表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者の楽園  作者: montana
7/33

観衆 Illcode:Spectator

【パーツ・ショウ】

 ウルチャムには秘密があった。あの敬愛するマーマにも、親友たちにも話したことはない。その理由は複数あったが、ただそうした方がよいと直感したことがその大半を占める。

 それらはたくさんいて、合わさったり別れたり、よく動いた。操ることはできないが、彼女の意をよく汲んでくれた。だが時には望まないものも運んでくる。

 憂鬱な夜なのに窓の外ではパレードが行われている。そんなまぼろしを彼女は感覚した。それは傍に立つ女より伝わったものである。エレベータの中は狭く、閉所ではよくそれが伝達を行ってしまうのだ。

「愉しそうですね」

 批判めいた言葉がふと、こぼれ落ちていた。大したことのない皮肉である。しかしながらコブウェブの反応は激しいものだった。その赤々とした瞳、灼熱の流し目だった、くびり殺してやろうか、まさに豹変たる敵意が少女を貫いていた。

 ゴッドスピードが異変を察知し見やったが、そのときには一転して、女はころころと微笑んでいる。

「お前は幸せものね。くだらないほどに」

 ただ、声音はとてつもなく鋭利だった。ウルチャムの額に汗が滲む。

 チン、という音がして、エレベータのドアが開いた。

「うちの新人に文句でもあるのか?」

「いいええ、ただの激励よ」コブウェブはにっこりとしている「それよりあれを見て」

「ああ……」

 屋上庭園、その奥がビカビカと輝いている。ただごとではない。

「……なんだあれは、祭りでも始めようってのか?」

「あながち間違いでもないわね、こっちよ」

 女に追従する三人も、否応なくその光景を一身に浴びることとなった。

「……冗談だろ?」

 バラエティの舞台である。眩さに満ちたケバケバしい会場が設営されていた。中央には丸いテーブル、それを取り囲む形で数多の観客席が、背景には立体的な文字でパーツ・ショウと輝いている。

「冷蔵庫は冗談にしても、結局のところコミュニティの運営は人工知能に依存しているのよね。それがここの最上階にあり、市長室はその下ってわけ」

「ここで、何をしようっていうんだ……?」

 その問いかけが届いていないのか、女は続ける。

「そして、その人工知能がコミュニティ運営計画を立案し、市長以下が指示どおりに実行していく。ケッヒーの場合はプールされた資金を横領し、手下に分配していたようね。そんな機械と人の二人三脚だけれど、残念ながら替えが効くのは人の方なのよね」

 コブウェブは人類をあざ笑い、コートを脱ぎ捨てる。

「だからこそ、パーツ・ショウなのよ!」

 真紅のドレス姿に変身した途端、複数のスポットライトが集まった。軽妙な音楽が流れ始める。

『さあ、やってまいりましたパーツ・ショウ! 観客の皆様、どうぞご入場を!』

 信じがたい光景が続く。大量のオートキラーがどこからともなく現れ出し、あっという間に観客席を埋めていくではないか。

『パーツ・ショウではその時々の趣向に合わせた議題でもって徹底討論が行われます! そして最後に観客の皆様がジャッジ! この中の一名が無残にも撃ち殺される結果となるのはいつもの通りです!』

「馬鹿な……」

 あまりに予測が困難な事態である、ゴッドスピードは撤退を考えるが、ウェイジャーの件もあり、そうするわけにもいかない状況に歯噛みする。

『さあ、本日の議題は正義についてです! このマシュー・コーエン氏はコミュニティの健全化をうたい、堕落者とされる者たちを殺害して回りました! さて彼はただの犯罪者なのでしょうか、それとも孤高の英雄でしょうか、今夜も白熱しますパーツ・ショウ! 討論者の入場です!』

「どうする……?」ゴッドスピードはうなる「ステディ、退がるならいまの内だぞ」

「……君たちはそうしてくれ。さすがにこの状況は危険だ、あとは私が……」

「いや、一応の確認なんだ。キラーを前にして俺は逃げるわけにはいかない。ウルチャム、君は……」

「私たちはバディです。ステディさんたちも。私だけ逃げるなんて、そんなことできません!」

 しかし、無理にでも逃した方がよくはないか。ゴッドスピードはそう思案するがイルコードの眼前である、無事に済む保証はない。それよりは自身の側に置いておく方が安全ではないか。

「……この腐ったコミュニティにふさわしい悪夢だな」

 マシューは壊れたサポートマシンを脱ぎ捨て、いち早く中央の席へと収まる。

 その意思において幾人も葬り去ってきた男だ、さすがに胆力はあるらしい。ゴッドスピードは彼をそう評価した。

「よし、俺たちも席につこう」

 中央の席にゲストが揃ったそのときだった、暗がりよりワゴンが運ばれてくる。それに乗せられているのは分解された人体であり、ウェイジャーでもあった。

「なっ……!」ウルチャムは立ち上がった拍子に転倒する「ななっ、なんてことをっ……!」

 あまりの光景に硬直する四人の前で、緑色のローブに身を包んだ老人がその人体をハンガーラックのようなものにかけていく。僅かながらの救いとしては、薬物でかウェイジャーの意識が混濁している様子であることだった。

「悪魔め……!」

 ステディは歯ぎしりをし、銃を手に取りたい気持ちを必死で堪える。

『さあ、特別ゲストのウェイジャー氏です! ご気分はどうですかっ?』

 解体された男は言葉にならない音声を放つ。ステディは直視できずに俯き、ゴッドスピードは強くテーブルを叩いた。

「貴様ら、必ず始末してやるからな……!」

 アートマンは恐るべき笑みで返した。ウルチャムはいつの間にか、ゴッドスピードの手を握っていることに気がつく。

「あ、あれは……いったい……」

「ただの怪物だ……! 安心しろ、俺が確実に始末してやる……!」

『さあ、準備が整ったところで始めましょう!』司会の女は優雅に歩き回る『この世のありとあらゆるものは部品でしかありません! しかし! 断片でしか見えない世界もある! さあ、いよいよ始まります、パァアアアアアアツ、ショウ!』

 会場が硬質的な拍手で満たされ、人間たちは評価の視線に晒される。

『それではみなさん準備はよろしいですか、討論開始っ!』

 事態は異様の極みだが、すぐに対応せねばならない。なんせこのショウでは誰か一人が殺されるというのだから。

 そしてもっとも切実な状況下にあるのがマシューだった。こちらは一人、向こうは必ず結託をしてくるだろう。言葉の物量で押し切られる可能性がある。

 しかし光明もあった。警報が鳴らず、私兵どもが現れないところを見るに事件はまだ発覚していないらしい。これを乗り切れば助かるという話は本当かもしれない。ここまでお膳立てをする偏執狂は自ら定めたルールを反故にしないものだ。

 それにあの司会の女……先ほどなにやら揉めていたではないか。関係性はわからないが、あの少女を殺したがっているようにしか見えない。

 いや、目下の問題はあの異質な観客たちだろう。討論で負けてしまえばすぐさま終わりなのだ、まずは勝たねばならない。勝敗を決定するのがあの機械どもならその性質をいち早く把握する必要がある。マシューは銀色の水面に小石を投げることにした。

「……僕が悪だというのなら、いったい誰がこのコミュニティの現実を改善するというのだろう。僕が殺した連中は健全なる社会には不必要な存在に違いなかったんだ。僕がしたことも、よりよい未来を掴むために必要なことだったのさ。そう、免疫反応といってもいい」

 観客席がざわめく。それはつまりオートキラーたちが言葉を交わしているという事実に他ならなかった。

「こんなことが……」ステディは会話の渦に息をのむ「キラーが言葉を話すことはあるとされてはいるが、こんなに……」

「……集中するんだ。俺たちが生き残るためには奴らの賛同を得る必要がある。つまり……」

 ゴッドスピードはマシューの眼光を受け止め、討論に参加する姿勢となった。

「……たしかに単純に殺しが悪というならば、ここにいる者たちはみな悪人といえるのかもしれないな。といっても一人、例外がいるが……」

 ウルチャムに視線が集まる。マシューは頷き、

「……そうか、どうやら君だけが異質な存在のようだね。その立場をどう思う?」

 話を振られるが、少女は視線の先にある無残な姿を目にするまいと視線を逸らすことに懸命だった。薬によって混濁しているからか、いまのところ、その心情は運ばれてこない。しかし、それも〝それ〟らの気分次第である。

「……ひ、比較的、個性的だとは思います……」

「優位性があるとは思わないかい?」

「優位性……いったい、なんのでしょう……?」

 逸らした視線の先にはオートキラーの観客たち。敵対勢力とはいえ、それらは彼女にとって興味深い対象だった。どれも銀色のボディに簡単な顔があるだけの平凡な機械人間に過ぎないが、よく見ればどれもがまるで同じというわけでもない。頭の大きさから目のような部品の位置、微細な凹凸、着ている衣服もそれぞれが異なり、しかし男女の区別はないのか、いろいろと混ざった格好のものもいてどこか微笑ましい。

 異常事態に晒されればこそ、不可思議なキラーたちに彼女が逃避することはむしろ必然だろう。そしてそれゆえの着眼点もあった。

「……そうだ、その点について……オートキラーさんたちの意見を伺いたいと思います」

 それは先入観の少ないウルチャムならではの発想だった。ゴッドスピードは内心で彼女を褒める。

『なるほど! それでは観客のお一人にお尋ねしましょう!』司会者は近場のキラーにマイクを近づける『彼女についてどう思われますかっ?』

『聖域ですね。甚だしく特権的だと感じています』

 まさか……! ゴッドスピードは目を見開いた。それは単なる思いつきだったが、これまで得た情報とは矛盾がない。

 となれば残る懸念はひとつ、イルコードが何らかの方法でオートキラーを自在に操っている、そんな可能性についてだった。

 しかし機械兵士に対するハッキング行為が成功したという情報はこれまでなく、ゴッドスピードにもそれに関する知識は残されている。

 キラーは基本的にスタンドアロンであり、ハードやソフトも独自の規格を採用しているがとどのつまりはコンピュータ、解析は可能だと思われていた。しかし専門家いわくハッキングは不可能だという。なぜならキラーの頭脳には短いコードが無数かつバラバラに記載されているばかりであり、こんなものでは知能どころか電卓としても使えないというのだ。

 そして彼らは諦め半分に、さもありそうだがあまり論理的ではない答えを出してひとまずの決着をつけた。海中の化学反応により生命が発生したという仮説と同様に、コードの海より自我が発生していると結論づけたのだ。

 会場では一斉に硬質的な拍手が鳴り響いていた。あるキラーによるウルチャムへの評価は、ここにいる観客たちの共通観念であることは明白である。

『どうでしょう、アートマンさん。このご意見は?』

 中心からやや離れた席にアートマンが落ち着いている。その隣にはマンハンターもいた。

「神聖さを覚えますな。信仰心がある。大変に結構なことかと存じ上げます」

『なるほどぉ、ではマンハンターさん』

「そうだな、彼女は佇まいからして筋がいいと思う」

 それは戦闘力の話だろう。ゴッドスピードはうなる。

『様々なご意見が集まっています、それでは討論に戻りましょう!』

 マシューは思案した。あの反応からして、どうにもここでは非殺人者の立場が圧倒的に強いとみえる。あの観客たちは素朴な市民に近い感性をもっている、もしくは演じているという設定なのだろう。それならばやりようはある……。

 対し、ゴッドスピードはまったく異なる観点を得ていた。そして疑問を確かめるべく、賭けにでる。

「……俺はここの観衆の類型であるキラーどもを破壊してきた。総数はざっと数千を超えるか」彼は口を開こうとするウルチャムを制する「つまり、ある種の大量殺戮者だな」

 それを弁護するようにウルチャムが手を挙げた。

「……あっ、そういった意味では私も殺人者になります。攫われそうになったとき、抵抗した際に……」

 そのような二人の発言だが、オートキラーたちはまるで反応を見せなかった。ここでゴッドスピードとマシューは互いに異なる確信を得ることとなる。

「……ともかく、彼女には我々を糾弾する資格があるらしい」マシューである「それで君はどう思う? 殺しは悪か否か」

 ウルチャムはうなり、

「個人における倫理観やコミュニティの性質によると思いますが……しないに越したことはなく、するにしても強い理由が必要でしょうね。大方においてはよく非難され、推奨もされていないと思います……」

「裏を返せば、相応の理由があれば容認されると」

「はい……そのような場合はあると思われます……」

「ではこのウィーグラットにおいてはどう思うかな? 貧困層はより外の区画へと追いやられ、外敵より襲われる危険を一身に背負っていることは一目でわかったろう?」

「はい……」

「彼らは肉の壁だ。悲鳴を上げる警報装置だよ。命の扱いに格差がある。これは格差があってよしとしている者たちがいることの証明でもある。このコミュニティにおいては命の価値は平等ではない、いや、極端に差があるといっていい。ならば当然、殺人の罪の重さもまた、平等ではないということになる」

「……そう、いうことになるのでしょうか……」

「そうさ。しかし、それは正しいことだろうか? 正義に適っているだろうか? 適っていないとしたなら、誰がどう、僕の行為を評価できるというのか。君はどう考える?」

「そ、それは……」

「待った」

 ステディは劣勢の不穏さを覚え、口を挟んだ。

「外の区画のさらに外周を防衛しているのはケッヒーの私兵たちではないのかな?」

「奴らは高い賃金を得ているし、市内においてはある種の特権性がある。そしてその権利を乱用し、我が物顔で不当を市民に押しつけているんだ。なるほどそれでも職務を完璧に遂行しているというのならば多少の正当化は可能だったかもしれない。しかし……どうだ!」マシューは観客を指差し「内部に入り込んでいるではないか! ここぞというときに役に立たない、兵士の皮を被った害獣どもめ! そうさ、この状況こそがウィーグラットの病なんだよ!」

 それは強い主張であったし、内心、誰もがその言葉に納得した。しかし、評価者を巻き込む争点にはリスクがある。

「その病人をつくりだした要因である病原菌どもが俺たちを値踏みしているこの状況でそんな口を叩いていいのか?」

 ゴッドスピードは肩をすくめてみせ、マシューは慌てて周囲の機嫌を窺った。オートキラーたちは互いにひそひそ話をしている。

「と、ともかくだ、正義の鉄槌は誰かが下さねばならない。暴走した権力者を止めるのはいつだって市民の腕力なんだ」

「それは」ステディだった「つまり、テロなのでは……」

「……否定はしない」マシューは神妙に頷く「本来ならば愚劣な権力者のみを破壊する力であるべきだが、既存の権力構造を覆すとなると連鎖的に市民にもダメージが入ることになるだろう。それをテロリズムと表現するならばそうであると肯定せざるを得ない。しかし、それは劇薬の副作用とみなすべきだ。白髪の君はどう思う?」

「ど、どう……なのでしょう?」

 ウルチャムは内心、大忙しだった。最大の問題はむごたらしい状態のウェイジャーと超共感能力の関係である。今はお願いによって〝それ〟らは動いていないが絶対はない、あるいは悪影響が出てしまう可能性があり、気が気ではないのだ。

「おい、大丈夫か? ウェイジャーの方を見るな」

「は、はい……」

「あれは超共感能力対策なのかもしれない。君ならマシューの心情を読んで討論を有利に進めたり、奴らの先手を潰せる可能性があるからな、神経を削りたいんだろう」

 ウルチャムはふと、コブウェブを見やる。赤い瞳の女はしてやったりの笑顔である。それを見て、少女の血圧がしっかりと上がった。

「……そうですね、程度の問題ではないでしょうか。市民が団結をして圧政者を打ち倒すという構図は理解できます。ですが、それに賛同する市民の規模において、また、行使する手段においてはその正当性が疑問視される場合もあると思えるのです。その点、コーエンさんは単独にて、しかも殺人という手段を行使しました。これは容認されるにはいささか困難な要素を多分に含んでいると思われます」

 妥当な意見において否定されたマシューだが、それがむしろ彼の狙いだった。

「だとすればこそ、僕の行為は君のような健全たる人々の批評に広く晒されるべきだとは思わないか? 少なくとも、こんなところで殺させてはいけない。それこそ無法というものだ」

 それはウルチャムにとって当然、賛同できる内容だった。みな無事にこの場をやり過ごすことが最善なのだから。

「ええ、もちろんそうだと思います」

 しまった。ゴッドスピードは内心、舌打ちをした。

「そうだろう、意外に思えるかもしれないが、犯罪者だからこそ尊重しなくてはならない側面もあるんだよ。司法の実効性における特色はそれの扱いによって露わとなるのだからね。そういう意味において僕は格好の試金石といえる。確信的な逸脱者だからこそ、その言論に耳を傾ける意義があるんだ」

「ケッヒーは逸脱者ではないのか?」

 冷徹な横槍である。マシューはほぞを噛んだ。鋭く、厄介な男だ。

「……違うな。奴はいわば占領者だ。立場にそぐわない人物」

 議論においては、その主張の理解を容易にするため、便宜上の定義を創造する必要性に迫られる場合もあるが、独特な意味合いを示唆する言葉の多用はかえって理解を損なう場合もある。そしてより深い追及を牽引してしまうのだ。

「占領、外敵性をもつと。だから殺した」

「そうだ」

「奇妙だな、ケッヒーとて市民の一員だろうに」

 やはりそうくるか。マシューは身構える。ここでしくじるわけにはいかない。

「……そうだ。内部からの逸脱と外部よりの占領……この対比が肝要なんだよ」

 独自の意味を示唆する表現は定義の支配権がある反面、論調のコントロールを失うリスクがあった。定義に不備がある場合、主張は一気に劣勢へと傾くだろう。

「前者はまだわかる。つまりはあんたの立場だろう。しかし後者はどういうことなのかいまいちわからないな。あんたの内部性とケッヒーの外部性はどう相反している? 立場はどちらも同じ市民に違いないと思うが」

「……それは、公共性においてだ。奴は独占を好むが、僕は公共に尽くしたいと考えている……」

 ゴッドスピードはしばし討論相手を見すえた。マシューの頬に汗がにじむ。

「それは……つまり、特定の個人に対する特権性の否定かな」

 急所を刺す一撃でないことにマシューは安堵し、

「……ああ、そうだ。そうとってもらって構わない」

「個人間における特別性に関してもそうなのかな。例えば親族や友人への優遇など」

「そうだな……そうだ、その優遇が公共性を害する場合は批判されるべきことに違いない。殺人者となった身内を庇うことも犯罪行為だよ」

「しかし、人はより親密な者にこそ情けを大きくかけるものだ。例えばケッヒーがあんたの恩人であったとしても、あんたはやはり同じことをしたのだろうか?」

「もちろん」

 虚実はともかく、断定的な答えにゴッドスピードは腕を組んだ。これは心理的に防衛反応を示す行為だが、彼の場合は意図してやったことである。

「俺とは異なる考え方だな。例えば俺はこの相棒の命を最優先にする。それは任務より重要なことだ。こっちのステディも同意見だろう」

 ワイズマンズとしてはある意味、突拍子もない言葉である。それは出会って間もないウルチャム個人にとっても同様で、彼女とステディは思わず顔を見合わせた。

「あんたは場合によってはこの子ような人々を犠牲にすることすら必要な痛みと言い張るのだろう? しかし、そんなことはまったく賛同できないことだね」

「待った」ステディだ「その考えには同意したいが、我々はあくまで……」

 ゴッドスピードは身振りでその言葉を遮る。ステディにはその意図が理解できなかったが、自分たちのために動いてくれた恩義に報いるためにも、彼に任せようと次ぐ言葉を押し留めた。

「やはり彼も同じ意見らしい」

 マシューは肩をすくめ、

「不可思議なことをいう。君はガードドッグだろう? もしも、その子が社会的な脅威だったとしたらどうするんだ? なんとしても止めるのがその使命ではないのか?」

 そのとき、ほんのわずかな雷鳴だったが、ゴッドスピードはひどい頭痛を感じた。

 そのせいで返答がやや遅れたが、努めて彼は自然に振る舞う。

「……愚問、だな。優先されるのはやはり親密さだろう。例えこの相棒が極悪人と見なされたとしても俺は彼女の命を選ぶ」

「なぜだっ?」あまりに意外な答えにマシューは眉をひそめた「それは正当化が可能な理屈なのか?」

「もちろん」

「では説明してもらおうか……!」

 ゴッドスピードは咳払いをし、

「彼女がどのような立場でも、その命を脅かすことがあるとするなら、その社会システムに重大な欠陥があるからだよ」

 マシューは目を瞬き、

「なにっ? まるで理由になっていない! 個人の生命に特権性を与えるならば、その生命の喪失が大いなる社会問題となるはず、しかし遅かれ早かれ人は死ぬもの、ならばこそ、それは脆弱性となるに違いないんだ、そんなものとても容認できないね!」

「そう……この子の喪失はまさに大いなる社会問題だよ。だからこそ、その血縁に関しても保護を考えるべきだ」

「なんだって?」

 マシューはウルチャムを見やった。なるほど彼女はこの討論会において重要な立ち位置にあるのだろう。しかし、ある個人どころかその血筋に特権性を与えるなどとても納得できることではない。それはつまり血縁主義、ひいては貴族主義にも関わるだろう。それは眼前の男にも充分に理解できていることのはずだ、馬鹿でないのならば。

 ということは、そういった特権性にまつわる理屈をもっているというのか、その可能性は高い。また、あのキラーたちがそれに関する暴論に加担する可能性もある。

 しかし、ここで理想も思想も披露していない非殺人者がそこまで上等なものか。いいや、そうであってはならない。マシューは信念においてそう断じた。己の主張こそが正しいと。

「いくら健全だとはいえ、ただの個人がそれほど特別なものか! 人には理想を貫くために手を汚さねばならぬ時もある! それがあるべき人の姿というものではないかっ……!」

 その言葉を受けて、ゴッドスピードは観客に対し、わざとらしく肩をすくめて見せた。

「どうにもあんたは公共を大事にするあまり、個人的な関係という視点をないがしろにしてしまうらしい」

 やはりそういう筋道でくるか。マシューは身構える。

「その乖離性にもっと疑問を覚えるべきだな。公共観念はしばしば実際的な関係性を棚上げしてしまう」

「……それが、なんだというんだ?」

「こうは思わないか? 個人間における関係の積み重ねこそが経済であり、公共そのものであると」

 マシューは、体が熱くなっていることに気がついた。動揺していることを自覚し、努めて冷静に振舞わなければならないと自身に警告する。

「殺人は最も強力な関係の破壊行為だ。ケッヒーのコネクションが経済活動の妨げになっていたという主張をもって、殺人の公共敵対性を程度の問題へと希釈したかったようだがおかしな話だ。例えば、あんたの主張を認め、自浄作用と称した殺人を容認したとする。するとそこに何が生まれると思う?」

「なにが……なにがだ?」

「あんたが嫌っている特権性だよ! 自浄作用という看板をぶら下げた殺人者は特権的立場に違いないだろう? それとも、その概念すら希釈し、殺人は市民全体による当然の権利とでもいってのけるか? 馬鹿げている、殺しが頻発し、その末路は当然、経済の崩壊だ! もちろん公共性も崩れ去るだろう、戦闘的強者ばかりが跋扈する世界となる、ケッヒーの私兵のように!」

 すさまじいカウンターである。マシューは反論のため、時間を必要としてしまった。その隙にゴッドスピードはさらに持論を展開する。

「経済というものはとにかく暴力に弱い。それゆえにどうしても保護を必要とする。しかしそれには〝外部性〟がないとならない」

 内部の存在と自身を称した公共を愛する逸脱者は、その皮肉めいた追撃の鋭さにも戦慄した。たかが番犬と甘く見すぎた。この男は充分に思想者ではないか。

「なぜ外部性を必要とするのか? それは市場の内部にあっては金持ちの犬になってしまう可能性が高まるからだ。だからこそ、警察などの暴力抑制機関は定義上、市場の外になくてはならない」

 ウルチャムはふと、首をかしげる。

「……そう、なのですか?」

「ああ、だからこそよく税金で運営されるんだよ。民間とは違う資金調達法は明らかに差別化を意図されている」

「ああ……それゆえに国家の概念が曖昧で税金の徴収もままならない現状では……その」

 運営費に困窮し、警察署も老朽化する一方である。しかし裏を返せば、ケッヒーの金に屈してこなかったという証明でもあった。少なくともゴッドスピードは現状、そう認識している。

「まあ、あくまで定義の話であるし、組織を構成するのはどうしても市場と関係せざるを得ない人間だからな、実情は市場とべったりとなり、不正が横行することになる」

「市場と癒着することにより不正となる……のですか?」

「そう、いわば市場化が警察腐敗の根本原因なんだ。そしてウィーグラットの問題は警察……ひいては国家の不在による、市場と市場保護組織……ここではケッヒーの私兵だな、その蜜月にあった。ゆえにあんたのいう内部性と外部性だが実際は逆で、内部的すぎたケッヒーと外部的すぎたあんたとの決定的な決裂にその真実があると俺は考えている」

 マシューの額より汗が滲み、頬へと流れ始める。実際、眼前の男よりもたらされた理屈は彼にとって痛恨だった。

 対するゴッドスピードだが、即興で通した筋道に内心、ひやひやしていた。本当にそうなのかなと思いつつの展開だが、一応の形になったことにはもちろん、マシューの立場も影響している。今では対立する二人だが、その関係があればこそ、ウィーグラットの歪んだ構造がここに説明されるに至ったのだ。

「……仮に、内外の認識に齟齬や捩れがあろうとも、このコミュニティの公共性を誰より案じているのはこの僕だ。事実、腐敗した権力者たちが倒れたことで情勢に変化が起こり始めている。もちろんそこには混乱もあるだろうが……」

「変化だと、欲しかったのは変化なのか?」

「もちろんそうだ、そのために僕は手を汚したのだから」

「破壊した関係があんたの理想通りに再構築されるとどうして信じられるんだ?」

 これもまた痛烈な指摘だった。悪しき権力者が倒れたあと、善良なる者が台頭すると無垢に信じる根拠はいったいどこにあるのか。悪は前回で打ち止め、今後は良識が社会を温めるといったい誰が断言できるのか。

「またも気に入らない形となっていたときあんたはどうするんだ? 殺人を繰り返すのか、闇夜を徘徊する悪霊のように……!」

 マシューはすでに汗だくとなっている。理屈においてかなりの劣勢、もはや死に体同然だからだ。しかしまだだ、まだここで終わるわけにはいかない。彼の闘志はまだ燃え尽きていなかった。

 そもそもの理念は心にある。不平等の魔界を公共の光で照らし、完全とはいかないまでも、よりよい社会を実現すること、その心根が何より肝要なのだ。だからこそ負けられない、負けてはならない。

「……いいや、僕のやっていることは啓蒙としての意義をもつ。権力を乱用する愚者は死すべし。誰もが語るにふさわしい言葉だ。そしてその意識に実際性が伴っているとしたなら権力者はもっと慎重になるだろう。市民の言葉に対し、本当の真剣さで耳を傾けるようになる。僕の狙いはつまりそれなのさ。そして市民による怒りの決起が当たり前となった世界で民主主義はより完成に近づくのだ……!」

 ゴッドスピードは眉をしかめる。それは違う、またも逆なのだ。あんたは理想のために暴力が正当化されるといっているがそうではない。暴力があまりにも真実だからこそ、理想が追従させられているだけなのだ。

 気づいていないのか、あんたはこれまでずっと同じことをいっている。また暴力を振るいたいと、みなもそうすべきだと、終始そういっているのだ。暴力を信仰し、その魅力の虜となっている。

「市民の怒り、決起……なるほど響きのいい言葉だが、それはとどのつまり腕力なのだろう。棍棒で頭蓋を叩き割る力だ、違うとはいわせない、あんたは実際にそれを行なったのだからな!」

 大型拳銃がテーブルの上に叩きつけられる。

「まだわからんのか、俺たちは暗黒の力に翻弄される虫ケラにすぎんのだ! 人はな、武器や兵器なくして戦争などできん! あんたも軍用サポートマシンがなければ世に不平不満を垂れるだけの個人であり続けたことだろう! テロリズムは兵器の破壊力、その恐怖において思想や信念を果たさんとするが、裸のまま語れぬものにいったいどのような芯があるというのだ! 誰が耳を傾けると思う! 本当に理解して欲しい相手は恐怖に顔を歪ませ敬遠するばかり、まっすぐに対峙してくる相手はさらに強大な戦力を保有した敵だ! そして両者は衝突し、事態は泥沼化していく、歴史はずっとこの繰り返しだった、ずっとだ!」

「相手は私兵をもっているんだ、こちらも武力で対抗するしかないだろう! 仮に言葉で市民を先導できたとしても、口封じのために圧殺されるのがオチだ! 武力には武力で対抗するしかないんだ!」

「ならばより強い方が勝つだけだな。思想は舞台装置に成り下がる。その上、無残な敗北を喫したとするなら、あとにいったい何が残るというのか」

「なに……! 僕がやられるとでもいうのか! だったら奴らに聞いてみようじゃないか、どちらが正しいのかを!」

 マシューは観客席に向けて言い放った。

「お前たちはこのコミュニティを狙っているようだが、我々、人類のことが気に入らないのだろう! そうだ、僕たちは愚かだった! しかし! 僕はそんな人類を救済したいと本気で考えている! どれほどの血が流れようと、かつてお前たちの主人だった頃に戻してみせよう! そうだ、僕たちは共闘すらできるはずだっ! 人を変えよう! 社会に革命を呼ぼう! 涙をこらえよう、痛みに堪え切ろう! その先にある未来のために! そうだ我々だ、われわれ! 我々こそがこの世界を救うのだっ……! 恒久の平和のために、いまこそ一致団結し、困難に立ち向かおうじゃないかっ……!」

 マシューによる渾身の演説が響いた。場内の空気に神妙な風が吹く。

『はーい、そこまで!』コブウェブが艶かしい足どりでやってくる『白熱しました、二つの意見が火花を散らし、燃え上がったのです!』

 オートキラーたちは拍手喝采である。奴らは本当に理解しているのか? ゴッドスピードには甚だ疑問だった。

『こうなると……死ぬのはどちらかとなりそうですね!』

「二人とも、離れていろ」ゴッドスピードは立ち上がる「万が一のこともあるからな、ステディ、エンパシーと密着しているんだ」

「それはいったい……?」

「早くするんだ」

 そして討論を交わした二人の視線が交差する。胸中より溢れる光か、その瞳はどちらも力強い。

「僕は死なない! 死ぬべきではない! まだすべきことがあるんだ……!」

「あんたは最初から勘違いをしているよ」

「なにっ……!」

「だが言い分はよくわかった。あんたのことは忘れない」

「な、なにを……」

『さあ……結論は!』

 オートキラーたちが一斉に立ち上がり、そして一点をめがけ、銃を構えた。

「……違う、間違いだ……これは間違いだ! 僕はこんなところで……!」マシューは機械人間たちを睨みつける「しょせんは木偶か! くだらんガラクタども……」

 うねるような銃声が鳴り響いた。後に残ったものはマシューだったものの残骸のみである。

『はい、結果はマシュー・コーエン氏の死で幕を閉じました! この討論会の内容は今後の情勢に影響を与えるかもしれません! それではみなさん、また次回! パァアアアアアアツ、ショウ!』

 そしてしばらく拍手が鳴り響き、突如として照明が消えた。


【愛する者のために】

 暗闇の最中、展開していた会場が閉じ始めた。それは大型のヘリコプターであり、猛烈な旋風を巻き起こしながら徐々に上昇していく。このまま連れ去られるわけにもいかないし、閉所であの数のキラーは相手にできない。三人は会場から飛び出した。

 ゴッドスピードはブラックキャットを手にしゴーグルを装着、宙に浮かぶヘリコプターに照準を定めたが、コブウェブが立ち阻んだ。

「素晴らしい内容だったわ」

 ゴッドスピードは目標を変え、一切の躊躇もなく眼前の女へ向けて黒猫の牙を発射した。しかし、それはコブウェブがかざした手に沿って、すべるように逸れていく。

「なにっ……?」

「この究極の糸をもってすれば造作もない」

「くっ……!」

 その間に大型のヘリコプターは飛び去っていった。

「あれを落としたらせっかくの討論が無意味なものになっちゃうわよ」

「意味だと、奴らに何が理解できる?」

「少なくとも望んではいる。それじゃ、またね」

 コブウェブは素早く木陰へと消え、他のイルコードたちの姿もなくなっていた。

「くっ、なんだったんだ……いったい……」

「ウェイジャーもいない……」ステディは辺りを見回す「……約束どおり、元に戻してくれるといいが……」

「約束だと、奴らを信用しているのか?」

「そうするしかない……」

「くそっ……!」

 そのとき、ウルチャムがゴッドスピードにそっと寄り添った。

「不本意だと思いますが……今は信じて待ちましょう……」

「……そう、するしかないか」

 いつの間にか、マシューの死体が地面に落ちていた。ただでさえ原形を留めていないそれは無残さに拍車をかける格好で横たわっている。サポートマシンは持ち去られたらしく、どこにも見当たらない。

 三人はマシューだったそれに憐憫の視線を向けた。数百の銃撃を一身に受け、上半身は惨たらしく砕け散っている。

 その死体にかけてやれる言葉はなかった。三人は黙ってその場を立ち去るのみである。

 しかし、市長室には今一度、立ち寄らねばならない。そこは私兵たちでごった返していた。

「あっ、あんたたち!」ある私兵が三人に詰め寄る「こいつはどういうことだ……!」

「……犯人はやった。屋上だ……」

「なにっ、解決したってのか? どこのやつだったんだ!」

「さあ……やったのは俺たちではないからな」

「なにぃ?」

 疑いの目が三人に突き刺さるが、

「終わったのかね?」

 ふと姿を現した人物にそれは移った。身だしなみのよい、細身で神経質そうな初老の男である。

「君たちとは初めましてかな、副市長のレガート・ヴァンサムだ」

 差し出された手に、少し遅れてゴッドスピードは応対する。

「さすがはガードドッグといったところか。それで、いったい何者の仕業だったのかね?」

「……わからない。暗がりで顔までは確認できなかった。いまはひどい状態の死体だしな。そして俺たち以外の奴らはガードドッグではないことが判明した」

「ほう……」レガートは首をかしげてみせる「では、何者だったのだろうな」

「さあな。名を騙る怪しい連中だ、次からは警戒した方がいい」

「ともかく事件は解決したのだろう?」

「ああ、屋上の死体が犯人のものであることは間違いない……」

「単独犯か?」

「……そうだと思われる」

「そうか、始末したのならばいい。ご苦労だった。あとの手続きはこちらでやっておく。報酬は指定の口座に振り込んでおくが、君たちの分は……」

「不要だ。俺たちはそもそも別件で動いていたんだ。ここに居合わせたのはたまたまだよ」

「失踪人とオートキラーの捜索だったな。それで、いたのか?」

「ああ、探していたのは彼のことだ。オートキラーの方は撤退したよ」

「キラーが、いたのか」レガートは意外そうな顔をする「しかしまあ、これですべては……いや」

 ふと満足そうに口元を上げるが、狡猾なる男は神妙さを装った。

「……まだ、問題は山積みだ。特にケッヒー市長の死は痛恨の極み、これからが大変だよ」

 そうか、最初からそういう手はずだったのだ。ゴッドスピードは表情に出ないよう、努める。

「聴取は早めにしてもらいたい」

「ああ、警察署へ出頭したまえ」

「……警察署へ?」

「うむ、同行者が必要かね?」

「いいや……」

「そうだろう。信用しているよ」

 ゴッドスピードは舌打ちをしそうになるが、ウルチャムの方はといえば爆発寸前な様子である。とはいえ、さして表情には出ていない辺りは成長しているといえる。

「……おい、いくぞ」

 その手を取り、彼は早々にその場を離れ、そして車両内に戻るなり大きくため息をついた。

「あの方……喜んでいました。とても……」

 ウルチャムがうなるような声でつぶやく。

「ああ、それは俺にもわかった……」

「……赦せない」

「よくあの場で責めなかったな、それでいいんだ」

「なにがいいんですかっ……!」ウルチャムは怒りで身を震わせる「おかしい、なにもかもが……!」

「そうだな……」

 ゴッドスピードはのろのろと車両を動かし始める。鉛のような気怠さを感じたが、いまは然るべき場所へ向かわねばならない。

 中心部は街灯や電灯、窓からの明かりで眩しいほどだったが、外側へと向かうほどに暗闇の勢力が増していく。しかしその静けさがいまの彼らには必要だった。

 やがて警察署が見えた。夜も更けていたが署内はぽつぽつと明かりが点いている。

「逮捕……」ウルチャムは拗ねたようにつぶやく「勾留されるのでしょうか……」

「それはないだろうな」

 ホールには明かりが点いていたが人気はない。三人はそのまま署長室へと向かう。

 ノックをしドアを開けると、サポートマシンの下半身部分を眺めているスラードの姿があった。彼はまるで驚く素振りを見せず、視線すらも動かさない。

「やあ、失踪者は見つかったかね?」

「……ああ。マシュー・コーエンは死んだよ」

 スラードは頷き、

「そうか……」

 ウルチャムがスラードの隣に並ぶ。

「これは……お孫さんのために……」

「そうさ。調整が必要で少し時間がかかったが……これであの子は歩けるんだ」

 スラードは複雑な笑みを浮かべる。

「……あの話は事実だったのか」

「もちろん横領した金で購入したものだが、それがどうしたというんだ。誰も気にはせん。部下たちも納得している」

「マシューは上半身を、あんたは下半身を、折半した」

「そうだ」

「彼の殺しを知っていたな」

 答えはない。

「他の警官も知っていたな」

「……終わったことだ」

「そうかな。こんなぼろぼろの警察署に落ちる経費だ、横領したところで大した額にはなるまい。購入費に改造費用、足りない分はレガートが立て替えたのか?」

「ケッヒーの息子なんだよ、あの子をはねたのは。飲酒運転だったのに奴らが無罪にしたんだ。そんな奴らが死んでどうだというのだ。マシューは私のためにもそうしたんだよ。本当ならすべて私の仕事だったのかもしれないのに……」

「復讐、か……」

 スラードは銃を取り出す。

「露見はさせん。そうなればこれがあの子の手に渡らんからな。それだけは絶対にさせん」

「撃つ気などないのでしょう」

 ウルチャムの言葉にスラードは目を細める。

「いいや、あるんだよお嬢ちゃん。私はあの子のためならなんだってするんだ。口外するつもりならば君たちを逮捕、勾留せねばならん。抵抗するならばやむを得ん、射殺するしかない場合もある……」

 両者の視線が交差する。どちらの瞳も深い憂いに満ちていた。

「いいえ、できません。あなたは優しい方です」

「できるんだよ。しなくてはならない……」

「しません」

「できる……」

 しばらく二人は視線を交わしていたが、やがて、スラードは銃を落とした。

 そして膝を突き、両手を組んで懇願をする。

「……後生です。どうか見逃してください……」

 ゴッドスピードとステディは目を伏せた。ウルチャムは膝を突いて、スラードの手を握る。

「お顔を上げてください……。口外はいたしませんから……」そして振り返り「そうでしょう? スピードさん……」

「ああ……」

 そう答えるしかなかった。

 それは正しい行いではない。彼らを利用していたレガートを野放しにするという意味でもあるからだ。しかし、少なくともスラードとその孫は以前より少し、失ったものを取り戻すことができる。

 せめて、レガートがケッヒーよりマシな人物であればいいが。

 ゴッドスピードは無根拠にそう、信じたくなった。


【夜明け】

 明け方、ステディの元に連絡が入った。それは彼らの車両にウェイジャーを戻したとの報告である。慌てて駐車場へと向かうと、たしかに彼が元の姿のまま横たわっていた。

「おいっ、おい起きろバクチ野郎っ!」

 ウェイジャーはうっすらと目を開けたが、まだ意識が混濁している様子である。

「薬物か、それともストレスか、ともかく早急に医者へと診せるべきだな。だが……」

 ワイズマンズは基本、通常の医者にはかかれない。超人化により血液等の数値が常人のそれとは異なるからだ。それゆえに組織の息がかかった医者のいる病院に向かうか、医療班を手配する必要があった。

「ああ……すぐに救援を要請する!」

 ステディは運転席に飛び乗り、

「……ありがとう、君たちがいなかったらどうなっていたか……」

「いいさ、助かってよかったよ。さあ、急いで」

「ありがとう……!」

 ステディの車両は走り去っていく。それを目で追いながら、ゴッドスピードが口を開いた。

「……今回の件で重要なことがわかった。君はキラーにとって神聖なる存在らしい。先の戦いで攫われそうになったのは、あるいは君を保護しようとしていたからなのかもしれない」

「……まさか?」

「昨夜のショウだって正義とかそんなものはどうでもよかったんだ。君は最初から殺されなかったし、俺たちも君の命が一番大切だと、守り抜くと言い放つだけでよかった。だから俺は撃たれなかったし、同意したステディも助かった。それだけなんだ。そしてそのためのヒントはすでに与えられていた。俺たちは圧倒的に有利だったんだよ」

「では、なぜ……あそこまで討論を?」

「それは……純粋に知りたかったから。彼の真意を」

「そう、ですか……いえっ? もしそうならば、私が攻撃をすればみな助かったのでは……? 反撃はされないでしょうし……」

「あるいはキラーをも仲間にできた、か……。まあ、俺も考えないわけではなかったが、ウェイジャーを無事に取り戻すには奴らに合わせるしかなかった。だからマシュー・コーエンには……死んでもらうしかなかったんだ」

「ウェイジャーさんだけではありません。私たちを守るためにも、でしょう?」

 戦闘になった場合、コブウェブは喜んで私を殺しにかかっただろう、間違いなく。ウルチャムの背筋に冷たいものがはしった。

「わかっています、私は今よりずっと強くなる必要がある」

「強さ、か……」

 それはいったいどのようなものなのか、どうあるべきなのか。

 ゴッドスピードにも明確な答えはない。

 日が少しずつ高くなり、空に快晴の青が広がっていく。

 街は今日も日常を保ち続けている。

 少なくとも、二人にはそう見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ