友人 Would you like to go and see the snow?
【エンパシア】
そよ風が気持ちよく、慰めにはなっていた。荒野は何も語らないが、その沈黙こそが大いなる啓蒙といえる。
お前がどう思おうともこの世はこうあり、お前はそれに晒されるしかないのだよ。だからこそ、いまはお前にこの風を与えよう。
微風に煽られ、ゴッドスピードは目を開いた。その胸中は複雑だが、足掻くような答え探しはしないことにしている。いつか風化し、綺麗な砂となることに期待しているのだ。砂時計が逆さまになって時を刻み始めるその日まで。
「報告はしないのですか?」
どう報告するのですか? そんな色の瞳だった。彼女も期待しているのだと男は感じた。しかし気長ではない。いますぐにでも総括の言葉が欲しいのだ。
そんなものはない、と彼はいった。声には出さないし、口も動かさないが、そういった。すると、その機敏を理解したのか、少女は俯いてしまった。
ふと、彼は通信を開始した。ややして応答がある。
『……遅かったですね。一時間ほど前にステディより報告を受けました』
「キラーにおける、ウルチャムの特異性を黙っていたな」
答えは沈黙の殻で覆われつつあったが、やむなしの念か、やがて返答が漏れ出した。
『……それは確定事項ではなく、しかし機密事項として取り扱われているゆえに口外は慎重にならざるを得なかったのです。そしてその事実関係を確かめるための作戦が立案されていますが……私は賛同できかねています』
「加害するかどうか調べるためには、必然的にその身を危険に晒さねばならない」
『そうです。そしてあなた方の主要任務はその作戦立案に大きく関係しています。エンパシーのような超共感能力の持ち主を我々はエンパシアと呼んでいますが、彼らが大陸の北部へ集結しているとの情報があるのです。それが事実ならば、どのような状況にあるのか調査しなくてはなりません』
「だから北部なのか」
『混迷の世から逃げ隠れているうちに厳しい環境の地へ向かうことになってしまったと推察されています』
「まさか、そのエンパシアたちを集めて兵士に仕立て上げ、キラーにぶつけるなどと言い始めるわけではなかろうな?」
またも殻にぶち当たるが、それはすなわち肯定に他ならなかった。ゴッドスピードはため息をつく。
「……俺たちは徴兵しに行くのか」
『かなりの有効打になり得る以上、無視はできないとされています』
「あんたはエンパシアではないのか? 髪が白いし」
『違います』
「……そうなのですか?」ウルチャムは残念そうにいった「あるいは、同じ人種なのだと思っていました……」
『髪の色は傾向として判断材料になりますが、決定的な要素ではありません』
「では、どうやって判別する?」
『エンパシア同士ならばおのずとわかるとされています』
「だから彼女を連れていくと」
『そうです。ですが、そもそもエンパシアの隠れ里が確認できていないのです。北部といっても広大であり、強力なキラーも数多いので調査も進んでいません』
「おいおい、眉唾かもしれないっていうのか」
『その事実関係を調べる実行部隊があなたたちなのです。ですがこちらにも準備があります、現状は急ぐ必要はありません』
「そうかい……じゃあ、のんびり行くさ」
「あの、マーマ」ウルチャムはおずおずと尋ねる「その、私はいったい何者なのでしょうか?」
『スノウレオパルドです、エンパシー』
それは冷たく諭す口調だった。ウルチャムは息をのむ。
『そしてあなたはワイズマンズの一員であり、世に平定をもたらす存在です。その特異性は単なる個性や才能として解釈しなさい。その出自にもさして意味はありません。重要なのはこれから何を成そうとするかです』
「マ……いえ、スノウレオパルドさん……了解しました」
『敬称も不要です。我々は対等なるワイズマンズ、あるのは任務への貢献のみです。世界は我々を望んでいます。あなたもまた、望まれているのです』
「はい……。でも、あの……」
『なんですか?』
「その、私はロボットなのでしょうか?」
それは唐突かつ突拍子もない質問だった。ふとした沈黙の後、スノウレオパルドは少しの間クスクスと笑い、柔らかい声で問い返した。
『機械では嫌ですか?』
ウルチャムはうなる。
「嫌……ではありませんが、もし私がオートキラーの一種ならばスピードさんに倒されてしまうと思いまして……」
ゴッドスピードは眉をひそめ、
「おいおい、妙な懸念を抱くな」
『なるほど、同類だから狙われないと考えたのですね。ごめんなさい、あまりに荒唐無稽な質問だったので思わず笑みがこぼれてしまいました』
そして慈愛に満ちた声で答える。
『あなたは正真正銘、人間です。次の時代を担うべく鍛錬を積んでいる若木でもあります。外の世界は過酷でしょう』
「はい……とても」
『その世界を変えるためにあなたが、ワイズマンズがあるのです。より強く気高く、なにより優しく成長することを望みます』
「はいっ、マーマ! ……いえ、スノウ、レオパルド」
「……だが、あまり自己犠牲的になるなよ」ゴッドスピードが呟くようにいった「世界はそう簡単には変わらない。自分の幸福を優先する人生だっていい」
『己の幸福を定義することは思いのほか難しい。だからこそ人は所有したがり、コインの枚数を数え、そして殺すのです。ですが議論はやめましょう。討論会ですら死人が出る世の中ですから』
「あのパーツ・ショウとやらも知っていたな。キラーに自我があることも」
『どちらも人の模倣に過ぎません。それも歪な模倣です』
「殺しもな。奴らの行動は単なるプログラムによるものだろうが、それを入力したのは人間ではないのか? 俺たちは人間の観念と戦っている、そう思えるんだ……」
『……いずれにせよ、いつかは終わらせなければ。その鍵がエンパシアです』
この少女がそれほど重要な存在だとは。ゴッドスピードは隣の少女を見やり、彼女は無垢な瞳で男を見返した。
【オンリーコイン】
通信が終わり、ゴッドスピードは車両を動かし始めた。急ぐ必要はなく、また明確な目的地がいまだ不明なので、それは緩慢なものでしかない。
「……目下の目標がないのであれば」ふと、ウルチャムが口にした「確かめてみませんか?」
その意図を察するのは容易だったが、ゴッドスピードは遠回りをしたくて尋ねる。
「何をだ?」
「私が、オートキラーに攻撃されるかどうかです」
「正気ではないな」
「エンパシアならばどのような状況でも攻撃されないのか、それとも条件次第なのか、もしくはただの偶然が続いただけで、狙われないという事実はないのか……解明すべきことは多々あります」
「そうだが……実際問題どうする? 奴らの元へのこのこ歩いていくわけにもいかんだろう。万一の場合、死ぬぞ」
「覚悟しています」
死の覚悟など簡単なものではないし、簡単にしていいものでもない。しかしこの少女が強情であることは知っていたので、ゴッドスピードは折衷案を模索した。
「……まあ、やりようはないでもない。はぐれ者を発見し、俺がある程度、無力化させてから様子を見るなど……」
「いえ、私のわがままにスピードさんを巻き込めません。その、はぐれている方を見つけるのは賛成ですが、その後はバトルアーマーを装備し、近づいてみます」
奇妙な提案である。オートキラー破壊実績トップの人材に対し、新人が案じることではない。ゴッドスピードはある懸念を抱いた。この少女は、可能ならばキラー破壊をも避けたいのではないかと。
「……相手はどのような威力の武器を所有しているのかわからんのだぞ、小型だが強力な爆弾を隠し持っているかもしれない」
「私のわがままですので」
ゴッドスピードはうなる。主要な任務に合致する試みなのでむしろ否定する根拠が希薄だった。ゆえに彼はしぶしぶ承諾し、しばらくキラーを探し回ったが、見つからないままに昼が近づいてきたので休憩をとることにする。
二人は昨夜から眠り損ねていた。ワイズマンズは常人より遥かに体力があり、数日眠らない程度ならばさして問題などなかったが、だからといって睡眠をとらないことが有益に繋がるわけもない。岩陰に車両を停め、二人は昼寝をすることにする。
ややしてゴッドスピードが起きると、車内にいい香りが漂っていた。後部を見やるとウルチャムが調理をしている。どうにも缶詰の組み合わせ料理らしかった。
「起きましたか、遅めですが昼食にしましょう」
それは缶詰の合わせ料理、ウルチャム風と名づけられた。魚や野菜はいいとしても、なにやらフルーツまでもが入っていることに男は身構えたが、口に含んでみると意外にも美味である。甘みと酸味が調和し、香辛料の香りが鼻を爽やかに通る心地よさ。スープに乾パンを浸し、柔らかくすると食べやすかった。
「なるほど、腕前は確からしいな」
「そうですか! お口に合ってよかったです」
ウルチャムはやや赤面し、喜んだ。
「しかし、飯が美味いと相対的にあのカロリーブロックがより不味くなるな……」
「……あれは難敵です」
あの異様に甘く、妙な匂いのする重たい歯ごたえの物体をどう調理すれば美味になるのか。ウルチャムは日々、格闘している。
食事が終わり、二人は満腹感と眠気の余波を感じながら穏やかな午後を過ごした。そよ風にのせるよう音楽を鳴らし、ゴッドスピードはゴーグルで映画を観る。それにはどことなく豚か何かに似た姿の、愛嬌のある動物人間たちが織りなす社会派ドラマだった。ギマと呼ばれるその人種は実在しているという噂もあるが彼は信じていない。
ウルチャムは缶詰や冷凍乾燥食品、調味料などを並べて何ができるか思案をしていた。料理は化学なので材料の特性を間違えなければ不味いものはできないはずなのだ。そしていつかあの難敵を立派に調理してみせよう。少女は決意を秘めている。
そうこうしているうちに陽が傾いていた。勤勉なる少女はその事実に戦慄する。
「何の成果もなく、一日が終わってしまった……」
ゴッドスピードはあくびをし、
「充分にあったろう。無駄に車両を動かさず、エネルギーを浪費しないことへの挑戦に成功した。これは偉大なる一歩だ」
といいつつも、彼はウルチャムの視線を避ける。
「……それでも、少しはキラーを探すべきです。運転してもよろしいですか?」
「できる……いや、そりゃできるわな」
「はい、ひととおり講習は受けました。それに荒野ならば事故の危険もないですし、この車両を動かす初歩としては最適だと思われます」
「そうだな。いいよ、運転を切り替える」
車両は基本的に右ハンドルだが、緊急時に備え左にも予備用があり、それらは迅速な切り替えが可能だった。そしてウルチャムの駆る車両が走り出す。
「しかし、日暮れまでに見つかるかな。明日でもいいんじゃないか?」
「……とにかく探します」
「闇雲だな」
「闇雲です……」
そして走ること一時間、いよいよ陽が傾いてきたのでウルチャムは仕方なく車両を停めることにした。
「そろそろ夕食をつくろうと思います」
「わりとさっき食べたばかりじゃないか」
「そう、ですね」
「それに、あまり頻繁に料理をしてはだめだぞ」
「な、なぜですか……?」料理好きの少女は狼狽する「料理は浪費に含まれません……」
「しかしな、栄養補給の観点から見てもあまり重要とはいえないだろうしな」
「そんなことはありませんとも。事実、スピードさんは喜んでいました」
「それはそうだが、そこはあまり重要ではないだろう?」
「些細な生活の喜びでも、積もり積もれば人生に彩りを与えます。そしてその逆も然りではありませんか」
もっともらしいことをいう。まあ、余裕がある内はいいか。この件に関してスピードは少し折れることにした。
「……じゃあ、暇をみてシートを広げるんだぞ」
「はいっ!」
シートとはステルスシートのことである。この布で覆うと周囲の風景情報を反映して視覚的、また温感的にある程度の視認難を引き起こすことが可能となるが、これには太陽光を電気エネルギーに変換する機能もある。
しかしゴッドスピードはステルスシートがあまり好きではなかった。車両武器を迅速に使用することができなくなるし、高感度センサーを装備したキラーには通じ難いからだ。そしてなにより、車両を覆い、また畳む作業が面倒だった。
対し、ウルチャムは作業量が増えた上に調理権限を得て満足していた。そして今度はきょろきょろと周囲を見回し始める。何か別のすべきことを探しているのだ。
「おいおい、何かしていないと気が済まないのか?」
「はい。有益な作業が何かあるはずですので」
「そうか……」
ならばこれ以上いうことはない。ゴッドスピードは少女を好きにさせておくことにした。彼は怠惰への賛美者であったし、そういった趣向の思想同盟に勧誘されたとしたなら喜んでシンパとなっただろう。しかし怠惰なる思想は積極的な行動を否定するので、そのような同盟が生まれることはない。
彼は窓を開け、沈んでいく夕陽と頬を撫でる微風を楽しんだ。背後では段ボール箱をまさぐる音がするが気にしない。そして荒野の彼方にうっすらと浮かぶ小さな影を見つける。背後よりドタバタと物音がするが気にしても仕方がない。荒野の影は徐々に大きくなってくる。バキン! 「あっ!」と異音や声がするが面倒はごめんだった。影はどうにも車両らしく、小型トラックのようである。
「……ウルチャム」
背後ではドッタンバッタンと怪音が炸裂している。
「車両が接近しているぞ、一応の用意だ!」
奥の方でドカドカと異音がする。雪崩が起こったようだった。
「ウルチャムッ? 謎の車両が接近しつつある、警戒態勢を取れ!」
メキャッ! と危険そうな音がし、続いてガチャガチャと金属音が鳴り響く。
「ウルチャム、ウルッ!」
「はっ、はい!」少女は直立姿勢となる「やかましかったですかっ?」
「車両の接近だ、念のため戦闘準備を!」
「はっ、はいっ……」
ウルチャムは助手席に飛び乗り、銃を手にした。
「おそらく商人かと思われるが、それを装った盗賊も多いし、あるいはキラーかもしれない、気を抜くなよ」
「はい、警戒は怠りません」
トラックは近くで停車、降りた運転手は両手を上げながら近づいてくる。もっさりと口髭をたくわえた初老である。不吉なる黒い影は見えない。
「何の用だ?」
声をかけると丸顔の商人はにっこりと笑んだ。
「まいど、クリップ・アンド・カートンでござい! 商品の販売から各種補給、機械修理までなんでもお任せあれ!」
「そうか」
「……あの、お困りではないですか?」
「ああ」
「そうですか、荒野のど真ん中で停まっていらっしゃるので立ち往生かと……」
「ああそうか、問題はないんだ。気にかけてくれてありがとう」
「あっ、あのっ」少女は身を乗り出す「食材が欲しいです!」
「そうでしょう! 水や新鮮な缶詰ならいくらでも! 弾薬も販売しておりますよ、支払いはオンリー・オンリー!」
「ではこれで買えるだけください」
ウルチャムは懐より小さなコインを取り出した。
この大陸に流通している貨幣はオンリーコインと呼ばれる小さなコインである。これは元々、それ自体に価値などない好事家のためのコレクションアイテムに過ぎなかったが、その奇妙なまでに高い精密性、機密性、そして唯一性に貨幣価値が認められ、とあるコミュニティで価値の暴落した既存の貨幣を駆逐したことを発端にその影響力を拡大していった。
その需要に対応するため、オンリーコイン社は大量生産に着手、各種銀行とも連携を強め、このコインは大陸全土に影響を大きくするまでとなった。商人はオンリーコイン社が販売している特殊な機械でもって、それが本物かを確かめることができる。
「間違いなくオンリーコインです。それで、二千オンリーですね」
コインには価値の格差があり、よく流通しているレギュラーシリーズは十段階に分かれている。
ウルチャムは缶詰と冷凍乾燥された野菜を中心に自身の給与で支払った。これは施設を出るときに支給されたもので、現在の所有は二万オンリー程度である。給与は毎月支払われ、各コミュニティの銀行窓口で受け取れる。こなした任務の内容や成果によってボーナスが支給されることもあるものの、基本的には薄給である。
「いいのか購入して。現状、食料には困っていないだろう?」
「ですが、お野菜にもっと種類が欲しいのです」
「素晴らしい心がけですな」商人はにっこりとし、代金分の商品を手渡した「健康は良質の缶詰から。今後ともクリップ・アンド・カートンをよろしく!」
そして商人は去っていき、ウルチャムは意気揚々と台所へ向かうのだった。
【荒野の夜遊び】
さっそく調理を始めたウルチャムだが、ゴッドスピードはあえて口を挟まなかった。買ったばかりの缶詰を早く使いたいのだろうと察したからだ。
しかし彼の懸念は実際、切実だった。攻撃を受けたとき、爆発の危険があるので可燃ガスは使用されない。つまりコンロの熱は車両を動かす動力源となるバッテリーから供給されており、その使い過ぎは各種の動作に影響を与えること必至だった。エネルギー切れで車両が道半ばで止まったとき、場所や状況によっては死に直結する場合もある。
とはいえあまり強くもいえない。このような生き方をすればこそ趣味や気晴らしは必要であるからだ。
夕食は昼と同様に缶詰と乾パンの料理が出てきたが、味つけはトマト中心のものとなっており、加えられた風味も異なっていた。やはり味は確かで、満足度は高い。
そして食事が終わったところでゴッドスピードはまた横になった。今日はてこでも怠惰に過ごす決心を彼は抱いていたのだ。
「あの、整頓の件ですが……」
「ああ、任せる」
ゴッドスピードは彼女を見もせずに答えた。怠惰同盟のシンパとしては勤勉家の提案に対し、親身になってはいけないのだ。
そしてまた背後でドタバタと整頓作業が始まるが、男は思想の問題からさっさと寝に入った。
やがて夜が更け、ゴッドスピードは変わらず眠っていたが、ウルチャムは起きていた。昼寝をしたせいか、さして眠くなかったのだ。電力消費量を案じ明かりを消していたので、彼女は夜の闇のなか暇を持て余し、そのうちに外に出ることにした。
星々が輝く夜空に抱かれた荒野は静かに寝息を立てていた。この寝顔を知っているのは自分だけのように思え、少女は途端にこの地が愛おしくなった。大地に寝そべると、夜と土の匂いがし、そしてそのまま車両の下に潜り込んでいった。
ウルチャムは狭いところが好きだったので、そこはなかなかに悪くない場所だった。しばらく楽しんだ後、彼女は外へ這い出て、今度は屋根に上ることにした。車両の背部と側面には簡単なとっかかりがあり、よじ登る助けになる。
屋根には大型の機関砲が備えつけられていた。普段は折りたたまれ、必要なときに展開する構造となっている。これは運転席のモニターやゴーグルでの遠隔操作が可能で、ロックオンをすれば自動で攻撃し続ける機能を有している。この型の車両は他にも小型ミサイル発射装置やレーザーキャノン、レールガンなどの火器も装備されている。
今度は屋根に寝そべり、夜空をしばらく眺めていたウルチャムだったが、ふと必要な工程を思い出した。このたび支給されたバトルアーマーだが、シミュレーションでしか運用していない。この機会に少し訓練してみようと思いついたのだ。
そして車両へと戻り、アーマーを手にして戻ってくる。彼女のスノウラビットは寒冷地に対応した偵察特化のアーマーであり、その名の通りヘルメットにウサギの耳のような高感度アンテナが装着されているモデルである。それは普段ロップイヤーのように垂れているが、必要に応じて動いたり、よくいるウサギよろしく立たせることもできる。
ウルチャムはアーマーを装備し、各種センサーを起動した。どれも問題なく機能しており、周囲に問題はない。
そして次はステップブーストの動作を確認する。連続使用より断続使用に特化したこのブーストは腰回りを中心に体の各所に装備されており、慣性を上手く利用すれば実に巧みな俊敏性を実現できる設計となっている。
ウルチャムはブーストをふかし、周囲を弾み回った。跳んでは回転し、着地の衝撃を推進力にしてまた高速化する。そうして徐々に加速し、その瞬間最高速は時速三百キロを超えるまでとなった。
そうして遊び半分に訓練をしていたウルチャムだが、ふとセンサーに反応があることに気がつく。それは上空にあり、モニターで拡大すると奇妙な瞬きが確認できた。
偵察機かもしれない。ウルチャムはそのような懸念を抱き、車両へと戻る。
「スピードさん、起きてください!」
そして揺らすと、彼はすぐに飛び起きた。そしてウルチャムの格好を見やり、
「おっ? どうした、敵か……!」
「わかりません。この頭上を何かが飛行していました。偵察機の可能性があります」
「そうか、レーダー反応に気づかなかったな」
「かすかなものです」
「……記録にはないようだが、センサー類も調子が悪いのか? ともかく君とスノウラビットのお陰だな。移動した方がいいだろう」
必要に迫られ、車両を移動させる運びとなった。闇夜の荒野を突き進んでいく。
「どんなものかうっすらとでも見えたか?」
「いいえ、影のみです。ですが点滅する光を放っていました」
「光信号か。やはり偵察機の線が強いな、移動して正解だろう。キラーどもなら排除すべきだが、夜の戦いはなるべく避けたい」
夜はあの影たちの力が強まる。その姿を視認しにくくなるのだ。これは視覚における情報収集能力の低下がその理由だと彼は考えていた。不吉を退ける力は強力だが、決して万能ではない。
「それにしても、その格好は?」
「ええ、少し訓練していたのです」
「そうか、問題はなかったかい?」
「はい、機能は正常です」
三十分ほど車両を飛ばしたところで巨岩が眼前に現れる。ゴッドスピードはブレーキを踏み、その側に停めることにした。
「まあ、このくらいでいいだろう。今夜は交代制で寝るか」
「お先にどうぞ」
「寝なくていいのか?」
「まだ後でいいです。お昼寝をしましたし」
「そうか。眠くなったら遠慮せずに起こしてくれ」
そしてすぐにゴッドスピードは寝に入ったので、またウルチャムは暇となる。
もし、先に飛んでいたものがステルス機ならレーダーに反応しづらいだろう。ならば外にいた方がいいかもしれない。ウルチャムはそういった理由を思いつき、また外に出た。しかし、実際のところは巨岩に興味があったのだ。
それは軽く見積もっても十階建てのビルほどもある巨体であり、また深々とした溝が多数、刻まれていた。ウルチャムはそのうちの一つに収まり、なんだか満足した。そしてそのうち友人たちのことを思い耽り始める。
今頃、みなは何をしているのだろう? 無事だろうか。怪我などはしていないか。この過酷な世界で上手くやれているのだろうか。
そのときふと、彼女はカチカチと硬質的な音がしていることに気がつく。それは徐々に近づいていた。不審に思い割れ目より顔を出すと、暗闇にぼんやりと人影が浮かんでいた。
それは一体のオートキラーだった。これまで見たものとは異なり、鋭角なシルエットをしている。そして大型の銃器を装備していた。
ウルチャムはまず、車両に戻るか否かの選択を迫られた。敵性がある場合、眠っている彼の元へ敵を誘導することは例え百戦錬磨の強者とはいえ危険と思われた。しかし、あのオートキラーが自身を狙わないのなら、盾になるような形で車両へと移動した方がかえって安全かもしれないという考えもあった。
このどちらかを選択するには情報が不足していた。そしてそれを補完するには、自身の命を懸けて確かめるしかなかった。
ウルチャムは割れ目より出た。キラーはその場より微動だにしていない。攻撃をするような素振りも、いまのところはなかった。
「……こんばんは」ウルチャムは声をかける「何か、ご用ですか?」
『雪を見に行きませんか?』
その言葉だけで敵性のなさは明らかだった。そう偽っている可能性もないわけではないが、少女は味方だと直感してしまっていた。
そしてその提案は彼女たちの目的と同じだったので、ウルチャムは頷く。
「はい、私たちはいずれ向かいます」
そのとき、突如としてキラーは車両へ向けて大型の銃を構えた。
「待って! あの、あれは私たちの大事な車両なのですっ!」
ウルチャムは射線を遮るようにキラーの前に立った。その機体はこれまで見たものと比べて明らかに異質だった。シャープな意匠を持ち、見るからに高性能な雰囲気である。
「その、そっとしておいてください。お休みになられているので……」
『では、先に北へと向かいましょう』
「えっ、いえ……お気持ちは嬉しいのですが、そうしなくとも結構です。同胞であるスピードさんと一緒に向かいます」
『対象Cを確認。しかし保護対象の要請により、一時的にDまで引き下げます』
キラーが発した言葉であり、その情報は有益かと思われた。この機会になるべく収集しなくてはならない。
「……あの、対象Cとは何のことですか?」
『先ほど発見した個体は脅威度Aランクの対象であり、我々に対し、甚大な妨害行為を行っているという報告あり。しかし、保護対象に対する扱いは我々と比較し、同等以上であると見なされています。よって脅威度は保護能力に置換可能とみなし、対象は排除ランクCに修正。これは通常排除ランクに該当します』
「通常排除ランクとは何ですか? ランク別に解説をお願いします」
『排除ランクはAからDまでの四段階があり、Aに対しては排除を目的とした捜索を行い、Bには接触時の優先的な排除を実行、Cの場合は優先順位なし、Dにおいては攻撃を受けない限り、排除行為を行いません』
「私はDですか?」
『いいえ、あなたには排除行為を一切、行いません。そして特権的に保護が推奨されています』
「保護、ですか」
『動体反応あり、交戦準備。私の背後にお隠れなさい』
キラーがウルチャムを後ろへと退かせたその直後、頭部が跳ね上がった。そしてよろけるが、すぐに態勢を整える。
『交戦開始。ここは任せて退避してください』
「スピードさん!」
いつの間にか、車両後部に人影があった。立て続けに銃撃音、キラーはよろけるが破壊には至らない。
「待ってください! この方は敵ではありません!」
「君にとってはな!」
キラーの顔部より猛烈な閃光が発せられた。ウルチャムは一時的に視界を奪われ、行動不能になってしまう。それは、このキラーのメデューサが対策を突破していることを意味している。
「待って、どうして……」
そのとき、すでに戦いは始まっていた。
【脅威度A対象】
オートキラーの背部ユニットが展開、急速に加速し車両後部へと回り込みつつ銃撃を開始するが、人影は瞬く間に奥へと消え、同時に車両上部の機関砲が展開、即座にキラーは回避のため加速するが、強大な弾丸の爆風がそれを追い、さらに闇夜より刃が飛来、それは十七枚確認でき、それぞれ異なる角度で回り込んできている、そして追い込む先に手榴弾が五つ落ち、待ち構えていた。
キラーは回避経路を発見、それは真上だった。よって急上昇する、その直後に手榴弾の爆発、同時に閃光が迸り、強烈な電磁パルスをも受けた。
この型のキラーは閃光、パルスともにある程度の耐性があったが、爆風での衝撃とあいまって一瞬、激しいノイズに揺さぶられた。そのため上昇し続けてしまい、その間に激しい銃撃に晒され、半壊を余儀なくされたがノイズの修正に成功、また右腕部とそれが手にした火器、そして背部ユニットは無事だったので機動力は損なわれていない、しかも上昇し続けたぶん、上空より狙い撃つ優位性を確保しており、破損した装甲や千切れた左腕、右足のぶん軽量化が進んだので、さらなる機関砲の射撃を回避しつつ、運転席の方へと走る敵対者を狙うことは容易だった。
しかし、発射した弾丸は命中しない。対象までの距離とライフルの砲口初速を考慮し、対象の移動先に向けて射撃したにも関わらずである。それはつまり、行動予測に不備があるか、不明なエラーが出ているかである。
エラーの修正をしている時間はない、よって不備があると仮定して再度情報収集を開始したところ、対象の移動速度が突発的かつ急激に変化しているという情報を得た。しかしそれまでである。どのような理由でその突発性が生まれているのか、それは原因不明であった。そして現装備、現状況においてはこれの確実な攻略は不可能と即座に判定し、急接近を提案、あの動きは人体の構造上、前後面に対する攻撃が比較的有効、さらに散弾によるものが効果的と結論づけられたのだ。
しかしその直後である、高速の飛来物がキラーに対し、襲いかかった。それは一瞬前より存在を確認できていたが、あまりの速さに直撃はまぬがれ得なく、あえなくキラーは爆散する。
誘導ミサイルの発射を事前に確認できなかったのは、それがエラー発生と同時に発射されたからだった。ミサイルは少しの間、地表を走りUターンして加速、キラーを補足するに至ったのだ。
その戦いはほんの十秒にも満たない間に終わった。視力を取り戻したウルチャムは爆散するキラーを目の当たりにし、大いなる喪失感を覚えた。敵として身構えた存在が友好を示したときに感じた安堵感、その稀有な体験があの爆発とともに空虚なものへと抹消されたように感じたのだ。
呆然としている少女のもとへ、闇より近づいてくる人影があった。思わず身構えたが、それはゴッドスピードである。
「また外に出ていたのか、それに奴らに不用意に近づくなど……」
彼はふと足を止めた。少女の中で何が起こっているのか察することができたからだ。彼女の仕草にはどこか怯えがあった。
「……仕方がなかった。いや、言い訳などしまい。奴は俺にとって敵だった。それだけだ」
「……あの方は、私を保護しようとしていました……」
「保護……! ……そうか、なるほど、な……」
「一切の排除行為をしないと……」
「保護対象なら当然だな」
「戦う必要だって、ありませんでした……」
そういってすぐ、少女は気がついた。そのことで彼を責めることはお門違い、どころか責任転嫁だろうと。脅威度判定の内訳をいち早く大声で彼に伝えるべきだったのだ。
「……いいえ、私の不備です。伝達内容が曖昧でした」
「同じだよ。あれはどうにもかなりの高性能機体だったようだ、あんなものが一機でもコミュニティに入ってみろ、大量の死傷者が出ることだろう。だからここで潰さねばならない」
「はい……」それは確かだろうとウルチャムは認める「そうですね、その通りです。私以外に対しては……」
「だが、君の感情を曲げろとはいわない。いいたいことがあるなら聞くよ」
ウルチャムは目を瞬き、
「いえっ……そんな!」
「それが正直な気持ちなんだろう。戦いたくないのならそれでもいい。奴らが君の命を守ろうとするならばそれに縋るのもいい。敵はキラーだけではないからな。頼りになることもあるだろう」
それは少女にとって、ワイズマンズの一隊員としても、あまりに意外な言葉だった。
「な、なぜでしょうか?」
「単純な理由だ。君の生存率が上がるからだよ」
「いえ、その、ワイズマンズとしては……」
「その複雑さに対する答えはない。いいや、本部は君から答えを引き出そうとしているのだと思う。つまり」ゴッドスピードは肩をすくめる「みんな闇雲なのさ」
そうだろうか、そうだろうとも、そうなんだ、そうでしかない。
少女にとっては驚くべき真実だった。みな、自身より遥かに豊富な知識や経験でもって、最適か妥当か、ともかく正解を選んでいると思っていたからだ。
「……わかります、わかってきました、なんだか、とても……」
「さあ、いこう。増援があると厄介だからな」
そしてまた車両は動き始める。深い深い闇に抱かれながら。