虚空 Blood sin:Nilpray
虚空 Blood sin:Nilpray
【綴るもの】
『先ほど、特定救援要請がありました。発信者はマイル・シーカー、アウトロー相手の取材を生業とした記者であり、一種の情報屋ともいえます』
「……虎穴に入る命知らずか。だが、間に合うのか?」
『位置的にあなたたちが最速です。後は運次第でしょう。アウトローとの戦闘が予想されます。決して気を抜かないように』
「人と……」
ウルチャムはもちろん、乗り気ではない。しかしその機敏にスノウレオパルドはどこまでも冷徹であった。
『情けは無用です。敵対者に対しては徹底して急所を狙い、充分な行動力の低下を求めなさい』
「その……最たるものは、殺害、ですよね……」
『敵対者の生死は我々の感知することではありません。目的に適う行動を取ることが何より肝要です』
「分かります……でも……」
『情けをかける余裕などないはずです。そうして隙を晒し、あまつさえ反撃を許すなど愚の骨頂でしょう』
厳しい指摘だが、ゴッドスピードも同感だった。彼女にあってはオートキラーより人間の方がよほど危険である。
しかしながら、彼にも思うところはある。けっきょくのところ、この少女はとりわけ、戦闘行為に向いていないのではないか。対人はもちろん、オートキラーに対してすら情けをかけかねないし、対象を攻撃したところで、その苦しみがフィードバックされかねない。
「わかんないなー!」ハイスコアである「とにかく全力でやるでしょ、戦いなんだから! そうして相手がどんなになったって、それはそれで良くないっ?」
『その通りです。戦場ではその良し悪しに関わらず、何もかもが行われます。ならばこそ、他ならぬ自身や同胞がその実力を以って、無法の場を制しなければならない。そして、その意義においては人命など二の次です』
「に、二の次、ですかっ……? 我々はとどのつまり、人命のために戦っているのではっ……?」
『いいえ、人命を尊ぶ社会のために戦っているのです』
「そのために、私たちは眼前の人間を殺めなくてはならないと……」
「……誰もいなければ」
ふと、ゴッドスピードの呟きが割って入った。
「何も、起こらない」
その一言を受け、静寂が残った。
ウルチャム、ハイスコア、そしてプレーンはその言葉の真意を測りかねていた。だが、スノウレオパルドの語調が明確に変化する。
『……エンパシー、あなたはその荒野が好きですか?』
不意の問いかけにウルチャムは目を瞬き、
「はい……?」
『あなたにとって、その荒野は居心地がよいですか?』
「ええっと……静かなのはよいですが、すべきことがなくなるので……」
『嫌であったり、いっそ怖くはありませんか? 潜んでいる敵対者のことではなく、その虚無に満ちた光景が』
「……嫌、怖い、ですか? ……あまり、考えたことがありませんが……この荒野そのものは、特に……」
荒野は恐ろしいものであることがほとんどである。水や食料に乏しく、気候も極端な場合が多い。一般的な生活には向かない場合が多々あるだろう。
それだけに、ウルチャムの回答は変わっていると、ゴッドスピードには感じ取れた。
「えー! なんにもないのにっ?」ハイスコアは当然の反応を見せる「乏しいじゃん! 何もかもがさっ! 戦闘がないと飽きるよね、ぶっちゃけ!」
「静けさを好むのであれば、そう悪いところでもないのかもしれません」プレーンである「着陸もし易いですし」
「でもそれ、車両とか、安全なハコありきでしょ?」
「もちろんそうです。それが前提での話なんですよね?」
「はい? ……ええっと、たぶん、そう? なのでしょうか……?」
「ええー? マジで荒野が好きなタイプ? 変わってるー!」
「い、いえ、それはもちろん、森とか、林とか、自然豊かな場所の方が好きですよ。でも、なんだか……」
『すみません、話が脱線しましたね。ですが、静寂を好むのであればこそ、騒がしさ極まる戦場においては最適な動きを見せねばなりません。躊躇はより混迷を深めてしまいますからね』
「は、はい……」
「まあ、好きにさせてやってくれ」ゴッドスピードである「責任は俺が持つよ」
『単騎ならばこそ驚異的な戦闘能力をもつあなたですが、サポート能力はさしたるものではないと、ここに忠告をしておきます』
「えっ……」ゴッドスピードはうなり「……マジで?」
『はい、あくまで比較の問題ですが、バランスが悪いとは指摘しておきます。あなたと高レベルのコンビネーションを取れる人材は極めて少なかった』
「そ、そう……」
『加えて、あなたも冷徹とは言い難い側面がある。エンパシーの情動に共感する可能性が高く、そのことにより発生するリスクが懸念されるとの報告もあります』
「そう、かぁ……?」
『この議題は水掛け論になるでしょう。いま現在、その兆候が出ていますから。ともかく、戦場では徹底して冷徹に振る舞うこと。ハイスコア、あなたはそれが得意ですよね?』
「もちろんでありますー! 一切の躊躇なく敵の五体を粉砕し、完全に撃滅することをここに誓いますー!」
『……よろしい、では任務を完遂することを望みます』
そして通信が切れ、少しの沈黙が漂ったところで、ふとウルチャムが口を開いた。
「……すみません。すべてただの、わがままです……」
ゴッドスピードはうなり、
「……それはどうかな」
「そろそろ到着ですよ」
「ああ……ああ? なんだありゃあ?」
眼下に岩山が鎮座している。鎮座している岩山の頂上は平坦な地形になっている。平坦な地形には、いわゆる撮影機材と舞台セットが展開している。一見して奇妙な光景である。そこに複数の人影が確認できた。
「おい、本当にここなんだろうな?」
「そのはずですが……ええ、マイル・シーカー、確認できました」
頂上よりやや低い、小さな平地にテーブルセットがあり、そこにも三つの人影があった。
「ああ、確かにマイル・シーカーだ、生きているな!」
「それより先輩、あのときの男です」プレーンである「夜の貴公子と呼ばれている排除対象も確認できました」
「夜の、ブラッド・シンの頭領だとっ? ということは、ここは……!」
「暴れまくっていいってことだよねっ?」
後部ハッチを開け、いち早くハイスコアが飛び降りた。
「おい待て! ウル、準備はいいかっ?」
「はっ、はい!」
「いくぞっ!」
ゴッドスピードは飛行機より飛び降り、下方の状況を視認した。迎撃の構えはないが、すでにハイスコアが何者かと交戦をしている。蹴りを掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。
「スコアッ!」
ゴッドスピードは着地のエネルギーを移動に利用し、ブースターをふかしつつ、ハイスコアを抱きとめる。
「おいっ、無事かっ?」
「あいつぅうう……!」
極めて頑丈なハイスコアが苦痛に顔を歪ませている、そして敵対者を視認したとき、ゴッドスピードは驚愕した。
金色に輝く瞳をもつ目は異様に大きく、輝くような黒い肌はよく見ると体毛に覆われ、長くウェーブがかかった毛髪からは大きな耳が二つ、角のように飛び出している。その人物は大まかに、猫のような容姿をしていた。胸の隆起からするに、黒猫のような女と表現できるだろう。
しかし、彼にはその姿に見覚えがあった。映画でときおり見かける人種にそっくりだったからだ。
「……何者だ?」
黒猫の女は聞き慣れない音を発したが、次の瞬間には彼にも理解のできる言葉となっていた。
「ようやく来たか。予知が発現しているらしいな。どの程度の背景か確かめてやろう」
「なに?」
『超! 危険個体確認っ!』彼の耳元で大声が鳴り響いた『すぐさま退避をっ! 戦ってはいけないっ!』
「なにぃっ……?」
接近は刹那に迫る速さだった、超速の拳が空を切り、続いて連打が襲いかかるが、ゴッドスピードはすべて、紙一重で躱していく。
「なるほど、お前の背景は大きいな」
ハイスコアを抱えながらでは戦えない、どうすべきか思案している最中、ウルチャムが遅れて着地した。
黒猫の大きな瞳が、白髪の少女を捉える。
「……ウルッ! すぐさま離脱しろっ!」
しかし黒猫の初動はあまりにも早く、そして速かった。一瞬にしてウルチャムを掴まえてしまう。
「くそっ!」
ゴッドスピードはハイスコアを放り、シルバーフォックスを構える。だが誤射の危険があるのですぐに引き金を引くことはできない。
「おおー、エンパシアー!」
だが、危害はされていなかった。黒猫の女はウルチャムの腰を両掴みにし、高く持ち上げる。
「わわっ、なんですかっ?」
ゴッドスピードは理解していた。あれは間違いなく人間ではない。ワイズマンズと比べてすら、動きがあまりにも人間離れしている。その容姿も特殊メイクなどではないのかもしれない。
なるほど戦闘は危険だろう。交渉し、和解を求めるのが安全だ。
しかし、彼の視界に混迷の因子が入り込んだ。ハイスコアが黒猫の女の背後より接近しつつあったのだ。
「おいよせっ!」
『いけないっ、戦わせないで!』
「調子にぃ、のるなっ!」
ハイスコアの拳が黒猫の女、その脇に突き刺さった。全力の一撃である。しかしその瞬間、超人たる少女は戦慄する、硬い、いや柔らかい、衝撃が分散しているっ? 力の移動を感じる、不味いっ!
次の瞬間、反撃の横蹴りが襲い掛かった、ハイスコアは両腕を交差させて防御をする、だが軋む、いや折れた! 威力は胴まで貫通する、そのまま一直線に飛んでいく、その先は崖である。
「スコアァアッ!」
二人同時に叫んだ、そしてウルチャムは眼前の者を敵対者として強く認識、ブーストで回転しその手より逃れ、渾身の力、その両足で蹴り抜いたが、黒猫の女は両腕を広げたまま、笑っている。
思わず、やってしまった!
でも、まるで効いていないっ?
感触も変だ! 特別な技能? それとも人間ではないっ?
ウルチャムは再びブーストをふかし、一旦の距離を置いたところで、ゴッドスピードが横に並ぶ。
「ここは任せろ、スコアを救出するんだ!」
「でっ、ですがっ……!」
「さっさといけっ!」
「はいっ……!」
ウルチャムが戦線を離脱、黒猫の視線は彼女を追うが、足はその場から動いていない。
ゴッドスピードは息をのむ。想定外の戦闘能力を保有する相手との交戦は彼にとって稀ではなかったが、眼前のそれはあまりに不可解だった。
「お前は……人間ではないな? いったい何者だ?」
「私か? いうなれば、綴るものだな」
「綴る……?」
「神話を語るもの、神託者ともいえる」
「……聞きたいのは、なぜ戦闘行為に出るのか、だ。ブラッド・シンなのか?」
「先に手を出してきたのはあの娘の方だぞ。だが謝る必要はない、私にとって都合がよかったからな。背景を探るにしても、いきなり襲い掛かったのでは私の品性が疑われるだろう。そうだ、あの娘を婉曲的に揶揄しているが、それに勢い余って崖から落としてしまったが、死んでいたら怒るか? まあ確率は低いから安心するといい、それよりセットを用意したのだ、これ台本ね」
黒猫の女は懐から紙束を取り出し、差し出した。
「……なに?」
「演技は大事なんだよ、あれには見分けがついていないフシがある。どちらでもいいのかもしれないな。まあこれはただのセットだが、お前たちは初心者だろう? 演技なんてしたことないよな? だから私が教えてやろうというんだ」
何を言っているのか、まるで分からない。
『話を合わせて、余計な刺激を与えないように、それは狂っているが、個体としては最高クラスの戦力を保有している』
ゴッドスピードとしても同感だった。無下にして激昂でもされては敵わない。幸い、好戦意欲はそう高くないらしい。ここは話を合わせ、穏便にやり過ごすことが肝要である。
「……わかった、とにかく、同僚が先制したことは謝る、まずは彼女と……近くにいるはずのマイル・シーカーを救出させてくれ……それからなら、あんたの話をゆっくりと聞けるだろう」
「なんで?」
ふとした沈黙が過った。何が、なんで? なのか、その返答はゴッドスピードの予測にまるでない。
そして彼の思考は、より純粋な着地をみせた。
「……あんたのその顔、本物?」
黒猫の女は中空を眺めるように視線を泳がせ、ふと目の前の男に焦点を戻した。
「なにが?」
「顔だよ、猫みたいな、被り物か?」
今度は眉間に力を込め、勘ぐろうとした。しかし、首を傾げるにいたる。
「なにが?」
「いやいい……それで」ゴッドスピードは咳払いをする「俺がその、演技をしたら、何がどうなる?」
「神話を綴る参考になる」
「神話って、あの神話?」
「あの神話? 何か知っているのか? 言語的な意味合いの確認か? 後者と見せかけて前者のニュアンスがあるな。お前、記憶がないだろう」
唐突かつ、あまりにも核心を突くような問いかけだった。
「なんだとっ? なぜ、何を知っているっ?」
「推測だよ、私ほどになると推測で飯が食えるし、家も建つ」
「なぜ、そう推測できるっ?」
「お前を演者に選ぶ者は必然、私以外にもいるだろう。なぜなら、お前の背景が大きいからだ。そしてその者はお前の記憶を消そうとする。操るのに都合がいいからだ。そう、記憶喪失は断片的なはずだ。対人関係とみた」
あまりに的を射る結論だが、どう考えても出来すぎている。ならば当然、眼前の者が真相に近しい存在であると疑うのは必然であった。
「……まさか、あんたは」
「いったろう、推理だよ。いっていないな、でも推理で正しい。私くらいになると推理で人が死ぬ。皮肉だな!」
「……では推理してくれ、誰が俺の記憶を奪った?」
「お前の為を想っていうが、マイル・シーカーはいいのか? 先ほどからバツが悪そうにお前を待っているぞ」
「なにっ?」
振り返ると確かに、男がいた。
「すまない、急いでくれ……! 仲間が特殊なオートキラーと戦闘中なんだ!」
「なにぃ? いやっ、しかし……」
マイルないし、その仲間の救出は本作戦の本懐だ、しかしスコアを助けに向かったウルを待つ必要がないか、いや、自分も救助に向かうべきだろう、しかし、この場を動いてこの黒猫の女が黙っているか、自分の記憶についての推理とやらを聞いてみたい、まずはあのマイルの安全を確保せねば、だがその仲間が危険らしい、救援が必要だろうが、このマイルに道案内をしてもらう必要性が生まれてくるのでは、いや、こうしている間にもスコアが……。
一瞬にして様々な意向が交錯、衝突し、彼はかえって動けなくなった、そのタイミングである。
「はい台本」
ゴッドスピードは、差し出された紙束を受け取ってしまう。
「演じればお前の懸念はすべて解決するぞ」
しかし、台本に書かれている内容が分からない。
「……なんだこれは?」
「ちゃんと目を通すんだ」
そもそも文章ではないとゴッドスピードは断じる。その理由は至極明確で、二つとして同じ象形の文字がなかったからだ。
「読めない、いや読めるはずがないだろう、こんなもの」
「お前の知能が解する必要はない。だが何度も読んでおけ。きっと人類の助けになる」
「人類、だって……?」
「救済者はお前でもお前でなくてもいい。お前の背景も、お前でなくてもいい。だが今はお前だ。英雄と虫ケラに違いなどないからな!」
そのときだった、ハイスコアを抱えたウルチャムが崖から飛び出してくる。
「ありがと! もういいよ!」
ウルチャムが手を離すと、ハイスコアが着地した。顔中血だらけで、ツナギの腕部分が破れ切っていたが、本人は五体満足どころか身体中が隆起している。
「ほう」黒猫の女は笑む「もう回復したのか。出来がいいな」
「さあ、第二ラウンド始めようか!」
無事なのはよかった。しかし、かなり興奮している様子である。
ああなっては止められないし、いまは止める時間も惜しい。
「……あんた、あの子を任せていいか……?」
「いいよ」
「なるべく傷付けないでやってくれないか」
「わかったよ」
それだけのやりとりだったが、奇妙な信頼が芽生えていた。奇怪ともいえる相手だが、今後、何かの助けになってくれるような気がなぜかしたのだ。
「……ウルッ、救出作戦を開始する!」
「はっ、はいっ? でもっ……?」
「時間がない! 一緒に来い! スコアは遊ばせておけ!」
「で、でもぉおお……?」
「おいスコア! 彼女は敵ではない! それでもなお、やりたいというなら好きにしろ!」
「はあっ? どーしたのっ? めちゃくちゃ嬉しいじゃん!」
「満足したらこちらに加勢しろよ! よしあんた、案内してくれ!」
「あっ……ああっ……!」
ゴッドスピードとマイルは駆け出し、ウルチャムは慌てて二人を追いかけていく。
【聖者といわれて】
まるで水飴のようだった。信じられない力でひしゃげられた重厚なドアを前にウルチャムは息をのむ。
「……そのキラーは、これほどまでの威力でぶつかって……無事だったのですか?」
「おそらくは」マイルは首肯する「それにまだ、奴がいると想定しておいた方がいい……」
「反応するのは音だけなのか?」
「確信はないが、そうだと思う」
「よし、行こう……あんたは一旦、ここで待っていてくれ」
「ああ……」
音もなく、二名の侵入者がコンテナ群の間を進んでいく。ゴッドスピードはハンドサインで待機を指示し、ひとり進んだ先で、コンテナを叩いた。
すると、ややして、重厚な足音が聞こえてくる。部分を除いて室内は薄暗いが、暗視スコープによって、遠目でもその姿が視認できた。
不気味な機体である。殺戮以外の目的が見えない。その歪なフォルムにゴッドスピードは眉をしかめた。
「ウル、あれをどう見る?」
ヘルメット越しの通信である。歩調が変わらないところを見るに、その音波は察知されていないようだった。転送されている映像を見たウルチャムもまた、眉をひそめる。
「……どうにも、それらしくないような……」
「同感だ、おそらくあいつはキラーじゃないな。人が設計して作り上げた、ただの殺人マシンだ」
「前面は極めて頑強そうですね。スコアのキリングタイガーでもないと、あの装甲は貫けないと思います」
「狙うなら間接部だな。各所にあるブースターもそうだ。後ろを向けさせられるか?」
「やってみます」
ウルチャムは腰部にある、ずんぐりとした銃を手にする。偵察任務に特化したこのモデルには陽動のための特殊装備が複数、搭載されており、これがその一つである。
「エフェクターラビッツ、射出します」
丸い銃よりビー玉程度の玉が複数射出され、それは辺りを跳ね回りながら銃声に近い炸裂音を放った。鋼鉄の獣は翻弄されて旋回を続け、背部を晒したその瞬間、シルバーフォックスより徹甲弾が複数放たれ、背面のブースターにくらいつく。
攻撃を受けた鋼鉄の獣は即座に旋回し、メインブースターを発火させるが、同時に爆発が起こり、その場に崩れ落ちた。
「やったか?」
「どうにも、そのようですね」
「よし、彼を呼ぼう」
膝をつく獣を目の当たりにしたマイルは息をのむ。あの怪物をこんな短時間で撃破するとは……。ガードドッグとはいえ、彼らはいったい何者なのか……。
「さあ、急ごう」
三人は駆け足に進み、目標の部屋に進むが銃撃音が聞こえてこない。
間に合わなかったかっ? マイルは制止を振り切って、いち早くドアを開けた、そのときだった。血まみれの男が倒れ込んでくる。
「おっ……マタカー!」
身体中、傷だらけであるものの、まだ息はある。
「くそっ……すまん、ダヘランもやられた……!」
室内の中央には紫の淑女が、そして、その両隣にかつての友人たちが立っている。
「喋らないで、いま止血を……!」
ウルチャムとマイルはマタカーを引きずりながら後退していき、それを守るように、ゴッドスピードは立ち阻んだ。
両者が、対峙する。
「……ああら、お久しぶり」
紫の淑女はゴッドスピードに向けて、嫌らしく笑んだ。
「……お前は?」
「忘れたらしいわね、すべてを……」
「……何者だ?」
「ガード、ドッグ……!」
ふと、マタカーの声が彼の背を叩く。
「そいつは……人間じゃねぇ、キラーだ……! ナノマシン群体を操る……帽子や衣服の一部が消えたら、気を付けろ……!」
「ああっ……後は任せろ!」
ゴッドスピードは一瞬で敵対者の戦力を分析する。クリティカルな武装を保有しているらしいが、戦闘力そのものはさしたるものではないと判断した。
それよりも、周囲の状況から推察できる、人間への加害性の方が重大である。両脇に立っているのはマイルの仲間か、死んでいるのか、それに切り刻まれた人体が散らばり、あまつさえ蠢いている。
「……随分な趣味だな」
「そうでしょう? でも、お前はわたくしの作品にしてあげないわ。お前など到底、認められるものではない」
認めない、認めない、ことあるごとにそう突きつけられる。
しかし、いったい何が?
「……それは何なんだ? 俺の何が認められない?」
「覚えていなくて結構よ」
そのとき、二つの死体が動き出す。
「……世界は小さくてよかった。お前があの子を連れ出さねば、私たちは幸せなままだった」
「あの子……」
「なんてことなの、なんて……」紫の淑女は呻く「誰も幸せになれなかった。お前なんかじゃなければ……」
そのとき、再度ウルチャムが入ってくる。
「スピードさん、応急処置は済みました! 後はなるべく早くここから脱出を……!」
「奴がそうさせてくれればな……!」
「そうね、お前などいらないけれど、あなたの方は……」
紫の淑女は改めてウルチャムを視認し、その目を見開いた。
「あなた……? あなたは、あなたさまはっ、まさかっ?」
突如としてである、早足となり、接近をし始めた。
「まさかっ、まさか、まさかまさか! どうしてこんな男と……!」
停止を命ずるように、ゴッドスピードがブラックキャットを構えると、淑女は立ち止まった。ウルチャムは眼前のキラーの、その意図を察している。
「ええ……私はエンパシアだそうです。そしてガードドッグでもあります」
「あ、あなたは騙されている! あなたは殺されるのよ、その男に!」
ウルチャムは眉をひそめ、
「おっしゃっていることの意味が分かりません。殺しているのはあなたたちではないのですか?」
「私たちはあなたを殺さない!」
「でも人を殺し回っています」
「あなたは殺さない!」
「人を、殺し回っています! その二人は、それにあれは……あれは何ですかっ?」
ウルチャムは散らばっている人体を指差す。
「なんて……残酷なことを……!」
淑女は言葉に詰まり、狼狽し始める。
「あなたは……あなたは……」
「どうしてなのですかっ? どうして、殺し回って、こんな、酷いことばかりをしてっ、何が解決しますかっ? いったいなぜ、どうしてっ……?」
「あなたは、あなたが、必要だから……」
「聞いているのはっ、なぜ、残酷な仕打ちをしているのかです!」
「ざ、残酷性が必要だから……」
「なんですって?」ウルチャムは眉をしかめる「必要、とは……? いったい、何のために……?」
「あなたも、あれも、必要だから……」
「ですから、必要とはいったい何のためにっ?」
淑女は口を開閉するものの、言葉は出てこない。
「あのひとたちは必要じゃない? だから殺す、あんな残酷な目に遭わせる? でも私は必要って、それはいったい何なの?」
「あなたは、特別だから……」
ウルチャムの表情が、哀しみに覆われつつあった。
「……嬉しくない、嬉しくありません。その言葉はもっと……私のことをよく知ってもらってから……その上で、大切に受け取りたい……。でも、あなたは会ったばかりの私を大事だという。そう、いま、会ったばかりの私に、そういうのです。だからこそ、私はあなたの言葉を鵜呑みにはできない。あなたは私を見ていない。私のことなんか、何も……」
「わたくしは、わたくしは……」
「どうして人を殺すの……? それほどまでに憎いのですか? それとも、誰かに指示されているの? あなたたちは……そうして戦い続けて、傷付けて、辛くないの……?」
「わたくしたちは、守りたいだけ……」
「私たちを、エンパシアだけを……?」
「そう……」
「それ以外の人々の……いったい、何がいけないというのですか……?」
「いけないというよりは」
そのときだった、奥のドアより男が現れる。夜の貴公子である。
「どちらでもよい、という扱いなんだよ」
「お前は……!」
黒猫の照準が男へと移動するが、ゴッドスピードは違和感を覚えていた。視覚的に、何かが奇妙である。
「ワーカーに生かされる、キラーに殺される、どちらも同じなんだよ」
「何が……! 何がっ、同じなものですかっ!」
「君には、機械人間の区別がつくかい?」
ウルチャムは目を瞬く。
「もちろん、厳密にはどれも別の個体だ。ロールアウトされた瞬間から微細な違いは無数とある。しかし、どれも同じものさ。装備や形状の変化によって、特殊な個体と認識されることもあるだろうがね、キラーはキラーだろう」
夜の貴公子は頷き、
「そして、人間も人間だ」
「どちらも、違いが微細だと……?」
「そう」
「でも、私は、違う存在だと?」
「そう」
「私は、機械ですか?」
そのときだった。夜の貴公子の表情がふと、柔らかくなる。
「面白いことをいう。しかし違うよ、君はいわば新人類だね」
「新人類……?」
「そう、そうなのです!」淑女である「あなたさまこそが人間、他のものとは違う……!」
「超共感能力者は今後、人類の要となる主体なんだ。来るべき混迷の時代を支える存在なんだね。だからこそ、極めて貴重といえる」
「ええ! あなたさまはつまり、聖者様なのです! 世界の均衡のため、この無様な、愚者が幅を利かせる世界を矯正し、必要ならばええ! 残酷な手法も必要となるのです!」
「保護を受け入れた方がいい。安全は保障されるだろう」
「ええ、ええ! わたくしたちが全身全霊であなたさまをお守りすることをここに誓います!」
特別、特別、特別……。
でも、いったい何が、生まれが、こんな体質が?
こんな、こんな……。
この体質のせいで、どれほど……。
どんなに……。
どれほど……!
そのとき、少女の目頭が熱くなった。
「あなたたちは」
なにも、
「私の」
なんにも、
「私のなにも」
知らないし、
「見ていない」
私のことなんか、
私の思いなんか、
「でもいいの」
甘えるつもりなんかない、
「でも、せめて」
わかってほしいなんていわない、
わかってほしいなんていわない、
いわない、
いわない、
いわない、
そのときだった。肩にそっと、手がのった。
涙が溢れ出てくる。
お願い、優しくしないで、
私は、強くなるんだから……。
「あああっ……どうかお願い、泣かないで……」
しかし、寄り添おうとする淑女に少女は銃を向ける。
「……わ、私は、まだまだ弱い……けれど、強くなる……」
そう、強くならなくてはならない。
なぜなら、
なぜなら……、
弱いままでは、優しくなんてなれないから……。
そう、私は優しくなりたい。
ほんとうのやさしさを……。
「……私は、優しくなりたいの……。だから、強くなりたいの……。だから、こうしているの……。あなたは……?」
パープルフォーチュンは少女を見つめた後、ふと俯いた。
「わたくしは……ただ……あの子は、あなたさまは、私たちの、私たちの、大切な……」
「敵は、いったい誰だ?」
ゴッドスピードの問いかけに答えたのは夜の貴公子だった。
「人形をつくったときからすべては確定していた。人は人ではないものを人の形にする。それが人の愛しみであり罪である。そう、ブラッドシンは恐ろしいものでなくてはならない」
「お前は何を、どこまで知っている?」
「とりあえずだ、僕は君のルーレットを止めてみたい。どのように発現するのか確かめたいんだ」
「なに?」
「強者には強者を」
壁から光が迸った。そして轟音、瓦礫となって崩れ落ちる。
現れたのは人型の巨体、明らかに特異な機械人間、緑色を基調とした、鎧った姿である。
少女の涙で静まっていた空気が、一気に燃え盛る。
死闘の気配、烈火の振動、それは一身に、ゴッドスピードへと向けられている。
「紫の君、下がりたまえ。無論、聖者たるあなたさまも」
「……お前は?」
「名乗るのは二度目だが、よかろう。我が名はセルバンテス。コードネームはグリーンナイトだ」
「お前も、か……」
「我々は騎士であったはずだ。どのような理由があろうとも、それを反故にはできん」
背部が展開し、巨大な剣がその手に渡った。それは圧倒的なエネルギーを蓄えており、発光し始める。
「貴殿のしたことは到底、認められん。だが、かつての盟友よ、昔のよしみだ、全身全霊を以て、その罪を濯ごう……」
直感である。
これは強い、途方もなく強い。
「……盟友だと? 俺とお前がか?」
「記憶を失ったとて、いずれ道は収束するだろう」
グリーンナイトは真っ直ぐに切っ先を向け、身構えた。
「しかし、いまこの戦いは避けて通れん」
ゴッドスピードは臨戦態勢となり、ウルチャムもそれに並ぶが、
「駄目だ、下がっていろ」
「ですが……!」
「彼らと一緒に後退し、撤退しろ。必要ならばあの黒猫女に助力を求めるんだ」
「えっ、私たちだけですかっ?」
「そうだ。これは命令だ」
「でも……!」
「優先順位を間違えるな。君があの紫のキラーに攫われでもしたら、残された彼らは死ぬかもしれない。わかるな、慎重に後退するんだ」
ウルチャムは背後の二人を見やり、
「は、はい……!」
「すまないな、奴はそれほどまでに危険なんだ」
「任せて下さい……! では、後で!」
「ああ、後でな!」
パープルフォーチュンは名残惜しそうにウルチャムを見つめるが、そのうち俯いて、姿を消した。夜の貴公子の姿もない。
「待たせたな」
ゴッドスピードも黒猫を構える。
「なに、紳士の嗜みだ」
その冗談めいた言葉に、彼は口元を上げる。
「いいぜ、こいよ!」
緑の騎士、その両の目が、輝いた。
「セルバンテス、いざ参るっ!」