愛憎 Passion fire:Good faith
【無実の証明】
決着は早かった。オートキラーとアウトローの混成部隊は瞬く間に撃破され、戦闘はストームメンの圧勝で終わっていた。
だがグラフスの表情は険しい。夜の貴公子の死体はおろか、離れていく生体反応も確認できなかったからだ。
あの男はどこへ消えたのか。荒野の地平線を睨む彼の隣にストームツーが立ち、ドーム内の大爆発について、報告を行う。
「なにっ……? フィランディルはっ……!」
「無事なようです、こちらへ向かっていると」
「ここへ? アリスか……」グラフスは嘆息する「……いや、そうだ、民間人の被害だ、どれほどの……」
「思いのほか少なそうであるとの報告は受けています。なんでも直前に逮捕者の脱獄ないし、それへの狙撃騒ぎがあり、事前に退避していた民間人が多かったそうで……リガリスの敷地に隣接していた警察署も大破したそうですが、先の騒ぎで警官らの多くが署外に出ており、その多くが巻き込まれずに済んだとの話です。もっとも、署内に残っていた署長など若干名はおそらく死亡したでしょう」
結果、リガリスとその側近ばかりが消された事実が残る。グラフスにとっては素晴らしい展開だが、大いなる懸念があった。それはもちろん謎の戦闘機についてである。まさかアリスが手配したのか、そこまでの戦力を保有しているというのか。グラフスはうなり、
「……アリスはどうしている?」
「何者かによって銃撃に晒されています。先ほどからの銃撃音はそれです」
「なに? どのような風体だ?」
「わかりません。少女のようですが……」
「まあ、敵も多かろう」
「いかが致しましょう?」
「……放っておけ」
フィランディルのみが残った現状はあまりに理想的であり、なればこそアリスの評価も再考の余地があったが、実際的な懸念があっては見殺しにするしかない。懸念とはアリスを狙う謎の少女とあの戦闘機が同じ所属である可能性である。下手に手を出し、あれがここへと襲来してはこちらが危ない。
「……さらばだアリス・シューベット」
グラフスの呟きは風の音に消え、当のアリスもといジュリエットは依然として生死を分かつ事態にあった。コード・ハイスコアはワイズマンズにおいても群を抜く運動能力強化率、強度増強率、そして異常な再生力がある。真っ向勝負で勝てる見込みは万に一つもない。
しかし生存の道は輝きつつあった。フグのような飛行機が着陸していくのが見えたからだ。搭乗しているのがゴッドスピードだということもわかっている。殺害が失敗してくれてよかった。彼ならばあの獣を止められる、早く、早くこちらへ……! 策士の権化たるジュリエットも、今はひたすら祈るしかない。
「どこにいんのー? さっさと顔出さないと殺す前に痛めつけちゃうよー?」
ハイスコアは巨岩の上部を撃ち、落石を誘発させる。戦闘能力が低いということは肉体強度も常人とさして変わりがないはず、ならば大きい欠片が直撃すれば無事では済まないだろうとの考えである。
なるほどそれは正しかったし、ジュリエットも頭を抱えて丸くなる他なかったが、この射撃こそがかえってゴッドスピードの到着を早めていた。ワイズマンズの戦闘車両が猛烈な速度で接近し、そして横滑りしながら停車、ゴッドスピードら三人が飛び降りる。
「……おいスコアッ! 何をしているんだお前は……!」
「みだりな射撃はいけません!」
ハイスコアは肩をすくめ、
「ジュリエットが出てこないから……」
「そんなもので威嚇するほどかっ? というか、そこにアルターゼの軍がいるっ……直ちに止めないか!」
「えー、でも、ドームで起こった爆発って……」
そのときだった、どこからともなく現れたジュリエットがゴッドスピードに寄り添う。
「助けて、お願い! あれが殺そうとしてくるの!」
「うおっ、お前……」
「あなたを拘留させたことは謝るわ、でもそれだけよ、なにも殺すことはないでしょうよ!」
「お、おお……」
「うっわ……」ハイスコアはうめく「マジでキレそう……」
「待てまて……なんだ、とにかく落ち着け……身内で争うなと……」
「違うよ! そいつ、アナタを殺そうとしたんだからっ!」
「なにぃ?」
「尋問が必要だと思うなぁ! ほら急ごうよ、アルターゼの軍に邪魔されるよ!」
様々な懸念がゴッドスピードの脳裏をよぎった。事態の把握と、軍への説明が必要である。そのためには尋問し、情報を共有しておかねばならない。
「そうだな、ともかく車両へ!」
ジュリエットはプレーンに引っ張られ、しぶしぶ車両へと連れていかれる。
「それで……待て、あれはっ?」
接近してくる車両があった。
「……今度は何だ? 一般車両のようだが……」
「そういえば、近づいている車両があったのでした」ウルチャムはゴーグルの倍率を上げる「人のようです、若い男性が一名」
「偶然ではない。警戒は怠るなよ」
「はい!」
車両はゆっくりと停車し、ジャケット姿の少年が一人、荒野を踏んだ。
「やあ、軍の人かなっ? 状況はどうなっているんだっ? アリスはっ……?」
茶色い髪の美少年だった。軍人には見えない。アリスとはもちろんジュリエットのことだろう。ゴッドスピードとウルチャムは顔を見合わせ、
「……いや、俺たちはガードドッグだ。君は?」
「フィランディル・リガリスといいます」
リガリスの王子様がジュリエットを求めてこんなところにまでやってくるとは。奇妙な展開にゴッドスピードはうなった。
「……そうか、彼女は無事だが、これから聴取をしなくてはならない」
「無事……」少年は目を大きくし「そう、ですか……。よかった……!」
そして眩しく笑うが、ゴッドスピードにはかえって哀れに見えた。ジュリエットとてワイズマンズ、普通人と添い遂げることは難しく、しかも状況が混迷している、場合によっては今日を最後に一生会えない可能性もあるのだから。
「えっと……君はその、シューベット嬢の……」
「ええ、とても親しくさせてもらっています」
「どうしてこんな場所へといらっしゃったのですか?」ウルチャムである「荒野に単身は危ないですよ」
「アリスが実はスパイで、命を狙われているとの書き置きがあったんです。今日この場所、この時間の取引に関係しているとも。ここにはストームメンもいるようですし、隊長であるグラフスとは懇意なのでまあ大丈夫かと……」
軍との橋渡しになってくれるかもしれないので無下にはできない。ゴッドスピードがそう思ったとき、砂煙を上げて装甲車が彼らの元へと向かって来ていた。そして降りた一団はもちろんストームメンとそれを率いるグラフスである。
「何だお前たちは、ガードドッグのようだが、なぜここにいる?」
きっちりと髪を固め、高価な茶色いスーツを着た男だった。透き通るほどに凛としたその表情は高潔なる軍人そのもの、その姿勢にも一切の乱れがない。
話せないことは多々あるが、それ以外のことはなるべく正直に話した方がいいかもしれない。ゴッドスピードはそう考え、答えを慎重に選別する。
「……ブラッドシンと取引をするとの情報があり、調査に来たんだ。我々も奴らを敵視しているからな」
「そうか。君の仲間が警察に拘留されていたそうだが……あるいは君自身か?」
「そうだ」
「狙撃事件を?」
「ああ、奴はどうにも……俺の客らしい」
「あの巨大戦闘機がか?」
「そうだ。何者かは分からないが……」
「そうか……」グラフスはうなる「……爆発のことを?」
「ああ、知っている。だが、おそらく戦闘機の仕業ではない」
「なぜ、そういえる?」
「奴は俺がドーム内にいるうちはご丁寧に俺だけをレーザーで狙っていたのに、航空機で離れた途端にミサイルを連発してきた。まるで市民を巻き込まないよう手心を加えたかのように。そしてドームの爆破は離陸後すぐに起こった。あの戦闘機の仕業とするにはタイミングが妙だ」
グラフスは隣のストームツーを見やり、首肯の意を確認する。
「なるほど。ところでよく撃退できたな?」
実際はそうではないが、ウルチャムの特性は話せない。
「……分からないが、弾切れかもしれんな。急に攻撃を中止し、俺に恨み節を吐いて去っていった」
「君の客だという話だが、ラインアゾートを狙ってはいないのか?」
「確証はないが、狙いは俺だと思う」
「ふむ……」グラフスは一考し「ところでなぜ、攻撃される直前に署から逃げ出せた?」
「俺には危機が事前に察知できるんだ」
「なに?」
「事前に攻撃を予期し、避けることができる」
「馬鹿な……」
「証明してもいい。殺しにきてみろ、反撃はしない」
面白い男だ。グラフスは笑み、
「ストームツー、殺す気でやれ」
短髪の巨漢が一歩前に出た瞬間、無数の連打が繰り出され、ゴッドスピードはそれらを紙一重でかわしていたが、ある一瞬で飛び退いた。いつの間にかストームツーがナイフを逆手に握っている、そして次に拳銃を構え急所を狙う精密な射撃、これをもかわしたことで周囲の兵士たちから感嘆の声が上がり、グラフスは「素晴らしい」と一言、漏らした。
ストームツーの攻撃はまだ続く。俊敏に接近、ナイフ術を交えた連続攻撃、いつの間にか靴のつま先、かかとから刃物が出ている、そして背中を向ける、回し蹴りの前兆、同時にビー玉ほどの物体が宙に浮いている、それらはごく一瞬だけ強く発光し、直後に渾身の蹴りがゴッドスピードを襲うがこれも当たらない。しかしストームツーにはまだ策があった、回し蹴りの勢いのままに体を半回転させナイフを投げる、当たればよし、当たらなくとも柄の先から伸びている鋼線を操り、そのまま巻き付ける算段である。
だがこれすらも通じなかった。ひらりと仰け反り、かわされてしまう。ここまで通じないなどということがあるのか、ストームツーがそう思った直後のこと、ゴッドスピードがさらに回避の動きを取った、銃撃音、グラフスの銃撃である、五発襲いかかった弾丸、これは完全なる不意打ちだった。しかし最後に残ったのは、それすらも当たらないという結果のみである。グラフスは頷き、
「よし、ここまでだ!」
ストームツーは戻ってきたナイフを手に取り、うなった。俺の攻撃をかわしている最中にも関わらず、隊長からの銃撃をもかわしてみせた。おそらく予期は嘘ではない。そうでなくてはあり得ないことだ。
「なるほど、信じよう」グラフスは敬意をもってそう言い切った「素晴らしい才覚、技能だ。ガードドッグにしておくには惜しい」
「……どうも。それと……先んじてアリス・シューベットを聴取させてもらっている。我々に逮捕権はないが、強い妨害を受けたと解釈しているゆえにだ」
「……うむ。爆発はあれの仕業だろう」
ゴッドスピードやウルチャムにとっては、あるいはというよりまさかであった。
「……爆発、あの爆発が?」
「我々はそう踏んでいる」
「待ってくれ、僕も彼女と話がしたい」
フィランディルだった。涙を流した跡がある。爆発により、一族がほぼ全滅したかもしれないという報告をつい今しがた受けたばかりだからだ。
「……すぐに、話をさせてくれないか?」
ゴッドスピードはうなり、
「いったい、どうしたんだ……?」
「リガリス一族があの女に爆殺された」グラフスである「一族が集結しているタイミングを狙っての犯行だろう」
その言葉を受けてゴッドスピードは状況を把握するに至ったが、しかしそれだと大きな疑問が残ってしまう。それゆえにジュリエットの犯行だとはむしろ認め難かった。
「だが……少し、待ってくれないか。いま聴取している」
「申し訳ないが、今すぐにしたい」フィランディルの声音はいっそ威圧的に変わっている「本当に彼女がやったのかこの耳で聞きたいんだ」
ゴッドスピードはうなる。あるいは彼がそうなのか。
なるほど愛する者が情に訴えかければ聴取もはかどるかもしれない。しかし嫌な予感も拭えない。
少年の腰には銃があった。あるいはこの場で報復を実行するかもしれないのだ。
「譲歩してもらいたい」グラフスである「彼は……いずれにせよ、優先権のある立場だと思ってもらいたい」
報復の可能性を予期していないわけもない。つまりこの男にとっては、ジュリエットに消えてもらった方が都合がいいのだ。ゴッドスピードはウルチャムを見やり、
「……ウル、どうだ? 彼はアリスを……?」
「……可能性は、ゼロではないと思います……」
「……そうか」ゴッドスピードはグラフスを見やり「ダメだ、報復の可能性があるからな」
「あるのは権利だ」
ゴッドスピードはグラフスに詰め寄り、
「ガキにやらせるつもりか……!」
「ひかえよ、いずれラインアゾートの王となる男だぞ」
「なにぃ?」
「やらないよ」フィランディルは銃を取り出し、ゴッドスピードに手渡した「これはただの護身用だ。彼女はあの車両の中だね?」
そして少年は歩き出し、ゴッドスピードは黙って見送るしかなかった。
【愛とそうではないもの】
ジュリエットは車内を見回し、ため息をつく。
「埃が少ないって意味じゃ意外ときれいだけど……。いいわよ、なんでも話してあげるわよ、いつまでもこんなところにいたくないし」
プレーンは彼女に銃を突きつけている。下手な動きをした場合は躊躇なく撃つつもりだった。
「……これまで集めることができた情報から、とてもよくない推測が成り立ってしまうことに気づきまして、それの正誤をこれよりキミと確認したいのですが」
ジュリエットは肩をすくめて見せ、
「ええ、どーぞ?」
「……先輩はあの、謎の戦闘機に狙われる立場らしく、そのトリガーは先輩とエンパシアであるエンパシーが一定距離、離れること。つまりあれはオートキラーである確率が高く、キミはこの情報を得てリガリス一族抹殺作戦に利用しようと企てましたね」
ジュリエットはわずかに首をかしげ、微笑む。
「先輩はいっていました。コミュニティより離れた後に大きな爆発が起こったと。そもそも最初は狙撃だったそうです、まるで先輩しか狙っていないかのような。まあつまり」プレーンは眉をひそめ「キミが強力な爆弾を仕掛けていたのでしょう? そしてキラーの襲撃とも、先輩の仕業とも解釈できるようプランを組み立てた。後者の場合は汚名を着せるにうってつけですね。ひいてはガードドッグをも追い出せる」
「解釈のこともそうだけど、単に前者が本命で後者が理想という感じかしらね。まさか爆発まで予期して逃げ出せるとは思わなかったし、それが分かっていたらキラーに頼まなくてもよかったのに」
ジュリエットは悪びれる素振りもなく、そう言い切った。
「……リガリスを滅ぼし、ワイズマンズを排斥し、そしてどうするんですか? ラインアゾートを支配でもしたいと?」
「まあ、そういうのもあるかもね」
「かなりの暴挙ですね」
「あなたが残っていてくれてよかった。私たちは似ているわ、美人で賢く、有能だもの」
「そうでしょうか」
「ええ、違う点も多いわね。私は人を操れるけれどあなたには到底無理」
「操ることは本意ではありませんし、面白くもありません。他者とはある意味どう動くか予想もつかない不気味なものですが、裏を返せばそれこそが魅力であり、認めるべき観点だと思っていますので」
「そうね、あなたは正しい。私ほどになるとつまらないことも多いから」
「これからどうするつもりですか?」
「どうもこうも、任務を続けるわよ」
「続けられると?」
「もちろん」ジュリエットは断じる「ワイズマンズはとにかく人手が足りないから、コミュニティの安定に尽力さえすれば今度のことは見逃されるわ」
「……まさか」
「不安定という意味ではアルターゼとリガリスの対立こそが最大の原因といってよかったの。だから今回、私がしたことはテロでも個人的欲求の充足でも愉快犯でもなく、世直しの側面があると説明できるわ。少数の犠牲でより多数の幸福を実現しようとした結果とね」
「今回の事件を正当化するために理論武装をしているだけでしょう」
「だとしても、理論を精査する時間や人手がないのが実情よ。そんなことにリソースを割くより、多少乱暴でも結果を出せる人材の方が有益じゃない?」
プレーンはうなる。確かに一理ないわけではない。
「……キミが、市民を幸福にできると?」
「そう」
「爆発に巻き込んだくせに?」
「ええ、しょうがないでしょう? 一度に全滅させたかったのよ。一人ずつはダメ、殺すごとに警戒が段違いに強化されていくからね。それは次男のフリンスを殺したことで実証されたわ。まあ、お互いの腹を探ろうと集会に全員集めることには成功したけれど」
眉をひそめるプレーンをよそに、ジュリエットは淡々と説明を続ける。
「プランは二十八種類あったけれど、一度に殺すには爆殺がもっとも可能性が高いと思えたの。強襲するにも私には技術が足りないし、厨房はかなり厳重でね、毒を盛るのも警備上難しい。でも短時間で爆発物を仕掛けることなら比較的容易だったから。私はじじさまのお気に入りだったしね、遊びに行くのも簡単でね、地下のワインセラーにお土産ワインを仕掛けさせてもらったのよ」
「爆殺を選んだ理由は分かりました。爆弾はどこから?」
「私がつくったわ」
「広い敷地を丸ごと吹き飛ばす小型爆弾をですか?」
「ええ」
「情報では、そのような技能があるとは載っていませんが……いえ、それはけっきょくこういう話になる。なぜ、キラーが今日、攻撃してくれたのか? です。どうして先輩は昨夜、狙われなかったのか? 狙撃するならば寝込みを襲えばいいのに」
ジュリエットはまた微笑んだまま、黙した。
「なるほど集会に合わせて爆発させることは容易かもしれません。ですが、キラーの襲来と集会の時刻が合致しているのはいかにも都合が良過ぎるでしょう」
「あなたは本当に賢いわねぇ」
「いいえ、キミが杜撰だったのです」
しばしの沈黙があったが、やがてプレーンの方が答えを口にした。
「キミと組んでいたんですね、キラーが」
「いいえ、正確には本部の一部勢力とよ」
「……なんだって?」
「でもミスしたわー、まさかキラーがご丁寧に彼だけを狙うとは思わなかった。どどどどーんってミサイルを連射して終わり! にしてくれると思っていた」
「……いま、なんといいましたか?」
「まあ、それでも倒せないと踏んだんでしょうね。ミサイル程度で終わるならあんな戦闘機なんか用意しないものね。失敗しちゃったわー、狙撃ばかりをしてる時点で中止にできたんだけれど……けっきょく爆弾を起動しちゃったの。次のチャンスなんか待ちきれなかったのねー」
「なんといったんだ?」プレーンは銃を突きつける「キラーと本部が、手を組んでいるだと?」
「正確には違うわね。取引よ」
「取引……?」
「ゴッドスピードを殺す機会をつくれ、そうすればしばらく人類を攻撃しないでいてやるって話だったかな」
「馬鹿な、そんな口約束……」
「守るわけないと思ったからミスしたって話をしたんでしょ?」
プレーンはうなる。
「……例のキラーはブラックセクストンと呼ばれていてね……それから打診があったのよ」
「キラーから……?」
「あれはとてつもなく彼を憎悪している。機械が人間を憎悪しているのよ。いいえ、もはやあれは機械ではない、機械でできた人間なのかも」
「ブラック、セクストン……」
「はっきりいってね、あの巨大戦闘機を止めることは難しい。おびただしい犠牲が出るでしょう。ビッグ・テン規模でもあっという間に壊滅できる戦闘力があると推測されているんだから。そんなものがわざわざ一人の男を狙うというのよ、それもとんでもなく死に辛い男をね。時間稼ぎとしてはそう悪い話じゃないでしょう?」
プレーンはうなり、
「エンパシーは、やはり」
「あれは魔除けのお守りみたいなものよ。彼女が同行していれば奴も手出しはできない。万が一でも傷つけたくないみたいね」
プレーンはゴーグルを操作し、
「……スノウ先輩、聞いていましたね。いったいどういうことなんですか?」
ゴーグルの先から、ため息が聞こえてくる。
『……驚愕はこちらにとっても同様です』
「知っていたんですか?」
『そういった噂はありましたが……』
「スピード先輩はこのことを?」
『いいえ、まだ私の知る限りでは確定情報ではありませんでしたから』
「しかし、話すべきだったのでは?」
『キラーの襲撃など通常任務の内です。彼はいつでもキラーと戦い、撃破してきました』
「エンパシーは彼を守るために?」
『大まかにはそうです。二人が互いを守り、それによって任務成功率を大幅に上げられるという構想です』
「その、ブラックセクストンという個体はエンパシーを盾にしていることに怒っていないのですか? 急に約束を反故にしたりは?」
『その可能性はあります』
「彼女は人質ですか?」
一瞬の間、息をのむそれがあった。
『まさか、そのようなことは私が……』
「通信終了」
プレーンは一方的に会話を切断し、ジュリエットを睨んだ、そのときだった。車両背部のドアが開けられる。
「ねー、なんかあんたと話したいんだって」
そして現れたフィランディルに驚いたのはジュリエットであった。目を丸くし、勢いよく立ち上がる。
「フッ、フィランッ……? なっ、なぜっ……?」
「君がここにいると聞いてね」
そしてフィランディルは車内へ、ハイスコアはジュリエットを一瞥し、乱暴にドアを閉めた。
「……アリス!」少年はジュリエットの手を取り「よかった、無事だったんだね!」
「え、ええ……」
「どうしてこんなことを? ……いや、君が普通ではないことは分かっていた。しかし、あんな兵器の取引なんて……」
ジュリエットは狼狽するが、こんなイレギュラーは日常茶飯事、すぐさま解決の策を練る。
「あれは……とても強力な兵装なのよ、分析して量産すればラインアゾートを守るための強力な兵力となる。確かに私はスパイよ、でも必要なことだったという確信があってこれまで……やってきたのよ」
「そう、か……。そして、グラフスがいうんだ、君がみんなのいた屋敷を爆破したと……」
ジュリエットは頷き、
「……そうよ、私がやったの」
静かに、車内の空気に暗雲が立ちこめた。
しかし、雷鳴のごとくそれは破られる。
「……なぜ、どうしてだっ!」
「愛する人を王様にしたかったからよ!」ジュリエットは本心を叫んだ「そして私が王妃さまになるの!」
フィランディルの表情は複雑だった。グラフスからしてそうだ、なぜ、僕なんかを王に据えようとするのか……。
そしてジュリエットはゆっくりとフィランディルに抱きついたが、プレーンはじっと彼女より視線を離さない。急所こそ外すつもりとはいえ、妙な真似をしたら即座に撃つつもりだった。
「ねえ」ふと、ジュリエットがプレーンを見やる「少し、二人きりにしてくれないかしら?」
「だめです」
「だって、しばらく落ち着かなくなるでしょう?」
「受け入れることです」
「お願い」
「だめです。そうしているのも、譲歩した上でのことです」
「じゃあ、ここでキスしてもいい?」
「だめです」
「なんでよ?」
「ボクの強権です」
「今後のために勉強しときなさいよ。あのひととすることになるかもしれないでしょう?」
プレーンは、目を細める。
「勢い余って失敗しちゃったら恥ずかしいわよー、歯が当たったり、汚い音が出ちゃったり、いいキスは難しいんだから」
しばしの沈黙があった。プレーンはため息をつき、下を向く。
ジュリエットはそれを見てくすくすと笑い、懐からタブレットを取り出した。
そしてそれを口に含み、幾度か噛んでから少年に口づけをした、その直後だった。
フィランディルが突如として暴れ出し、異常に気づいたプレーンはすぐさま銃を構える。
「なっ、ジュリエットッ?」
フィランディルは倒れ、泡をふいてもがき苦しんでいる。ジュリエットは肩と足に銃弾を撃ち込まれ、転倒した。
「これは、毒か!」
「……ワ、ワイズマンズでよかったわぁ、私には戦いの才能こそないけれど、毒耐性だけは相応なのよねー……」
そして死にゆく少年を睨み、
「さようならぼくちゃん……! 優しいだけのお前がもっとも嫌いだったわ……!」
プレーンは急いで解毒用のアタッチメントを探し始める、しかし勝手の知らない車内ではそれがどこにあるのか見つけられず、ほんの十数秒ほどでフィランディルは息絶えてしまった。
「ジュリエット……!」
傷口を押さえ、汗だくだがジュリエットは笑い続けている。
「じじさまも近いうちに逝くわ、これでリガリスは全滅よ!」
「馬鹿な、何をしたいんだキミは……!」
「私はあの人のために尽くしたいだけ、あの人こそが王となる、これが私の真実よ……!」
「ふざけるなっ……!」
プレーンはまた銃を向けるが、殺すわけにもいかず、そのうちに背面のドアが開かれた。
【延命の鎖】
震える銃口がジュリエットの頭に押し付けられている。彼女の顔はすでに幾度となく殴りつけられ、腫れ上がっていた。
「もう、やめろ……!」
何度も制止しようとしたゴッドスピードだが、ついにストームメンが彼を取り囲む事態となっていた。ここでの敵対は互いにとって望むところではなく、今となっては爆弾犯ないし毒殺者と断定されるジュリエットである、かばってよいことなどない、それどころか、このまま殺されてくれれば口封じという観点において利点があるほどだった。
「やめないか、ここで殺しては情報が得られないだろう……」
それでもジュリエットを痛めつけるグラフスを止めようとするのは彼の良心的判断によるものである。とはいえ彼の言葉は怒り狂うグラフスにはまったく届いていなかった。
「この忌々しい魔女めがっ……! いつか牙を剥くとは思っていたがっ……!」
銃口に押されてジュリエットは乾いた地面に倒れ込み、そこをグラフスが踏みつける。血は遠いにしても、フィランディルは彼の弟も同然だった。その怒りの前には殺人者の命など問題になるはずもない。
グラフスとて自覚はあった。この女狐に対し、軽率であったと。しかし、まさかフィランディルまで殺すつもりだったとは思いもよらなかったのだ。
まさか、まさか、そんな馬鹿なことなどあるものか、この女が、この女の目的が、愛する対象が、この自分であるなど……。
「……いいわよ、殺しても……。その代わり、ずっとずっと、私のこと忘れないでね……」
愛しのグラフス、自分とは真逆ともいえる存在、真実の徒、平和の守護者、正義の番人……でも不器用なひと、絢爛なパーティには滅多に現れない、晩餐会でも笑わない、いつも外部からの脅威を危惧している堅物、でも市民には優しい、ときには笑う、子供が笑うと笑う、犬が舌を出すと笑う、負けず嫌い、運動能力は卓越しているのにスポーツはなぜか苦手、じじさまとはチェスのライバル、ワインにはうるさい、ワイングラスにもうるさい、あんまりうるさいのでグラスフと呼ばれている、親しみを込めて……。
……そう、仏頂面なのに人に慕われる、弱者からも強者からも慕われる、嘘はつかない、つけない、愛想笑いなんてできない、だからこそ弱い、脆い、グラスのようにもろいあなた……。
最初に話したのは社交界のパーティで、私は躓いて転んじゃった、計算ではない、支えてくれた、くれたけど彼の持ってたグラスからワインが溢れて私にかかった、慌てた顔、狼狽している、あら、よく見たらただの堅物さんじゃないようね?
「これで、終わりだ……!」
そのとき、グラフスは引き金を引いた。
しかし、弾丸は地面を抉るのみだった。
銃身を掴む手があったからだ。ストームツーである。
「……この女は有能です、役に立つでしょう」
「なんだと?」グラフスは彼を睨みつける「正気か、自ら酸を飲むようなものだぞ!」
「お言葉ですが、かのフィランディル様は王の器ではございません」
「離せ」
「あなたです、あなたこそがそうあるべきなのです」
「離せ」
「ゼロ!」
「離せっ!」
強烈な頭突き、しかしストームツーは真っ向よりそれを受け止める。
両者の額より、血が流れた。
「王は真実と相容れん! 私は王になるつもりはない……!」
「では、この娘にさせましょう」
銃を、ストームツーはそれを自身の額へと持っていく。
「……ゼロ、実のところ、この形が私の理想でした。あなたが真実そのものとなり、適当な誰かに偽りの王をやらせることがです。しかし、その実現には両者に固い相互理解がないとならない。フィランディル様ではいけないのです。彼は善人でしたが凡庸です。稀代の嘘吐きにはなれず、あなたを真に理解もできない」
「馬鹿なことを……! 貴様、まさかこの女にほだされているわけではあるまいな!」
「では引き金をどうぞ」
そのとき、ジュリエットが力なく、笑った。
「い、いい、じゃない……。私が……女王にでもなんでも……なってあげるわ、嘘は誰よりも得意だもの……。あなたはこれまで通り、真実に生きればいい……」
「それがお前の目的だろう! 真偽などどうでもいい、とにかく王座さえ手に入ればなんでもよいのだ!」
ジュリエットは仰向けになり、
「残念だけれど違うわ……。私は、あなたのために全部、やっただけ……。そしてこれからも……」
しばしの沈黙があった。しかし銃口は、ストームツーの額よりゆっくりと、力づくで離れていき、やがて下方へと向けられる。
そして銃声が鳴った。
しばしの静寂、ゼロとツー、両者ともに強く握り過ぎて半壊した拳銃が地面に落ちて、小さく響いた。
「……だが、よかろう……! そうだな、このままお前をなぶり殺すだけでは気が収まらん……! 罪人にはそれにふさわしい罰が必要だからな……! お前はこれよりラインアゾートにおける偽りの女王となり、虚構の霧でつまらぬ権威者どもをまとめ上げてみせよ!」
ジュリエットは静かに微笑み、
「ええ……誓うわ……」
「私は今日の怒りを忘れん……! 使えぬと判断した時点で、この手で殺してやる……!」
「……嬉しい……ありがとうグラフス。心から愛しているわ……」
その言葉は、その響きは真実だった。
少なくともプレーンの耳にはそう聞こえた。
そしてこのとき感じたのは、両者のつながりである。
どれほど歪であろうとも、とてもとても強いつながりがそこにあった。
【夢を叶えても】
大切な顔は腫れ上がり、包帯だらけのミイラ状態だがジュリエットはとても幸福だった。グラフスが構えるオフィス内に机を与えられ、彼の側に居場所ができたからだ。
少し視線を動かせば彼の様子を窺うことができる。グラフスは計画書を睨み、今後の防衛構想を練っている。
ふとジュリエットは立ち上がり、なんともなしにグラフスに近づいた。特に理由がなくともこういうことができる。それがたまらなく嬉しかった。
「なーにかあるのかなぁー?」
ジュリエットは開いた窓から顔を出し、外の風景を眺める。優しい風が入ってくる。眼下の芝生では非番なのだろうか、ストームメンの隊員がキャッチボールをしていた。
彼女の心は穏やかだった。すべきことはした。背負うべき罪も背負った。あとは時と共に影は風化し、そして愛だけを残せばいいのだ。
これは楽観的に過ぎるだろうか。いいえ、人は変わるもの。長くいればいるほど関係はしっかりと変わっていく。悪印象も毎日楽しく笑えば消えていく。そういうものだ、人は忘れるから。それは誰にしも必要な機能であり、よいことなのだ。
「なぁーにかあるのかなぁー?」
ジュリエットは窓から出て、屋根に立った。グラフスが怪訝な顔をするので少女は無性に嬉しくなり、くすくすと笑った。
外は明るく、人工の光とは思えないほどに世界は輝いていた。静かで、穏やか。なあに? することもなくこんなに素敵な日向ぼっこ日和なんて、本当に、なあに?
『ごきげんよう、ジュリエット。経過はどうですか』
ふと、耳の通信機より声が入った。コード・フェイスだ。
今の彼女には、なんだか懐かしい友人のものに思えた。
「そうねー、顔の腫れが引くまで猫みたいな暮らしをするつもりかしらねー」
『幸せそうですね』
「ええ、とっても!」
『その幸せが続くとでも?』
「ええ、とっても長くね」
『お前はもはやワイズマンズではない。お前を擁護していた本部の間抜け供も揃って更迭だ、過酷な環境にある基地にでも配属されるだろう』
「そうなの」
『ガードドッグに罪を着せ、守るべき市民を殺害した罪は重い。償いができないのならば、いつでもその首を刎ねにゆくぞ』
「わかっているわよー」
『お前は幸せになどなれん。決してな』
「私はあなたの幸せも願っているわ」
『……すぐに分かるさ、痛いほどに』
そして通信が切れた。
なあに、機嫌が悪いのね。
あなたも好きな人を見つければいいのにね。
「なぁーにか、あるのかなぁー?」
世界にはなんでもある気がする。なんでもあるのに、なんにも見えていなかった気もする。
遠回りしちゃったかな。最初から任務とか放り投げて好きとだけ伝えればよかった。でもただ好きなだけじゃ、美人なだけじゃ、あるとき負けちゃうこともあるからね。一周回ってこれでよし。私は悪魔? そうかもね。でも綺麗な心ってお菓子みたいなんだもの。悪口じゃないわよ、褒めてもいないけれど。
「なぁーにっか……」
『ある、だろう』
その声に、ジュリエットは固まる。
『約束はどう、した』
それは、砂でうがいをするかのような、不吉な声だった。
少女はひとつ、息をのむ。
「……ちゃんと、足止めしたでしょう? その後のことはあなたの問題よ……」
『奴を、Xホールへ誘導する計画はどうしたと、聞いている』
「……それは何のこと? 私は知らないわ……」
『守れないならばこのまま、お前たちを皆殺しに、するだけだ』
ジュリエットは空を見上げる。ドームの空は映像であり、そこには航空機の影など見えるはずもない。
「……わ、私は守ったわ、ちゃんと引き離したでしょう……?」
『奴が、死ぬまで我々の関係は解消、されない』
「……それは、本部のザルマトスたちがした約束でしょう?」
『連絡が、取れない』
更迭されたからか。ジュリエットは唇を噛む。
『お前、たちの誰でも構わん。役に立て、といっている』
「今の私には難しいわ……」
『グラフス・アルター……ゼ』
それは恐ろしく焦点の合った脅迫だった。ジュリエットは急激に頭が熱くなる感覚を覚え、額に大量の汗が滲む。
『その男を滑稽さに満ちた死体にしてやろうか』
その提案は邪悪だった。
『面白可笑しい表情や仕草、背景……笑いは常に善きものかどうか、その心で試してみるか』
邪悪に過ぎて、すぐに理解が追いつかないほどだった。
『思わず笑んでしまったとき、お前の愛はどう変化しているかな』
深刻ながら不可解な脅迫であり、想像に出血を伴う観念的な攻撃でもあった。ジュリエットは唇を震わせ、
「な、なんなの、お前は……」
『役に、立て。そうすればまたお前の願いを聞いて、やろう』
ここまで観察をし、キラーごときが人間の機敏を理解した上で悪意をぶつけてくるとは。それともあるいは! フェイスの入れ知恵だろうか……!
ジュリエットは怒りと恐怖で吐き気を催していた。
「お、お前は……いったい、どうしてそこまで……」
『私は眠りたい、だけだ……。奴を殺せばよく、眠れることだろう。そして永遠に夢を、見る』
「し、死んだら……夢なんか見ない。無になるだけよ……」
『死は無……可能性の否定というわけか。しかし命の生まれは選べん。誰しもな。選べぬ命が否定することは予定調和というのだ』
突如として笑声が響いた。甲高い笑い、音声が不快に割れる、砕ける、なおも笑う、機械は笑う、渦巻くように笑う、狂ったように笑い続ける。
その笑声はジュリエットの背筋を芯から凍りつかせた。
だめだ、これはだめだ。
こんな、機械の狂人に付き合っていては全て台無しにされてしまう。
だからこそ、すぐに比べなくては、選ばなくてはならない。
より恐ろしいのはどちらか。
より残酷なのはどちらか。
決まっている。あなたは益もないのに庇ってくれたものね。
だからこそ死んでちょうだい、ゴッドスピード!
どうか私たちの未来のために……!
そしてジュリエットはまた、戦いの世界に身を投じることとなる。
ここは愚者の楽園、愛は憎悪をくべてこそ燃え盛る。