#16 俺…好きだから!
未来先生を抱きしめて、もうどれぐらい経っただろうか? 10分? いや、現実では1分も経っていないのだろう。
「悠…さん」
「あ、すいません!」
俺は未来先生から手を離し、少し離れた。
あの状況とはいえ、なんで未来先生にあんなことをしたんだ? 無意識だった。気付けば未来先生を抱きしめていて、気付けばあの言葉を放っていた。
俺のこの行動で、二人の間は妙に嫌な雰囲気が流れている。
「その…すいません」
「い、いえ…」
未来先生も驚いているのだろう。ずっと俯いたままだった。
「未来さんは、俺のことを何とも思っていないことは知っています。だから、こんな事を言ってしまって…」
「……」
黙りきっている未来先生の顔をチラッと一瞬見て、俺は未来先生に背を向けた。
「昨日だって、一週間前に会った俺のことを、覚えてくれていませんでしたもんね」
そうだ。俺は、未来先生の興味すら引かない男だったのだ。
「そ、それは!」
仕方がない。この際、未来先生は諦めるしかない…。そして、もう一度死に物狂いで勉強をしてみよう。
…そう、考えたのに、この女ときたら。
「お、覚えてない振りをしたんですよ!」
…は?
「お、覚えて…え? どういうこと」
少し待ってくれ、理解する時間をくれ。つまり、未来先生は昨日、俺と気付いてはいたが、ジョークのつもりで、あんな馬鹿な演技っぽいことをしていたというのか?
「す、すいません!」
「い、いえ…」
完全にペースを乱されている。何なのだ、この女は。
「何で、そんなことを?」
これが、正しい質問だろう。
「それは、美智子が悠さんの事を…」
好きだって言ったからか? それでも、そんなことをする必要がないだろう。
「私だって、悠さんのこと…」
そこまで言って、未来先生は自分で口を手で押さえた。
「え? 俺の…こと?」
そ、その続きは!? 何を言おうとした!?
俺は気持ちを抑えることが出来なかった。
「もしかして、俺のこと…」
まさか。まさか。まさか。
まさか…!
「好き…なんですか?」
こんなことを聞く奴は、この世で俺ぐらいなのだろう。だからと言って、俺のこの口も止まる様子を見せない。なんせ、100%無理だと思っていたゲームを、クリアできそうなのだから。
「ち、ちがいます…」
俺のその問いに、力なく答える未来先生。
もしかして、未来先生は美智子が俺のことを好きだと知っていて、自分は引いたというのか?
果歩の言っていた『未来と美智子の友情関係を壊したくないの』という言葉。もっと深い意味があったのか? 果歩は、未来先生と美智子が俺を好きだということを知っていて、俺を二人から離そうとしたと考えても…つじつまが合う。
「悠さんのことなんかっ」
未来先生が喋っている途中。俺は、またも無意識に未来先生を抱きしめてしまった。
心が震えて、涙が出そうだった。
いや、待て。何故、涙が出そうになるんだ? 心が震えているんだ? もっと冷静になるんだ、俺!
「あ、すいませ…」
俺が未来先生をすっと離すと、未来先生は俯きながら、そっと俺の服を引っ張ってきた。
「未来さん…?」
「なんで…私なんですか」
顔は見えないが、泣いているのだろう。声が震えている。
「なんで、美智子を選ばないんですか!」
「それは…」
言葉に詰まった。どうして、美智子じゃないかと聞かれたら、現代文の先生じゃないから。と答えるしかない。そんな事を答えるほど俺は馬鹿じゃないが、代わりの言葉が出てこないのも事実。
「ばか…」
未来先生は、我慢していた泣き声をいっきに放出したかのように泣き出した。
こういう場合はどうしたらいい? 『恋愛完全マスター』にはなんと書いてあった?
…くそっ! 大事なときに、なにひとつ出てこない。
―――――――異性が泣いている場合は、そっと胸を貸すと良い。弱っている人には、効き目抜群。
これだ…!
「未来さん…」
未来先生が泣き止むまで俺は、しっかりと抱きしめた。今日、何度彼女を抱擁したことだろう。しかし、その行為は嫌ではなかった。むしろ、何か落ち着く。そのようなものを感じとれた。
このままの時間がすぎればいいのにと、少し思ってしまったほどだ。
「悠さん…」
10分ほど、俺の胸で泣いていた未来先生はやっと落ち着いたのか、声は多少震えながらも俺の名前を呼んだ。
俺は再び未来先生を離す。
「はい」
これで未来先生は俺のものだ。
そう考えた俺が馬鹿だった。
「もう…私に会っちゃだめです」
「え?」
「私は、美智子を裏切れません」
そう呟いた未来先生の眼差しは、俺の心にまで響いた。これは、本気で言っているのだと。考えた末の結果なのだと。
「俺は…諦め切れません」
これは心から出た言葉だ。諦めきれない。ここまでゲームは進んだのだ。行くところまで行くと決めたはずだろう?
「悠さん…」
俺の名前を悲しそうな声で呼ぶ未来先生の顔を、俺は見ることが出来なかった。今、見てしまったら、諦めてしまいそうで怖かったからだ。
「俺は、貴方が好きなんです」
「でも…私は…」
ここで引き下がるわけには行かない。
「美智子さんのことは…」
どうでもいい、なんてこと言えるはずがない。でも、俺には未来先生が必要なんだ。
重い沈黙が、俺達の間を駆け抜けた。
「考えさせてください…」
そういうと、未来先生はおもむろにベンチから立ち上がり、その場から去っていった。
「未来さん!」
俺が呼びかけるが、止まる様子はない。どうやら、また泣いているようだ。手で、涙をぬぐっている。そんな彼女を抱きしめてあげたい。未来先生の涙なんか見たくない…。
「俺…好きだから!」
そう思う、俺の心は…何かの病気にかかってしまったようだった。