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愚者の楽園  作者: montana
32/33

憑依 L.R.R.H:Possession

【狼と七人の兵士】

 ヘンリーも齢とともに訓練を重ね、幹部候補生としての適性が試される機会に恵まれました。集められたのはヘンリーを含む八人、横に並ぶ彼らを前に、おじいさんことザミュール大佐が言い放ちます。

「いいか、この中に狼がいる。そいつを見つけて殺せ」

 ヘンリーは耳を疑いました。他の七人も訝しい顔つきで互いを窺い合っています。

「この中に敵が潜んでいるのですか? もし、間違っていたら?」

「間違わない」

 兵士たるもの上官の命令には従わないとなりません。なかでも、おじいさんのいいつけは絶対です。

 なんという訓練だ。いいや、もはや実戦じゃないか。ヘンリーは震え上がりました。

「さあ、入れ」

 おじいさんはまっすぐに指を差しました。ヘンリーたちの背後には地下倉庫に通じる鋼鉄の扉があります。

「一人死ぬまで出てくるな。出てきた場合、お前たちは永久に下っ端のままだと思うんだな」

 ヘンリーは深呼吸し、覚悟を決めました。以前にへまをした彼です、名誉を挽回する機会だと考えたのです。いの一番に重い扉を開き、地下へと下っていきました。

 コンクリート製の長い階段、その先には、薄暗い空間が広がっていました。大量の兵器が眠る倉庫です。そしてその中央部には、ぽつんと粗末なテーブルや椅子が設営されています。

 ヘンリーは振り返りました。背後からたくさんの足音が聞こえてきたからです。どうやら辞退をする者はいなかったようです。他の訓練地からやってきたのでしょうが、彼ら七人はどれも見知らぬ顔ばかりでした。

「適正試験はすげぇと聞いたがマジだったな」

「俺たちの中にスパイがいるってのか?」

「おあつらえ向きにここは奥が深い。兵器の山で迷路のようになってやがるしな。殺し合いにはちょうどいいステージってわけだ」

「見たところ、水や食料もたんまりありやがる。持久戦ってことかね」

「で、どう割り出す?」

「試験式にしてるんだから、上はもう知ってるだろう」

「間違えないともいっていたな」

 ヘンリーは異変に気がつきました。七人は、彼を取り囲むように動いていたからです。探るような言葉とは裏腹に無駄のない動きでした。

 そして意図のある沈黙が続きます。堪えかねたヘンリーが口を開こうとしたそのとき、突如としてそれは破られました。

「最近、各訓練所で殺人事件が起こっているのは知っているな」

「犯人が残したと思しき靴跡の形は……」

「ああ……ちょうどそのタイプのものだな」

「殺人に使用されたであろう刃物の大きさは……」

「そうだ、ちょうどお前が腰に携えているナイフくらいだ」

「事件が起こった時期は……」

「不思議と、お前が来たときに重なるな」

 なにをいってるんだこいつらは? おれは裏切り者なんかじゃない! ヘンリーの動悸が激しくなっていきます。

 説得は極めて困難に思えました。計画があったことは明白です。スパイは事前に手を回していたのでしょう。疑われたときのためにスケープゴートを用意しようと画策し、へまをした経歴のあるヘンリーを選んだのです。彼は狼に仕立て上げられていました。

 このとき、ヘンリーがすべきことはひとつでした。脱兎のように逃げ出すことです。ですが、ただ走っただけではすぐに捕まってしまうでしょう。

「どうして、おれじゃない……助けてくれよぉ……」

 ヘンリーは涙を流し、足を震わせ、小便を漏らしてみせました。緊迫した空気に一瞬の呆けが生まれます。

 その刹那でした、ヘンリーはナイフを抜き、もっとも近い者を切りつけ、その背後をとりました。そして首に腕を回し、盾にします。

 ですが、信じられないことが起こりました。六人の候補生は一切の躊躇を見せることなく、人質を銃撃の餌食にしたのです。

 ばかな! こいつら、まともじゃない!

 ヘンリーは死体を盾にしつつ拳銃で応戦し、出口へと移動していきました。そして死体を背負い、全力で階段を駆け上ります。

 もうすぐだ、もうすぐ!

 ですが、足に衝撃を受け彼は転倒しました。凶弾がふくらはぎに命中してしまったのです。

 扉はすぐそこです。ヘンリーは力を振り絞り、這うように階段を上っていきました。ですが、今度は背中に衝撃が走ります。複数の足音も近づいてきます。

 だめか……!

 さしもののヘンリーも諦めかけた、そのときです。扉が開きました。閃光のような日光が差し込み、続いてシルエットが現れました。猛烈な銃撃音が鳴り響きます。

「ずいぶんとはえぇじゃねぇか。ええ?」

 おじいさんはにたりと笑みました。そして、ヘンリーの腕を掴み、引っ張り上げます。

「ごくろうだった。あとは任せろ」

 担架に乗せられ、救護班に運ばれていくヘンリーは、地下へと突入していくベテラン兵士たちの姿を見たあと、意識を失いました。そして次に目覚めたときにはベッドの上でした。

「お、目が覚めたか」

 机に向かっていたカジン中佐が枕元へやってきます。

「おれは……」

「お疲れさん。だがすまないことをしたな。まさか七人ともスパイだったとは。よく生き残った」

 ヘンリーはぼんやりとした頭で理解しようとしました。

「七人とも……?」

「そうだ。怪しい奴らを集めたつもりだったが……ああ、お前を抜いてな。お前は本当に候補生として参加させていた」

 ですが、ヘンリーにはまだ疑問がありました。いくら計画があったとはいえ、あの冷酷な動きはそうできるものではありません。

「あいつら……おれが盾にした男を、まったく躊躇せずに……撃ち殺したんです……」

「奴らは人間じゃない。地球政府を名乗る狂人どもの尖兵だ」

「人間、ではない……?」

「これから戦争になるかもな……」

 あの冷酷な奴らとまた戦うことになるかもしれないというのです。中佐の呟きに、ヘンリーは強い胸騒ぎを覚えるのでした。


【解剖】

「おかしな跡だ……」

 サニン・ダージル検死官は深い皺をいっそう深め、呟いた。

「刃傷のようだが……何か違和感がある……」

 金属製の解剖台に死体が横たわっている。死体には体毛がいっさいなく、筋肉の形が明瞭だった。つまり皮下脂肪がまったくないのだ。

「まさか、どこぞの坊さんじゃなかろうな」ゴッドスピードはうなる「もしくは宇宙人か」

 ハイスコアは肩をすくめ、

「宇宙のお坊さんかも」

「ロケットエンジン付きの禅寺か……イカしてるな」

「火星人はタコ型らしいよ」

「なら金星人かなぁ」ゴッドスピードは傷口を指差し「仕込み刃の可能性があるな。傷口がどことなく奇妙なのは内側から飛び出したせいなのかもしれない。死亡時、変わった物音もしなかったそうだからスプリング式だろうか」

「なぬ?」検死官は灰色の眉をひそめる「なにをいっておる?」

「だとしたら、まだ病室の天井に刺さっているかもしれないな」

「まじ?」ハイスコアは思わず視線を上げる「あー、偽装的な? 不意打ちにも使えそうだけど」

「そうだな。マタカーの病室にはパーチュンもいるよな?」

 ゴッドスピードは端末をいじり、

「ちょっとウルに確認してもらおう」

「あいつなんか情緒不安定っぽいし、あんま信用しない方がいいよ」

「全体的に紫色だしな……」

「そこは関係なくない?」

 ややして、メッセージが返ってくる。

「ビンゴだ。今、持ってきてくれる」

「えーっ、まじでっ?」

「馬鹿な」検死官はうなる「内側から射出されたというのか。何者なんじゃ、こやつら……」

「ダージル検死官、先に開頭してくれないか」

「うむ……? よし、やってみよう」

「あらら、パシィには刺激が強いかも」

 解剖室のドアがノックされたのは開頭真っ最中のことだった。ハイスコアに招かれたウルチャムはその光景に目を丸くする。

「あっ、あたまを……!」

「ちょっと精神鑑定をしようと思ってな」

「驚きの鑑定法じゃん」ハイスコアはウルチャムの手元を見やり「機械式の円弧型ブレード……予想通りだね」

「なっ、なぬうっ?」

 そのとき、鑑定官の声が轟く。

「どうした?」

「こやつ、動いた……いや、それより……! 脳が、ないっ!」

「ない……?」

「みてみんかい!」

「はららっ?」

 開頭部を直視してしまったウルチャムが声を上げたそのとき、また死体が動いた。手足を折りたたむような仕草、開頭された死体以外の二つが同時にその姿勢をとったのである。

「むう、死体が動くことはあるが……これはさすがにおかしいぞい!」

「えっ、まじで脳みそないじゃん!」

「頭が、どど、どうなっているのですかっ……?」

「なるほど、そういうことか……!」

 そこにはたしかに、脳がなかった。その代わり、銀色に輝く円錐形の金属体が見える。

「遠隔操作のセンは確定だな! だが……」

 ゴッドスピードはウルチャムを見やる。彼女は身構えたまま、硬直している。

「こいつはいったいなんの冗談じゃ……! しかも溢れ出たこの液体は……? 髄液とは違うようじゃが……!」

「人体を部分的に機械化するサイボーグ……とは逆だな。脳が機械化されている。操り人形もとい、操り人間ってとこだな」

「おかしいと思ったんだ」ハイスコアは頷く「なんか痛みをまったく感じてないようだったし、スイッチが切り替わったみたいに饒舌になったりしてたし」

「ぬう……にわかには信じがたいが、事実、脳がないのじゃからな……!」検死官はうなる「しかし、コンピュータにしては見ない形態じゃな……?」

「あるいは受信機か、どこかにコントロール設備でもあるのかもしれない」

「電波などで操作をするとでもいうのかね……? しかし、なぜにそのような……」

「うーん、コストとか?」ハイスコアである「安価に大量生産するならオートワーカーシリーズがもっともコストパフォーマンス高いそうだけど……」

「変貌の懸念があるからの……」検死官はまたうなる「死体の転用じゃろうか?」

「あれっ?」ハイスコアはふとゴッドスピードを見やる「そういや死体が消えたんだよね? 私が元いたチームの」

「……らしいがな。となるとブラッドシンか?」

「でも、そいつら私が倒したよ」

「回収班が隠れていたか、もしくは別の組織か……。ともかくロクでもない話……」

 そのとき、また死体が動いた。先ほど動いた二体である。ゴッドスピードはうなり、

「ずっと寝ていたらかえって疲れるのはわかるが……」

「そういう話?」ハイスコアは肩をすくめる「でもヘンだね。体は生身なんでしょ? 大量失血で活動を停止したはずなのに、なんでこうも動くわけ? 機械化部分でもあるのかな」

「脳がないんだから血液を頭部に送る必然性が薄まるな。特殊なバイパスがあるのかもしれん。心臓は? たしかに止まっていたかい?」

「うむ、確認はしたぞい」

「やっぱり死んだふりをするためかな? でも、それにしては襲ってこないね? 無駄に動いてバレバレじゃん。いえ、そもそも死んだふりしなきゃまだチャンスは残ってたのに」

「そうだな、非合理的だ」

 ゴッドスピードはまたウルチャムを見やり、

「ウル、こいつらを動かしてみてくれ」

「はい?」

「どうにも、君の動きと連動している気がする」

「はいい?」

「まさかっ? パシィ?」

「ええっ? いいええ!」

「ちょっと念じるだけでいい。起き上がれと命令してみてくれ」

「わわ、私がっ?」

「そうだ。直感だが、エンパシアと関連があるかもしれないと思ってな」

「わ、私の仕業ではありません!」

「落ち着くんだ、そうはいっていないだろう? エンパシアが関係している可能性の話をしているんだ」

「エンパシア……の」ウルチャムは息をのみ「わ、わかりました……」

 そして少女が念じ始め、ややもするとたしかに、二つの死体が動いた。上体を起こそうと試みたのである。結果的に失敗に終わり、また横たわったが、状況説明には充分な証拠である。

「うわーっ!」ハイスコアは仰け反る「まさかのーっ?」

「い、いえっ、私じゃないですってばっ?」

「なるほど」ゴッドスピードは頷く「脳波か何かを受信しているな」

「やっぱりパシィがーっ?」

「な、なんの話をしておるんじゃっ?」

「違いますってばー!」

 ハイスコアの挙動は大げさで、本当に疑っているわけではない。しかし、新たな懸念が生まれていた。

 ウルチャムと同類の人間、つまりエンパシアが絡んでいるのではないか、そんな問題が浮かび上がってきたのである。

 ゴッドスピードは考える。これらが操り人間だとして、死亡を偽装するとなると二の矢である不意打ちを行わないのは不自然である。いたずらに死を演出し、解剖を通してその秘密が開示されてしまうのは敵方において不利益しかないのだから。

「ウル、君は昨夜の襲撃時、マタカーの側にいただろうが、たしかCT検査室に移したんだったな?」

「は、はい、様々な理由でそこが適当だと判断しました」

「だからか、よくやった」

「えっと……?」

「スコアの言う通りだ。死んだふりをするからには不意打ち狙うべきだろう。わざわざ解剖を待ち、その構造を暴かれるのは敵方に不利益しかないからな」

「なんらかの理由でミスッたんだね。で、それがパシィに関係あると」

「そう。ウルがある種のジャミング、混線めいた効果を発揮していたからではないかと推測する。襲撃時にそれが起こらなかったのはCT検査室にいたからだろう」

「ええ……えっと、私が……エンパシアだから……」

 そして白髪の少女はようやく話の展開に追いつく。

「まさか……! エンパシアが犯人だと……?」

「さっきからそういってんじゃん」

「とはいえ、まだ推測の域を出ない。より情報が必要だ。マタカーを聴取しよう……と、その前にこいつらを拘束しないと。後でどう動くか分からんしな」

「ぬうう? なんじゃ、よく分からんぞい、説明をしてくれんかっ?」

「ああ、スコア、頼んだ。検死官の護衛を兼ねてな」

「ええー! つまんなーい!」

「もし暴れたら徹底的にぶっ壊していいぞ。よしウル、いこう」

「はっ……はい!」

 そして二人が出ていくのを見送り、ハイスコアは頬を膨らませる。

「もおおー! じゃあじいちゃん、早くしよ! まずはこいつらの首を切り離そうよ! そしたらもう動かないだろうし、安全だよっ!」

「むううっ……? だが損壊は可能な限り……」

「安全第一、問答無用! 面妖な屍よ覚悟せいー!」

 解剖室から少女の叫び声と老人の悲鳴が轟き、それを聞いたゴッドスピードは我関せずと足運びを速めるのだった。


【おぼろげな証言】

 病室に向かうと、上半身を起こしたマタカーが待っていた。周囲には警備軍の制服たちが数人囲っており、すでに聴取された後らしい。マタカーの警備を任されていたフォーチュンは部屋の片隅から音もなく移動し、ウルチャムの傍に立った。

 ゴッドスピードはマタカーのベッドに腰掛け、

「よう、俺のことは覚えているか?」

「あ、ああ、救助に来たガードドッグだろう?」

「そのお礼をかねて、狂犬どもについての講義を俺たちにも頼みたい。襲撃があった話は聞いているよな?」

「彼らにもいったが、よくは知らんのさ」

 マタカーはかぶりを振る。

「マイルにすら話をしなかったのはつまり、よくわからんからだ。わからんものを漠然と説明して、いたずらに心象を悪くする意味もないだろう? 奴らがまだ俺を狙っていたという自覚もなかったしな」

「では、傭兵組織を抜けたきっかけについて聞かせてくれ。当然、何かあったんだろう?」

「ああ……決定的な出来事は二つあったが、それ以前に薄気味悪い違和感はあったんだ。見知った人物があるとき別人に見えるかのような……」

「決定的な出来事とは?」

「……恩人が死んだこと、そして殺されそうになったこと。一つ目は病死だったからやむを得ないが、それから違和感が加速度的に強くなっていったと思う。二つ目はその確認だな。若手が一堂に会したとき、毒ガスで一網打尽になりかけたんだ。逃げた足でそのまま逃亡さ」

「なるほどな……」

「どうにも」制服の男が肩をすくめる「地球政府とやらが絡んでいるらしい。知っているか?」

「以前に少し、耳にした程度だな。実在するかは分からない」

「噂はあるんだよな。国連の亡霊だとか、大富豪の寄り合い所帯とか」

 オートキラーによって社会が分断された結果、より実働的な組織体が強く要求されるようになり、やがて実権を握るまでとなった。その結果が各所に散らばるコミュニティであり、口しか出せない中央政府は徐々にその存在感を失ったとされている。

「アメリカなんて、元から存在しなかった」

 制服の男が得意げにいう。これは中央政府がらみでときどき使われるジョークである。

「ここはアメリカ大陸じゃないし、もちろん俺たちはアメリカ人じゃない。テキサスホールデムはテキサスより先に生まれた」

 彼らの系譜はともかく、実際的にゴッドスピードたちワイズマンズは何人でもない。ルーツは思想と科学と未知の混成であり、それゆえにか、軽口を好む彼もそのジョークに対し苦笑いで返すばかりだった。

「そうか……問題は今後も暗殺者が投入されかねないといったところでな……」

「まだ来るのかっ?」

「可能性は高いと踏んでいる。根を焼く必要があるかもしれない」

「そういう話なら……悪いが、あんたをここに置いておくわけにはいかないな」制服の男はマタカーに言い放つ「市民ではない者を守る義務はないんだ」

 冷酷なようだが正論でもある。市民を守ることが第一義ならば、巻き添えを懸念すればこそ、危険因子となる彼はむしろ排斥の対象ですらあるのだ。

 マタカーは黙って頷き、ゴッドスピードとウルチャムは顔を見合わせた。

「困ったなあ」

 二人が退室すると、ドア越しに聞いていたのだろう、マイルがため息をついた。

「警備兵の言い分はもっともなんだが……」

「ですが、見殺しにはできません。マタカーさんを我々で匿うとか……」

「あるいは、ガードドッグに入隊してもらうとかな」

「ああ!」ウルチャムはぽんと手を合わせる「それはいい考えだと思います!」

「しかし、どこかに配属されたとして、そこの仲間をも巻き込む可能性があるんだぞ。ネコ科の人が承諾してくれるかな……」

 ゴッドスピードが通信を開始しようとすると、ウルチャムの端末から馴染みのある声がした。

『ええ、ネコ科の人もそう思います』

「……聞いていたのか」

『事態が事態ですので、エンパシーの回線を常時オンにしてあります』

「あ、報告が遅れました……」

「すみませんでした、スノウレオパルドさん」

『よろしい。さて、先ほどの件ですが……正直、難しいですね。先の殺戮のこともあります。適性は低いといわざるを得ません』

 マイルは頷き、静かに嘆息する。

「しかし……見殺しにもできんだろう? それに確認せねばならないこともある」

『たしかに……ええ、それはその通り。……そうですね、少し時間を下さい。私の一存では決められないことです』

「ああ、結論は早めに頼む」

「承諾してくださればよいのですが……」ウルチャムである「実際、どうすればよいのか分かりませんものね。延々とつけ狙われては守り切ることも不可能に近いと思います。ならばいっそ、隊員として戦った方が……」

「なによりエンパシアが絡んでいる可能性については捨ておけんはずだ。そして思い当たる輩といえば……」

「イルコードの……」

 しかし、ウルチャムには別の不安もあった。あるいは、あの男によるものではないかと。

 コブウェブにも通じる奇妙な感覚があの男にもあったのだ。窓から見える光景のような、それは透明でありながらなんらかの断絶でもある、どこか虚しい感覚……。

 恥などを気にしている場合ではないのではないか。スピードさんにあの男のことを相談すべきだ。

「……あの」

 そのときだった、少女の〝それ〟たちが、突如として圧倒的な広がりをみせた。

「えっ……これは……」

「うん? どうした?」

 ウルチャムは歩き出していた。〝それ〟がひとつの光の道となり、病院の廊下を照らし続けていた。

「道が……見える」

 突然の事態に戸惑う少女だったが、ある可能性に思い至っていた。死体兵士を送り込んできた首謀者が、邪魔立てする自分を誘い込もうとしているのではないか。

「スピードさん、どうにも、誘い込まれています……」

「なんだと?」

 だが、悪意のようなものはない。嫌な感じはまるでない。精神的になんらかの汚染を示すような違和感もない。ただ、それは示されているばかりだった。

「行って、きます……」

「……おい、おいっ?」

 ウルチャムは駆け出していた。〝それ〟の可能性を探究する機会であり、ひいては事態収拾の近道かもしれないからだ。

 〝それ〟はもっとも身近な彼女にとっても未知の塊である。早く解明して、なんらかの役に立てなければならない。

 そうしなければ……そうしなければ?

 答えはなかったが、焦燥感は、なぜかあった。


【ホットドッグ紛争】

「おいっ、どうしたんだっ?」

 すでに病院を出て1キロメートルは走っている。あまりマタカーから離れない方がいいが、追いつこうにも、先ほどから並走するパープルフォーチュンが邪魔立てをしていた。突如としてマタカー警護の任から離脱しての行動である。

「お前この馬鹿野郎、罠だったらどうするっ?」

「セインツの邂逅は喜ばしいこと、お前が介入する余地などない」

「なんだと? くそっ……」

 そのうちに人気に満ちた広い公園へと足を踏み入れていた。複数の屋台が展開されており、中央にある大きな噴水の周りでは市民が笑いあっている。歌って踊る一団もいた。動かないパントマイマーも、コメディアンもいる。

 ゴッドスピードはふと、足を止めた。ウルチャムがそうしたからだが、なんだか自分が場違いに思えたからでもある。

「ウルさまー」

 フォーチュンの背中を目にしてはたと気がつく。そうだ、こうしている場合ではない。

 ウルチャムはある屋台の方へと歩いているようだった。そこには行列ではなく、まるい人だかりができている。どうにもホットドッグ屋であるようだ。ウルチャムとフォーチュンは人だかりに加わっていったらしい。

 なるほどあの少女はホットドッグを気に入っていたようだが、まさかそれを食べるために走ったわけではないだろう。

 訝しげに人だかりへと入っていったゴッドスピードだが、そこで驚くべき人物を目の当たりにする。

「いい加減にしろっ! なんなんだよあんたはっ? これ以上は営業妨害だ、警備を呼ぶぞ!」

「そうしてことが公になれば、困るのは君の方だろうがな!」

「なんにも困んねぇーよ! ウチは三十年前からこの味なんだ!」

「なにっ、三十年もこんな悪事をはたらいていたのか!」

「なんでだよ、そもそもあんた、ウチのを食ったことねぇーんだろっ? 食ってからいえよ!」

「その必要はない! 断る!」

 一人はホットドッグ屋の主人だろう。しかし、もう一人は白髪の男であり、イルコードのリーダーとされるアゴニーのようだった。

 ゴッドスピードは思わず腰のガンホルダーに手をかけるが、

「少し、待っているんだ!」

 突然、指を差される。アゴニーはいっさい、彼の方を見ていない。

 たしかに、ここで銃を抜くのは得策ではない。しかし放ってもおけなかった。ゴッドスピードは介入を試みる。

「待てまて、いったいどうしたんだ?」

 彼が近づくと、どこからか「ガードドッグがきた!」と歓声が上がった。オートキラーと戦う武装組織がホットドッグ屋の口論に割り入ったのが面白いのだろう。

「あっ、あんた、助けてくれよ!」エプロン姿の、恰幅のいい屋台の主人である「こいつ、頭がおかしいんだ!」

「どうしたんだ……?」

「待てといったろう。君の出る幕ではない」

 見るほどにあのイルコードのアゴニーであるが、写真より髪が長く、無精髭も濃くなっている。服装はジャケットにジーンズとラフな姿だった。

「そうであってほしいと願ったのがついさっきなんだよ。アゴニーだな、何をしているんだお前は?」

「見ての通り、糾弾をしている」

「この店主を?」

「そうだ」

「どうして」

 アゴニーは深く息を吸い込み、

「ここのホットドッグ! そのソーセージには! 混ぜ物がしてある!」

 と、大声を出し、周囲から歓声が上がった。

「混ぜ物だとぉ……?」

 ゴッドスピードは眉をひそめる。その脳裏に一瞬、違法薬物という言葉が過った。

「……どんな混ぜ物を?」

「チキンと大豆でカサ増しをしている」

 ゴッドスピードの思考が一瞬、着地点を見失った。

「……なに?」

「ポーク100パーセントじゃないんだ」

 ゴッドスピードの思考はまだ、着地点を探している。

 周囲は歓声で沸いている。

 ウルチャムはどうしたものかと窺っている。

 フォーチュンはとくに動きをみせない。おそらく下手に介入するなとの命を受けているのだろう。

「……いいだろ、別に」

 心底どうでもよくなってきた男は、ふと着地を諦めた。

「おいしけりゃ……」

「そーだよなぁー!」店主は味方を発見して顔を綻ばせる「満足できりゃあそれでいいんだよっ……!」

「君もか……」アゴニーは深くため息をつく「ニセモノにまみれた生き方をしていると豊かさを失うぞ」

「……いや、ホットドッグに正解なんてないだろう。伝統はあるかもしれないが、それにならうかどうかは個々の選択だ」

「そうだそうだ!」

「くだらん正論だな。くだらないよなぁっ?」

 周囲が一斉に沸き立つ。どうにも彼らはアゴニーの味方らしい。

 なるほど混ぜ物なしという言葉には強さがあり、それを賛美する一般客の心情としては理解できるものの、ゴッドスピードにとっては極めてどうでもよいことである。

「まあ……その思いはいつか著作として結実し、古本屋の端に置かれるとして、今は同行を願おうか」

「嫌だね。僕は最後まで戦うぞ」

 なんなんだこいつは? ゴッドスピードは殴りつけて黙らせ、連行したい衝動に駆られるが、それはいっそこの男の狙い通りになりかねないと思い直す。こだわりが強いだけの一般人相手にガードドッグが暴力を振るったなどと誤解されてはたまらない。

 どうしたものかと頭を掻く彼だったが、屋台に貼られているホットドッグの写真を見たときふと、ある単純な疑問を覚えた。実際的に、この店のホットドッグは美味いのだろうか? 仮に不味いとしたら、庇いだてする意義も薄れようというものではないか。

「……おいオヤジ、ホットドッグをくれ」

「えっ?」

「ホットドッグひとつ」

 店主は目を瞬くが、

「あっ……ああ! まいどあり!」

 そのときだった。ブーイングにも似た、批判的、悲壮的な声が辺りから沸き上がった。それはもちろん、ホットドッグを受け取った男へと向けられている。

 ゴッドスピードにとってはただの確認行為であるが、周囲からの反響は違っていた。これ見よがしにホットドッグを頬張ろうとする、大胆な挑発者に見えたのだ。ウルチャムは二重の意味で唾を飲み込んだ。

 アゴニーはわざとらしくかぶりを振り、眼前の愚者を晒し者にしようと肩をすくめてみせている。状況は圧倒的に劣勢であったが、当の本人は意を介さず、ホットドッグを口にした。ふと観衆が静かになる。

「おお、うまいじゃないか」

 切れ目の入った軽いパンに大きなソーセージが挟み込まれ、刻まれた玉ねぎが輝いている。もちろんケチャップ、マスタードソースはたっぷり、赤と黄色のコントラストが鮮やかだった。

「ソーセージがでかくていいな。食べ応えがある」

 それは率直かつ、素直な感想だった。それゆえにか、観衆から批判の声がなくなっていた。

「……そっ、そうなんだ!」ここぞとばかりに店主は大きく頷く「満足度だろ大事なのはっ! ウチはそれに応え続けて三十年! この形が到達点なんだよっ!」

「まずは試しに食ってみたらいいと思うがな。良し悪しの話はそれからでも遅くはないだろう」

 消費者は素直である。消費には素直さが肝要だとも言い換えられるだろう。なぜなら選び、訝しみ、秤にかけ続けることは当人が思う以上に時間や体力を浪費するからである。

 ましてや、店主とアゴニーの口論でエキサイトした後ならばこそ腹も減ろうというもの、では試しに食ってやるかと思い直すのは消費者心理として当然のことであった。

 それになにより、男の頬張る姿が羨ましくなったのだ。観衆は一瞬にして客に変わり、一転してホットドッグ屋は大盛況の流れとなった。先ほどまでの批判はどこへやら、大きなホットドッグとソーダを手にして満足げな人々は笑い合いながら去ってゆく。

 その流れの最中、二人の男が向かい合っていた。視線がぶつかり合い、奇妙な緊張感を密やかにたたえている。

「君は……間違っている」アゴニーの眼光は鋭い「この世界を、人間社会を間違った方向へと導いている……」

 ゴッドスピードも目を細めていた。大の男がホットドッグでここまで苦渋に満ちた表情をするものかと、強い憐憫を覚えていたからだ。それになにより、こんな戦いの結末など心底どうでもよい。

「……おい、頼むからお前が黒幕だといってくれ……。お前があの死体兵士を操っているんだろう……?」

「おそらく、違います」答えたのはウルチャムである「この方は……」

「まさか、ただのホットドッグマニアだとかいうんじゃなかろうな? いい加減にしろ!」

 掴みかかろうとするゴッドスピードをするりと避けてみせるアゴニーだが、背後から近寄っていたフォーチュンに両脇を捕まれ、そのまま抱え上げられる。

「まごうことなきセインツ! お目にかかれて光栄ですわ!」

 なんだかもう、うんざりだ。ゴッドスピードはうめいた。

 高度を上げたアゴニーは嘆く男を見下ろし、

「安心したまえ、僕が彼女を呼んだのは他でもない、その死体兵士の情報を提供しようと思ったからなんだ」

「さあ、北へと向かいましょうねー」

「待ちたまえ……ちょっと、そっちじゃない……」

 アゴニーはフォーチュンに運ばれていく。

 どのような思惑があるのか分からないが、情報提供の意思があるらしい。ならば追うべきであろう。

 しかし、うんざりしているゴッドスピードの足は重い。そしてフォーチュンと戯れているアゴニーを見やり、ウルチャムはひっそりと頬を膨らませるのだった。


【ホットドッグ協定】

 アゴニーの行き先はよくあるダイニングだった。まだ昼前とはいえ、席の半分は埋まっている。ゴッドスピードたちは四人がけの席に収まった。

「そろそろお昼ですものね。何にしましょうか?」

 フォーチュンは楽しげである。セインツが二人もいてご機嫌なのだ。

「ここのホットドッグはポーク100パーセントなんだ」

 天井を眺めながら、アゴニーは呟く。まだその話題を引っ張るのか。ゴッドスピードはうなり、

「で、サンドイッチファンのお前が何を教えてくれるって?」

「なるほど……」アゴニーは天井を見上げたままである「記憶をなくしたとて、その軽口は健在らしい。しかしその話題はよすんだ」

「ホットドッグはサンドイッチなのですか?」

「やめなさい」アゴニーはウルチャムを見据えた「僕はその件に関し、そう気は長くない。ホットドッグはサンドイッチではない。その事実はこの宇宙が終わるまで変わらない」

 ウルチャムはそっぽを向いた。まがりなりにもフォーチュンを取られてご機嫌斜めなのである。

「それでお前はここのポークが100パーセントである他に何を知っているんだ?」

「口を慎みなさい」フォーチュンはぺんとテーブルを叩く「このお方はホットドッグの王なのよ」

 ふとウルチャムが失笑し、アゴニーはうなる。

「……死体兵士というからには解剖は済んだのかな。そう、あれらを操っているのは地球政府を名乗る秘密組織の一員だろう」

「実在するのか」

「ああ。もともとはコミュニティを渡って活動するシンクタンクだったが、知識を蓄え過ぎて狂ったのさ」

「GDオプショナルとかいう俳優たちの演技に付き合わされたこともあるが、その関係でいいのか?」

「ガバメント・デバイスの雇われだな。奴らは何も知らんさ」

「あの狂犬どもは何なんだ?」

「実験体だ。バックマン、もしくはリバースサイボーグと呼ばれ、主に脳髄を機械化した人体だ。人間社会に溶け込ませ、必要に応じて暗殺、武装蜂起に使われるが、より身近な脅威は選挙に利用されることか」

「操っているのは……」ウルチャムである「エンパシア、なのですね……?」

「そうだが、おそらく純正ではないだろうな」

「……純正?」

「変異性エンパシアと呼ばれる人種がいる。共感能力はそのままだが、受け取る感覚が部分的に捻れているんだ。代表的な例としては、苦痛を快楽に変換するタイプがある」

「苦痛を……?」

「彼らは常人と同様に幸福や快楽を必要とするが、その手段は非常識かつ極端に走りがちだ」

「ま、まさか……!」

 そのときウルチャムは理解した。コブウェブ、そしてあの男がそうなのだと。

「コヴウェブと呼ばれているあのひとも、そうなのですね」

「ああ……そう」アゴニーは頷く「彼らはときに、自らを出来損ないと自嘲する。そして我々を憎んでもいる」

「できそこない……」

 ウルチャムは眉をひそめる。だからこそ、あれほど私を……。

「お前を憎んでいるって? あの女が?」

「好かれてはいないだろうね」

「……なるほどな。それで、奴らの根城はどこにある?」

「それはこれから暴くつもりだ。作戦の提案がある」

「なに?」

「共同作戦と洒落込もう」

「だが、お前らは評判が悪すぎるぞ。俺たちも仲間はずれになっちまったらどうしてくれるんだ?」

「そのときは僕たちの仲間になればいい」

「それは御免だな。なにより芸術家気取りのクソッタレが気に入らん」

「今回は僕だけだよ。早期解決のために必須の駒だと思うがね。なるほど彼女でもやれるかもしれないが、見たところ……」

 二人の視線が衝突する。

「……なんですか?」

「かなり能力に制限がかかっている。分化を進める教育を施したな。なるほど暴走の可能性は低くなるが、強みも薄まるな」

「……暴走だと?」

 そのとき、ウルチャムが立ち上がった。

「私は、暴走などしません……!」

「だから、そういっているじゃないか」

「あなたは、なんなのですか……? なにが目的なのですか……?」

「君たちが仲間になるのなら、教えてあげるよ」

「フォーチュン! そのひとと仲良くしてはいけません……!」

 ゴッドスピードにとっては意外な展開といえた。いわば同種なのだから、すぐに打ち解け合う可能性をこそ懸念していたからだ。

 しかし、現状においてはあまり歓迎できない状況だった。彼は内心、早期解決のため、この男と組む必要性があると考えていたからだ。

 同僚の手前、そして今後の敵対を踏まえての挑発的な態度だったが、実際的に考えて、手がかりがあまりにも少ないこの状況で受け身に入るのは悪手である。ここで食い止めねば、長期に渡り関連する死傷者を増やしてしまう懸念があるのだ。

 その思いを知ってか知らずか、男の眼前ではウルチャムとアゴニーが言葉を尖らせ合っており、フォーチュンはそれを宥めつつも狼狽えている。

 このままではよくないな。しかし、まだ年若いウルはともかく、なんだってこのアゴニーの野郎はこうも大人気ないのか。

 ゴッドスピードはため息をつき、

「よし、ここは俺のおごりだ」

 そういって、どうしたものかと彼らを窺っていた店員に声をかける。

「ホットドッグ四つ……いや、八つくれ! あと飲み物をテキトウに」

 その後、彼らのテーブルは静かになった。ウルチャムは俯き、アゴニーは天井を眺め、フォーチュンは愛想笑いを浮かべている。

 ややしてホットドッグと飲み物が届いた。そして沈黙を破ったのはゴッドスピードである。

「……いいだろう。一時、共同作戦といこう。な?」

 微笑む男と目が合った少女は恥じらいも含めて頬を染め、ひとつ頷いてホットドッグを口にするのだった。

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