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愚者の楽園  作者: montana
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奪還 Wiseman's:Recapture

【特異個体】

 いまだ第一経路よりオートキラーが現れない。その報告を受けたセットマスターは敵戦力の集中化を懸念した。一箇所に集結され、圧倒的な物量で突撃された場合、一気に押し切られてしまう可能性があるからだ。

 そのため、第一経路側より人員が割かれ、彼の陣営に回ってくるとの報告を受けていた。そしてやってきたのはエンパシーのコードをもつ少女、実力は確かだがときおり大きな失敗をしでかすとのことで、この施設における最下位者だと参照データにはある。

 しかしセットマスターはランクを重視しない。適材適所、適切なタイミング。これを噛み合わせることがなにより重要であり、人員や装備にもしもを求めることはナンセンスに他ならないと知っていたからだ。

「こちらで迎え撃てとの指示を受けました。私の持ち場はどこでしょうか?」

「ロケット!」

 近くの候補生が叫んだ直後、凄まじい爆裂音が轟き防壁が大きくたわんだ。その威力いかんでは壁を構成しているキューブが飛散し回避側が危険となる可能性があるものの、現状においてはなんとか耐えられている。

「君はひとまず僕の側へ。スノウレオパルド、柱を多数、形成してくれ」

『了解』

 要請によって形成された柱の地形は一定の効果を発揮した。敵ロケット弾をいくらか防ぐことに成功したのだ。加えて、機械兵士たちは柱を利用することもなく、またしなやかに避けることもできない様子である。これらの点より、敵は飢餓部隊だとセットマスターは確信する。あのオートキラーたちはメンテナンス不足、つまりはポンコツの集まりなのだ。

 ならば勝算は高い。堅実に迎え撃てば問題なく乗り切れるだろう。

 そんな目論見を抱いた彼だが、すぐに愚かな考えだったと思い知ることとなる。一体、真っ赤なロングコートを着たオートキラーが現れたのだ。

「あれはっ……特異個体かっ!」

 この日、初めてセットマスターが大声を出す。

「総員警戒せよ、レッドコートが現れた! 敏捷性が極めて高く、接近戦を仕掛けてくる可能性が高い! かなり手強いとの話だ、距離をとれっ!」

 ゴッドセンドは特徴的な要素に過ぎないが、それは明確に個体だった。オートキラーは破損が見受けられた場合に修理を行うものの、どのようにそれを完了とするかには揺らぎがある。その結果、量産品である彼らにも個体差が生まれ、その性質は時とともに大きくなっていく傾向にあった。修理は時に改造となり、改造は稀に進化となる。

 しかし、そんな前提があっても、その個体はあまりに例外的であった。コートから露出している部分の意匠が、他の機械人間たちとはまったく異なっている。根本的な部分で別種の存在に見えた。

 爆発で怯んだ隙に突撃してくる可能性が高い。はたしてセットマスターの予想は的中することとなる。ロケットが放たれ、候補生たちが身を隠した隙にレッドコートは驚異的な俊敏さで柱を足場に突撃、次の瞬間には少女のすぐ前、防壁の上に立っていた。ぎょっとした少女は間髪入れずに壁を蹴って後方に転がり、ライフルを構える。

 その顔を見て少女は息をのんだ。激しく抉られた傷と褪せた赤のペイントが相まり、まるで険しい表情を浮かべる修練者のようだったからだ。即座に撃たなかったのはそこに感情の片鱗を感じたゆえにである。そしてこのような躊躇は少女がおかす致命的な失敗の典型だった。

「一目惚れでもしたのかい?」

 セットマスターはレーザーブレードを抜いていた。そしてレッドコートの腕から大型のナイフが現れた瞬間、異音が響き渡り二つの影が交差する。

 強い! この特異個体が評判通り、恐るべき脅威だとセットマスターは確信した。ポンコツの集まりになぜこのような個体がいるのか。

『お前は雪を見たことがあるか』

 それはレッドコートが発した言葉だった。オートキラーが言葉を発するケースは時折あるとされているが、妙に感情じみたそれは彼の反応を一瞬、遅らせるに充分なインパクトがあった。

 その隙を見極めた特異個体は跳躍し、少女に背を向ける形で着地するが、その瞬間を狙い少女は強襲者の膝裏を蹴りつける。人型である以上、その一撃は間違いなく効果的だった。

 レッドコートはバランスを崩し、隙を突き返す形でセットマスターが斬撃を繰り出そうとするものの、それを止めたのは彼自身だった。少女が掴まれているからだ。盾にされる可能性があった。

 しかし次の瞬間、少女は宙を舞っていた。放り投げられたのだ。

「おおおっ!」

 再びはしる斬撃は赤いコートを裂いたが、ボディには届かなかった。またも凄まじい跳躍を見せ、強襲者は濃密な戦線をあっさりと離脱していく。

 退避する機械兵士は珍しい。重なる例外的な事態に見舞われ、セットマスターはしてやられたと強く感じた。周囲の候補生たちも、瞬く間の交戦に加勢することができなかった。誤射はなにより恐ろしいものなのだから。

「エンパシー!」

 候補生たちが少女を案じ、駆け出そうとしている。

「駄目だ、追うな!」

 こんなときこそ冷静にならなければならない。なぜわざわざ彼女を放り投げたのか。それはもちろん囮にするためだろう。助けに飛び出したところを狙い撃つ腹積もりなのだ。

 それは裏を返せばすぐに殺されないという希望を含んでもいた。オートキラーが人質を取るなど聞いたことがないが、これは特異個体による作戦なのかもしれない。

「スノウ、すぐに柱を沈めてくれ! それと第二経路へのドアをすぐに閉めるんだ!」

 防衛のために形成した柱だが、今度は敵兵の有利に働こうとしていた。すぐに柱が沈み込み、ドアが閉じたので最悪の事態は回避されたが、依然として少女は機械兵士に取り囲まれており、閉じられた第二経路へのドアをレッドコートが切り刻んでいる。

 やはり囮の線は濃厚か。あるいは地上まで運び、我々をおびき出そうとしているのだろう。まさか奴らがここまで執拗に人間の心理を揺さぶってくるとは、レッドコートの指示なのだろうか。セットマスターに焦りが浮かぶ。

「援護は不要です! 自力で戻ります!」

 少女は叫んだ。それは実質、見捨てろという声明に他ならない。

「セットマスター! エンパシーがっ!」

 友を案じる叫びがセットマスターの心に響く。

「わかっている! だが持ち場は離れるな!」

「ですが、このままではっ!」

「作戦通り敵兵を迎撃せよ! これは命令だ!」

 候補生たちは今にも少女を追い、飛び出しそうだった。これはまずい。陣形が瓦解すれば一気に壊滅する危険すらある。

 セットマスターは本質的に心優しい男だった。しかし、そうであればこそ冷徹に任務を完遂すべく、自身を制御しなければならない。

「エンパシー! あがけっ!」

 それは精一杯の助言だった。少女はキラーに至近距離での銃撃を与え、いくらか破壊することに成功したものの弾倉を再装填する隙に銃器は奪われてしまい、次の瞬間には担がれてしまった。暴れて抵抗するもののキラーは彼女の努力などまったく意に介することなく淡々と運んでいく。

 私を囮にするつもりだ。しかし多勢に無勢、打つ手がない。みんなの焦りが伝わってくる、このままでは……。

 自分のせいで友人たちが窮地に陥る、あまつさえ死亡する事態など見たくない。少女は自爆という選択を視野に入れる。グレネードがある。いよいよとなればこれを使うしかないだろう。

 そう思ったとき、少女は床に落下していた。見ると担いでいたオートキラーの胴体が両断され、その周囲の者たちも次々と切り裂かれている。

「そのまま伏せていろ!」

 誰かが駆けてくる。二つの人影がある。

 ひとりは重武装のビッグピラーだが、もうひとりは見るからに軽装だった。

 いけない、防備や遮蔽物がない状態でキラーを相手になどできない。

 そんな少女の懸念はすぐに解消される。

 信じられなかった。男は一切、撃たれないままに駆け続けてくる。まるで弾丸を、射線を読み切っているかのように動いている。

 そうだ、覚えがある。敵の攻撃を予知するワイズマンズがいるという話があった。

 その名はそう、ゴッドスピード……。


【ブラックキャット】

 鳥の姿をした尾を引く黒い影がゴッドスピードに迫る。

 あれは不吉の徴、飛ぶ軌道に触れてはならない。

 しかし怪我の影響もあり万全ではない、体の各所が熱い、弾丸の通る音が耳に障る、だが直撃されなければやれる、まだまだやれる!

 ゴッドスピードが手にしている銃はブラックキャットと呼ばれ、超振動刃を発射する特殊なタイプだった。それには合金製のオートキラーをも容易に両断する力がある。

 タイミングを測れ、不吉の影は何者にも平等だ、黒い影が敵と重なった瞬間を狙えばその攻撃は必中する。不吉も転じればなにより強い味方になり得るのだ。

 これがゴッドスピードの受けた恩寵であり、超人的能力だった。

 放たれた超振動刃が弧を描き、オートキラーを一気に切り裂いていく。その威力は数体を両断してもまだ勢いを失わず、壁に深く突き刺さったところでようやく止まるほどだった。

「オオラァアアッ!」

 ビッグピラーが対物ライフルを構える。戦車砲に匹敵するその一撃は射線軸上の敵を一気に粉砕した。

 この増援を契機に、形勢は一気に逆転する。オートキラーたちは二方向からの攻撃によって戦力を分断され、次々と撃破されていくほかなかった。

 そしていつの間にか動くキラーはいなくなっていた。銃撃音が収まり、少女はゆっくりと顔を上げる。眼前にはボロボロの戦闘服を着た男が手を差し出していた。

「無事か?」

 その手を握り、少女は立ち上がった。

「は、はい、怪我はありません」

「そうか、よかった」

 ゴッドスピードは微笑む。少女もふわりと心が温かくなり、微笑みを返した。

 あそこで終わると思っていた。世のために使う力を発揮できないまま死ぬことは寂しかった。少女は深く安堵する。

『私はお前を認めてなどいない』

 そのときだった、切り裂かれたドアの先、第二経路の薄暗い場所よりその声がした。ゴッドスピードと少女はそこに立つ人影を見たが、それはすぐに消え去る。

「こんなことになるとは!」

 早足でスノウレオパルドがやってくる。そして少女を抱き締めた。

「無事でよかった……」

 レッドコートの参戦は彼女にとっても想定外だった。拐われてしまったとしたら、極めて厄介な事態へと発展していただろう。

「すまない、僕のミスだ」セットマスターである「意表を突かれてしまった」

「いいえ、私の見込みが甘かったのです」

「それより終わりなのか?」ビッグピラーのヘルメットが展開する「敵増援はどうだ?」

「第三経路の方はすでに撃退を完了しています。周囲にも敵戦力は見当たりません。ひとつ、レッドコートらしき反応がありましたがそれも急激に遠ざかっています」

「ああ、見たぜ。しかし今はお前だ」

 ビッグピラーはゴッドスピードの肩を掴んだ。

「今まで何をしていやがった? 死んだという噂まであったんだぜ」

「……悪いが覚えていない」

「なんだと?」

「記憶がないんだ」

 ビッグピラーは冗談ととらえてそれを笑い、やがて真顔になった。


【記憶】

 ゴッドスピードは室内を見回した。白く清潔なカーテンやシーツ、簡素なパイプベッド、棚にはぎっしりと様々な医薬品が並んでいる。

 彼は医務室にいた。身体中にあった傷に深刻なものはなかったが、治療を断る理由はない。着ていたスーツや衣服は損傷が激しく、ゴミ箱へと叩き込まれ、現在の彼は下着姿である。

 その傷ついた体を診ていたのはグレースだった。ふわりとした長い薄紫色の髪に陶器の様な白い肌、頬や唇は桃色に染まり、まるでどこかの令嬢のような雰囲気である。

「あなたさまのお噂はかねがね」

 グレースは膝下の包帯を巻きながら彼を見上げ、微笑んだ。

「最も多くのオートキラーを倒している方だとか」

「奴らのことはよく覚えている」

「ええ」グレースは頷く「特定の記憶、対人のそれが多く欠落しているそうですね。それは明らかに人為的処置です。消したか、消されたか」

 そうか、自身の判断で消したかもしれないのか。ゴッドスピードはその可能性に不穏を覚える。

「……記憶を戻す方法は?」

「不可能ではないのでしょうが、リスクがあるとは聞きます」

「そう、か……」

「その際にまた記憶を消されるか、別の記憶を植えつけられるかもしれませんし」

 男は眉をひそめ、グレースを見やる。確かにその通りだ。

「……俺はいったい、何を信じればいい?」

「他愛だけが、あるいは」少女は魅惑的に微笑む「裏切られてもいいと思えるならば、結果はどちらでも」

「……思えなければ?」

「憎しみばかりが」

 まだ子供ともいえる齢だろうに、妙に達観とした言葉を紡ぐものだ。ゴッドスピードは感心を覚えた。

 治療が終わり、ゴッドスピードは新品の戦闘服を着るが、その様子をグレースはじっと見つめる。

「……どうかしたのか?」

「いいええ」グレースは男に大型のケースを手渡す「どうぞ、ひとまずのバトルスーツですわ」

「ああ……ありがとう」

 妙な視線を背に彼が医務室から出ようとしたそのとき、ちょうど入室するところだったスノウレオパルドと鉢合わせになる。

「グレース、治療は済みましたか?」

「はいマーマ」

 女は男に視線を移し、

「自己紹介が、必要ですか?」

「ああ……もちろん」

 女はわずかに目を細める。

「……私はワイズマンズ3、スノウレオパルド。ここでは教官と施設長を兼ねています」

 そういえばそうか、あの通信の主と同じ声なのだから。そしてゴッドスピードは少々の疑問を覚えた。これほどの規模の施設を任されるには異様に若く見えたからだ。

「……まるでお人形さんだな、あんたたちは」

「あら光栄ですわ」グレースは微笑む「ワイズマンズは特異な容姿をしている場合があります。妊娠初期の母体に……いえ、先達さまに説明など、釈迦になんとやらでしたね」

「いや……続けてくれ」

「……そこまでお忘れになったのですか?」

「いや、一応の確認だよ……」

 それは記憶喪失の影響なのか、候補生時代に授業を聞いていなかっただけなのか。グレースはくすくすと笑い、ゴッドスピードはうなる。

「……母体にナノマシンを与え、その子供は常人を超える資質をもって生まれてきますが、変化は外見的特徴にも現れることがあり、例えば毛髪や瞳の色が本来あり得ない色をしているケースが散見されています」

「そしてその資質は恩寵と呼ばれています」スノウレオパルドが言葉を継ぐ「恩寵の発現には個人差があり、身体能力強化、知能指数向上、感覚器官の鋭敏化……そしてあるいは超感覚を得る場合もあります」

「あなたさまの恩寵は極めて珍しい予知能力だとか」

 ゴッドスピードは予知という表現に違和感を覚えた。影の印象が強く、むしろ不幸を退ける力のように解釈していたからだ。

「悪いが、なんともいえないな」

 今はそう曖昧に答えるしかない。説明がし難いし、あまり明け透けにするのも危険と思われたのだ。彼女らに疑惑を抱いているわけではないが。

「それで記憶の件だが……」

「対人関係の記憶に問題があるそうですね。ある事件に関係があるものと推察できますが、我々もその事件について詳細を把握しておらず、半端な情報開示はかえって真相究明の妨げとなるでしょう。また、仮に把握していたとしても、あなたには伝えられません。記憶喪失の状態では担当外とみなされ、任務の詳細を知る立場にないからです」

「なに……? じゃあ、記憶回復の治療をしてくれないか?」

「記憶というものは喪失させたり植えつけることより、正確に思い出させることの方がずっと困難なのです。また正確といっても何をもってそういえるのか、それもまた判別が難しい。それゆえ、自然と思い出すに任せる方がよいかと思われます」

「自然と……しかし」

「そもそもあなたが自身の判断でそうしたのかもしれず、その問題はデリケートな要素を多分に含んでいます」

「……何か、疑いでもあるのか?」

「あなたは自身の責任において、むしろ我々に様々な情報を秘匿していた形跡があります。いってしまえばあなたが本当に記憶喪失状態であるかどうかすら我々には断定できない」

「……虚偽を演じていると?」

「これまでそう疑われてもおかしくない態度をとっていた、と認識してください。我々は今後、あなたという同胞をより強く案じ、よく見守ることでしょう」

 含みのある言葉だった。それはつまり、

「……監視下に置く、か」

「信頼を裏切るワイズマンズはときどき現れます。あなたがそうだとはいいませんが、万が一のこともありますし、対処する必要があるとは思いませんか?」

 男はうなり、

「そう、だな……」

「あなたは被害者なのかもしれません。ならばこそ、様々な不安や不信も相まり、我々の態度がある意味、苛酷に思えることもあるでしょう。ですが我々は同胞です。あなたを信頼しています。あなたの信頼にもよく応えましょう。この言葉だけでは不満ですか?」

 問題を抱えているとき、人は己こそが被害者だと思い込みがちである。弱き者、苦難に見舞われし者はそれを理由に自身を正当化するのだ。

 同様に、記憶がないことを理由に他者や組織に対し不信感を抱くことは容易である。しかし、ゴッドスピードという男はそういった傾向に外れ、むしろ自身の過ちを懸念した。

「……いや、そうだな、あんたのいう通りだと思うよ。何か思い出したら報告すると約束する」

「ありがとう」

 スノウレオパルドの表情がふと柔らかくなる。

「それでは機密情報移行完了後、ここを撤収します。そして、本施設の候補生を卒業させ、ワイズマンズとして登録することになりますが、もちろんあなたにも卒業生を預けることとなります」

「なに?」男は耳を疑った「記憶の欠落した奴に子供を預けるだと?」

 グレースは鼻で溜息し、

「子供ではありませんよ」

「正当な理由なしに拒否はできません」

「記憶喪失は正当ではないと?」

 無視をされたグレースは眉をひそめ、

「あの、子供ではないのですが」

「任務遂行能力はあるものと判断します」

「あるのか? 俺自身にもよくわからんことだぞ」

「サポートはします」

 相手にされないグレースはうなり、

「子供ではありませんし」

 男は考え込む。納得がいかないというより不安だった。しかし、年長が責任を負うことは当然あるべき姿勢ではないか。記憶喪失とて致命的でないのならば拒否する理由にはならないのかもしれない。

 世界が混迷しているという認識は彼においても確かにあったし、それは実際にその通りだった。

 悪党がのさばり、殺人機械が闊歩し、ひたすらに荒野の広がるこの世界は深く混迷に満ちている。だとするなら、やれることはやるべきではないか。

「……そうだな、できることは……」

 そのとき、ドアが開いた。そしてスノウレオパルドと同じく、雪のように白く長い髪の少女が入ってくる。それは先に救われた少女だった。

「さあ、挨拶を」

 少女は目をぱちぱちと瞬き、

「ワイズマンズ276、コード・エンパシーです」

「あなたには彼女とバディを組んでもらいます」

 冗談だろう。ゴッドスピードは耳を疑った。

「彼女は極めて優秀です。ただ、ときおり大きな失敗をすることがあります。それゆえに……」

「待て」ゴッドスピードはさえぎり「本気なのか?」

「何か問題が?」

「あるさ、色々と」

「やはり、ご不満でしょうか……?」

 少女はおずおずと尋ねる。

「た、確かに私は本施設最低のランクですが、誠心誠意、努めて任務に励むと……」

「待て、問題はそこではない。俺は記憶喪失なんだよ。対人のそれが怪しいと踏んでいるが、あるいはもっといろいろと忘れている可能性もある。そんな男と行動を共に……そう、男なんだぞ、たしか……」

 チームを組む場合、同性に限るといった不文律があったと彼は思い出した。ワイズマンズとて男と女、良し悪しに関わらず、そういった関係になってもおかしくはないがゆえの慣習である。

「せめて男にしろ、それが筋だ」

「あなたたちは例外です」

「例外? しかし……君はどうなんだ? 男と二人、不安はないのか?」

 少女はまた目を瞬き、

「あ、ありませんが……」

「……どういう教育をしているんだ?」

 スノウレオパルドは少女の肩に手をやり、

「私はあなたのことをよく知っています。あなたにはこの子が最適です。この子にもあなたが最適です。不安があるというなら努力をし、克服すべきでしょう」

 ゴッドスピードはうなった。グレースもうなった。

 少女は彼を見つめている。

 その鮮やかに黄色い瞳は信頼の輝きに満ちていた。


【名前】

 機密情報の移行が済み、物資を運搬車に運び切ると、いよいよ卒業の時となる。候補生たちはまた一人ずつマーマとお別れをし、その後、続々と駆けつけたワイズマンズの元に預けられていった。せっかちなファルコンは新たな隊員を引き連れ、とっくに施設を去っている。

「俺たちは組んでいたこともあるんだぜ」

 大きな拳がゴッドスピードの胸を小突く。

「さっさと思い出しとけよ」

「ああ……悪いな」

「よせやい。じゃあな、嬢ちゃんも」

 少女は敬礼し、

「はい、お世話になりました」

「襲われたら金玉を思い切り蹴り上げてやれ!」

「は、はあ……」

「そんなこと誰がするか……!」

 ビッグピラーは笑いながら複数の候補生を連れて施設を後にし、その入れ替わりでセットマスターが現れる。

「君には不甲斐ないところを見せてしまったね」

「いいえっ、あれは私のミスです!」

「お互い精進だ」

 彼はゴッドスピードの肩を叩き、

「なんにせよ助かったよ。また会うこともあるだろう、そのときはおごるよ」

「悪いな、頭の調子がよくなくてな」

「いいさ、僕らは存外に会う機会がなかったんだ。しかし今回の戦闘でわかったよ、君は噂に違わぬ凄腕だ」

「まあ、そうだといいがな」

「そうさ。ではまた」

 そして彼はたくさんの候補生たちを連れて去っていく。

「いいなぁ」

 ゴッドスピードはふと注がれる視線に気がつく。それは黄色い、錨のような髪型をした少女より向けられたものだった。

「パシィはこのひとなんだ、いいなぁ、羨ましいなぁ、キラー破壊の最高実績をもってるんだよね」

 ハイスコアはゴッドスピードをまじまじと見つめながら、その周囲を幾度もまわる。彼女はあのとき、彼とビッグピラーの後をこっそり追っていた。そして目の当たりにしたのだ、銃弾の当たらない男の戦いを。

「キラー相手に、遮蔽物もなく真っ向から戦える人は珍しいんだよね。何が見えてるのっ?」

 達人扱いされている男は肩をすくめ、

「まあ、なんとなく不吉な影がな……」

「……影?」

「そいつらを避けていれば最悪な事態にはならんのさ」

「へえ、へーえ! そうか、そうなんだぁ!」

 楽しい子鹿のように跳ね回るハイスコアだったが、その襟を掴む手があった。

「お前の担当は私だ」

 ワイズマンズ17、インテグラル。オールバックの髪とサングラスが特徴的な、スパルタで名高い女性隊員だった。戦闘には間に合わなかったが、非常に優秀とされる隊員を得たことに彼女は満足していた。

 対し、ハイスコアは露骨に苦虫を噛み潰したような顔をする。

「本当に、羨ましい限りですわ」グレースは溜息をつく「わたくしなど本部へ出向ですし……」

「えっ、本当ですか?」少女は目を丸くする「すごいじゃないですか!」

 グレースはワイズマンズ本部の研究所に配属されるとのことだった。それは本来、名誉なことだが彼女にとってはその限りでもない。

「素敵な殿方と二人っきりで旅をするロマンスに比べればまるで砂漠のようですわ……」

「そ、そうでしょうか……?」

「それよりパシィ、どうかご無事で」

 グレースは少女に抱きつく。

「わたくしは、あなたにだけは死んでもらいたくありません」

 深い慈愛と懸念があった。少女もグレースを抱き返す。

「私も、グレースの無事を祈ります」

「わたくしは研究所勤務ですし、大丈夫ですよ」

「ねー、マーマ! 私もあの人がいー! 絶対、相性最高だって! わかるんだ、間違いないよ!」

「黙れ」

 ハイスコアはまたインテグラルに襟を掴まれ、がっくりとうなだれた。

 そしていよいよ別れの時間がやってきた。少女はまたマーマに抱き締めてもらう。

「この子をお願いします」

「ああ……」

「エンパシー、彼をお願いしますね」

「はいっ」

 少女は敬礼をし、寂しさを露わにしないよう、懸命に努めた。

「じゃー、またね……」

 ハイスコアはわざとらしく溜息を吐きながら少女の両肩を掴む。

「ま、すぐに会えるでしょ。外で一緒に遊ぼうね」

「そうなればいいですね」

「なるよ、きっと」

 ハイスコアはこんなときにもなんら変化がない。明朗として見送ってくれるのだ。少女にも元気が湧いてくる。

「よし……じゃあ、そろそろ行くかい?」

「はい! それでは……」

 少女は後ろ髪を引かれながらもその場を後にし、施設の階段を上っていく。そこにはまだオートキラーの塊や残骸が転がっていた。

「……この方たちは、何を目的に人類を狙うのでしょうか?」

 男はうなり、

「まあ、根絶のためだろうな」

「なぜ、そのようなことをするのでしょうか……?」

「さあな、人間に愛想が尽きたんじゃないか」

 外は夕方だった。荒野は風が吹き荒び、遠くに車両が止まっている。ゴッドスピードは銃器と大きなバックパックを重そうに揺らす少女を見やった。

「……半分、持とうか?」

「お気遣いありがとうございます。ですが、私の荷物ですので」

 そして二人は車両にまで向かい、少女は荷物を乗せる。

 車両のコンピュータは調子が悪いままだったが、メンテナンスをする時間はない。またいつオートキラーの襲来があるかもわからないからだ。今はなるべく早くこの場を離れる必要があった。任務の詳細も追って伝えられるらしい。現状はただ、施設より離れよと指示されている。

 ゴッドスピードは運転席に座り、助手席に少女が収まる。そしてそのとき彼女は気がついた。ここには誰かがずっと座っていた。そんな感覚を覚えたのだ。

「あの」

「なんだい?」

「この車両には、私たちだけですか?」

「そうだ。だから俺はあれだと……」

 ならば、そういうことなのかもしれない。少女は追及しないことにした。

「……まあともかく、これからよろしくな。至らないことも多々あると思うが、気になることがあれば遠慮なく指摘してくれよ」

「はい。私も精一杯、努力します。今後ともよろしくお願いいたします」

 二人は歳が十以上も離れていた。それに少女というのがまたいろいろと厄介だ。ゴッドスピードはこっそりため息をつく。

「……よし、じゃあ、発車するぞ」

 一台の戦闘車両がぽつねんと進んでいく。日の落ちかけた荒野はオーブンのように赤いが、暑くはない。

 少し沈黙が続いたのち、ふとゴッドスピードが口を開いた。

「……ところで、施設より遠ざかれという指示以外に何か聞いたかい?」

 少女は目を瞬き、

「いいえ、特には……」

「そうか、ということは闇雲に進むしかないか」

「……これは、闇雲に進んでいるのですか?」

「ああ、間違いなく闇雲だ」

「そうなのですか。任務が不明だといかにも困惑しますね」

「目的が与えられないと何もできないんだ」

「切実ですね」

「闇雲だよ」

 あてもない会話とともに淡々と車両は進み、ふと男はあることを思い出した。コードネームの他に与えられた名前があった気がする。しかし、彼は自身のそれを思い出せない。

「……ところで君の名前は何だった?」

「エンパシーです。親しい子はパシィと呼びます」

「そうか、俺はゴッドスピードという」

「はい、存じています」

「そうじゃなく、他の名前だよ」

「他の……名前ですか?」

「卒業記念だな」

「そうなのですか」

「いや、実際的に必要だったような……」

「ああ、そうでした。様々な理由によりワイズマンズは秘密組織という扱いになっており、外の社会では別名義を使用するのですよね」

「それだ」

「確認してみます」

 少女は支給された携帯端末を操作し、自身のプロフィールを確認する。

「ええっと、私の名前は……ウルチャム」

「ウルチャム」

「ウルチャムです。ウルチャム・エリクシール……」

 少女は不思議な感覚を覚えた。マーマがつけてくれたのだろうか。そうならとても嬉しい。

「ウルチャム……? あれ、どこかで……」

「素敵な名前です」

「ああ……そうだな。かわいらしい響きだ」

「か、かわいい、ですか?」

「うん、よく似合っている」

 ウルチャムは顔を赤らめ、嬉しさと気恥ずかしさで顔を外へと向けた。

 車両は荒野を走り続ける。夕日は落ち続け、夜の顔になろうとしていた。

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