#10 俺は自惚れていた
「そうなんですよぉ!」
俺は今、未来先生の家に上がっている。
この前、未来先生を送りに行ったときは、マンションの前で解散だったため、部屋の中を見ることは出来なかった。
しかし、今回は荷物の件もあって、自然にターゲットの家にあがれたのだ。これは大きな一歩だと思ってもいいだろう。
「やっぱ綺麗にしているんですね…」
未来先生の家は、2LDKのようだ。布団やワークテーブルが見当たらない点から、俺が今居る部屋とは別のところにあるのだろう。
「あまり、ジロジロ見ないでくださいねぇ」
「す、すみません」
ちなみに今、未来先生はお茶を入れるために、お湯を沸かしてくれている。それらの行動を見る限り、ある程度の時間はここに居られるらしい。
そういえば、あの本に異性を部屋に招き入れるということは、その異性に対して好感を持っているといえるだろう。なんて事が書いてあった気がする。
未来先生は、今日の一件でどこか少し抜けていることが分かった。多分、俺を家に入れたことさえ、好感どうこうの話ではなく、なんとなく流れて気で…的な感じだろう。この人に、あの本に書いてあることが通じるのか、とても不安になってきたぞ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
未来先生は、今の季節に適した氷が入った冷たいお茶を運んで来てくれた。俺はお礼を言うとその場に座り、先生自身も少し離れたところで腰を下ろした。
「手伝ってもらって、ありがとうございます」
「いえいえ、当たり前ですよ」
俺は照れながらもそう返事をした。御礼といわんばかりか、お菓子が大量に俺の前へと置かれた。
「召し上がってください」
未来先生はニコッと微笑む。俺は、ありがとうございますと言って、煎餅をひとつ手に取った。
袋を開け、俺はボリボリと音を立てながら食べる。ちょっと不謹慎かな、なんてこと思ったけど、未来先生もボリボリ食べているのだ。俺達は何も話すことなくテレビへと目を向けていた。
動物の私生活を見ながらも、クイズをするという番組を俺達は見入っている。…あまりにも無言すぎて、いい雰囲気とかそういうのが全くないじゃないか。せっかく部屋に上がりこめたのに、これじゃあ猫に小判だ。意味があっているかは知らないが。さすが俺、現代文苦手なことだけはある。
「未来さん」
「はい?」
「未来さんは、普段休日は何をされているんですか?」
彼女は少し悩んだ表情を見せて、俺のほうを覗き込んできた。
「…興味あります?」
「ほぇ?」
唐突すぎる質問に、思わず声が裏返ってしまったではないか。休日は何していますか、という質問に、興味あります? と答えてきた女は初めてだ。
「いえ、その…」
「悠さんは何をしているんですか?」
おいおい、質問しているのはこっちだぞ。なんて思ったけど、ここでそんな事を言ったら、『なんて心の狭い人なの!』とか思われそうだからな。
「俺は散歩に出かけたり、友達と遊びに行ったりしていますね」
「私は、大抵家でのんびりしているか、果歩たちに誘われて服を買いに行ったりするだけですよ」
あはは、と笑いながら、やっと俺の質問に答えてくれた。
「果歩さんたちと、仲がいいんですね」
「果歩とは高校のときからの友人なんですよ。同じ部活に所属していて」
「仲のいいお友達を持つと、幸せですよね…」
俺のこの言葉は、心からこぼれた言葉だった。無意識だった。本当に…幸せだった。俺にも龍之介が居るから。
「はい」
未来先生は、俺の悲しそうな顔に気付いたのか、優しく答えてくれた。
それからテレビを見たり、お話をしたりしていた俺は、さすがに入り浸りすぎたようだ。外はもう茜色に染まっていた。
しかし、ここで終わらせてしまったら、豚に真珠だ。意味はあっているが知らないが。このネタ二回目なのに、全くうけていないのはどういうことなのだろうか。
少しでも、仲を深めたい俺はある考えが思いついた。
「今日の…」
俺は意を決して、言葉を放つ。
「晩御飯は、何か予定でも?」
「…いえ」
これから俺に誘われると気付いたのだろう。少しだけ先生は下を向いた。
「どうですか? 今日は俺と一緒に晩ご飯でも」
爽やか笑顔で質問した後、少し無言が続く。こんな誘いをしたことない俺にとっては、その沈黙は耐えられなかった。
「駄目…ですか?」
俺のこの言葉で、完全に未来先生は下を向いてしまった。
「何で私なんですか?」
「…へ?」
またもや意味不明の質問が飛んできた。ご飯に誘っただけなのに「何で私なんですか?」と質問してくる。正直言う。彼女の言動は意味不明だ。
「何でって…」
それにしても、こういう場合はどうしたらいいのだろうか。経験のない俺にはさっぱりわからない。
「美智子とか、誘えばいいじゃないですか…」
「……」
「あ、すみません。そういうつもりじゃ…」
そういうつもりじゃないなら、どういうつもりだ。
この、俺の誘いを断るのか?
「すみません。無理に誘ってしまったみたいで」
「……」
何も返事をしない未来先生に、俺は苛立ちを感じた。もう、わけわかんねぇ。
「また…今度行きましょうね」
怒りを表に出さないように、ニコッと笑うことが出来た、と思う。
「は…はい」
未来先生のその言葉を聞くと、俺はスッと立ち上がり玄関へと向かった。
外に出ると、生暖かい風が俺に吹きかけてきた。
心に響く。今まで、こんなことはなかった。
女なんて、俺の思い通りに。
そう、心のどこかで思っていたと思う。
俺は自惚れていた。
だけど、このままじゃ終われない。ここまでの苦労が水の泡だ。
茜色だった空が、暗闇の世界へと姿を変えたとき、俺は携帯を手に持った。
誰も人が通っていない道を歩きながら、俺は電話をかける。
「…お願いがあります」
――――――こうするしかないと思った。