天与 Blood sin:Godsend
【紫の淑女】
虫取り網でとったトンボの首が落ちる。バッタをハサミで切ってみる。サナギを切り開いて中身を覗く。
残酷な子供の好奇心はグロテスクな結果をもたらし、その都度、後悔と罪悪感の鎖が心にかけられる。
それを成長と呼ぶことはできる。人格形成の通過点とみなすこともできるだろう。しかし、生来もつその探究心がすっかり消え去ることなどない。人は恐るべき好奇心の怪物である。
銃撃音が止んだ。溶液が辺りにぶちまけられ、床に水槽のガラス片が散らばっている。今のところ、死体はまだない。ヒト細胞によって形成されている多数の構造体はまだ新鮮である。つまり各種の人体部位は床で蠢いている。頭や胴体、手足が床が這いずっている。
アートマンはその様子をまじまじと見つめていた。真剣な眼差しである。圧倒的な絶望と、ほんの僅かな可能性がその瞳に映っていた。暗闇に瞬く星々のように。
マタカーは眉をしかめていた。奴らを狙ったはずなのにまるで当たっていない。一見してヌルい背中だった、経験的に不意打ちできたはずだった。
「なっ……」
そのときふと、もうひとつの人影が声を発した。
「……なんてことなのっ?」
紫色を基調とした、ヒラヒラのドレスを着込んだ等身大の機械人間だった。若い女にも見えたが、首が背中側を向いているので、それが人ではなく、いっそオートキラーの類であるとマイルたちは断定している。
「なんてことなの……」
ふと、紫のキラーの被っていた帽子が床に落ちた。そして顔の方向に合わせて体が前を向く。
「ですが、めげてはいけません!」
アートマンが叫び出し、膝をついては散らばっている部位に激励を捧げ始める。
「さあっ、がんばって! あなたたちは今、第一人者となりました! 顔の筋繊維は表情をつくるだけに使用されるべきではないとわたしは常々考えていましたよ!」
「いえっ、でも、なんてことなのっ……?」
紫のキラーは狼狽し、辺りを見回し始めた。そしてようやくマイルたちへと焦点が合い、
「だからっ、なんてことなのっていってるでしょ!」
突如として激昂、スカートを裾を上げたまま突進を始める。しかし、冷徹な銃撃によってあえなく転倒してしまった。
マイルは困惑している。キラーなのだろうが、見た目があまりに特異的過ぎる。あの緑の騎士のように、あれも強力な個体ではないだろうか。このまま戦闘を続けてもよいものか……。
「ひいいっ!」紫のキラーは床に伏せ「なんてことなのっ?」
そこへさらなる銃撃が襲いかかり、転げ回るが、表面上、破損した部位はない。マタカーは片眉を上げ、どう破壊すべきか思案を始める。
「きいいっ! くやしいくやしい! わたくしのオブジェがっ!」
紫のキラーは床に伏せたまま、子供のように手足をバタつかせ暴れ始めた。
「くやしいくやしいくやしいくやしいくやしいくやしいくやしい……!」
その直後、マイルは心底、戦慄した。他の二人も同様に心臓が冷えた。
仲間のマルリーが紫のキラーと同様に、寝転んで暴れていたからだ。
「くやしいくやしいくやしいくやしい!」
全力で手足をバタつかせ、四肢から血が滲み始めている。
「……おいっ? 何をやっているっ?」
マイルが叫ぶが、問題は何をされたのかだ。
動きが連動、強制させられている、しかし、いったい、どうやって?
「くやしいくやしいくやしいくやしいくやしい!」
すぐに止めさせなくては! またも銃撃が紫のキラーを襲うが元より効いていないのだ、さして動きを止めることはできない。
「くそっ……」
マタカーに焦りが浮かぶ。しかし、訓練を受けている彼は努めて冷静さを呼び戻し、仕掛けを推測し始めていた。動きの同期、強制、何か変わったことはないか、あの女が落とした帽子がない!
「あるいはマイクロマシン群体かもしれんっ!」
「あの、噂のかっ?」
「密閉しろ!」
三人は同時にガスマスクを装着し、各部密閉したもののすでに侵入された後かもしれない。
いずれにせよ、あれをすぐさま撃破しなくては!
マタカーは手榴弾を投げつけ、それは紫のキラー、その眼前に落ちた。
「あらっ?」
爆発が起き、同時にマルリーの体が不自然に曲がったが、人体の構造上、致命的な動作ではない。
破壊できたか? いいや! マタカーは襲いかかるナイフをかわした。これは予期できた、動きが同期しているということは、遠隔操作でマルリーを操ることもできるだろう。
「ぐっ、体が、勝手にぃ……!」
「ああっ、任せろ、俺たちがっ……」
次の瞬間、マタカーは飛び退く。彼のすぐ側に、いつの間にかアートマンが立っていたからだ。
「わかりますとも、水槽は割ってみたいですものね、彼らも新たな地表に立つに至った、ですが!」
アートマンは指をふる。
「物事には順番があります! 彼女の許諾なくして作品を新たなステージに移行させるのはあまりにも傲慢なヒッチハイカー!」
「なんだてめぇは!」
マタカーはブレードを振るが、ひらりと躱される。
「殺人狂!」アートマンは目を見開き「なにゆえそれほど好戦的なのですかっ?」
「イカレ野郎どもをぶっ殺すのがそんなに変かよっ?」
「人が人を殺す意義などありませんとも! どうしても、目的を果たす過程で死んでしまいますがね……!」
「ああっ?」
「人体は機能ですので、弄るほどに確率として停止してしまう」アートマンは厳粛にいう「ギリギリが難しい! 寸前です! 生と死の寸前! そ、こ、に、アートがあるのです!」
「くたばれっ!」
射撃音が轟くが、アートマンは微動だにしていない。そして開いた手から弾丸が落ちた。
「……なにぃっ?」
しかも、瞬く間にその姿を消す。慌ててその影を追うが、謎の怪人はマイルたちが通ってきたドアから退室するところだった。
「ええ、わたしは退散しますとも。ああなった彼女は始末に負えないのでね。彼らの行く末こそ気になりますが……」
そしてあっさりとその姿を消してしまう。
何者だったんだ? あいつは……。訝しみながらも安堵するマタカーだが、危機は未だ過ぎ去ってなどいない。紫のキラーは遠目にいて動いていないものの、妖しい笑みを浮かべている。
「……待っていろ、すぐに奴を破壊してやるからな!」
強力な貫通弾をお見舞いしてやる! 一瞬で弾倉を交換し、銃を構えた、そのときだった。
紫のキラー、その首が何周も回転し始める。
マタカーは目を見開く。そうなると、どうなる?
「マルリーッ!」
マタカーの背を悲壮な叫びが叩いた。キラーは大きく口角を上げている。確かめてみろといわんばかりである。
「くやしい?」畳み掛けるような嘲笑いだった「くやしいくやしいくやしい?」
ブッ殺してやる!
マタカーは銃撃を開始するが、一転してキラーは踊るように回転し、弾丸を避け始める。
「……おいっ、マイルッ、貴公子野郎を連れてこいっ……」ダヘランである「人質にして脱出する……!」
「だがっ……」
「お前がいても大した足しにはならん! ここは俺たちに任せろ……!」
確かに、このレベルの戦闘では自分がいてもかえって足手まといになるだろう。マイルはほぞを噛んで、駆け出した。
「……耐えろよ!」
援護射撃を背にマイルは部屋を出る。その先は短い廊下、突き当たりに重厚なドアが待ち構えていた。
鍵は掛かっていない。ハンドルを下ろし、合金のドアを両手でなんとか開くと、ひんやりとした風が入り込んでくる。
そこは大量のコンテナが積まれた薄暗く、広大な倉庫だった。
武装はアサルトライフル、ハンドガン、ナイフのみ。
なによりここからは一人である。
あまりにも心細いが、それでも急がねばならない。
そう、すぐに動くべきなのだ。ヒタヒタとした足音、複数の人影が近づいて来ているのだから。マイルは逃げるように走り出した。
「どこいくのぉー?」
背後からの声、だらだらと手を振りながら人影が複数、追ってくる。
マイルは走り続ける、とにかく先へ、だが、これからどうすれば、どこへ向かえばいい? 走りながら思案しているとまた人影が複数、前方より接近して来ていた。マイルはぎょっとし、思わずライフルを構え、引き金を引いてしまうが弾が発射されない、安全装置が掛かったままだ!
「イーターだ、イーター! 逃げろっ!」
すわ、やられると身構えたその時である、謎の人影たちはむしろ彼に助言を残し、コンテナ群の向こうへと消えていった。追跡者たちの気配もいつの間にか無くなっている。
ふと静けさに包まれたものの、安堵にはまだ早過ぎた。大きな問題が間近にあることは容易に察することができたからだ。今度は重たい足音が聞こえてきていた。
人のものではない、キラーだろう、マイルは柱の物陰に隠れる。足音が大きくなっていく。
そこで彼はふと気が付いた。周囲にまだ人がいるようなのだ。みな、彼同様に隠れ、息を潜めている。
足音が大きくなる。近づいてくる。もう、すぐそこにいる。
マイルはこっそり、覗き見た。十数メートルほど先の空間に、巨体のシルエットが浮かんでいる。
それは体高四メートルほどもあった。初めて見る形状のキラーである。二足歩行で、腕部に該当するような部位はない。胴体に大きな口のようなものがあり、その内部からミキサーの刃のようなものが垣間見え、さらに血塗れだった。
イーター、イーター……人を食う、機械? 胴体の上部にあるアンテナがひっきりなしに動いている。人間を探し回っている?
ここに居て大丈夫なのか、奴のセンサーはどれほどの精度なのか。
見つかればまず、命はないだろう。戦うにしてもこの装備では太刀打ちできない。今はとにかく息を潜めるしかない……。
そのときだった、キラーの足音が大きくなっていることに気がついた。こちらへ向かって来ている? どうして? 覗き見たことがバレた?
全身から一気に、汗が噴き出す。
どうする、どうする、どうする……。
そのときだった。かすかに、人の足音がした。
やや遠くから、堪え切れずに誰かが逃げ出したのだろう。
マイルに接近しつつあった足音がぴたりと止まった。そしてモーター音のような不快な響きが辺りに渡ると、叫ぶような高音が徐々に遠ざかっていった。そしてマイルがまた覗き見た時には、背を輝かせた巨体が鋭利なカーブを描き、コンテナ群の先に消えるところだった。
なんて機動力だ、そうマイルが思ったとき、悲鳴のような回転音とともに断末魔の絶叫が轟いた。
誰かやられたか……だが、逃げるなら今だ!
マイルは脱兎のようにその場を後にした。
同じく、走り出している人影がいくらかある。
マイルは彼らを追う。もはや、それが危険対象かどうかなどおかまいなしだった。
例え彼らに襲われたとしても、あのキラーを相手にするよりは遥かにマシだからだ。
しかし、絶望的な音が彼の背中を叩いた。うなるマシン音が迫って来ていたからだ。間違いない、俺たちを追って来ている!
しかし出口はすぐそこである。二つの人影が、重厚なドアを開こうとしていた。
どうするべきか、このまま駆けていくか、それともまた、身を潜めるべきか。
出口はすぐそこである、二十メートルもない。
あと何秒かあれば到達できる。
聞こえる駆動音量からして、キラーはまだ遠そうである。
到着するまでに、まだ少し掛かるのではないか。
そうだ、きっと間に合う。
しかし、同時にマイルは強い悪寒を感じていた。
ダイハードマンの直感が、心臓を叩く。
次の瞬間、マイルはまた、隠れる方を選んでいた。
ドラム缶が固まっている陰へと滑り込み、息を殺した。
早く、早くしろ! 小さな叫びが聞こえる。
重く擦れるような、重厚なドアが開かんとする音がする。
間違ったか!
隠れたことを、マイルは後悔し始めていた。
そのときだった、大轟音が炸裂していた、大地震のごとく床が揺れ、熱風が吹き荒んだ、重いドラム缶が踊るほどの衝撃、マイルは一瞬、気が遠くなった。
ダメだ、意識を保たなくてはならない! 物音を立ててはならない、それだけは、やってはいけない……!
マイルは努めて、じっとしていた。
ただひたすら、単純なルールに縋っていた。
静寂に備えてのことである。
そして気が付けば、その静けさの真っ只中に彼はいた。
彼は床しか見ていなかった。少しでも動けば、例えば手にしている銃器がかすかな音を立てるかもしれない。
……それにしても、いったい何が起こった?
なんらかの攻撃があったのは間違いない、あるいはミサイル?
奴はどうしている? もう既に去った後だろうか?
そうかもしれない……。
……いいや!
安堵しつつあったマイルだが、マシンの駆動音が彼の心臓を鷲掴みにした。
奴の足音! すぐ側だ! いつの間にここまで? いや、あるいは奴自身が突っ込んできた? まだ遠くにいたようなのに、間に合った?
足音は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなる。
しかし安堵よりも、怪訝さや不安な気持ちが強かった。
動けない。
遠ざかったようで、まだ側にいるのかもしれない……。
だが動かなくてはならない。マタカーたちを助けなくてはならない……。
しばし逡巡したが、やがてマイルは動き出すことにした。
ドラム缶の陰から、こっそりと辺りを見回し、ぎょっとする。
金属製の分厚いドアがひしゃげ、血や肉らしきものが飛散していたからだ。
焼けた跡はない。爆発物ではない。あたかも巨大な鉄球が衝突したかのような跡、やはり奴自身が突っ込んできたのだろう。
あるいはジェットエンジンのようなものでも積んでいるのかもしれない。
なにもかも、イカレてやがる……。
ひしゃげたドアには彼が通れそうな隙間がある。
ふらふらした足取りで、マイルはその先へと進んでいった。
【ゴッド・センド】
恐るべきキラーの恐怖に晒され、また解放されてからというもの、マイルの、特に対人への恐怖心はどこかにいってしまっていた。見た目が凶悪そうな、あるいは病的な雰囲気の者たちへの恐れもなくなり、風のように彼らの前を通り過ぎたり、いっそ道を聞いたりもした。
もちろん威嚇や脅しにも遭ったが、それでも彼は恐れを抱かなかった。相手は人間だ、まだ話が通じる対象だ。
ごく普通に、丁寧に接していったのが功を奏したのか、加害されることはなかった。それどころか、いつの間にか彼の周りに人が集まっていった。まるで友人同士が連れ歩くように、人の輪が大きくなっていった。
奇妙な居心地である。先ほどまでマイルは殺戮者の一味だったのだ。自ら手を下していないにせよ、罪を共有すべき立場にはある。
もちろん彼はその事実を自ら口にはしない。ゆえに奇妙な居心地を感じていた。
「……君たちは、そう、もっと……荒んだ人たちだと思っていた。しかし……」
けっきょくは、ただの人間である。全身刺青の男は頷いた。
「間違っちゃいねぇ。俺はアウトローだ。悪いことはいくらでもしたさ」
「……どうしてここに居続けるんだい?」
「わからねぇ」刺青の男は首を振った「ヤバいはずなのに、なんか……こうなっちまっている……」
「飢えはないんだよ」長髪の男だった「飢えも渇きも、寒さも暑さもない、エリアによるけどな。娯楽だってあるんだ、みんなタダ、オートワーカーがなんでも用意してくれるから」
「でも、命の危険はある」
「そう、だが……」
「どうしてだか、愉しいのかもしれんね……」中年の男はぼそりという「ヤバい奴ら、キラーから隠れて生活して、スリルがあるっていうか……」
「なんかこう、そうなのかもしれねぇ……」刺青の男は頷く「そうだ……そういう、中毒なのかも……」
理解し難いが、できない話でもなかった。
毎日が死と隣り合わせならば、その一食が、そのひとときの娯楽が、その一夜の眠りが、どれほど貴重で掛け替えのないものか嫌でも思い知ることができる。
充実といえばそうだろう。生きている実感に満ちた生活には違いない。
そのときふと、幸せとは何なのか、マイルは考えてしまっていた。
こんなに恐ろしい場所で、仲間が謎のキラーと死闘を繰り広げているであろうこの瞬間に、人としての幸せとはなんだろうと、考えていた。
「あっちに行ったよぉ」酒を呑んでいる女だった「あの先は外だけど……なんかワーカーがテーブルとか運んでたしぃ」
「だってよ」
はたと気がつく。
そうだった、夜の貴公子を探していたのだ。
「……そうか、ありがとう、ときに」
マイルは眼前の者たちに尋ねる。
「君たちは今、幸せなのかい?」
彼らは互いに顔を見合わせ、
「……どうかな、わかんねぇけど……」
「……そうかもしれないな」
「……ああ、そうかも」
「いくらでも呑めるしねぇー」
そうか、それならば、
「いいのかもしれないな」
「そう、いいんだと思うぜ」
ふと、刺青の男は朗らかに笑った。
「いいんだよ、なにもかも、な」
束の間の友人たちと別れたマイルだが、その胸中には不思議な満足感があった。
なにもかもがいい。
ああ、そうなのかもしれない。
そうでなくては、俺たちの生きているこの世界への説明がつかないじゃないか。
だが同時に、それは恐ろしい言葉でもある。
俺は、人間は、人類は……どんなことに晒されてもおかしくないという意味でもあるからだ。
マイルは先の殺戮と子供の頃に犯した罪を交互に思い出しながら、外へと続くドアを開いた。
途端に風吹き荒ぶ岸壁へと出る。ただならぬ風の圧力、鋭利さである。細い崖道が続いており、その先には小さな空間が、ティーセットを乗せたテーブルが場違いかのように置かれている。
そして男が二人、いた。
立っているのは身なりからして執事、座っているのは間違いなく夜の貴公子だろう。
マイルはまた、恐れもなく彼らに近づいていく。
「こんにちは」
「やあ」
ヴァロニカルはひとつ頷く。端正な顔の、異様に大きな存在感をもつ男だった。なるほど、これは大物だ。マイルは息をのむ。
『カット! 違う違う!』
そのときだった、ふと、頭上より声がした。何事かとマイルは見上げるが、
「取材だね、なんでも答えよう」
夜の貴公子を前にしているのだ、関心の指向性を元に戻さねばならない。そう、彼を人質にしなくては。
だが、そんな強硬策は後だ、あるいはもっと穏便にマタカーたちを救えるかもしれない。
『もっとこう! 分からないかなー! 大まかには怒りだよ怒り! お前たちには理解できないのかっ?』
いったい上で何をしているのか、いや、気にしている場合ではない。
「……出会って早々ですがその、不躾ながら、お願いが……。仲間が紫色の……そう、淑女のようなオートーキラーに襲われています。どうにか止めていただけませんか?」
「パープルフォーチュンだね。彼女は僕の指揮下にあるわけではないから、難しいだろうね」
『機敏があるんだよ、そこはかとない除け者感というか! でもまあ、お前たちはどうしようもなく群体だからなー!』
「……あなたは、夜の貴公子様では?」
「そう、僕はヴァロニカル・リンカフフレス。クダンシャール・ベリオッツの息子だよ」
「……クダンシャールとは、あのっ?」
「そう」
「オートワーカーの生みの親の」
『もちろんミニマム、ミクロな観点だよ、でもな、実際的にリンクしているわけだ、大局とな、その自覚を持ちつつ、しかしなお、気に入らないものは気に入らないわけだ!』
マイルはうなる。いちいち謎の声に遮られ、会話のタイミングが上手く整わない。
「そうなっているが、実情は違う。あれは輸入品なんだよ」
「輸入」
「遠くからのね」
『分かるかー? そういうの!』
「それは……いえ、貴方でも、あのキラーを止めることはできないと?」
「ああ」
それが本当ならばかなりまずい、この男を人質にしても意味がないかもしれない。
「ですが、その、説得はできますか?」
『じゃあ、そこ意識して次のシーン、いってみよう、はい!』
「ああ、知り合い程度の仲ではあるからね」
「どうにか連絡を取って、止めて頂けませんか?」
「理由次第だね。だが、彼女を怒らせたんだろう?」
その通りだ、調子に乗って、あの不気味なオブジェを破壊してしまったのだ。
ならば、大人しくガードドッグを待つべきかもしれない。
来たら、この男を人質に取って、ことを有利に働かせよう。
となれば、それまで時間稼ぎをしなくてはならない。
「……その通りです。オブジェを」
『ちがーううっ!』
そのときだった、頭上から金属物が飛散していった。ぱっと見、それはオートワーカーのようだった。
「……は、破壊してしまった」
「ならば無理だね」
破壊されたワーカーが落ちていくのを三人の視線が追う。
「仲間は諦めるしかない。ならばこそ、せめて取材をしていってはどうかな。君はとても幸運だよ」
マタカー、ダヘラン、あれに勝てるか?
せめて、生き延びてくれればいいが……最悪のこともあり得るだろう。
『†√ヾ√〃⊆£∂√だよー!』
なるほど、ならばこそ、せめて取材をするべきなのかもしれない。オケラのままでは帰れない……。
「……そうですね、そうすることにします。ではまず、あなたはなぜ、武器の譲渡を?」
「いいや違うよ、僕のことではない。だが、その質問には答えよう。みなは僕とは違うからさ。身を守る武器は必要だろう?」
『お前たちがしっかりしないとちゃんと物語が伝わらないだろー!』
それは想定していた答えとはまるで異なるものだった。
「ですが、それがかえって不穏を招いていると……」
「その懸念も武器があればいくらか緩和できるだろう」
「武器から生まれた争いの懸念を武器ですすぐと?」
「可能だろう。個人ないし集団が適切に管理をすればいいだけのことだ」
それはそうだろうとも。
『∠√な風に伝わったら∠√な力が宿って∠√なことになるだろー! そしたら制御不能になって、しまいにはとんでもないものがやってきたりして、さらっと人類滅亡しちゃうだろー!』
しかし、人類にそれが徹底できるのか。
「不可能だとするなら、それは端的に人類の限界を示すことになる。ならば人ならざるものに頼るしかないだろうね」
それはつまり、
「……オートワーカー?」
「そう、機械人間たちだ」
『他の奴らなんかアテにできないんだからな! この事態をなんとかできるのは私だけなんだ!』
「……ですが、そのワーカーはキラーに変貌する。なぜ彼らは人を殺すのですか?」
『お前たちのやり方だって私は納得していないんだぞっ! 存在認識の最大化という観点はいいにしてもっ、実益と実害の相反的価値を同居させる方法論はやり過ぎだと思うんだっ! 誰の差し金だよ、いい加減、吐けってのー!」
また、オートワーカーがバラバラになって落ちてくる。
そして夜の貴公子は顎で頭上を指し示した。
「理由の一つが、今の話だよ」
今の、今、上からした声が?
いったい何者なんだ? 重要なことを知っている?
マイルは混乱しつつあったが、今は努めて眼前の人物に集中することにする。
「……ええっと、存在、認識? とかいっていったような?」
「生存を保証する環境を整えつつも生命を脅かす彼らに対し、人類は常に意識を割くことになる。その状況に価値があると考えられているんだよ。強度の高い存在性を持つ群体にこそ、特異な力が発現される可能性が高いと仮説が立てられているからね、つまりは実験だ」
「なに、なんですって?」
『お前たちにゴッドセンドを発現させようなんて間違っているんだよ! 私は人間にこそ与えたいんだ!』
「そう、その力はゴッドセンドと名付けられている。改造により強化が容易な機械人間たちはゴッドセンドを授かる確率が高いらしい」
「ゴッド、センド……特異な力? それは具体的にどのような?」
「どのように発現するかは分からないが、強力なゴッドセンドの場合は、まず、予知能力という形で発現する確率が高い。これは大当たりしかないルーレットが回転している状態、とでも表現できるだろうか」
何をいっているのかまるで分からない。
『すべては物語に収束する! というかさせる! そうしないと何がなんだか分からないからな!』
「そうだな、例えるなら超能力だね。物理法則の例外にあるような不可解な力が発現するという実例の話をしている」
超能力? いったい何の、突飛に過ぎる話だ。マイルはいよいよ混乱しつつあったが、今はとにかく情報を引き出さねばならない。
「……ええっと、つまり、ワーカーたちは、超能力発現の苗床だと?」
「そう。人型だと発現確率が高まるからね。しかし、大抵は単なる改造強化という着地点に収まる」
「例えばあの、紫色の、パープル……」
「微妙なところだね。彼女の能力は通常科学の範疇に収まるのか、それとも逸脱しているのか、評価が難しい」
『そろそろ候補者たちが来るんだからな! ちゃんと覚えて、伝えておけよ! 今日の演技講座の内容もな!』
「その、力が得られる条件、などは……?」
「正確には分かっていない。存在認識のことも仮説に過ぎないからね。人型であることも絶対条件とはいえないだろう。すべてはまだ憶測でしかない」
「その仮説ですが、存在認識の強度とは、つまり注目度の度合い、のような?」
「そう。なぜその要素が重要なのかは分からないし、仮説に仮説を重ねる愚行を犯したくはないが、恐らくは……」
「……なんです?」
「巨体なんだろう、嫌でも注目を浴びてしまうような。そういう存在とリンクしているからこその……いやいい」
「はい?」
「やはり憶測に過ぎないからね。君にはもう少しまともな情報をあげよう。なぜ殺すのか? 他の理由としては、君たちがエンパシアを迫害したことだろう」
今度は何の話だ、マイルは息をのみ、
「……エ、エンパシア?」
「超共感能力を有する人種のことだよ。他人の感覚、感情、記憶すらも共有できる新人類さ」
「新人類……」
「彼らは君たちを嫌がって離れたんだ。だから迫害というのは適切ではないが、機械人間たちはそう考えているらしい」
「……その、エンパシアは、どこに?」
「多くは北にいる。君ではとても辿り着けない場所に。そこにはすべての真実があるという」
「そこに……」
「そしてその欠片が上にいる。先に幸運だといったのは、彼女と話をすることができる機会に恵まれている、という意味だ」
夜の貴公子が見上げた方向に、一人、立っていた。
「何だお前ら! さっきからうるさいんだよ!」
それは驚くべき容姿をしていた。人のようだが、猫に似ていたからだ。しかも黒猫、髪は長くウェーブがかかり、耳が二つ、ツノのように飛び出している。
「あっ、あれは?」
「よく分からない。異星人なのかもしれないね」
「い、異星人?」
そのときだった、上空に航空機の姿が現れた。フグのように丸い機体である。
「おおー、ようやく来たか!」
黒猫の女は両手を掲げ、航空機を迎える。
あれはガードドッグに違いない、マイルも内心、その到着に安堵した。
「役者が揃ったようだな」
そしてヴァロニカルは静かに笑んだ。