防腐 Illcode:Enforcement
【拷問】
コード・ステディは目覚めてしまった。意識が朦朧としていたので、彼はその世界を夢だと思い込んでいた。例えば人間の腕が絡み合ってできた球体が自力で転がっている、内臓が外部に広げられている者が喘いでいる、骨格のみを失った人体が水槽の中を漂っている、そういったことが現実に起こり得るなどとはこの時まで思いもよらなかったからだ。
「おはよう。夢のようだと思っているのかな」
ステディは眼前に立っている男をぼんやりと眺めた。フードの陰にある顔は闇に覆われよく見えないが、僅かに窺える毛髪の色は白髪のようだった。
「これは夢ではない。見開いてよく現状を認識するのだ」
男が手をかざすとステディの瞳が焦点を定めていった。そして意識が明瞭となると眼前の光景を直視しなくてはならなくなる。
「そうだな、叫ぶといい」
ステディは悲鳴にならぬ声を上げた。そして暴れるが、四肢はしっかりと椅子に固定されており、椅子もまた、床に固定されていてその行動の一切が無駄だった。
「君が感じている恐怖はよくわかる。しかし落ち着くのだ、あれらはただの芸術作品であるし、ここもまだ地獄ではない」
ステディは男が向く方向を追ってしまった。その先には彼の相棒であるウェイジャー、らしきものがあった。それは首と胴体、四肢までもが分断されており、宙吊りになっているものの、まだ生きているらしかった。ステディは今度こそ明確に悲鳴を上げる。
「その通り、彼は死んでいない」
ステディはまたも暴れ、そしてようやくある事実に気がついた。自身の右腕、前腕部がないのだ。
「そうだな、失っているな」
ひたすら続く恐怖の嵐に、またも暴れる必要ができたステディだが、その肩に男の手が触れると、まるで鎮静剤を打たれたように彼は大人しくなった。
「外科手術によって外しただけだ。つまり手遅れではない。このガラスケースの中に完璧な形で保存されているよ」
男の側には霜が降りて白くなったケースが置かれており、その中に彼の前腕らしい影がある。
「案ずるな、腕は戻ってくる。君の相棒もあの様子だが……元に戻すことはできるんだよ。よく見るといい、各断面に装置が装着されている。それを介し、神経は繋がっているので動くこともある。もちろん、腐ったりはしない」
ステディが何故にまつわる言葉を並べると、男は頷いた。
「よく聞いてくれた。それは聞く準備が整ったということで間違いないのだろうか。落ち着きなさい、すべて元通りにすることは可能だといっている。取り返しはつくのだ。見るがいい、君の腕にも同じ装置が装着されているだろう。つまり傷口は保持されている。新鮮なままだ。もちろん、切り離された腕の方にも」
「ああ……元通りに、なる?」
「素晴らしい。さすがはワイズマンズだ」男は屈み、ステディを見上げる「君たちは奇跡の水のありかをどれだけ把握しているのかな。ぜひとも答えてもらいたい」
意図がわかれば状況への理解も進み、判断力を回復させる。ステディはひとまず妥当に、沈黙を選んだ。
「そうか、仕方あるまい」男は小さくため息をつく「すぐに話すか、自身の腕が腐っていく様を見届けるか選ぶといい」
男はケースを開けた。その中で保存されていたステディの右腕は外気に晒される。
「我々は君を殺さない。決してな。しかし、話さねば生きたまま解体され、我が身が腐る様を見届けてゆくことになるぞ」
ステディはその残酷な言葉に耳を疑った。彼には尋問、詰問、拷問の知識があり、語気的圧力や暴行に耐える術も心得ていたが、この様なやり方は見聞きしたことがなかった。
眼前には、まだ生きている彼の右腕が横たわっている。その無残な様子に彼は目をつむった。しかし、まぶたによって視覚は遮断できても聴覚は違う。
「このままにしておいていいのかな。腕が腐れば繋げられなくなってしまうよ。そして臭うことだろう、腐敗した臭い。それは君の腕が死んだ臭いだ。君が死んだ臭い。蛆がわいて腐肉を食い、やがて蝿の王国となるだろう」
ステディは怯えながらも男を睨んだ。顔はやはり見えない。
「答え合わせが済めばすぐに繋げてあげよう。もう一度いうが我々は君を殺さない。肉の塊になった後ですらね」
だめだ、吐けない、同胞を裏切れない。いまはまだ、彼にとって沈黙を保てる時間だった。
「最後に確認をしておくが、腐敗が進行すれば繋げられなくなるのだよ。いまならすぐに繋がり、特別な医薬品によって傷の治りもとても早い。保障しよう。すぐに元どおりとなる」
ステディは、なおも答えない。
「いいだろう、存分に自身の腐敗臭を嗅ぐがいい」
男は右腕の切断面に装着されている機械に触り、その場を離れていく。それはいわば生命維持装置を切った状態だった。
……腐る、腐り始めようとしている、いまこの瞬間にも。
臭いがしたら、する前にだって終わってしまう、手遅れ、完全に失う。ステディは残された時間の岐路に立たされた。
すぐに決断しなくてはならない。考えろ、実際どうなんだ? 堪え続ける利点はどれほどあるのか。もし全身を切り裂かれたとして、それで救出されたとして……ワイズマンズの医療ならば再生は可能だろう。外見上、元通りにはなる。だがリハビリをし、現状の水準に戻すまでにいったいどれだけかかるだろう? 心的外傷からの回復は可能か、記憶操作をするにしても様々な弊害が起こる可能性がある。強烈な体験によって廃人化した後では遅いかもしれない。
また、俺が頑ななままでは次はウェイジャーが標的となるだろう。あいつが吐いても俺は責めない。逆に二人ともが沈黙を守った場合の結果といえば無残な姿の俺たち二人が残るのみ……。
そもそも奇跡の水とはいったい何だ? 本部より与えられた情報は非常に曖昧なもので、やっていたことといえば指定された場所にドローンを放つとか、謎のケースを謎の人物に渡すとか、意図が不明のお使いばかりで実際、自分たちが何をしているのかわかってなどいない。つまり、俺には任務の重要性が評価できない。人類のために多大な貢献ができるのならばこの身や相棒を捧げてもいいのかもしれないが、さして重要ではない任務に過ぎなかったら……?
ステディが迷うのは当然のことだった。彼のランクはせいぜい中堅どころ、つまりは任務の重要性もその程度なのではないかという疑念が前提としてあり、また秘密主義な本部の態度に反感を抱いてもいた。
ならばさっさと吐いてしまおうか、その方が被害は少なく済むだろう。いや、だがもし、かなりの重要機密だったら? それゆえに俺たちに情報開示をしていないということも充分にあり得る……。
「これは、不要なのですか?」
ふと、ステディは側に立つ、緑色のローブを着た老人に気がついた。
「わたしの作品に使用してもよろしいでしょうか?」
了承を得る前に老人は彼の前腕をさらっていくので、
「おっ……待て、待って!」
慌てて引き留めようとするが、振り返った老人を見てステディは戦慄した。明らかにまともな目をしていない。それはけだものの目だった。
「……そ、それは俺の……」
「腐ってからでは遅いでしょう。繋げたいのです、例えばそう……へそにでも、回帰するイメージで、手を伸ばすように。発想としてはチープですが、それでもやってみなければわからないこともある。それゆえに造形というものは面白いのですね。実際の形には力があるのです。ええ、この畏怖を神聖と呼ぶのでしょうな」
そういって老人は口元を強く上げ、歯をむき出しにして笑む。
おかしい、こいつは完全に狂っている! ステディはまたも暴れるが、彼の身は完全に固定されており、やはりその一切が無駄だった。
「しかし、ここにいる生ける肉塊はどうでしょう。いかにも不気味極まる造形物だ。この有様ならば普通、死という結論に辿り着くものですが、わたしはそれを赦さない。もちろん神聖さへの冒涜です!」
老人はステディの両肩を鷲掴みにする。それは老齢とは思えないほど強く、恐るべき力だった。
「わたしは冒涜しているのです! 美を強姦し、娼婦にしている! これは、これは赦されないことだ……」
老人はぶつぶつと独り言を始める。手放された前腕はステディの膝元に残されていたが、滑り落ちて床に転がった。
「……しかし、神聖なるこの世界はそれを善しとしている。いつまで経っても、わたしに神罰が下らないことがその証拠です。しょせんは塵に過ぎないのか、ありとあらゆる苦楽は……」
駄目だ、このままでは右腕はおろか、この体すべてがあの狂人の玩具にされてしまう!
それは間違いなく死より恐ろしい実際的な、眼前に待ち受けている危機的状況だった。もはや再生医療や記憶操作、今後がどうだという問題ではない、今このとき、奴にそうされたくないのだ……!
そこでステディの心は折れ、彼は知る限りの情報を吐き出した。すると先ほどのフードの男が現れ、彼の腕を優しく拾い上げると生命維持装置にスイッチを入れてケースに戻した。
「よく恐怖したね。私は約束を違わない。君は解放してあげよう。無論、右腕を繋げた上で」
ステディは幾度も頷いた。そしてこのとき、この男に多少なりとも好意を抱いていた。あのけだもののような老人よりよほど話がわかるし、本当に約束を守るならば信頼すらできるのかもしれない。
これは典型的な心理的防衛反応であったし、彼自身もそのことを理解していたが、この事態より逃れる方法が他にない以上、より健全な心理状態で乗り切る必要があった。そうだ、彼のいうことだけは聞いておこう……。
「あ、あんたはいったい……?」
依然として男の顔は窺え知れなかったが、ステディには男が微笑んだように思えた。
「私はコード・アゴニー。どこにでもいる苦痛の探求者だよ」
「コード……」
「君たちの同胞だ。そちらはもはや、そうは思っていないのかもしれないが」
アゴニーは視線を移し、
「さて君の友人だが、彼を救うにはまた別の条件がある」
「じ、条件だって……?」
「あとは彼女に聞くといい」
そう言い残し男は立ち去る。そして背後から艶かしい声がした。
「お前に頼みがあるの。聞いてくれるでしょうね」
ステディは頷くしかなかった。これもまた、仕方のないことだったのだ。
【忌まわしき者たち】
日が落ちきり夜となった荒野、月が雲に隠れた後の闇はどこまでも深く、車両のライトもあまり役には立っていなかった。
暗視センサーを使用すれば走行自体は可能だったが、目的地が定まらないこの状況で走り続ける意味は薄い。ゴッドスピードはそう考え、ゆっくりとブレーキを踏んだ。
「今日はこの辺りで休むか」
「はい、そうしましょう」
エンジンを停止させると、とても静かになってしまった。それでもよいと思えるほどに二人の関係が熟しているわけもなく、ゴッドスピードが何かとりとめのない話題でも捻出しようとしたそのとき、ウルチャムが先に口を開いた。
「ところで、ゴッドスピードさんのお名前はなんというのでしょうか?」
「俺? 俺のか……」
思い出せないので彼は支給品のゴーグルをかけ、自身の名前を調べることにすると、それは容易に発見できた。
「アストラ・ロウマン……」
「アストラさん」ウルチャムは手をぽんと合わせる「ではこれからアストラさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
ゴッドスピードはうなった。記憶喪失のせいなのか、あまりしっくりこないのだ。
「まあ……人前ではな」
「そうでないときはゴッドスピードさんの方がよろしいですか?」
「いや、それも長いだろうしな……」
「ではスピードさん」
「ああ、近い」
「近い?」
近いとはいったい何のことなのか。二人は同時にそのような疑問を抱いたが、ウルチャムにはもちろん、ゴッドスピードにも明確なる答えはない。
「……いや、すまない。なんでもいいんだ。好きに呼んでくれ」
そして頭を掻き、呼び方ごときにこだわった自身に苦笑いする。
「じゃあ、スピードさんで」
ウルチャムはなんだか隣の男性がかわいく思えて笑みを噛んだ。ずっと先輩であるし、表には出せないが。
そして彼女はすっかりとウルチャムだった。パシィもいいが、新しい名前がなんだかこそばゆくて、嬉しいのだ。
対し、ゴッドスピードはあまりよい気分ではなかった。まるで遠くで残した心残りに気づいたような、そんなバツの悪さのようなものが胸に引っかかっていた。
なんだろう、気分などに思考を左右されたくはないのだが。そう思いながら彼はシートを大きく倒し、何気なく車両後部を見やったとき声を上げ、ウルチャムはびくりと肩を震わせた。
「そうか、風呂か……!」
「はいっ……?」
そうだ、風呂だ。確かそんな問題があったような気がする。
「お風呂がどうかしましたか?」
風呂が、どうしたのか。
どうしたのだったろう?
「……いや、それには問題がつきものだから……」
「そうなのですか?」
そうなのか、どうなのか。
「……ええと、あれだ、清潔であるに越したことはないが、人間というものは不潔だからといってそう死にはしないということで……」
「状況によっては体を清める機会もないということでしょうか。はい、理解しています」
「とはいえ、君だってわりと頻繁に入りたいだろう……?」
ウルチャムは首をかしげ、はたと気づく。
「もちろん、お水は大事だと知っていますとも」
「そう……」その通りだとゴッドスピードは思い出した「そうなんだ、ろ過装置が機能している限り再利用はできるし、雨水の収集や街での補給も可能だが、頻繁に雨が降るとも限らんし、水は高騰している場合も多いからな、浪費はできない……」
「わかります」
「君もあれか、髪は長くしておきたいのか?」
「えっ……」ウルチャムは目を瞬き「そ、それは……」
本音ではそうだった。マーマと同じ髪型がいいのだ。しかし、彼の意図は理解できていた。ワイズマンズとして活動する場合、髪が長くて有利な点は少ない。
対し、ゴッドスピードは自身の言葉に驚いていた。何が〝君も〟なのか。誰と比較しているのだろうか。その人物はよく風呂に入って水を浪費し、髪が長かったのか。
ことが錯綜している。これは合理的な問題なのか、それとも失われた記憶に関係するこだわりなのか。
「……単純な話だ。長髪は引っかかることが多く、敵に掴まれる懸念もある。ヘルメットに収めるにしても蒸れやすいしな。また、激しい運動をしたとき頭が茹で上がるかもしれない。それになにより、洗うときに水を多く使うだろう」
「では切ります」
「石鹸や消毒液もだ、数に限りがあるから節約しないと……」
「はい、切ります」
「もちろん切りたく……えっ、いいのか?」
「はい」
「そ、そうか……」
もっと抵抗される、いいや、断固として拒否される確信があった。どうしてもというなら引き下がるつもりだったが、切るならば問題はない……。
そのときゴッドスピードはなぜか、安堵していた。
「……その、すまないな」
「なにを謝ることがありましょう、至極、理に適った提案です。ハサミはありますか?」
……あっただろうか。ゴッドスピードは後部へと移動し、段ボール箱を漁り続けてようやく目的のものを発見した。そしてそれを少女に渡そうとするが、優しく押し戻される。
「いいえ、スピードさんが切ってください」
ゴッドスピードは目を瞬き、
「俺が?」
「はい。自分でやっては変になりそうなので」
「なぜ、俺が切って変にならないと思うんだ?」
「なりますか?」
「なるだろうと思う」
ウルチャムは背中を向け、
「それでも、お任せします」
「なぜ?」
「自分でやるよりマシだと思ったからです」
「本気か?」
「はい」
少女の髪は美しい光沢をたたえている。恐らく丹念に手入れをしてきたのだろう。それをここでバッサリと切る。その特異な難題を前に、ゴッドスピードは今更ながらに躊躇した。
それを察してかウルチャムは振り返り、
「ハサミを貸してください」
「あ、ああ……」
ハサミを受け取ると、少女はその髪を躊躇なくザクリザクリと両断していった。長い髪がどさりと床に落ち、ゴッドスピードは息をのむ。
「はい、あとはお任せします」
ここまでやらせて嫌だとはいえない。ゴッドスピードはなるべく丁寧に少女の髪を切っていった。しかしこのまま単なる短髪にしてしまうのもなんだか気が引けたので、左側の前髪辺りを残して耳側へと流すように工夫をした。それが彼なりの少女への敬意だった。
「……終わったよ」
「はい、ありがとうございます」少女は頭を触り「なんだか軽くなった気がします」
「そうか……」
出来上がりはお世辞にも上手とはいえなかった。長さは均一ではないし、妙に残された前髪も意図が不明だったろう。
しかし、わりと似合うのではないかとゴッドスピードは思った。これはこれでいい。そう思い込むことにした。
ウルチャムは前髪に触れ、
「あれ、少し残っていませんか?」
「……それはあれだ、まあ、ただの短髪では味気なかろうかと思ってな……」
ウルチャムはゴッドスピードを見やり、くすくすと笑った。散髪が不器用な男は苦笑いで返すほかない。
「それじゃあ……飯にでもするか。この髪は……」
どうするのか。もちろんゴミ箱、生ごみをバイオ分解する処理機に投入するほかない。しかしそれではあんまりではなかろうか。
「生ごみ用のゴミ箱はどこで……ああ、あれですね」
少女はいともたやすくそれを処理機に放り込んだ。ゴッドスピードはその背中に奇妙な畏怖を覚えたが、振り返った少女は少し残念そうに微笑むだけだった。
「そ、それじゃあ……飯に、するか」
「はいっ」
そして二人は豆や肉など、いくつかの缶詰を開け、分け合って簡単な夕食を済ませた。そして締めにカロリーブロックを口にする。
この異様に重たい食品は極めて高い栄養素の塊であり、高カロリーが必要なワイズマンズにとっては重要な栄養源だが味の評判はよくない。
「うーん、いまいちだな」
「以前、どうにかおいしくなるように苦心していました」
「ほう」
「まだ諦めていません」
つまり、返り討ちにあっているのがこれまでのことであった。ゴッドスピードはうなる。
そして出たゴミはきっちりと分別される。特に金属類は貴重であり、オートキラーの影響により資源の採掘や循環が停滞しがちな現状、それらは売れば金になるし、みなのためにもなる。荒野にポイ捨てなどもってのほかだった。
「……よし、では寝る前に装備の確認をしようか。互いに何を持っているのかきちんと把握しておかないとな」
「はい」
それは記憶の確認作業でもあったが、装備となれば自信がある。ゴッドスピードは腰から大型の拳銃を取り出した。
「これはハンティングドッグだ」
「はい」
「50口径、装弾数は八発、弾は徹甲弾。ものによるが、キラーにもそこそこ通じる。とはいえ、あくまで補助的なものか」
「私の拳銃はグッボーイです」
「38口径か。キラーにはなかなか通じんだろう」
「そうですね、あくまで対人用武器として携帯を推奨されていました」
「なるほど。そしてこれが俺の主力、ブラックキャットだ。性能は知っているかい?」
「はい、あのオートキラーをも容易に分断する切断力……ですが、扱いが難しい銃です。薄く幅の広い刃を射出するのですから、角度によってかなり曲がりますよね」
「そう、それをも計算に入れて扱うんだ。慣れれば物陰に隠れている敵をも狙える」
「使用者は僅かと聞きます。あの施設においても及第点を得た者は少ないはずです。それでも多い方だとマーマはおっしゃっていましたが……」
「そうか、キラーにもかなり有効なんだがな。奴らには巨大なものや異様に俊敏なものもいて、点で狙っても効果が薄かったり、当たらなかったりするんだ」
「あら、思えばこれは形が違いませんか? ブラックキャットはもっと小型だったと思いますし、特注品でしょうか?」
「ああ、そうだったと思う……」
「キャット系は基本的に小型ですものね」
ワイズマンズの装備には動物などをモチーフにしたコードネームが与えられ、それらは戦術に合わせたコンセプトモデルを基軸に分類されている。しかしコンセプト通りに装備を固めるワイズマンズはむしろ少なく、多くが独自の組み合わせでそれらを運用していた。
ゴッドスピードのブラックキャットは彼の特注品であり、その頭文字をとりタイプGと呼ばれている。大型化に伴い威力や装弾数が大幅に増えており、扱いはより困難になったが、その性能をいかんなく発揮できるのであればすこぶる強力だとして、正式採用が検討されている逸品である。
「私の対オートキラー武器はシュリガーラです」ウルチャムは黄褐色のアサルトライフルを手にする「ブルバック式、特殊徹甲弾を使用しています。装弾数は三十二発です」
「おお、渋いものをもっているな。扱いがやや難しいはずだ、ブラックキャットと同様にあまり人気がない」
「反動が大きく、少々暴れますね。ですが威力と大きさを考慮した場合、これがよいかと」
「上手く扱えるならそうかもしれないな。しかし……この追加装備はなんだ。これじゃあいよいよバランスが崩れるじゃないか」
ウルチャムのシュリガーラの側面には小型のずんぐりとした銃が装着されている。
「ああ、これは子供ガーラ……ではなく、キャットパンチですね。小さなゴム弾を射出します」
「せっかく小型のシュリガーラなのにそんなものを装着してどうするんだ。それにアサルトライフルにゴム弾とは……」
「これを装着するために小型のシュリガーラがよかったのです。なんでも、ゴム弾はキラーにも有効な場合があるとか」
「本当かよ……? にしても、基本的には対人用だろう?」
「はい、そちらが主な用途となるでしょう。アサルトライフルで威嚇しつつも、ゴム弾で狙えるという意図です」
それがこの少女のバランスなのだとゴッドスピードは察したが、同時に懸念せざるを得ない甘さを感じていた。
「……気持ちはわかるが、俺たちが相手にする人間は本物の悪党ばかりなんだぞ、慈悲が最善とは限らないだろう」
「……そう、ですね」
これには法的な問題も関係している。あるコミュニティにおいての犯罪行為ならば当局に引き渡すという着地点が存在するが、その法的影響外における甚だしい暴力行為となるとその処理の正当性は曖昧にならざるを得ない。ゆえに、実際的かつ判断の難しい脅威に対しては〝排除〟という形において強制的に収束させる必要にワイズマンズは迫られる場合がある。つまり殺しておしまいということだ。
「いいたいことはわかる。しかし、俺たちの敵となればそれは大量殺人者とかそういう次元になるんだぞ。そいつらの命を重んじて捕縛で済ませたとて、その後はどうするんだ?」
ウルチャムは目を伏せ、
「そう、ですが……」
「……まあ、その話はおいおいな」ゴッドスピードは咳払いし「今は確認作業を続けよう」
そして彼は銀色の銃を手にする。
「これはシルバーフォックスだ。分類上はマークスマンライフルということになるかな。特殊徹甲弾で装弾数は八発。本来、こいつだけで片付けばいいんだが、奴らはそう甘くない。それで……君のそれはテーザーガンか?」
「はい、エレクトリックイールです」ウルチャムは黄色い銃を手にする「四連装であり、同時に四人まで行動不能にできます」
また非殺傷武器か。ゴッドスピードの懸念は大きくなりつつあった。ウルチャムは彼の懸念をいち早く感じ取り、
「で、電撃はオートキラーにも有効だという話ですし……」
「……まあ、場合によってはな。他には超振動ナイフのジャガークロー、あと手榴弾系のスカンクシリーズ各種だ。特にスカンクパルスは重要で、キラーにはEMP爆弾が有効であるケースが多い」
「はい。私も多数、用意してあります」
「よし、そしてバトルスーツだが、俺のは……」
ワイズマンズは戦闘時にバトルスーツを着用することがある。普段は特殊繊維で編み込まれたボディスーツの上に戦闘服を着込む程度だが、高度に危険な作戦の際にはボディスーツにヘルメットやアーマーを追加するのだ。
現在、ゴッドスピードの装備は先の施設において支給されたストライクドッグである。アーマーはさして厚くないが軽量で扱いやすく、標準的なブースター機能もある。特徴がないゆえにクセもない、人気のあるバトルスーツだった。
「君のは……」
「スノウラビットです」
ウルチャムのバトルスーツはセンサー類が充実し、小刻みに噴射可能なステップブースト機能がある。回避、サポートに特化しており、見た目から若い女性ワイズマンズに人気が高いモデルだった。ラビットの名の通り、ヘルメットに長い耳のようなアンテナがついており、それがぴょこぴょこと動く様がかわいらしいと機能以外の点で評価されている。
しかし防御能力は最低クラスという大きな欠点があり、扱いが難しいスーツでもある。それがなぜつい先ほどまで候補生だった彼女に与えられたのか、いかにも不可解でゴッドスピードはうなった。未熟なればこそ、高耐久の装備を与えるべきではないか。
「そうそう、スパークタッチもありますよ」
ウルチャムは手を広げてみせる。それはスタンガンを内蔵したグローブである。地味だが効果的な場面は多いとされ、装備しているワイズマンズは少なくない。
「……なるほど。それで弾薬だが……」
そこに通信が入る。
『こちらスノウレオパルド、応答を』
「マーマ!」
ウルチャムは飛び跳ねるように立ち上がり、真っ先に応えた。
『エンパシーですね、問題はありませんか?』
「はい、なんら」
そうでもなさそうな気がする。ゴッドスピードの内心にはそう過ぎるものがあった。
「それで、任務ですか?」
『ええ、それと報告です。まずその車両ですが、問題があるという話でしたね』
「ああ、こちらの言葉はわかるようだが、向こうからの発声が不可解で文字の表記もバグを起こしている」
『……なるほど。位置情報にズレなどは?』
「今のところはないはずだ」
『あれば駆けつけられなかったでしょうからね。操作不能になったりは?』
「今のところ、ない」
『なるほど、なんとか運用はできているようですが、なるべく人工知能に運転や操作を任せないようにしてください』
「……ああ、わかった」
『他にもいろいろとガタもきているはずです、近いうちに新車と交換しましょう』
「おっ、そうか?」
「えっ、あの……」
それはよいことなのだろうか、とウルチャムは懸念する。
「あの、もしかしてこの車両はスピードさんにとって、思い出深いものなのでは……?」
『だとしても損傷の確認されている車両を使用し続けることは推奨できません。それにその車両は全ワイズマンズの共有物ですし、修理のたびにローテーションされます。こだわっても意味のないことですよ』
「まあ、そうだな……」
ウルチャムの懸念より、ゴッドスピードは急に不安じみてきていた。しかしスノウレオパルドの主張は正当なものなので受け入れるしかない。
『とはいえ、新たな車両の準備には時間がかかるかもしれません。整備班の人数には限りがありますから』
「そうか。急かす気はないんだ」
『わかりました。さて、続いて任務の説明に移行します。ウィーグラットに滞在していたワイズマンズ二名の消息が途絶えました。あなた方には彼らの捜索を依頼します』
「失踪者捜索だと、キラーの始末じゃなく?」
『はい、緊急性が高く、もっとも近場にいるあなた方に任せる意向となりました。失踪者のデータを送ります』
「……了解したが、俺たちで本当にいいのか……?」
そのような懸念を無視するかのように端末へと情報が送られてきた。失踪者はワイズマンズ89、コード・ステディとワイズマンズ112、コード・ウェイジャーである。
どちらも三十代前半ほどの男性で、温厚そうな顔つきのステディと目つきが鋭いウェイジャーは一見、正反対のコンビに見えた。
『そのコミュニティではイルコードがたびたび目撃されています。彼らはゴッドスピード、あなたに執着しており、あるいは戦闘になるかもしれません。彼らのことも覚えはありませんか?』
「イルコード……」
『それは忌まわしき最優先抹殺対象であり、元ワイズマンズです』
「なんですって?」ウルチャムは驚きの声を上げる「元とはいえ同胞を抹殺せよとは、どういうことでしょうか?」
『我々に対し、明確なる敵性があるからです。その上、各コミュニティにも甚大な被害をもたらす可能性が高く、極めて凶悪な集団とも繋がりがあるとされています』
「敵性を……」
『ひとまずは情報だけ、いま送信します』
映像が空間に投影された。不敵な笑みを浮かべる青い髪の男がまず現れる。
『コード・マンハンター。元はワイズマンズや重犯罪者に対する捜査を担当していましたが、ある日よりその任務を放棄し、現在は人狩りに執心する凶人と成り果てました。特に強者を狩ることに喜びを抱いているようで、あなたもまた標的にされています。純粋な戦闘力ではトップクラスといえるでしょう』
この男には、どこか見覚えがあるかもしれない……。ゴッドスピードは固唾をのむ。
そして次に現れたのは白い長髪と髭をたくわえた老人で、獣のような恐ろしい目をしていた。
『次はコード・アートマン。神出鬼没の怪人で、物理的な罠を得意とします。そして捕らえた者を解体、加工し芸術作品に仕上げているとの噂です』
「なにぃ……?」
『医学に精通しており、生命学においては独自の思想と理論をもち、元は本部にて肉体改造の研究をしていました。見た目は老人ですが中身は化け物かもしれません。気をつけて』
ああ、間違いなくこいつは怪物だ。ゴッドスピードは眉をしかめ、ウルチャムは映像から目を逸らした。
次に現れたのは口髭を生やした男で、どこか虚ろな瞳をしている。
『そしてコード・インフェクター。脅威度においては彼が圧倒的です。なぜなら彼はナノマシン病原菌の研究者であり、人類規模の厄災を保有している可能性があるからです。ですが、彼の生み出す病原菌はワイズマンズの恩寵ナノマシンをベースとしており、我々には効き目が薄いという欠点があるはずです。それゆえに、感染が死に直結するわけではないと考えられますが、短期または長期に戦闘不能となる可能性は高いと思われます』
「病原菌……」
『発見した場合、すぐさま報告を。あなたたちのみで対処しようとは考えないで下さい』
「……了解した」
さらに妖艶な雰囲気の女が表示される。黒い髪は波打ち、瞳は真っ赤に輝いている。
『コード・コブウェブ。彼女は情報的、心理的、そして物理的とあらゆる方面における操作を得意とし、戦闘時にはとてつもない鋭利さと激痛を促す薬品を塗布した糸を使用することでしょう。その糸はあまりに細く、視認が困難です。彼女が現れた場所には見えないものに気をつけてください』
「まるで毒蜘蛛だな……」
『それと、見ての通りかなりの美女ですが籠絡されないように』
「なんの懸念だよ……」
次に現れたのは白髪だが年齢は三十代といったところか。無精髭を生やした端正な顔つきの男だった。これまでの者たちとは異なり、あるいは慈愛を含むかのような深い瞳をしている。
『そして最後は彼らのリーダーである、コード・アゴニー。彼はあなたたちの能力を一人で有しています』
「なに?」
『言葉の通り、予知と超共感能力があるのです』
ゴッドスピードとウルチャムの視線が交差する。
「なんだ、その、超共感能力とは……?」
『エンパシーは本当に他者の気持ちが理解できるのです。喜怒哀楽、恐怖、ときには痛みすらも自身にフィードバックしてしまう』
「……なんだと? それで戦えるのか?」
『もちろんです。それは戦闘において極めて強力な武器となり得るからです。殺意も読めるのですから、初動ではあなた以上の優位性があることでしょう』
「だが……」
『そう、その子はとても優しい。武器もおのずと非殺傷武器を好む傾向にあります』
なるほど、それでか。ゴッドスピードの視線をウルチャムは外した。
『ですが戦闘能力そのものは高い。力の使い方さえ違えなければ強力な戦力となるはずです』
「それがこの子の恩寵か」
『いいえ、彼女の恩寵は未だ確認されていません。あるのは基本的な能力の増加ですね』
「なに、ではその超共感能力とはいったい?」
『遺伝的要因とされています』
「遺伝、血筋か……」
『この話はまたいつか。ひとまずは捜索の件をお願いします』
「おい、ちょっと……」
『記憶喪失により様々な補助が必要と見なされ、今後、あなた方の任務における責任者はこの私、スノウレオパルドが担当します。私からの通信には可能な限り迅速に応答してください』
「おい……!」
『それでは』
一方的に通信は切れ、ゴッドスピードの視線はまたウルチャムへと向かう。
「……血筋に関しては私自身もよく知りません」
「それは……ともかく、共感してしまうとは、戦えるのか?」
「はい。そのように特別な訓練は受けました」
「いざというとき、撃てないなどということはないと?」
ウルチャムは先の戦いでオートキラー相手に躊躇したことを思い出したが、口には出さなかった。
「……はい」
「凶悪犯とはいえ、人間と敵対することはままあることだ。一瞬の躊躇が死に直結するということを忘れないでくれ……」
そのとき、ゴッドスピードの脳裏に記憶の欠片が過っていた。ほとばしった血飛沫、バラバラの死体、笑い声……。
相変わらず人物的な要素は不透明だが、その残虐性の臭いは確実にあったことだろう。
「……この世にはどうしようもない悪党がいて、そいつらが悦楽で殺人を犯しているとき、引き金を引かねばならんことはある」
「……どうしようもない方など、本当にいらっしゃるのでしょうか?」
どうなのだろう。本当はいないのだろうか? どのような方法でか必ず改心することはあり、健全たる精神で社会に戻れる可能性は、常に残されているのだろうか?
「どうかな……」ゴッドスピードはうなり「さあ、今日はいろいろあったし疲れたろう。そろそろ休むか……」
二人は歯を磨き、運転席後部にあるソファ、その横に畳んであった毛布を手に取ってまた運転席へ、背もたれを倒すとそれは簡易的なベッドにもなる。
「寝床はその助手席でもいいし、奥のソファでもいい。この上部も元はそういったスペースだと思うが、見ての通り今は荷物が詰まっているので後日、整頓を検討しよう。それと、なるべく戦闘服は脱がない方がいい。疲れが取れ辛いかもしれないが、起き抜けに緊急事態ってこともあり得るからな」
ウルチャムは背もたれを倒し、
「はい、大丈夫です。ホームでも劣悪環境での休息訓練を受けましたので、このくらいはなんともありません」
「ああ、そうだよな。それじゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい……」
目立つ可能性を危惧し、明かりはすべて消すことにする。一瞬で闇が辺りを包むが、少し経つと雲から逃れた月の明かりがほんのりと車内を照らした。
ゴッドスピードはふと、助手席を見やる。少女とはいえ女の雰囲気はたしかにそこにあった。戦闘服を着ていても胸の隆起は目立つし、髪を切っても艶かしさは消えない。
危険の渦中にある場合、人は性欲が増大する傾向にあり、男女が閉鎖空間で長らく一緒となれば妊娠の可能性すらあり得た。そしてそのような諸々の事情は感情を大きく揺さぶり、合理的な判断への妨げとなる。それゆえにチームは男女別々が不文律であった。
そしてなにより、記憶喪失の男に預けるだろうか? おかしい、いろいろと、かなり……。
加えて、彼の胸中には複雑なざわつきがまとわりついてもいた。あるいは、以前にもこうして二人きりで行動を共にしていた誰かがいたのではないか、そんな感覚がじんわりとわいてくるのだ。
そうだ、スノウレオパルドに聞いてはどうだろう? 俺の行動をあまり把握できていない様子だったが、同行者の情報くらいはもっているんじゃないか?
しかし、なぜだか行動に移すことはなかった。そして彼はただこう思うのだ。彼女が髪を切ってくれてよかったと……。