にどよめきが起こった。それもそうだろう。俺達は去年、一度も席替えという行事を行っていないからだ。
まぁ、人間はどうやらそういう行事が好きらしくて、どよめきもそのうち雑談に変わり、「どこに書く?」とか聞こえてくる。
俺と龍之介は、そういう行事には全くの無関心だったからであろう。
次の日の朝、最悪な出来事は起きた。
「ま…まじですか」
朝登校してきて教室に入ると、黒板には席が表記された紙が張られていた。
「本当」
いつの間にか後ろに居た龍之介に、ボソッと最後の一撃を食らわされてしまった。
「…教卓の前って」
神様、これは何かの運命なのでしょうか?
「後ろ」
そう呟きながら、龍之介は自分の席を指差した。そこは、真ん中の前から二番目の席。つまり、俺の後ろ。
「運命かな」
俺がぼそっと呟くと、龍之介に冷たい目で見られたなんてことは言えない。
ため息をつきながらも、自分の席について鞄から筆箱を取り出し、チャイムが鳴るのを待った。
「皆、席についているかな?」
チャイムとほぼ同時に、この教室のドアが開き、担任である未来先生が朝の連絡をするために、教室に入ってきた。
「よし、席についているね!」
みんなの顔をチラッと見ると、未来先生はいつものように出席を撮り始めた。
それにしても、目の前にいる未来先生の姿を俺は見られずに居る。
「小泉 龍之介君」
「はい」
やっぱり、あんなことがあったのだから、俺の心が恥ずかしがっているのか?
「紺野 大将君」
いやいや、待て待て。何故、恥ずかしがる必要がある? 相手は俺だと分かっていないのだし、俺だって未来先生をゲーム対象としてしか見ていないはずだ…。
「大将君?」
そうだよな…?
「だ・い・す・け・君!」
「はいっ!!」
知らぬ間に、俺の名前が呼ばれていたようだ。教室内の数名がクスクスと笑っているのが聞こえる。
それよりも俺が恥ずかしかったのは、未来先生の顔が目の前にあったことだ。
「大丈夫?」
「は、はい…」
俺は再びうつむいてしまった。日曜日は全く逆の立場だったのに。
それにしても、この先生は日曜日のことがなかったかのように、いつもと変わらない笑顔と、口調でみんなと話している。
あんなことがあったんだ。
少しくらい同様しているかな、って思った俺が馬鹿だったのか?
「あ、そうだ」
全員の名前を呼び終え、連絡事項も済ませた先生が、ボソッと言葉を漏らした。
「えっと、大将君準備室に来てくれるかな?」
「は、はぁ…」
先生のお願いを断るわけにもいかず、俺は曖昧な返事をしておいた。
何があるのだろう。未来先生が俺を呼び出すなんて、初めてのことだ。
まさか、ばれた? だから人気の少ない準備室に俺を呼んで、話すつもりなのか?
いや、もしバレているのなら、もう少し違う方法で俺に告げるだろう? 席も一番前にする理由が全くないし。先生がクジを作ったのだから、ごまかしはいくらでも利くはずだ。
俺は疑問に思いながらも、足を準備室へと向けた。
「失礼します」
俺はドアをトントンと二回叩き、未来先生が居るであろう準備室のドアを開けた。準備室は9畳ぐらいの大きさになっている。地球儀とか、電卓など、授業で使うような備品がたくさんある場所だ。
「えっと、何の用で?」
未来先生は、待ってましたといわんばかりの笑顔を俺に見せた。
ドキッ…。
って、ちょっと待て。ドキッはおかしいだろう?
「ごめんね、こんなところに呼び出しちゃって。一時限目が私の授業でしょう? 今日は辞書が必要なんだけど、ちょっと一人じゃ持てなくて」
あはは、と笑いながらこっちにお尻を突き出すような格好で、奥のほうにあるダンボールを取ろうとしていた。
「…俺がやりますよ」
未来先生の隣まで行って、ダンボールに手をかけた。
こんなところにあるものも、取れないのか。
「あ、ありがと…」
未来先生は、一歩、二歩と俺から離れていった。
「どうしました?」
俺はダンボールを抱え、未来先生の顔を見た。
未来先生は、少し黙った後そっと口を開いた。
「大将君ね、私の知り合いに似ているなって」
その顔は、とても悲しそうな顔をしている。
「……」
俺は黙ってしまった。もしかして、これはピンチというやつではないのか?
「丁寧でいい人なんだけど、どこかぶっきら棒で、なんだか冷たい人なの」
それは、俺のことだろう。これは直感だ。ただ、なんとなくそう思った。
「けど…」
未来先生は下を向いてしまった。
「優しい人なの…」
「未来…先生」
俺は、未来先生を抱きしめそうになった。この俺の手に乗っている強大なダンボールさえなければ、多分手を差し出していただろう。なんだ、この気持ち。
「…ご、ごめんね!」
未来先生は、いつもの口調に戻った。
「こんな話、するつもりじゃなかったんだけどなぁ」
あはは、と笑いながら俺の顔を悲しそうな目で見た。重ねているのだろう。今の俺と…悠を。
「そ、それじゃあ、それを教室に持って行ってね!」
ありがとう、と言って、未来先生は準備室から出て行った。
無理していたんだな。心のどこかでは、動揺していたんだ。生徒の前では、心を抑えていたんだ…。
「未来…さん」
俺は、声に出して未来先生の名前を呼んだ。
無性に悲しくなり、俺はダンボールを持ち直して歩き出した。
俺は、何をしているのだろう。彼女をあんなに悩ましていいのか? 悲しませて、泣かせていいのか?
…否、いいはずがないだろう。
俺の心が、初めてこのゲームに否定の意見を述べた。
「だけど…」
俺は、ここにいたい。離れたくない。
前よりもずっと、俺のこの気持ちは強くなっていた。
「ごめんなさい…」
未来先生に謝るかのように、俺の口は動いた。