奇縁 Master cook-roux:Yellow
【スピードデーモン】
ハイスコアは不満だった。ラインアゾートで遊ぶつもりが不可解な騒ぎに巻き込まれ、あまつさえ逃げるように撤退するはめになったからだ。
プレーンも不満だった。ジュリエットの件について相談をしたいのに、ゴッドスピードは先ほどからモールとばかりおしゃべりをしているからだ。
ウルチャムまでも不満だった。いつもの定位置、助手席がモールに占拠されてしまっているからだ。自分でもよくわからない感情だったが、面白くないものは面白くない。彼女は手元に戻ってきたブルーシュダーズの首、ビヘッドを抱えたまま、小さくため息をついた。
そんな彼女らをよそにゴッドスピードは先ほどから笑声を上げており、これにこそ彼女らは不満だった。フィランディルの死に関し責任を感じたのだろう、ここ数日は神妙な空気をまとったまま寡黙だった彼である、どうにかできないかと三人娘はあれこれ気を遣っていたものの効果は薄く、しかしモールと一晩、語り合った後にはそれなりに元気を取り戻していたのだ。
明朗さが戻ったこと自体は喜ばしいものの、少女たちは敗北感めいた感情にうめいており、そんなことなどつゆも知らず、モールの声がどんどん大きくなっていく。
「そのときさ、アウトローにヤッパー地方の奴がいてさ、ヤッパー知ってる? 東南辺りのわけあり集団でさ、あそこの連中ってよく揉め事起こしててよ、その原因というのがどうにも言語的不運にあるらしいんだな、そう、挨拶とか謝罪とか、けっこう重要な言葉がこっちでいう罵倒語に似てるんだ。だからさ、たぶん許してくれっていってたんだと思うんだけど、あの野郎しきりに〝俺のケツを嗅げ!〟なんて口にするんだよ。でさ、俺とハンガーは謝ってるんだろうなってなんとなく分かってたんだけど、ブレイズは理解してなかったようでさ、挑発してると思って銃を突きつけるわけだ。でも奴は相変わらず〝ケツを嗅げ! ケツを嗅げ!〟ってしきりに叫ぶんだよ。ブレイズはもちろん怒るさ、〝この野郎! 殺されてぇのか!〟って、強く銃口を押しつけるんだけど、そんなに脅したらもっとひどくなるに決まってんだよね、奴さんしきりに〝ケツを嗅げ! ケツを嗅げ!〟って連呼して、しまいには〝奥まで入り込め!〟って奇跡も起こって俺とハンガーはずっと爆笑しててさ、そうしたらブレイズが相手をひっくり返して、ケツに銃口をめり込ませてさぁ!」
しかも、その会話内容は決して上品ではなかった。三人娘は互いに顔を見合わせ、ため息をつく。
モールが彼らの車両に乗り込んでいるのは撤収命令が下ったからである。ガードドッグはアルターゼ派の決定によりオートキラーの襲撃を誘引してしまった責を背負う形となり、その威厳を喪失してしまったのだ。
しかし、その決定も法外とはいえない。リガリス壊滅はワイズマンズであるジュリエットの凶行には違いないからだ。真実が明るみとなっていた場合、とてもこの程度では済まなかったろう。
そのような経緯により、撤収人員のうちモールのみを近隣の支部へと運ぶよう、ゴッドスピードらに任務が与えられたのである。
『ずいぶんと楽しそうですね。ついでといっては何ですが、とあるコミュニティの調査をお願いします。今度こそ簡単な任務ですので』
笑い話の隙間にスノウレオパルドの通信が割り込んできていた。ゴッドスピードはうなり、
「……本当かよ。つい先日も……ああなったんだ、馴れないことを容易く任せないでくれ」
『気に病む必要はありません、あなたたちは。ジュリエットを敵視していたアルターゼですら、彼女があの少年を愛していると思い込んでいたのです。遅かれ早かれ、いつかは殺されていたでしょう。むしろ行為が明白だったぶん、ましとすらいえます』
「どうかな、推測は可能だった」
『責任重大なのは我々、本部側です。ジュリエットの行動予測も、我々にこそ可能だったかもしれない』
「あのキラーの件については?」プレーンである「説明がありませんが」
『……あれは現状においての最大脅威ですね。多数の兵器を搭載したあの戦闘機は……おそらく、ゴッドスピードを殺すためだけに用意されたものでしょう。とはいえ、あれはツギハギだらけの急造兵器と推測されます』
「先輩、のみを……?」
「奴はキラーなんだろう?」ゴッドスピードの目つきが鋭くなる「どうしてご丁寧に俺だけを狙ったんだ? 広域爆撃をすればよかったのに」
『単純に、それでは殺せないと考えたのでしょう』
「ずいぶんと買い被っているな。それよりラインアゾートにいるかもしれないエンパシアを巻き込まないため、ではないのか?」
『いいえ、ラインアゾートにエンパシアはいませんでした。そしてその調査情報はすでに、あのキラーに渡っています』
ゴッドスピードは眉をひそめ、
「……なんだと?」
『ジュリエットと本部の更迭組より証言が得られました。つまり、あのキラーは他の理由によって、約束を守ったのです』
「なぜです?」プレーンである「宿敵を殺せるチャンスなのに、メリットがない」
『対象はゴッドスピードをXホールへと誘いたがっています。そうしなければ確実に倒せることができないと思っているのでしょう』
「それは?」
『巨大な縦穴である、としかいえません。内部構造は不明です』
「罠ですね」
『もちろんそうです。ですが、いつかは相手の要求をのむしかなくなることでしょう』
「いつかである必要などあるのか?」ゴッドスピードである「すぐに出向いてやってもいいんだぞ」
『ことを急いてはいけません。敵はきっと、ブラックセクストンだけではないのですから』
「キラーの軍勢か」
『いいえ、他の特異個体たちです。レッドコート、ブルーシュダー、イエロースキップ、グリーンナイト、パープルフォーチュン、ホワイトサム……。あなたはこれらと壮絶な死闘を繰り広げてきたはずです』
「なんなんだ、そいつらは?」
『やはり記憶がないのですね。あなたこそがよく知っていたはずですが』
「なんだと……」
奇妙な疑問だった。以前から知っていたとして、なぜオートキラーの記憶がないのか。
「なぜ、俺はそいつらを知らない?」
『人間だと思っていたから、なのかもしれません』
シンプルで分かりやすく、しかし、納得しがたい理由であった。
「俺が、キラーを……?」
『あくまで推測です。とはいえ、人より人らしい機械人間の存在がそれほど不思議なことでしょうか』
このような世の中である、どうしようもない人でなしがいる一方で、人らしい非人間がいてもおかしくはない。そのような可能性にゴッドスピードは不満げに嘆息する。
「……それはそうとだ」モールである「ジュリエットはどうするんだ? あの嬢ちゃんはけっきょく、好きな男のためにリガリスを壊滅させたんだろう?」
『そうであると思われます』
「始末するのか? もはや危険人物だろうさ」
『……どうでしょうか。審議中です』
「しっかしおかしな話だ、あまりに狂気的すぎやしないか? あの美貌だぞ、単に好きだとアプローチをすればいい、大抵の男は落とせるだろうよ。それはあの堅物のグラフスであっても例外ではないはずだ。なにより……」
モールは髭をさすり、
「……グラフスにとってフィランディルは弟のようなものだったらしい。殺せばまず赦されんだろう。好きな男の憎悪をあえて一身に受けることにどんな意味がある?」
『ある種の心理操作術だと推察されていますが……』
「なんだそいつは?」
『例えば、敵意を向けてもなお、友好的に接してくる者を人は忌み嫌い続けることができるでしょうか? ジュリエットは自身を嫌う対象に対しより積極的になる傾向があり、被接近者はある段階を経て彼女への好感度が一気に上昇するそうなのです』
「そんなゴリ押しができるものなのか? まあ、あの見た目なら可能かもしれんが……しかし、疑問の答えにはなっていないぞ。あれほどのリスクがある搦め手をあえて選ぶ理由は?」
『詳細はまだ不明です。引き続き潜入しているフェイスが調べる手はずとなっています』
「だから私に任せとけばよかったんだよ」
ゴッドスピードの頭上よりハイスコアがひょっこりと顔を出す。
「なんか殴られまくってたからトドメ刺すのもあれかと思って放っておいたけどさ、やっぱムカつくなー」
ゴッドスピードはうなった。いっそ、ホテルで揉めた時点でハイスコアがジュリエットに襲いかかっていたとしたならどうだろう。結果的に爆発は起こらず、フィランディルもしばらく殺されなかったかもしれない。
『ところで今回の任務ですが、あるコミュニティの調査です』
「さっき聞いたよ」
『そこは荒野に珍しい森林の側にある小型のコミュニティで、責任者はマスタークックルという人物らしいのですが、未だ本人を確認できていません。ゆえに該当人物を発見次第、接触をしてもらいたいのです』
「森林の側だと? 奪い合いで中身がどうなっているのか分かったもんじゃないな」
『その通りです。それゆえに実態は物騒なものかもしれません。素朴な町に見えたとしても警戒を怠らないように』
「ああ……」
『では通信終了、モールの護送もよろしく』
ゴッドスピードは舌打ちし、
「任務に任務を被せるなよ……」
「まあまあ、気楽にいこうじゃないか」
そしてモールはコーヒーを傾け、ふと後部を見やる。
「それにしても、お前さんの他は嬢ちゃんばかりか。気を遣うだろう?」
「ああ……本当に」
「それでいい。ラッキーと思う奴とは組ませちゃいけないからな。いいとこ見せようとしてヘマをする。チーム内の恋愛も実際、あまりいい効果を生まないと聞く。何かあったとき冷静じゃあなくなるからな」
「余計なこといわないでよー」ハイスコアはモールを睨みつける「私は最強だし怪我してもすぐ治るから問題ない……って、あれ?」
センサーに反応があった。とてつもないスピードで光点が接近している。
「なんだこの速さはっ、奴かっ?」
「慌てなさんな。よく見ろ、同胞らしいぞ」
そのとき、通信が入る。
『ああああっ、やっと入った! あーあーあー、こちらセグメントセグメントセグメント、先輩! せんぱいーぃいいいー、聞こえますかー!』
唐突なるその声にゴッドスピードは固まり、ふと振り返ってプレーンの存在を確認する。
「先輩を先輩と呼ぶ人間すべてがボクに該当するわけではありませんよ」
そりゃあそうだなとゴッドスピードは頷くが、そうなると通信者に覚えなどあるはずもない。
『あれっ? 聞こえませんかっ? あーあーあー! ハローハロー?』
「ええっと、セグメント……?」
『わっ……っはー! 先輩だー! 生きてるって情報……あっ!』
そのとき、火の玉が圧倒的な速度で横を通り過ぎ、辺りに爆風と砂煙が立ち上がった。
『いきすぎちゃった! 止まりまーす!』
そして遠くで爆発音がし、鋭利なフォルムの真っ赤な車両が砂煙の中、停止していた。ゴッドスピードは怪訝な気持ちのまま車両を止める。
「……あれは、ワイズマンズで、いいんだよな?」
「ああ、セグメントだろう? お前さんの……って、そうか、記憶ないんだもんな」
ゴッドスピードが仕方なく車両を降りると、猛烈な速さで接近してくる人影があった。赤いジャージ、キャップ姿の女である。
「いやー、分かってましたけど! 生きてましたねー! 気が気じゃなかったですよ、ずっと消息不明だったんですから!」
大きな目が輝き、その眼力に男は気圧される。
「あ、ああ……」
「あはははは!」
ゴッドスピードは息をのみ、
「……ところで君はいったい?」
「あはははははっ、なんか記憶がなくなってるとかって噂が!」
「そう、そうなんだ。なぜか、対人の記憶ばかりがすっぽりとなくなっている」
「あははははははははっ……!」
赤ジャージの女は少しの間、笑い続けていたが、そのうち大粒の涙を流し始める。
「おおっ? おいおい……!」
「あはははははは……!」
笑いながら大量の涙を流す女を前に、ゴッドスピードはどうしていいのか分からず、それを見守っているウルチャムらにも何が何だか、さっぱり分からなかった。
【彼は何者か】
泣きながら笑い、泣き止んでも笑い、笑いながらあれこれ説明するセグメントは間違いなく変わり者の類だった。またかとゴッドスピードはうめく。
「……なるほど、つまり君は俺が担うべき雑務を日々こなしていると……」
「にひひ、でもいいんです、私はゴッドスピード隊の副隊長ですから。ナンバーも倍数の14!」
「そ、そうか……」
「養成所での後輩なんですよ、ええ、いろいろとよくしてもらいました! いろいろと!」
「そうか……でもなんだか悪いな、仕事を肩代わりしてもらってしまって……」
「ええ、いいんです、大変ですけどやりがいもあるというか、それよりあの……約束も忘れているんですよね?」
「約束?」
「ええっと、おおよそ三ヶ月ごとにお礼というか、プレゼントをその……あはは!」
「おおう、そうなのか……」
「ええ、まあ、高いものじゃなくていいんですけど!」
「か、缶詰とか?」
「えっ、いえ、あはは! 食料品や消耗品以外がいいんですけど……!」
「というと……?」
「例えば、このキャップとか、そうなんですけど! 私がこのフェニックスプルメイジのジャージが好きだからって……」
「なるほど……?」
「ええ、いえ、なんでもいいんですけど! あはは!」
「そうか、まあ……了解した、うん、何か考えておこう。これまで何を送ったのか教えてくれるか?」
「あはははは! ええっと、いえ、同じものでもいいんです、ええ、例えばこのキャップもボロボロになってきちゃいますし、ええ、フェニプルが好きだということさえ覚えておいてくれれば! あははっ!」
「なるほど……」
「それと、記憶のことですが、回復治療を受けた方がいいんじゃないかと思いますけど、はい!」
「なに、できるのか?」
「できない場合もありますけど大方はなんとかなるかと! そういう話、されていませんか?」
「いいや……」
「そうですか……でしたら治療では困難なのか、させたくない理由があるのかもしれませんね! あははっ! 信じられるのはゴッドスピード隊のみですから!」
ゴッドスピードはうなる。
「それでその、あの四人が今のチームメイトなんですか? なんか女の子けっこういるようですけど……」
「いや、モールは送っているだけだ。プレーンも普段は航空機だな」
「あはは……はは? じゃあ、いつもはあの子たちの二人と一緒なんですか……?」
「ああ……ちょっと対応に難儀しているよ」
「あれっ、男女って普通、別なんじゃないですか? いえ、なんかちょっと前に変わったんでしたっけ?」
「そうらしいがな、実際的な話……あの白髪の子いるだろう? ウル……エンパシーだ、彼女が重要任務に必要でな。他はまあ成り行きだな」
「へえ……? 白髪の……」
「ともかくそういうわけだ。プレゼントの件は了解した、記憶がなくて悪いな、そして今も任務中なんだ、そろそろ動かないと……」
「あー……そうですよね。私も忙しいですし、あははははっ」
「うん……それではまたな」
「あっ、追加任務はありますかっ?」
「なに?」
「追加の任務です。ゴッドスピード隊としての」
「いや……ない、が……」
「了解しました!」
「では……またな」
別れたつもりになり車両へと戻るゴッドスピードだったが、背後にセグメントの追跡を感じて振り返る。
「おお……? ど、どうした?」
「あはははは! 他のメンバーとも挨拶しておこうと思って!」
「ああ、そうか、そうだよな」
そしてセグメントは三人娘の前に立ち、敬礼をする。
「どうもよろしく! ナンバーは7の二倍のセグメントだよ! 君たちは新人さんかなー? みんなかわいいねー」
セグメントはウルチャムの頭を撫で、プレーンの頭を撫で、ハイスコアにもそうしようとしたところで手をはたかれる。
「いや、アタマ触んないで。あとカレは私のだから」
そのとき、ウルチャムの額にどっと大量の汗が滲む。
「あははははっ! 元気いいねー!」
ウルチャムは小刻みに震え、思わず地面を見つめているプレーンの手を取った。
「あ、挨拶はそんくらいにして任務に戻ったらどうだ……?」
モールが恐る恐るそう口にすると、
「あはははは! そうですねーそうしましょうかー」そしてセグメントはまた敬礼し「では! 任務に戻りまーす! またすぐに、先輩!」
赤ジャージの女は凄まじい俊足で車両へと戻っていき、ゴッドスピードはため息をついた。
「……ハイスコアお前な、仲良くしろと何べんいわせるんだ。いいか、強力なキラーや悪党どもだけが俺たちの敵だ。協力し合わないと勝てやしないんだぞ」
「私は私と同じくらい強い人しか信じないもん」
「お前は本物のキラーを知らんだろう。極端なチューニングがなされたそれはときに環境、地形と相まって圧倒的な戦力を発揮する。お前が素晴らしく強いのはわかったが、それでも充分とはいえないんだ」
「ふーん、面白そうじゃん」
この少女はなにもわかっていない。本物のキラーがどれほどのものか。
しかし、ゴッドスピードは自らの経験則をあまり語ることができない。記憶に関する問題というより、能力的なハードルがあるのだ。彼と同じ動きはワイズマンズとて非常に困難であり、下手なアドバイスはかえって仲間を危険に晒す可能性がある。
「彼女も強いらしいぞ」モールである「超高速戦闘が得意と聞く」
「とにかくだ……みんな、常々、報告データ参照し、想像力で補うんだ。より敵を強く、自分に都合が悪く、いつだってそれでも足りない」
そしてゴッドスピードはいつもの人物に対し、通信を開始する。
「俺の記憶に関し、治療が推奨されないのはなぜだ?」
『対人の記憶のみがないとすると、高度な記憶封印か抹消がなされていると思われます。それに、思い出しても今後の任務に支障が出るかもしれない』
「……なんだと?」
『戦闘力が失われていないのなら、記憶がない方が利点があると本部は判断したのです』
「……これまたはっきりいうな」
『記憶の封印や抹消はそう珍しい措置ではありません。実際、ウェイジャーにはその治療がなされました』
確かに、あれほどのストレス案件に晒されたのだ、消していい記憶もあるには違いない。その点においてはゴッドスピードも認めざるを得なかった。
「しかし……自分が自分である確証もなく、俺は戦い続けるのか。あのセグメントだって仕込みかもしれない」
『……セグメント、彼女と接触を?』
「ああ、ついさっき会った」
『……そうですか。しかし、彼女との接触は控えるように』
「なに? なぜだ?」
『彼女はあなたが仕込んだ戦闘マシンだからです。いったでしょう、あなたは困った人だと』
「なんだと……?」
『あなたは自身の能力を研究する傍ら、独自の訓練プログラムを提案していました。そして数々の成功例を生み出しましたが……それを容認したことは間違であったといえます。確かに彼らの戦闘力は類い稀なる増加を見せましたが……しかし、彼らはワイズマンズではなくあなた個人に従うようになりました』
「俺が、そんなことを……?」
『セグメントはとくにその傾向が強く、彼女にあなたの職務を肩代わりさせているのは、そうしないとワイズマンズの任務をこなせないからです。我々に対し敵性はありませんが、任務に意義をもたない戦闘マシンは危険対象です』
「……訓練プログラムだと? あるいは、俺に近しい能力を他者に付与することが……」
『いずれにせよ、危険な行為でした。その証拠にセグメントの情緒は不安定です。接触したならばわかりますね?』
「ああ……まあ、どことなくな……」
『となれば、同じことを繰り返すかどうか、我々が見張っているかもしれない、という可能性を類推することもできますね?』
ゴッドスピードは息をのむ。
『あなたは我々の信頼を裏切りません。そうですね?』
そうなのか、どうなのか。
裏切る、裏切ったつもりは当然、彼にはない。
「ああ……」
『もちろんそうです。我々も同胞、大切な仲間に対し詰問などしたくはありません。ただ、我々には重大な責任があります。ゆえに、全幅の信頼はいっそ無責任といえます』
「ああ、それは聞いたが……」
『そうですね、高圧的に聞こえましたね。ですが……ええ、それもあえてのことだと、ここで白状してしまいましょうか。我々はなにより、同情と懺悔の念をあなたに感じています』
「……なに?」
『戦いの日々は神経を摩耗させます。我々はあなたを酷使し過ぎた。それは事実です。ゆえに、実のところ、あなたは……自身の手で記憶を消したのかもしれないと、我々はそうも考えています。思い出したくないことが多々あったのだと』
「……なんだそりゃあ? そんな、ヤワに見えるか?」
『どうでしょうか』スノウレオパルドの声音はとても優しい『あなたは繊細だった、小さな頃から』
「小さな……えっ、あんた、俺と旧知だったのか?」
『強くなくては生き残れない。でも、強すぎては幸福になれない』
「おい、あんたは……」
『いつか、ゆっくりお話ししましょう』そして声音は冷徹さを取り戻す『任務に戻ってください。決して油断しないように』
そして通信は切れ、ゴッドスピードは何もない荒野を少しの間、じっと見つめていた。
【緑のコミュニティ】
荒野に緑が散見し始めた。瀕死とも思われがちな現状ではあれども、実のところ緑が増えつつあるのではないか、そういった希望的観測が人々の間に囁かれて久しく、また実証するかのように緑が豊富な地域はところどころに実在している。
しかし、そういった場所でこそ奪い合いの争いが勃発するもの、あるいは緑が回復せしめることには死した人間の血肉が関係しているのではないか。そのような突飛な説も語られることがある。
「すごい、広い森林があります!」
ウルチャムは目を輝かせて前方を指差した。進むほどに緑は散見に収まらず、奥には広大な森林が彼らを待っている。
「建物も見えるな」モールは髭を撫でる「アウトローどもの住処かもしれん。気を抜くなよ、嬢ちゃんたち」
ややして一行は目的のコミュニティ、マスターズへと辿り着いた。森林の外枠を埋めるように家々が立ち並び、馬車や簡単な構造の自動車が行き交っている。各店舗も色めきだっており、一見して市場の装いに見えた。
「……活気がある、それに平和そうだな」ゴッドスピードは行き交う人々を見つめる「こちとらガードドッグとはいえ、外界からの来訪者を注視する視線も少ない」
「奇跡的に襲撃に遭ってこなかったってことかね?」モールはうなる「そんな訳はないと思うが……」
「ともかく動かねばな。よし、ハイスコアとプレーンは留守番だ。車両を守りつつ有事には援護に回ってもらう」
「ええー! ……と思ったけど、別に楽しそうなところでもなさそうだしいいか」
「あの、その」ウルチャムはビヘッドを撫で回し「私は食材などを見たいのですが……」
「あのう、ボクは先輩に相談があって……」
「ちょっと待て、まずは調査だ。食材確保などの時間はあとでもうけるよ」
「あのう、ボクは……」
「ジュリエットの件だろう? 気持ちはわかるが、お前に責はないよ。俺もああなるとは……想像だにしなかった」
実のところ、プレーンは責任の所在に関する話がしたかったわけではない。しかし彼女はいったん、引くことにする。
「よし、じゃあ俺たちは行くから、お前たち仲良くしていろよ。あとレーダーには注意しておくこと」
ハイスコアとプレーンは一瞬、互いを見やり、
「はーい!」
「了解しました」
そうして三人は車両を降りる。
「しっかし、あんたモテるなぁ」モールはにやにやしながらいった「大変だろう、何かと」
「とにかく……忙しないな」
「無闇に手を出すなよ。ごたつくのは目に見えてるからな。ワイズマンズの男女混合部隊が増えたのは比較的最近のことだが、ガードドッグだと以前からよくあることだったんだ」
「なんだ、痴情のもつれでも起こったって?」
「そう。困ったもんだ」
「俺がなにより思うのはな」ゴッドスピードはウルチャムを見やる「とにかく死んで欲しくないという一点のみだよ」
ウルチャムはうなり「ぜ、善処します」
「それじゃあ足りないな。絶対に俺より先に死ぬなよ。これは命令だぞ」
「は、はい……!」
「そうだな、生きてこそ……と、何だぁ?」
町中より喧騒が広がっていた。その渦中にあるのは金属の体、オートキラーである。
「キラーだとっ? いくぞっ!」
そして駆け出し、銃を構えるものの、周囲から止めが入る。
「なっ、なんだっ?」
「いいからいいから、ピップルにそこまでのパワーはない」
がたいのいい壮年の男とオートキラーが取っ組み合いをしている。しかし、力負けしているのはキラーの方である。
「お前は何度ウチのガラスを割るんだええっ?」
そして男はついにキラーを持ち上げ、地面に叩きけてしまった。
「どうだこら! 今度やったらお前の頭で窓を修理してやるからな!」
そう言い残して男は大股で去っていき、騒動は解散となった。やがて大の字に横たわっていたキラーも立ち上がり、のろのろと歩き始める。ゴッドスピードはうなり、
「なんだ? どういうことだ……?」
通りすがりの市民は肩をすくめ、
「ここではよくあることさ。ピップルがささやかに暴れ、被害を被った誰かさんが怒ってこらしめた。それだけの話だ」
「馬鹿な、奴はキラーだろう?」
「力は落ちてるからな。それでもキラーとして破壊行為に出るあたりは根性がある」
「しかし……」
「何の用だ? ガードドッグさんよ、誰に呼ばれた?」
「いや……マスタークックル氏に会いたくてね」
「……居場所は知らないな。すぐそこのパブで聞いてみちゃどうだ? おしゃべりが集ってるからな」
「ああ……そうしてみるが、本当にいいのか? あのキラーを好きにさせておいて……」
「いいんだよ。むしろ下手に手を出さないでもらいたい。あんたたちは立派だが、俺たちは俺たちなりに上手くやってるんだから」
そこまで言い切られてはワイズマンズ三人も動けない。ただ互いに怪訝な顔をするしかなかった。
そしてその顔を捉えている機械の目があった。背の高い樹木の上に布を被ったオートキラーが五体、高性能の狙撃銃を構え、ゴッドスピードとモールに照準を合わせていた。