亡霊 Illcode:Specter
【あまりに静かな夜】
ロマード・カンセラは安酒あがりの寝起きにうめいた。背中が痛い。とっくに椅子で寝ていい歳ではないが、ときどきやってしまうのだ。
もちろん気分は最悪だった。喉がカラカラな上に吐き気がするし、おまけに膀胱もいっぱいである。まずは水でも飲もうと彼は机に手を伸ばし、そこにあった資料が濡れていることに気づいた。
「ああ、ちくしょう」
ロマードは資料を端に寄せ、軽く手でぬぐった。少し酒臭くなったがまあいいだろう。私兵のおいたにケッヒーは敏感だ。和解に持ち込むのは容易だし、あるいは勝たせてもいい。どんなルートでも金は金、期限も近いし、さっさとつくれるならなんだっていいのだ。
ボトルの水を飲み干し、次は用を足そうと立ち上がった。部屋は暗いが差し込む街灯の明かりでなんとか見える。遠くのクラクションがよく聞こえる静かな夜だった。
しかし、その静寂はすぐに不気味なものへと一変することとなる。聞き慣れぬ駆動音が部屋の片隅より聞こえ、見覚えのない人影のようなものを目にしてしまったからだ。
「なっ、なんだっ……?」
驚いた拍子に足がもつれ、ロマードは転倒した。しかしそれは好都合でもあった、机の陰に隠れることができたからだ。だが危機は未だそこにある。何者だ、異様にごつい体格をしていたようだが。
「……あんたはこれまでに、どれだけの悪事を積み重ねてきた?」それは囁くような問いかけだった「悪徳弁護士だという話じゃないか」
「待て、どこのモンだ、まさかケッヒーか、和解金についてか、ちょっと待ってくれよぉ……」
やるしかない。ロマードは慌てるふりをしつつ引き出しを開けていた。その中には拳銃が入っている。
「……ああ、ああ、それともコルドーのもんか、撃たねぇでくれ、金ならすぐにつくれるから……ほら、ここにも少しは……」
そして身を乗り出し、銃を構えると同時に彼の額には矢が突き刺さっていた。
使用されたのはボウガン、人影はそれを丁寧に折り畳み、腰にかける。
ロマードは今際の言葉すら発することなくその場に崩れ落ち、絶命していた。目を見開いたまま。
「わかってくれ、これは必要な犠牲なんだ」
人影はそういって立ち上がり、駆動音と共に部屋から出ていった。
【独立コミュニティ】
ゴッドスピードは物音で目を覚ました。体を起こすと朝焼けが荒野を照らし、岩やサボテンから伸びた影が長く横たわっている風景が窺えた。
コーヒーの香りがする。後部を見やるとウルチャムがコーヒーメイカーを覗き込んでいた。
「あら、おはようございます」
「おはよう」
「コーヒーを淹れさせていただいています」
「ああ、この車両の中にあるものは共有物だ、好きにしていい。でも容器は綺麗だったかい?」
「綺麗だった……ような」
「まあいいさ、いちいちクダすような腹はしていない」
二人はコーヒーを嗜み、缶詰を分け合い、今朝は早々に出発することにした。失踪者の追跡は遅くなるほどに困難さが増す、あまりのんびりとはしていられない。
「そういえば」走り出してすぐにウルチャムが口を開いた「この車両に問題があるというお話でしたが……」
「そうなんだ。人工知能というか、その発声に問題があるようで、何をいっているのかよくわからないんだよ。試しに話しかけてみるといい」
ウルチャムが話しかけるとなるほど応答があったが、やはり言葉にならない音を出すばかりで彼女にも理解はできない。
「地図なども表示できるようだが文字表記がめちゃくちゃだ。でもこちらの要求は理解しているようだし、工夫次第で交流はできるよ」
「つまり知能的には正常だと」
「そうだろうと思う。まあ、車両を変えるまでなんとかこれでいこう」
「そう、ですね……」
やがて日が高くなり、朝焼けは青々とした快晴へと変わった。ゴッドスピードは窓辺から空を眺めているウルチャムを見やる。
これからしばらくは一緒なのだ、互いに人となりを知っておかねばならない。つまりよく会話を交わす必要があった。彼は半ば無理やりに話題を捻出することにする。共通する話題といえば……。
「……そういや、あの子、名前はなんだったろう?」
「あの子、グレースですか?」
「黄色い髪がこう……左右に伸びた子」
「ハイスコアですね。彼女はなんと、候補生における史上最高得点者なのです!」
「最高得点だって? ああ、ハイスコアだもんな。ではかなりの腕前なんだろう」
「はい、とても。彼女がどうかしましたか?」
「いいや……ちょっと目立つ子だったから」
「いつも羨望の的でした。顔もカエルのようで可愛らしいです」
「……それは褒め言葉なのか?」
「え、それはもちろん……」ウルチャムは首をかしげる「カエルみたいは、あそこではかわいらしいの代名詞です」
「カエルが」
「はい。みんなカエルが好きで、たくさんの子たちが大切に飼育されていました」
「ほう」
「今後は別の施設に移されるそうです。向こうでも大切にしていただけたらと願っています」
「そうか……」
そんなとりとめのない会話をしながら数時間、そのうち前方に線路が見えてきた。ゴッドスピードは地図を参照しつつ、その線路の先が目的のコミュニティであることを確認する。
「……オートキラーは積極的に人工物を破壊したりはしないのですよね」ウルチャムが独り言のようにいった「あの線路を破壊するだけでもかなりの損害を与えられるはずなのに」
「単に賢くないからだと聞いたな。人間を識別するのに大幅なリソースを使用しているとか」
「そう、なのでしょうか……」
線路沿いを進んでいくとコミュニティが見えてくる。中央に高層ビルが密集し、数多の建造物が狭苦しくひしめいていた。そしてその周囲には多数の塹壕が掘られており、内部にはオートキラーの襲撃に備えた兵士たちが潜んでいるはずである。
「……なんだか、重たい雰囲気ですね」
「そう思うなら顔を出して、塹壕に向けて手を振ってやれ」
「えっと、なぜでしょうか?」
「キラーかもしれないという懸念を早期に払拭してやるためさ。対人関係では挨拶が基本だろう?」
ウルチャムは窓を開けて手を振った。返事などはなかったが、たしかに雰囲気が和らいだと彼女は感じた。
さらに進むと広大な壁にぶち当たることになる。しかし線路沿いにはよくゲートもあり、その側には駐屯所もある。その前で車両を停めると駐屯所から兵士たちが現れ、降車せよとハンドサインで指示を出す。二人はそれに従い、簡単なスキャンを受けた。
「よし、確認した。ガードドッグに間違いない。通っていいぞ」
ワイズマンズは世間的には民間警備会社を装っている。先人の努力もありその評価は良好で、どこのコミュニティへ向かうにも基本的には歓迎され、ときには来訪の理由すら聞かれない。
そういえば表向きそういった肩書きだったな。ゴッドスピードは今更ながらにそれを思い出した。ガードドッグであるときはアストラ・ロウマンと名乗らなくてはならない。
「それにしても、いい時に来てくれた。歓迎するよ」
「どうかしたのか?」
「……あれだ」
兵士が指差す先、かなり遠目に人影があった。それはまるでマラソンランナーのように淡々と壁の方へ走ってくる。
「……あれは、キラーなのか?」
「ああ」
「あっ、撃たれました……」
その人影は塹壕よりの銃撃を受けて転倒する。
「少し前より、かなりの頻度で走ってくるんだ。武装は貧弱で単身、戦闘においては脅威ではないが、挙動があまりに不気味で参っている」
「ここから視認できる距離まで来れているのはなぜだ? 塹壕地帯をある程度、抜けているんじゃないのか?」
転倒した人影は再び立ち上がり、また銃撃を受ける。それを幾度も繰り返しようやく沈黙したようだった。
「……そうだ。うっかり見逃しているんだよ、疲弊していてな。倒れたキラーがしばらくして立ち上がることもあり四六時中、気が抜けない」
「接近してとどめを刺せばいいだろう」
「そうして自爆されたり突如として猛烈な反撃を受けることがあってな、誰も近づきたがらないんだ」
「……そんな調子で大丈夫なのか?」
「単純に練度が低いんだよ。素人同然もいるし、死者や怪我人も増えている。他のコミュニティに移る奴らもな」
「おいおい、それじゃあ……」
「そうだ……」兵士は小声になる「……ここだけの話、すでに侵入されている可能性がある」
「なにぃ?」
「あくまで懸念の範疇だ、内側で発見されたって情報はまだない。しかし、とっくに入り込んでいてもおかしくないという見解はあるんだよ……」
なるほど、だからこその歓迎か。ゴッドスピードはうなる。
「悪いが、奴らが潜んでいそうな場所を調査してくれないか? 最近、連続殺人事件が起こっているらしくてな、もしかしたら関連があるのかもしれない。あんたたちはキラー退治が得意なんだろう?」
「ああ、まあ、奴らが相手ならやるよ。それと、警察署はどこにある?」
「ああ、地図をやるよ」
そして二人の車両はゲートを通り、独立コミュニティ、ウィーグラット領内へと入っていく。
「頼むといわれてもな……」ゴッドスピードは肩をすくめる「相当数が一斉に動き出したらいくら俺たちでも被害なしは難しいぞ」
「善処しましょう」
コミュニティの外周にあたる区画はいわゆる貧困層が住まう地域となりがちで、このウィーグラットもまたそのような経済模様に従順な典型的構造をしている。
ガラクタで補修された家屋に痩せがちな民、それと同時にナインライヴズ社の栄養剤と簡易医療品の看板もまた散見できた。貧困といっても餓死者や病人は少なく、それはひとえにこういった医療系大企業の恩恵によるものだが、それは同時に強い依存と搾取の関係でもある。
見学と称し外界へは何度も足を運んでいたウルチャムだが、こういった場所へ来るたびに彼女は不安の感情に悩まされるのが常だった。決してここは幸せの宿る場所ではない。
やがて車両は倉庫地帯へと入っていく。そこでは兵士たちが大型トラックより荷下ろし作業をしていた。
「……そういえば、この車内にあるのは缶詰ばかりです」
ふと、ウルチャムは呟いた。ゴッドスピードは彼女を見やり、
「そうだが、どうしたんだ? いきなり」
「いえ、あのダンボール箱は糧食のものだと思い出しまして……」
「ああ、そうかもな。あれが食べたいのかい?」
「いえ、缶詰ばかりというのもあれかなと思いまして。例えばそう、料理は日常を彩ります。そしてなんと、私は料理が得意なのです……!」
突如としてウルチャムの言動に威勢が宿り始め、ゴッドスピードはやや気圧される。
「なんと? そう、なのか……?」
「なかなかの腕前と自負しています!」
ゴッドスピードはうなった。料理自体は好ましいがエネルギー的な意味合いにおいてはそうともいえない。彼にとっては悩みどころである。
「……その件についてはあとでな。今の目的は失踪者の発見だ。着いたぞ」
警察署である。失踪人の捜索に精通するのはやはり警官だろうと彼は考えたのだ。
「それにしても……ボロボロですね」
壁は劣化し、窓がひび割れ、テープで補修されている有様だった。つまりその姿がすなわち、このコミュニティにおける警官の立場に違いなかった。
雑に補修された正面ドアより二人は署内に足を踏み入れる。入ってすぐのホールにはたくさんの長椅子が並んでいるものの快適そうなものは少なく、人気もほとんどない。傾いたそれに寝転び、制服だろう、紺色の軍服めいた姿の警官が一人、昼寝をしているだけだった。
「やあ、いいかな」
声をかけると警官は飛び起きる。そして二人を凝視し、ため息をついた。
「……ああ、なんだ。その装い、ケッヒーの私兵ではありませんね」
痩せた男だったが、贅肉がないだけで筋骨はたくましい。
「ガードドッグだ。同僚がこの街で消えたと聞いて調査に来たんだ。事情に詳しそうな警官はいるかな?」
「今は僕と署長くらいしかいませんよ」
「たった二人か」
「ええ、少ししたら何人か戻ると思いますが……まあ、署長に聞いた方が早いでしょうね。どうぞ、二階の突き当たりです」
身元をよく調べることもなく警官は手で先を促す。勝手に会ってこいとでもいわんばかりだった。
二人はところどころ欠けた階段を上り、廊下の突き当たりにあるドアの前に立った。署長室と書かれたプレートが傾いている。
スラード・ウッジ署長は珍しいノックの音に来訪者だと察し、慌てて上着を羽織った。そして「どうぞ」と入室を促すが、プロジェクターのスイッチを切り忘れており、仕事をさぼって映画を観ていたことがすっかりばれてしまう。
「よ、ようこそ、どちらさまですかな?」
映っているのはかなり古いラブロマンスであり、ゴッドスピードはその映画に見覚えがあるような気がした。
「俺たちはガードドッグだ。同僚がこのコミュニティで失踪したと聞き、調査をしに来た。名前はデリック・ジュールとダイル・サルヴァン。何か知らないかな?」
どちらも失踪した二名の別名義である。スラードは端末を操り、
「……うん、駐車場にあんたらの車両が置きっぱなしだって苦情が出ているな。引き取ってもらいたい」
そして端末から出た小さな紙を差し出す。そこには住所と簡易な地図が載っている。
「どのくらい放置されていたんだ?」
「十日ほどらしい」
「あんたらのところの世話にはなっていないんだよな?」
「そうなら連絡しているよ」スラードはウルチャムを見やる「おや若いね、新人さんかい?」
ウルチャムは頷き、
「はい」
「こんな小汚い場所へようこそ」
そうしてにっこり笑うが、ウルチャムは悲しそうな表情を浮かべる。
「……どうにも、とてもお困りのようですね」
スラードは目を瞬き、
「そりゃあ……こんな場所だからね。不愉快なことの方が多いさ」
「いいえ、とても悲しい出来事があったのでは」
「よせ」ゴッドスピードは制し「……失礼を、彼女はその……表情を読むのが上手くて」
スラードはウルチャムを見つめ、
「……そうかい。まあ、気にしてくれてありがとうよ」
「何かお手伝いできることは……」
「よせ、俺たちの任務は失踪人の捜索だ」
「悪いがないな。……孫が事故に遭ってね、上手く歩けなくなったんだ。治らないわけではないらしいが……これがね」
スラードは指で金銭を表現する。
「それほどまでに高額なのですか? サポートマシンなど、補助的な機械を使用するということは……」
「よせって」
「まあ……」スラードは苦笑いし「再生医療は目玉が飛び出る値段だからどだい無理としても、そっちの方もね……。もっとケッヒーと仲良くしておけばよかったかな」
オートキラーや凶悪な集団によって都市や地域が孤立化して長く、各所で独立化が進行するのは必然といえた。すでに国家という概念が希薄となり、各コミュニティの維持は市場、企業組織が台頭する形となっている。そして土台を失いつつある公務員たちは各所で冷遇を余儀なくされていた。
「その、ケッヒーさんとはどなたですか?」
スラードは肩をすくめ、
「ここの市長だよ、最高権力者であり王様さ」
コミュニティの最高権力者はもっぱら市場の長という意味においての市長であり、その役割は企業同士の橋渡し、仲介屋である。そしてその権威はコミュニティの規模によっては国家元首をも超える場合がある。
「ここじゃあ市民には重税が課せられており、奴の私兵が跋扈している。俺たち警官はいてもいなくても大して変わりはないが、まあ細々とした揉め事を扱うには役に立つってことで存在を許されているのさ。国家警察がまったくいないコミュニティもあるくらいだ、少しはマシな方なのかね」
「重税とは、非難を受けないのですか……?」
「オートキラーから守ってくれるのは奴の私兵たちだからな。多少の横暴は容認されるんだ。そういう意味じゃ、危ないのはあんたたちの方じゃないのかい?」
「えっ、なぜですか?」
「奴らは戦力を保有する別組織を嫌う。メンツがあるからな。絡まれて揉め事を起こさんでくれよ」
ゴッドスピードはうなり、
「これまでウチとの悶着はあったのか?」
「うーん、いや、思えばなかったかな。ガードドッグとやり合ったって話はね。あんたたちはいざというときに役に立つし、敵対していいことなんかありゃせんか」
「しかし、いざこざ自体はあると」
「ああもう、しょっちゅうだよ。この前も悪ガキが鼻を折られたんだが、そいつはライヴズ社員の倅でね、しかし相手はさっきいったケッヒーの私兵様だ。今度は法廷で揉めることだろう」
「どこかウチと揉めてそうなところは?」
「うーむ、思い当たらんな」スラードは白髪混じりの短髪を撫で回し「もしかして仕事を放棄したんじゃないのかい? 他にいい職見つけたとか。金持ちのボディーガードになっているのかも」
絶対にあり得ない、とは断じれない。ゴッドスピードはまたうなった。
「あるいは例の件に巻き込まれたか」
「……例の、とは?」
「最近、たて続けに殺人が起こっているんだ。被害者はどれもそれなりの地位の者で、カタギではない者も相応に含まれている。あとはそうだ、みなカジノに足繁く通っていたってタレコミが入っていたな。あんたたちのお仲間も、もしかしたら護衛の依頼でも受けて揉め事にでも巻き込まれたのかもしれんよ」
それもあり得ることだった。小遣い稼ぎのためにちょっとした依頼を無断で受けるケースは珍しくないし、よほど目に余る状態でなければ本部も黙認する場合が多いのだ。
「カジノへの捜査は?」
「そいつは無理だな、あそこのボスはコルドー・マーディックだが、その上にはケッヒーがいるんだ、まるで手が出せない。それに我々の管轄は貧民街だしね、中心街の揉め事に首を突っ込むとろくなことにならんのさ」
「連続殺人の犯人に心当たりは?」
「……さあて、ヒットマンの仕業じゃないかね。よくある抗争だよ」
「抗争、ね……。そのカジノの場所は?」
「行く気かい? やめといた方がいいよ」
「闇雲でも、手がかりは集めないとな」
「そうかい……」スラードはまた端末を操作し、ゴッドスピードに地図を渡す「そうだ、私から聞いたとはいわんでくれよ。いろいろと面倒でね」
「ああ、迷惑はかけない。ありがとう」
そしてゴッドスピードは部屋を後にしようとするが、ウルチャムの足は重い。
「あの……」
「やめろといっている。いくぞ」
「は、はい……。では……」
「じゃあな、優しい嬢ちゃん」
スラードはウルチャムに向けて手を振る。
そして二人が警察署から出ると、外で先ほどの警官がコーヒーを飲んでいた。
「ああ、どうも。もしや連続殺人の件ですか?」
「いいや、同僚が消えてな、それの調査だよ。もっとも、その件に関連していないとは断じれないが」
「ああ、そういえば車両が放置されているという通報がありましたよ。しかし、失踪していたとは……」
「あんたらはこのコミュニティに不満はないのか?」
その警官にとっては唐突な質問だったろう。彼は目を瞬き、
「もちろんありますが……」
「どうして警官をやっているんだい? ケッヒーとやらの私兵にでもなった方が給与はいいだろうに」
「僕は……公共の味方でありたいだけです。みんなそうですよ。あなたたちもそうなのでは?」
「そう、かもしれないな……」
「ほらご同胞だ」警官は手を差し出す「僕はマシュー・コーエン。たしかにやれることは少ないですが、重要なのは積み重ねです」
ゴッドスピードは握手に応じ、
「その割には昼寝をしたり映画を観ているようだが」
「まあ、勤勉にも種類があるということで」マシューは苦笑いする「それでは、また」
そして二人は車両に戻り、ゴッドスピードはふと、ため息をつく。
「……愛想よくすることは大切だが、あまり親身になるなよ」
「ですが……」
「俺たちは豊富な支給品を受けられる代わりに賃金は安い。他人のために使ってやれる余裕はないはずだ」
「ですが、サポート機能があるバトルアーマーもありますし、その機構を流用して……」
「そんな話、通るわけがないだろう。通せる可能性があるとしても、今の君には無理な話だ。相応に実績を出してからでなければな」
「そう、ですね……」
「今は目先の任務に集中するんだ。彼の孫は不自由であっても死にはしない。だが失踪者はどうだ?」
ウルチャムは言葉に詰まり、俯く。
「……さあ、捜査を開始しよう」
二人は車両が放置されているという工具店の駐車場へと向かう。そこは中流層の集まる区画にあり、周囲は見栄えのよいビルディングに取り囲まれていた。
駐車場の端には通報通り、ワイズマンズの戦闘車両がとめられている。
「……荒らされては、いないか」
ワイズマンズが駆る車両のドアを開けるにはコツが必要だが鍵自体はかかっていない。それゆえにどの車両も人工知能が常に目を光らせており、不審者の接近には車両自らが対処を実行することになっている。
二人は車内をあらためる。多少、散らかっているだけで怪しい点はなく、そして人影もない。
「……ですが、諦めろとはいわないのですね」
ふとウルチャムがそういった。
「なに、何の話だ?」
「先程の話です」
「その話は終わりだ、目先の……」
「まだ終わっていません。スピードさんは諦めろとはおっしゃいませんでした」
ゴッドスピードはうなった。なにをそこまでこだわるのか。共感能力だかなんだか知らないが、顔すら見たこともない署長の孫のためにそこまでしてやる義理などないはずだ。
「いや、いったよ、そういうニュアンスだった」
「いいえ、違います。はっきりそうはおっしゃいませんでした」
「……じゃあ諦めろ」
「それはずるいです! スピードさんは努力しろといいました! はい、そうします!」
「なにを怒っているんだ」
「なにを……なにを」ウルチャムは言葉を探した「それはもちろん、嘘をついていることにです……!」
「嘘、なにをいっている?」
「スピードさんも私と同じ気持ちなはず、なのになぜそのように突っぱねようとするのですかっ……?」
静寂が車内を包み、両者の視線が交差する。
「……同じじゃあない」ゴッドスピードは肩をすくめてみせる「違うから反対しているんだろう」
「同じです」
「違うよ」
「同じです!」
ウルチャムは断固として視線を外さず、先にそうしたのはゴッドスピードの方だった。
「……わかったよ、俺は嘘つきかもな」
「はい、この件に関しては、そうです」
意外と強情で頑固だな。ゴッドスピードは内心、うめいた。
「……しかし、救える者は幸いなんだ。君がそうであればいいが」
ウルチャムはその言葉の意味が上手く掴めず、目を瞬いた。
【カジノにて】
「ここにいたワイズマンズはどこへ行った?」
ゴッドスピードは車両にそう尋ねたが返答はない。どうにも人工知能のスイッチが切られているようだった。ということは防衛機能も働いていないはずで、それはつまり、かなり切迫した事態である可能性があった。
ゴッドスピードは起動を試みた。ややして、モニターにワイズマンズと表示され、車両は始動する。
『おはようございます。おや、ワイズマンズではあるものの、お二方ではありませんね』
「ああ、現在失踪中だ。心当たりはないか?」
『なんと! 記録を参照、しかし目立った情報はありません。十日前の午前二時五十四分、突如としてシステムが終了しました』
「なんだと、そのときの映像はあるか?」
『破損しています。それ以前の映像を参照しますか?』
「ああ、観せてくれ」
しかし映ったのは運転席で寝こけている二人の姿だけだった。そして突然、映像が遮断される。印象としては外部から切られたように思われるが、それは極めて高度な技術に違いなかった。少なくとも、それをした者たちはこの車両の構造を熟知している。
「……どういうことなのでしょう?」
「かなり厄介な案件であることは間違いないな……」
ひとまず車両は人工知能に任せ、二人は次の目的地に向かうことにする。
「乗っていた二人は比較的熟練したワイズマンズらしい。そして敵は外部よりシステムを切る手段をもっている可能性があるときた。思った以上に危険な任務かもな。まあ、自作自演の可能性もあるが……」
「あの、イルコードという方々でしょうか?」
「……あるいはな。少なくともチンピラや商売敵の犯行ではない。とにかく情報を集めなければ。次はカジノへ向かってみよう」
目的地はより中心街へ。そこでは高層ビルが立ち並び人々の身なりもさらによくなっていく。同じコミュニティでも内と外でここまで明瞭な違いが生まれるとは。ウルチャムは溜息をつくしかなかった。
メモによれば目的地のカジノは高級ホテルの最上階にあるということなので、二人は戦闘服のまま堂々と絢爛たるロビーへと繰り出すが、当然とでもいうべきか黒服のガードマンに阻まれてしまう。いわく、ドレスコードに引っかかるという理由からだった。
「ガードドッグだ。俺たちは泊まりでも遊びでもない。同僚があんたらのところに厄介になったか知りたくてな。あんたらのボスか事情に詳しい人物と話がしたい」
ガードマンは鼻で笑い、
「帰んな」
「突っぱねるのか、このことは忘れんからな」
えてしてこの捨て台詞は効果的だった。オートキラーによる大規模な侵攻がいつどこで起こるかまったく予想できない以上、一定の成果を出しているガードドッグは無下にし難い事情があるのだ。別の黒服が駆け寄り、二人を引き止める。
「待て、一応だが上に聞いてやる」
常に優良な仕事を約束するガードドッグだが、冷遇する組織には出動を渋る場合がある。本来ならばそのような駆け引きなどしている場合ではないのだが、人間社会では必要な作法だった。
「……おう、許可が下りた。こっちだ、ついてきな」
カウンターの裏より従業員用のエレベータへ向かい、一気に最上階へと向かうとカジノの裏方にある通路へと出る。業務用棚が並び、備品が所狭しと詰め込まれているせいで道が狭い。体格のいいゴッドスピードや黒服はやや斜めの姿勢になって連なり、ウルチャムにはその様子がなんだか面白く思え、笑みを噛んだ。
そこから奥へ進むと途端に殺風景な廊下に出る。そこは事務所や会議室の並ぶ区画となっており、いやに厳重な装いのエレベータも伺えた。おそらく金庫へと繋がるものだろうとゴッドスピードは想像する。
そしてさらに進むと赤いカーテンに区切られた、いかにもな雰囲気の場所へと入っていくことになる。
仕切られた各所では身なりのいい紳士やマフィア風の男たちが酒や葉巻を片手に密談をしていた。そしてその誰もが、武装した二人組に眉をひそめる。
「こちらだ。粗相をするなよ」
最も奥のスペースにその男はいた。高価そうな毛皮を羽織った、太い眉と大きな顎が特徴的な男である。両側にきわどいドレスの女たちをはべらせてもいる。
ホテル王とコミュニティマフィアのドンを兼任するコルドー・マーディックは二人に睨みを効かせた。
「……で、番犬が何の用だって?」
「同僚が失踪したんだ。何か知らないか?」
「さあてな」
「あんたらの客が立て続けに殺されているようだが」
コルドーの目つきがさらに鋭くなり、
「……依頼されたのか」
「いいや、情報収集の一環に過ぎない」
「それで、俺たちがやったとでも。死んだら取り立てできねぇーだろうが」
「そんなことはいっていない。噂でもなんでもいい、何か知らないか?」
「知りてぇのはこっちだ」コルドーは葉巻に火を点ける「イカレ野郎が暴れやがって、噂といえばそのことばかりで枝葉が耳に届かねぇ。だがそうだな、その件を調べてぇってんなら力を貸してやってもいいが……なんだ、イカレ野郎と番犬仲間が噛んでんのか?」
「いいや、なんら確証はない。だがあるいはと思って一応、調べているんだ」
コルドーは眼前の二人を睨みながら思案した。調べるというなら利用するのもいい。しかし、こんなガキを連れた男に任せていいものか……。
「あの、何を恐れていらっしゃるのですか?」
ふとウルチャムが尋ねた。ゴッドスピードはぎょっとし、
「おいおい、よせよ」
コルドーは葉巻を灰皿に置き、
「なんだって、嬢ちゃんよ?」
「どうにも、強い懸念がおありなように思えますが……」
「よせって……!」
「このコルドー・マーディックが案じてるってかい、ええ、嬢ちゃん」
「はい。たしかにそう感じ取れました」
「しょうがねぇ子犬ちゃんだな」コルドーは懐から銃を取り出した「なんだ、最近はみんなトチ狂い始めてんのか……」
「おいおい、あんたもよしてくれ……」
コルドーはドンという立場ながら、よく銃を取り出すことで有名だった。小物だった時代よりの慣習で、銃への反応よりその人間の器を測ってきたのだ。銃はただの道具であり、それに過剰反応をする者は小さく、逆にまるで反応しない輩もブッ壊れている。
しかし眼前の二人の反応はこれまでにないものだった。男は銃ではなくコルドーの〝どこか〟に注目しているし、少女にいたっては、
「初動では負けませんよ」
明確に身構えたではないか。
「よせ、よせって!」ゴッドスピードは少女を制し「すまない、この子は世間知らずなんだ!」
そうだろうとも。このガキに敵意はない。ビビッた拍子に抜いちまったわけでもない。スムーズな反射、戦闘を修めた動きだ。
コルドーが畏れているのは眼前の個体ではなくその背景である。いったいどこのどいつがこいつらをつくり出しているんだ? いくら調べても何も出てこない。普通アシがつくだろうが、何かしら。
コルドーから、かすかに黒い影が現れている。ゴッドスピードに柔軟な解決策が求められていた。だが事態はさらに悪化していく。黒服が二人、やってきていたからだ。もちろん両者とも銃をもっている。女たちの表情が強張っていった。
「待て待て、こんなことをしている場合か……!」
「なぜ私に敵意を向けるのかわかりませんが、身を守るためには反撃も辞さない覚悟です」
「よせって! よせ……!」
空気が張り詰める。黒服たちは懐に手を入れた。しかし、コルドーはため息をついて、銃をテーブルの上に置く。
「……いや、いい。まあいい、か……」
そしてまた葉巻を口にくわえる。ゴッドスピードはほっと溜息をついた。こんなところでドンパチなどあってはならない。
「そうだな、懸念はある。最近、街の空気が不気味なんだ。ケッヒーの犬どもも減り始めている。どのみちだ、どのみち、片づくならそれでもいい……」
「なんの話だ?」
「ガードドッグなんだろ、護衛を頼みてぇ。その間にお仲間のことは調べてやる」
「あんたの護衛を?」
「いいや、ケッヒーだ。奴は今、ビビッている。オートキラーがひっきりなしにやって来やがるし、私兵への被害も相応に出ていると聞く。この中に入り込んでいるって噂すらあるようだ」
「そうらしいな」
「今なら喜んでお前らを受け入れるだろうぜ。やるんならとっととやっちまいな」
「……なんだと? 勘違いをしているぞ」
「かもな。だがまあ、それもいい……」
「なにがいいんだ」
「少なくとも答えは出るだろうからな」
「馬鹿馬鹿しい、その気ならわざわざ姿を現すかよ」
「普通なら、な……」コルドーはうなる「まあ、任せたぜ……。そして用が済んだらさっさと消えちまいな……。よそ者は好かねぇ……」
「護衛の期間は? あまり長居をするつもりはない」
「お仲間が見つかるまででいい。逆にいえば、見つからなきゃしばらくここにいるんだろ?」
「ああ、そうなるな」
「けっ……」コルドーは葉巻をふかす「あんな武装車両を乗り回し、あちこち現れやがって……。本音じゃ誰だって不気味に思ってるさ。さっさと消えてくれた方がありがてぇ……」
「我々の目的は主にオートキラーから人間社会を守ることだ。あんたもその内に含まれる」
「ぬかせ」
「ああ……」ウルチャムは頷く「あなたは我々を恐れていたのですね……」
コルドーは笑み、銃を手に取った瞬間、またもウルチャムは構えていた。
それはグッボーイ、実弾の銃である。少女はようやくそのことに気がつき一旦は銃を下げるが、次の瞬間にはゴッドスピードの拳銃を手にし、コルドーと黒服たちを同時に狙っていた。
ゴッドスピードは頭を振り、
「……勘弁してくれ」
「ですが、殺気が……!」
「立派な猟犬だな……」コルドーはくっくと笑う「撃たねぇなら消えろ、消えてくれ……」
「……なんといったらいいか、本当に申し訳ない。これは連絡先と失踪人の名前だ」ゴッドスピードはメモを残し「ほら、行くぞ……!」
そしてウルチャムから拳銃を奪い取り、肩を掴んで早足にその場を後にした。これ以上の長居はよくない。妙なすれ違いなどで、さして善良ではないにしろ、本来、守るべき対象を撃ち殺したなどということにでもなったら話にならない。
背後より黒服がついてくるが、殺意を抱いているわけではなさそうなことに彼は安堵する。そしてまたエレベータに乗り、急いで車両へと戻った。
少女に翻弄された男は、大きくため息をつく。
「……あのな」
「……すみません、銃を構えてしまって……」
「いや、そのこと自体はいい。殺意に対しては確実に先手を打つんだ。それはいかなる状況においても変わらない。……だがな、そもそもそういった状況を招くな。ああいった生業の奴らはなめられることをなによりも嫌うし、メンツのためなら争いも辞さない。つまり矜持の問題だ。わかるか?」
「い、いえ、そんなことをしたつもりは……」
「なかろうと、奴らはそう受け止めた」
「……はい、そのようですね」
「まあ、今回は勉強できたと思えばいいさ……」
まったく、とんだ箱入り娘だ。ゴッドスピードは内心うめいた。そして車両はケッヒーの住まう中央のビル群へと進んでいく。
ガードドッグの信用があってのこととはいえ、市長と会うことになるとはどうにも安易に過ぎる気がする。ゴッドスピードは得体の知れない懸念を抱き始めていた。
【二つの影】
ケッヒーのオフィスはひときわ巨大なビルの最上階よりひとつ下の階層にあった。警備は厳重で彼の私兵がいたるところに配備され、監視カメラの数も執拗なほどに多く、また特殊な鍵を所持していなければフロア内の移動もままならないほどの厳重さだった。
「最近、私の寝首をかこうとする輩が多くてな。まったく、誰のおかげで安全に暮らしていられると思っているんだか……」
ケッヒーは肥えた顎を撫で回した。クリーム色をしたダブルのスーツに身を包み、茶色い髪はきっちりと固められ、周囲には彼の私兵が取り巻いている。
「君たちもそうだろう? その努力に対し正当な評価を得られていないのではないかね。大衆というものは一度サービスに慣れてしまうとそれを当然の権利と考える。まったく、贅沢な話だ」
ケッヒーは本質的に営業マンであり、彼の目的はもっぱら同席した相手に〝思ったより悪くない男だったな〟と思わせることだった。
そしてガードドッグを前にした彼の作戦は共感を見せることだったが、あいにくこの二人にはまるで通じていない。
「それで、何をすればいい?」
「……うむ、警護をしてもらおうかと思っていたが、先ほどオートキラーの件が深刻かもしれんという報告を受けてな、君たちにはそれらの捜索を頼みたい。実際に侵入しているのかいないのかわからんがな。聞くにそれが専門なのだろう?」
「ああ……」
「ガードドッグは頼りになる。先日から二名、護衛兼訓練官としていてもらっているが、いかに我が私兵が無能なのか痛感しているところだよ」
唐突な手がかりに二人は思わず顔を見合わせる。
「なんだって?」
「おや、聞いていないのかね」
「俺たちはここで失踪した同僚を探しているんだ。その二人は本物なのか?」
ケッヒーは眉をひそめ、
「まあ……では、会ってみるかね?」
「ああ、ぜひ!」
ガードドッグを名乗るその二人は屋上にいるという。ゴッドスピードとウルチャムは警戒心を強めつつ、エレベータに乗り込んだ。