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愚者の楽園  作者: montana
19/33

蠢動 Passion fire:Target

【何がために】

 室内灯ではなく、朝日だった。四番ドームは今、午前六時を回ったばかりである。

 ゴッドスピードは起き抜けに錯覚をしていた。テーブルに座っているものが等身大の人形のように見えたのだ。

「おっ……お前、どうした?」

 ぱちりと、スイッチが入ったかのように、プレーンの目が開いた。

「おはようございます」

「いや……なぜ、そこにいる?」

「いつの間にか眠っていたようです」

 少女の瞳はゆらゆらとしていて、どこか愁いげでもあった。まるで、くらげと紅葉を描いた絵画のような、不思議な色をたたえている。

「だからって……」

「……ええ、警護のためでしょうか」

「警護……? 交代制で休もうとしたのか? しかしまさか、こんなところで狙われるなど……」

 ない、と言い切ってはならない。敵はどこにでもいる可能性があるのだから。

「……ともかく、打ち合わせをすべきだったな。先に寝ちまったのは悪かった」

「お疲れのようでしたので」

 声音の睡眠誘導効果をあくまで認めないプレーンである。ゴッドスピードは苦笑いし、

「まあ……そうかもな」

「室内は点検済みです。盗聴器などの問題はありません。一点を除けば」

「そうか……それは?」

「先輩の衣服です。ジュリエットないし、その影響下にありそうな人物に接近されたりはしませんでしたか?」

「ああ……」たしかにそのようなことはあった「そうだな。しかし……」

 直感的にだが、そのような仕掛けはないと彼は踏んでいた。人心掌握に自信があればこそ、小賢しい機械などに頼る可能性は低いと考えていたのだ。そして案の定、彼のスーツに怪しい仕掛けは発見できなかった。

「あいつのことだ、それほど簡単じゃないさ」

「そのようですね。ですが、どのような方法でか仕掛けてくることでしょう」

「やれやれ、面倒くさいことに……」

 そのとき着信があった。ミッションファイルの受信である。差出人はジュリエット。

「……社交パーティ、ね……」

 今夜に開催される社交イベントであり、ジラス・リガリスの生誕祭でもある。これに潜入しての情報収集がその目的とあった。

「なるほど、おしゃべり会ですね」

「まあ、そうだが……」

「ボクの得意分野です」

 いまだ輝く紅をまとった口角が少し上がったそのとき、圧倒的な魅力がほとばしった。本人すらも自覚のない、完全なる不意打ちである。

 男が呆然としているとき、また着信が入る。今度はハイスコアからの音声通信である。

『もしもし! おはよう! 何もなかったよねっ?』

「あっ……ああ……」

 男はタイミング悪く、返答に詰まってしまった。

『はあっ? なになになにっ?』

 そこでふと我に返り、

「ああっ……いや、それよりジュリエットから何かあったか?」

『なにがっ? なんか変っ!』

「なにが? いや、なにかって、なにがだよ?」

『なにがってなにさ!』

「なにっ?」

『な、に、か、あったでしょ!』

「なにか? いや? だからジュリエット……」

『はああああああっ? あの女ぁーっ?』

 趣旨は明瞭な方がよい。単語の過不足も問題を引き起こす。とくに不足は危険である。

 ハイスコアがある程度落ち着くまで、実に三十分もの時間を要した。ゴッドスピードはもはや、喉がからからである。

「……で、ジュリエットから何か指示はあったのか?」

『ないっ!』

「そうか、こちらには接触があった。社交パーティに参加しろだとさ。ひとまず皆で落ち合って、朝飯でも食いながら簡単な方針を定めるとしよう」

『そうだね! お腹すいた!』

 待ち合わせ場所は総合料理店の前である。高級街の一角にありながら店構えは巨大なテント、大量に構える丸いテーブル席にはラフな格好の客が大声で会話をしながら、舌鼓を打っている。

 ハイスコアは鼻息荒く看板のメニューを見つめ、

「ここはねー、ケバブってのがおすすめなんだって!」

「とってもメニューが多いですね……!」

 食事を目前にし、いつもの調子に戻った様子にゴッドスピードは安堵する。ウルチャムも多彩な品目に興味津々である。

「ケバブ……どういう料理なんだ?」

「なんか肉のやつらしいよ!」

 なんにせよ肉のハイスコアである。あっという間に肉汁溢れるそれを五つ頬張り、豚肉の串焼きを三本頬張り、ゴッドスピードに指摘されしぶしぶサラダを口にして、大皿の麻婆豆腐を飲み込み、カレーライスを三杯食べ、白身魚の香草焼きを食べ、ゆで卵を十数個食べ、なんだかよくわからない煮物を飲み込んで、さらに牛肉のソテーを平らげてようやく腹六分目であった。

「……おい、まだ食うのか? 支給金だってそれほど残っているわけじゃあないんだぞ」

 いつどうなるかもわからない生き方である。可能な限り好きに食べさせてあげたいのは山々なものの、いかんせん一食に使う金額としては膨大になりつつあった。

「だいじょーぶ、私は食事代いっぱいもらってるから!」

「なに?」

「せっかくだからおいしいのたくさん食べろって!」

 しまった! ハイスコアは硬直した。それはアゴニーからの支給金だったのだ。

「初耳だな、なんだ、ブラッドシンを撃破した報酬とかか?」

「そっ、そそーだよ」

 実に二百万オンリーの支給である。いわく厚意の気持ちであるそうなのでハイスコアに断る理由はなかった。

 しかしながらこれはもちろん秘密である。ハイスコアは奇妙な笑みを張り付かせながら、食事の手を止めている。

「……なんだか怪しいなぁ? ウル?」

 ウルチャムは真相の究明に消極的である。ハイスコアが珍しく動揺しているのは感じたし、お金の出どころにも不安があったが、親友の隠し事を暴くのは気が引けたのだ。

「いっ……いえ、とくには、何も……」

 ウルチャムとハイスコア、彼女たちは、理由こそ違えど嘘を吐く必要に迫られてこなかったのがこれまでであるので、隠す技能に長けているわけもなかった。ゴッドスピードは不審に思ったが、ウルチャムの機敏を察し、無理な追及はせずにおく。倒したアウトローから金品を奪うワイズマンもいるし、ハイスコアなら罪悪感もなくやりそうだったからだ。そしてそういった行為の是非について、彼は語りたがらない。

「……まあ、金があるならいいがな……」

「で、でも、そろそろお腹いっぱいかなー?」

 しかし食欲は嘘を吐かない。足りない分はあとでこっそりたくさん食べるつもりである。

「そ、それはそうと」ウルチャムである「パーティでの情報収集が任務とのことですが、いったいどのような情報が目的となるのでしょうか?」

「そこが曖昧でな、とにかく配置が肝らしい」

「配置、ですか?」

「都度、指示されるとのことだが、よくわからない」

「つまりは」プレーンである「なされるがままということですね」

「わからないことだらけです。そもそも、私たちの投入に意義があるのでしょうか?」

「素人は邪魔なはずだし、単純に妨害が目的と思われるが……」

「優雅にシャンパン傾けてる横面をブン殴ったら楽しそう!」

 ゴッドスピードはうなった。ハイスコアなら本気でやりかねない。そして不意に動かれては止められない。ゴッドスピードの予測は自分に対する物理的な危害にしか発動しないからだ。

 そしてふと思う。なぜ他者の危険は予測できないのか。

 あるいは精度に違いが出るなど、程度に関する問題が発生するのはわかる。しかし、他者に対しては一切、あの影は発生しないのだ。

 発生した影に触れないようアドバイスをすることはできるが、発生のトリガーはあくまで自身に危害が及ぶ可能性に関してのみである。

 その機能の拡張は可能なのだろうか。あるいは他者に付与することは。

 それが可能ならば戦死者を著しく減らすことができるだろう。

 もし可能ならば……。

「スピードさん? あの、スピードさん!」

 ウルチャムに揺すられてはたと気がつく。

「……うん?」

「食事が終わったのなら出ませんと。先ほどから行列ができはじめています」

「おっ……おお、そうだな、行くか」

 四人は席を立った。支払いは注文と同時に行われるので会計の必要はない。

「さて、夜までどうするか。俺は……」

「昼寝でしょ!」ハイスコアはうなる「せっかくの都会なんだからいろいろ遊ぼうよ!」

「遊ぶ……」

 しかし、いったいなにをするのか。なにがしたいのか。

 四人にはこれといってアイデアはなかった。


【獣の檻】

 集まりに意味を見出すことは容易である。ヒトは物真似において人になり、人は人によって人を強めていく。自分は社会によって確立されていく。だからこそ、集まりに無関心でいられることは難しく、よく興味が惹かれ、意味を見出してしまうのだ。

 また、逆説的に、集まることで意味を生み出し、強調することも可能である。その行為は現象的に説明され、芸術的に表現され、実益的に策謀される。

 ジラス・リガリスの誕生会は餌に群がる獣の集まりでもあった。餌は他ならぬジラスその人だ。社会は他者への侵害を禁止するが、生贄の選出は好まれる。そしてジュリエットはいわばその儀式の巫女だった。

 リガリスの屋敷がある敷地内は煌々とし、豪華な料理を乗せたパーティテーブルがたくさん配置されている。集まった紳士淑女は百名をゆうに超え、おのおの固まり合ってシャンパンを嗜み、談笑を交わしている。

 そして、その様子を眺め、少女は蠱惑的に口元を歪めた。次は誰を間引くべきか、思案しているのだ。

 さあて、次は誰にしようかしら。私の王国にふさわしくない者はだあれ?

 うふふ、

 ははは、

 あははははは、

 そのときだった、ジュリエットの背筋に悪寒がはしる。

 目が合ったからだ。遠目だが、間違いなくこちらを見つめている。

 ハイスコアである。その顔は猛烈な形相の笑みにまみれていた。

 それは本能へ直通する刺激だった。加害する意思が圧倒的なほどに明白である。ジュリエットは戦慄したが、なんとか微笑を返してみせる。

 まさかであった。ジュリエットとて、これほどまでの敵意を受けるとは思っていなかったのだ。

 だからって、やれるわけがないじゃない。やってはいけないのよ。おまえが好むその男は人なのだから。おまえと違ってね。

 彼女にとって、ハイスコアはいかにも天敵である。例え、加害の後でどれほど厳しく罰せられるとしても、その場で殺されては彼女にとってなんの意味もない。法は後始末の指標でしかないのだ。

 しかし、このジュリエットが臆して逃げるわけにもいかない。ましてやあんな小娘を前にしてだ。彼女はゴッドスピードたちの元へ歩み寄っていく。だがハイスコアの方は見ない。無闇に刺激を与える必要はない。

「……ようこそ、じゃあ、指示どおりお願いね。無理はしなくていいから、何かあったら連絡をちょうだい」

 そう、今は計画に集中しなくては。

 そうよ、ようやくピースが揃ったのだから。

 よくきたわね、ゴッドスピード。

 そしてエンパシー。

 でもハイスコアとプレーンはてきめんに邪魔だわ。同行しているなんて情報もなかった。

 スノウレオパルド、あの女か……。

「……さ、いくわよ。あなたたちは指定した位置にいなさいね」

 ジュリエットはゴッドスピードを連れて小気味よく歩き、青年実業家たちの輪に入っていく。ハリル、ダスル、ロークメイ、ハリエンタル、キース、どれも自信たっぷりな野心家たちだ。そして誰もがこの私に惚れている。

「はあい、おひさしぶり!」

 青年たちの瞳が輝く。そしてすぐに薄暗く沈んだ。もちろん、背後にいる男へ向けた敵意である。

「こちらアストロ・ロウマンよ。お父様の紹介でね、警備次長を任されるみたい」

「まさか」

 青年たちは驚きの表情を隠せない。なぜなら、モリソン・シューベットはシューベット貿易の経営者だからである。そして貿易にかかせないのが信頼のおける警備会社であり、アウトローやキラーから運送車両や輸送機を守る役割は極めて重要、若くしてその次長ポストともなれば相当な出世頭で、ひいてはジュリエットとの関係も近くなっていくことだろう。

 つまり、不意に現れた眼前のこの男は、青年たちにとって最強のライバルなのだ。

 しかし、当のゴッドスピードはその立場に無頓着である。ただひたすら、へまをしないよう無難に、控えめに立ち回るつもりだった。

「それでね、彼ったらおかしいのよ、いつも冗談なのか真面目なのか区別がつかないんだから。昨日だって、ねぇ? 一緒にエデンへ行こうかなんて!」

 つられて笑ってみせるゴッドスピードだが、エデンが何を、どこを指すのかまったくわからない。しかし、同様に笑っているはずの青年たちから黒い影の片鱗が見えてぎょっとする。

 馬鹿な、そこまで本気なのか。こんな小娘に。

 なるほど麗しいようには見える。しかし彼にとってジュリエットは宝石のようだった。それが美しいということはわかるがまるで興味が惹かれない。荒野に沈んでいく夕日の方がずっと心に届くものがある。そして、それを一緒に眺めた人の方がよほど親密に感じるし、大切なのだ。

 そうだ、ハルはどうしているだろう?

 ハイスコアをなだめられていればいいが……。

 そこで違和感に気がつく。ハルではなくウルだろう。

 次の瞬間、またも猛烈な頭痛が彼を襲った。

 同時に、会場が凍りついた。

 みな同時に談笑を止めた。

 多くはなぜか、わからない。

 ただ、ジュリエット、そして対面していた青年たちは否応なくわかっていた。

 その誰もが足をがくがくと震わせている。そのうちの一人は膝を崩して転倒してしまった。

 ジュリエットも少しの間、頭が真っ白になった。

 気がつかないのは当人ばかりである。

「おっ、どうした?」

 手を差し伸べる相手が元凶なのだ、その青年は手が震えている。

「……体調に問題が? 休んだ方がいいかもしれない」

 青年は何度も頷き、ようやく立ち上がると、いそいそとその場を離れていった。

「……ちょっと、いいかしら?」

 ジュリエットはゴッドスピードの腕を掴み、屋敷へと引っ張っていく。

「おいおい、何だよっ?」

「いいから!」

 屋敷の中も華やかなパーティ色に染まっており、中央部分には人だかりがある。その中心にはジラスがいるはずだが、二人はその横を通り過ぎ、二階へと上がり、バルコニーへとたどり着いた。そこには他に、人気はない。

 ジュリエットはゴッドスピードを睨みつけ、

「……ちょっとなんなの! あんな威嚇なんて……! 勘ぐられるでしょう、やめてくれないかしらっ……?」

「威嚇?」

 ジュリエットもそこで気がつく。いったい何が起きたのか?

 ゴッドスピードは実際、何かをしたわけではない。

 だが周囲の皆に危機感を与えていたことは確かである。

 殺気、気配? そんなものが本当にあるとでも?

 わからない。実際の戦場を体験したことはないから。

「……と、ともかく、その、鋭利な気配とか、やめて欲しいのよ」

「なに?」

 とぼけているのか、自覚がないのか。

 ただ、ゴッドスピードはいたく機嫌を損ねてしまった。

「何のいいがかりだよ、くだらない、そもそもお前たちのごっこ遊びにいつまで付き合わせるつもりなんだ? さっさと本部へ陳情でもしろよ、こっちは休暇中でもあるんだ、世話をかけるな」

「ごっこ遊び……?」

 ふと両者は沈黙し、冷たい空気が流れ始めた。

 遠目には煌々とした街並みが見える。人工ではあるものの、頭上は瞬く星空が広がっている。

 眼下では賑やかさが回復している。

 華やかなパーティ。

 カラフルなキャンディに群がる蟻の群れ。

 先に口を開いたのはジュリエットだった。

「あなたとは、一度しっかりお話をする必要がありそうね」

「そうか?」

「前提として、オートキラーとの戦いには勝つ」

「なに? ああ……それはもちろんだが」

「それで、その後はどうするつもりなの? 発展していく人間社会を維持していかなきゃ」

「……ああ、そうだな」

「誰かが統制していかないとならない」

「それがお前たちだって?」

「そう」

「そうでなくては、駄目なのか?」

「他人にとられるのが嫌なの」

「ムカつく野郎が多すぎるんだな」

 そのとき一転して、ジュリエットは優しい微笑みを見せた。

 つくり笑いではない。そんな顔もできるのか。ゴッドスピードは静かに嘆息した。

「……そうね、本質的にはそうなのかも。友人知人想い想われ、たくさんいるけれど、好きな人なんてほとんどいない」

「そうか」

「あなたはなぜ? どうしてそれほど人々を守りたいの?」

「なぜだと? キラーどもに滅ぼされたいのか?」

「なんの目論見があってそうしているの? 前線で命を懸けて、その見返りが何だと思うの?」

「平和かな」

「平和な世で生きられると思うの? あなたたちのような戦闘集団が」

「難しいと?」

「実際、浮いているでしょ。社会活動に馴染めていない。プレーンなんか典型よ」

「そうか……だったら哀しいな」

 ゴッドスピードは人工の星々を見上げる。

 ジュリエットは首を傾げた。

「……怒りも、反論もしないのね」

「お前は? 仮に権力を握ったとして、その先に何がある?」

「豊かさかしらね」

「いい服を着て、いい食事をして、いい家に住む」

「そして誰かを断罪する、いい生活」

「……お前、もしかして悪い奴なんじゃないのか?」

 ジュリエットはまた、優しく笑った。

 ごく普通の少女のように。

「ええ、でも、みんな似たようなものよ。私より知性と行動力に劣るから大人しく、少しは善良に見えるだけ。一皮むけば下卑た輩ばかり、命を懸ける価値なんてありはしないわ」

「お前も孤独なんだな」

「そうよ。あなたに味方なんていない」

「そうかな」

「あの子たちだってあなたの敵だわ。足手まといだもの」

「くだらん」

「あなたに関する情報は驚くほど少ない。ただひたすら、強力なキラーを破壊したという内容のみ。でも戦績は実際、常軌を逸している。あなたは何者なの?」

「わからん。記憶をなくした」

「隠蔽という点では満点よね」

「よければもっと調べて教えてくれ」

「いやよ」

「そうか」

「罠の可能性があるから」

「……なんだって?」

「本部があなたを泳がせているのは単純に手が出しづらいからよ。何が起こるかわからないんだもの。なにより、記憶喪失の男に新人を任せるなんて、普通に考えてもかなりおかしいわ」

「それはそう……俺もそう思う」

「あなたはね、危険な人なのよ。誰にとってかはわからないけれど」

 男は思う。

 自分は何者なのか。

 得心にとって都合のいい着地点はいくつもある。

 しかし、本当のところ、自分は何者なのか。

 わからない。今のところ、答えはない。

「私たちは相性がいいか、それとも、最悪かしらね」

 そのとき、ジュリエットはドレスの胸元を破いた。

 そして駆け出し、姿を消してしまう。

 もちろん、ゴッドスピードには何がなにやらわからない。

 しかし、かけつけた紳士たちに囲まれ、わけがわからないままに若干の抵抗をすれば常人が床に転げ回ることは必然である。

 せいぜいが軽い打撲、軽傷だった。しかしある社会においては充分な暴力ともいえる。

 やがてゴッドスピードを囲む人の檻が厚くなっていき、やむなく降伏することになるが、ふと、その隙間から淑女に慰められているジュリエットの姿が窺えた。

 その少女は涙ぐんでおり、いかにも悲壮で、邪悪にも見えた。


【拘留】

 翌日、ゴッドスピードは警察署にいた。ジュリエットもといアリスに性的かつ強行的な行為を働いたとの容疑で逮捕されたのが昨夜のこと、現在彼は留置所にその身を置き、しばしば連行されては取調室にて執拗な追及を受ける立場にある。

 眼前には二名の警官がいる。片方は厳しく、もう片方は穏やかな表情をしているが、両者ともに腹の色は同じである。

「証言は揃ってんだ、諦めな」

 厳つい警官はそういい、にやりと笑むがゴッドスピードには事実無根の容疑である。彼が今すべきことは否認しつつ時を待つことのみ、そのうちに本部が手を回し、彼の容疑を晴らしてくれることだろう。

「おい聞いてんのかっ! 面倒かけんじゃねぇっ、さっさと吐きやがれっ!」

「まあまあ」穏やかな顔の警官が微笑む「なに、そう頑なになることはない。こういうのはね、けっきょく早々に認めた方が楽なものだよ。早ければ早いほど君のためになるんだ」

 こうした恫喝の嵐とそよ風の説得が長時間続いたが、キラーとの激戦を経ているゴッドスピードにとってはままごとのようなもの、ひたすらに退屈な時間だった。

 とはいえ興味深い点はある。ジュリエットは何をもってこのような暴挙に出たのか、いかにも謎であったからだ。

 ワイズマンズは裏切りや同士討ちをなにより望まない。このようなことをしでかしてただで済むはずもない。しかも相手が休暇半分の素人にわか査察官なのだ、俺なんぞのためにリスクを背負うなどいかにも愚行、スパイ活動をしているジュリエットにしてはあまりに杜撰ではないか。

 しかし、どれほど違和感があろうとも実際的な行動に移したことは事実、意図があることは間違いないと確信するものの、同時に決定的な情報に欠けているとも感じ取れ、またその情報を収集する状況にないことをゴッドスピードは歯がゆく思うのだった。

「そろそろいいだろ、吐いちまえよ、気が楽になるからさ」

「いつまでも粘っていると罪が重くなるぞ」

 嵐はよそ風に変わり、そよ風は冷風に変わる。巧みなコンビネーションで眼前の男を落とさんとする警官コンビだが、彼らとて違和感を覚えていないわけではない。ここ一年、あの少女がらみのわいせつ事件が多発していたからだ。ときには被害者、ときには証言者、そして逮捕されるのが相応の地位の人物とくれば奇妙に思わない方がおかしい。

 しかし異を唱えようとすると途端に上からのプレッシャーが強くなるので従うしかなかった。彼らとて勤め人、日々の生活があり立場もある。身内を、上層を疑い、あるいは噛み付くならば熾烈な圧力に堪えることとなるだろう。最悪の場合、関連コミュニティへの異動を命じられるかもしれない。

 それは何より恐ろしいことだった。豊かな環境や高給を奪われるだけでも相当に辛いことだが、何より実際的に命を失う懸念があったからだ。

 キラーの存在はもちろん、アウトローの懸念も強い。強襲される可能性は決して低くはなかった。それゆえに異動は別名、半死刑とも呼ばれており、これを回避する手段は警官を辞める以外にない。

 警察署のすぐ隣にはリガリス一族の大邸宅がある。リガリスの拠点に警察署が付属している。ラインアゾートの警官の約三分の一は実質、リガリスの私兵であった。

「おら、いい加減、吐けよ……!」

 吐いてくれ、頼む。

「こちらには証言もそろっているんだよ」

 都合のいい真実が必要なんだ。

 何かを思案しているのか、置物のように反応しなくなった眼前の男に、警官コンビは内心、嘆願し続けていた。


【三人娘の相談事】

「もーいいからボコボコにして本部に引き渡そうよ」

 せっかく着飾ってもカレがいないならいまいち楽しくない。休暇もぶち壊しだし、鬱憤を晴らすためにあの女をボコボコにしたい。ハイスコアはそんなことばかり考えながら、ベッドの上で足をばたつかせていた。

「いけませんよ」ウルチャムは彼女の怒りを察し、うなる「スピードさんは手を出すなとおっしゃったそうですし、ええ、本部がきっとどうにかしてくださるはずです……」

 ハイスコアは端末をいじっているプレーンを睨み、

「だいたいあんた何してたの? 配置的に近くにいたんでしょ? ぼうっと見てたわけ?」

「屋敷の中へ入ってしまいましたから。出てきたときには知っての通り、あんな感じでした」

「もー、あいつらぶっ飛ばして連れ出せばよかったなーっ」

「先輩は自ら同行をかってでたわけですし、その判断を尊重すべきでしょう」

 ハイスコアはうなり、

「で、どーすんのよって、ただ待ってるわけにはいかないでしょ」

 ウルチャムは手元のコーヒーカップを眺め、

「それが最善だと思いますが……」

「わかってないなぁ、口が達者な奴は殴って黙らせるのがイチバンなんだよ。相手にとってはそれが武器なんだからさ」

 ハイスコアは肩をすくめてみせる。

「わかるパシィ? 対話での解決ってよく評価されるけど、そういう風潮を形成することそのものが戦略なんだよ。二枚舌が得意な奴らにとっては有利な環境なんだからね」

「……ペンの強さもまた、より多勢という潜在的腕力を期待してのものでしょうしね。そして彼女のコネクションはかなり強大なものと推測できます。単純な腕力を振りかざしては、そのうちラインアゾートそのものが敵に回るかもしれません」

「面白そうじゃん」ハイスコアは笑む「大勢を味方にするペンより強い一本の剣が実在することを証明してあげるよ」

「基本的に」プレーンである「善良たる市民や同胞への攻撃は認められません。ですからボコボコにしたぶん、キミの立場が危うくなりますよ。とはいえそれはジュリエットにもいえること。彼女もまた、同胞を陥れるという大きなタブーを犯しています」

「それにしても、どうしてあんなことを……。やはり私たちの干渉によって、でしょうか……? そこまで邪魔であったと……」

「それはないでしょうね。ボクらは実質、何もしていませんし、できるほどの諜報能力もありませんから。別の案件に巻き込まれたか、あるいは最初から仕組まれていたかです」

「後者の場合は切実ですね……。ですが、スピードさんを拘留することで発動する計画などあるのでしょうか?」

「そうなんですよね、いかにも奇妙だ」プレーンは腕を組んで考え込む「……キミたちには何か特殊な任務が与えられていませんか?」

 現状はあちこちのコミュニティを渡り歩いては事件解決のために動き回っているのみであるが、

「ええと……いつかは北へと向かうことになるでしょう」

「ああ……そうか」プレーンは目を大きくする「なぜ気づかなかったんだろう、キミはエンパシアですね? キラー特効の人種がいるという噂は耳にします、雪のような白髪に多いとも」

「……そういった可能性はあるらしいですし、これまで私に怪我をさせたキラーとも出会っていません。ですが、それはたまたまであっただけかもしれませんし、そもそもすべてのキラーに適応されるのかまだ確信が……って、説明を受けていませんか?」

「いません」プレーンは静かにいった「やはりというべきか、本部は確たる理由もなくボクをこのチームに参加させたようですね」

「今はどーでもよくない? その話」

 ハイスコアはあくびをしてベッドに寝転がる。彼女もまた正式に説明されてはいなかったが、アゴニーからは聞き及んでいたので驚きはない。

「いいえ、無関係ではないと思います」プレーンはウルチャムをじっと見つめ「もしかして、先輩と離れるなという指示を受けていますか?」

「はい? ……いいえ、そこまで具体的な指示は受けていません。もちろんチームなわけですし、無闇に別行動は取らない方がいいとは思っていますが……」

「なるほど、ところでなぜキラーが広範囲に影響する兵器を用いて人類を攻撃しないのか、疑問に思ったことはありませんか?」

 不意の問いかけだったが、確かに不思議だとウルチャムは思った。人間の抹殺が目的ならば絨毯爆撃でも行えばいいのだ。いちいち歩兵を送り込むより手っ取り早いだろう。

「無闇やたらに建造物を攻撃しないものだと学びましたが、いまいち納得がいかないのですよね。人間を滅ぼしたいのなら人工物だって……いいえ、その定義だとオートキラー自身も対象になってしまう……?」

「そういう説はありますね。加えて、建造物ないし動植物はなるべく攻撃したくないという思想めいた考えをもっているという噂はあります」

「動植物もですか」

「ええ、そして人間の周囲にはよく建造物や動植物が存在しています。このとき爆弾は使用できませんね。化学兵器も難しいかもしれません。ですが、人間にのみ感染するウィルスをばらまくことは可能なはずです。しかしそれもしない。まあ開発力がないだけなのかもしれませんが」

 ウルチャムは首を傾げ、

「もしかして、エンパシアはわりとどこにでもいるのでは……?」

「そうです。正確にはいる可能性があるので遠距離からの無差別攻撃は控えているといった解釈です。ちゃんと近くで視認し、相応に精査してから殺すという工程を踏んでいるわけですね」

「なるほど……」

「あるいは、人類滅亡までは望んでいないという考えもあります。ボクはこちらの説を主に支持しています」

「ある種……人口削減のような狙いでもあると?」

「そういう解釈もできるでしょうね。この星において人類が生存できる絶対数には限りがある。ゆえに、あるいは適者生存の思想において、運か実力か、ともかく生存能力の高い人間を選別しているなど」

「そんな……」

「あのさ、話が脱線してない?」ハイスコアだった「カレとパシィがチームなのはキラーに対して大きな優位性があるからでしょ。そして私も超強いからそれに加わった。単にそういう布陣ってだけのことじゃないの」

「驚愕の戦闘力を保有している先輩ですが、広域の爆撃ともなるとさすがに対処が困難でしょう。もちろん先読みの力がそれより優れている場合はその限りでもないのかもしれませんが」

「それは誰だってそうだろうけど、だから何の話をしてんのよって」

「何の、でしょうね」

 まとまりはないが、何らかの確信が胸につかえている。客観的な情報や理屈を重視するプレーンだが、本当のところは自らの直感をこそ評価していた。

「……ただ、スノウ先輩より妙な警告をされたことを思い出したんです。もし、先輩のチームの元へ向かった際に、謎の航空機の接近を感知したときにはすぐさま撤退するようにと。何かそういうものを見たことはありますか?」

 そういえば夜の荒野にて上空を飛んでいた影があったとウルチャムは思い出す。

「……それらしい影には覚えがあります。夜間、休息中の車両上空に何かが飛んでいたのです。そしてその直後、高性能のキラーが……私を迎えに来ました」

「迎えにぃ?」ハイスコアは眉をひそめる「どこへ連れて行こうってんの?」

「雪を見に行きましょうといわれました」

「なるほど、ええ、そういう噂はあります」プレーンは幾度も頷く「そう、彼らは雪を見に行こうとエンパシアを誘うらしいのです」

「なんかデートに誘ってるみたい」ハイスコアは鼻を鳴らす「知らないキラーにほいほいついてっちゃダメだよパシィ?」

「も、もちろんですとも!」ウルチャムは心外だといわんばかりにやや頬を膨らませる「それはそうと、プレーンが耳にしたその航空機と、私が察した上空の何かに関係があると?」

「わかりません、スノウ先輩の口ぶりもどこか半信半疑のようでした」

「はいはい、その話はまた後で!」ハイスコアは手を叩く「今はジュリエットでしょ、あいつをぶっ叩くの! それでさ、いま動かないという選択はないと思うんだよね。妥当かどうかより、悔しくないかどうかって話を私はしたいんだ!」

 きっと大人しくしていた方が賢いのだろう。テストで八十点の回答だ。でも本当に嬉しいのは仲間が助けに来ることのはず、少なくとも私ならカレに助けてもらいたい! 赤点になるかもしれないけど、百点の可能性を追求したいのだ。

「私は一人でも行くけど、二人はどーするの?」

 その提案にいち早くのったのはプレーンだった。

「まあ、悔しくないことはありませんよね。そして今を逃したら今後リベンジをする機会がないことでしょう」

 ハイスコアはにんまりとし、ウルチャムは困った。動くなと指示されているのだからそれに従うことが最善だろう。しかし、悔しいかどうかでいえば確かに悔しい。今回もまた役立たずで終わるわけにはいかないのだ。

 そうだ、今度こそ上手くやって、スピードさんの信頼を勝ち取る必要があるのではないか。うん、ぜひそうしたい。

「……わかりました、やりましょう!」

「さっすがパシィ!」

 プレーンは頷き、

「キングもといクイーンを取れば勝ちです。少なくとも勝った気分にはなれます」

「ですが、彼女はいったいどこに? 普通に考えて、あの一室にいる確率はかなり低いと思いますが……」

「そこが問題です。というわけでスノウ先輩に助力を請いましょう」

 そしてプレーンは通信を開始するが、応答したスノウレオパルドの語調はやや性急なものだった。

『ちょうどよかった、こちらから連絡するところでした』

「もちろん、ジュリエットの件ですね」

『ええ、ですが思いのほか緊急事態かもしれません。この度のいざこざから内部調査が入り、その過程である問題が浮上しました。どうにもブラッドシン部隊の兵装のひとつである、通称ガーゴイルというバスターアーマーがその近隣にて取引されるかもしれない、という噂があります』

「はあ、ええっと、かもしれない、ですか?」

『現在調査中ですが、信憑性は高いと思われます。そして事実ならば大変な事態です、なぜならその取引にジュリエットが関わっているとの話なのですから』

「ジュリエットが……」

『あれは素人でも扱える強力な武装です、喉から手が出るほど欲しがっている組織は多いのでしょうが、まさか彼女が……』

 ハイスコアはにんまりとし、

「あれはまあまあ強かったなー」

『あなたたちにはその取引関係における事実確認を願いします。ですがそこでジュリエットを発見したとしても手を出さないように』

「えっ、なんでー?」

『取り引き場所がラインアゾート近隣の巨岩地帯だからです。そこは軍の演習場となっており、すなわち取引に軍が関係していることを意味します。捕縛どころか発見されるだけでも危険に違いありません、現場の撮影だけで充分でしょう』

「ええー……」

「私たちのみで、そこへの接近を試みるのですか? スピードさんの釈放が先では……」

『その件はフェイスに任せていますが、思いのほか妨害が強く時間がかかりそうです。間に合わない場合はあなたたちのみで任務に当たることになります』

「釈放なんて力づくでいいんじゃないですかー?」

『いけません。信用を損ねれば我々全体の問題となります』

「じゃあこっそりやる」

『駄目です、特にあの警察署はいけません。すぐ側にリガリス一族の大邸宅があるがゆえに警備が厳重なのです。しかも今週は定例の一族集会があるとされており、つまりVIPが集まっている時期、近隣での揉め事は過大に危険視される可能性があります』

「ちぇーっ! じゃあジュリエットをボコボコにして釈放させよーっと。取引の確認後ならやってもいいんですよねっ?」

『……確認後、状況いかんにおいては実行に移してもよいかもしれません。あの子はやりすぎました』

「やった!」

「ですが手加減はしなさい。問題行動に出たとて、彼女も同胞なのですよ。なによりゴッドスピードが許すと思いますか」

「……まあ、はーい」

 どうにもかなりのブレーキ効果が見込めるようだ。ハイスコアが彼を慕っていてよかった。スノウレオパルドはそう思い、ため息をつくのだった。

「ところで、あの、スピードさんを拘留したのはその取引を邪魔されたくないがため、という解釈でよいのでしょうか?」ウルチャムである「タイミングがあまりに悪かったから強硬策に出たと……」

『その可能性は高いと思われます。ですが、徹底するならばあなたたちも標的になったはず』

「たしかに……あるいは、これからかもしれませんね」

『そうですね。念のため、その部屋から出た方がいいかもしれません』

「了解しました」プレーンは頷く「クイーンを奪取し、このゲームに勝利することにします」

 そして三人娘は行動を開始する。ウルチャムは汚名返上に意気込み、ハイスコアはどうやって痛めつけてやろうかと思案し、プレーンは恐ろしい何かの襲来を危惧してか、青い空に目を細めるのだった。


【不吉な機影】

「馬鹿なことを……」

 フェイスは窓からの景色を見下ろしながらいった。眼下ではたくさんの小人たちが道を往来している。

「アタッカーは前線で戦うゆえ結束が恐ろしく強い。そして身内を攻撃した者など絶対に逃さない。例え同胞たる存在であってもです。ただでは済みませんよ」

「私が何をしたというの?」ジュリエットは肩をすくめる「乱暴されそうになった被害者なのに」

「まあいい。騒乱はこちらにとっても好都合、拝見させていただきますよ」

「亡霊探しも大変ねぇ?」

 ジュリエットはモリソンでもある年配の男を見やる。彼は葉巻をふかし、

「スパイと妄想はすこぶる相性がいい」そして笑み「ジラスが怒り心頭だとさ。ええと、アストロ・ロウマンだったか、死ぬかもしれんな。拘留中は危険も多いから」

 ふとフェイスがため息をつき、

「あなたたちは甘過ぎる。あれはキラーの破壊実績トップの人材ですよ。その辺のガラクタではない、本物のキラーの戦闘力など知らないでしょう」

「……ふん、しょせん人間ではないか」

「いくら強力といっても、あの獅子の好物はオートキラー」ジュリエットは笑む「人間は喰わないわ」

「ですが、獅子の連れには人食いの虎がいる」

「……歴代最高得点ですってね。しかしたかが戦闘力、社会という檻の力の前には意味を為さない。まだ子虎でしょうし」

「知りようもないのでしょうが、彼女はすでにブラッドシン部隊を排除しています。そして制御不能の側面もあるとも」

「知りようもない?」ジュリエットは笑う「ずいぶんと甘く見られたものねぇ?」

 フェイスが眉をひそめ、振り返った。ジュリエットは優雅に紅茶を傾けている。

「ここ数日ほどのこと、この近隣にて黒い大型の戦闘機が徘徊している事実を知っているかしら。それに搭乗している機体のコードネームはブラックセクストン、狙いはゴッドスピードと思われる」

「……それは?」

「それは北において稀に見かける漆黒の特異個体で、その異常な戦闘能力と、また戦闘事実の隠蔽のためにか墓のようなものを掘ることで知られていたわ。奴との戦闘でかなり膨大な戦死者が出ていたようだけど、唯一、ゴッドスピードのみが撃破に成功したとされている。しかし彼にも余力がなかったのか徹底破壊には至らず、現在は再生しているとされ、それがつい最近また確認されたそうなのよ」

「その情報はどこから……?」

「ブラックセクストンは極めて知能が高く、人格や感情もあるらしい。機械でありながらゴッドスピードを憎悪しているの。あの巨大な戦闘機は彼を抹殺するために用意したのでしょうね。そして搭載している大型ミサイルはおおよそ半径五百メートルが殺傷範囲と思われ、エンパシーとの距離がそれ以上、およそ数倍か、つまり一キロメートルも離れるとそれは発射される可能性が高まると予測されている」

「まっ……」フェイスは目を丸くする「まさかっ!」

「つまり、私の兵隊がなんらかの理由をもって彼らを引き離すと、このラインアゾートが大打撃を被るのよ」

 フェイスはよろけた拍子に窓辺に座る。

「……馬鹿な、冗談でしょう、何をしようとしているのですか……?」

 その質問に対し、ジュリエットは直接的には答えない。

「あれが仕掛けてこない理由にエンパシーの存在が挙げられる。エンパシー、つまりエンパシアはこの世界における、いわば魔除けのお守りでね、ゴッドスピードが各所を転々とさせられているのは彼女と同行しているという公表の狙いがある。人型のキラーは基本的にスタンドアロンであり、情報の伝達がさして早くないから」

 フェイスは沈黙していたが、やがて口を開いた。

「……それは、私とて耳にしていない、つまり確定情報ではないはず、与太話半分でしょう? 虚偽の可能性が高い……」

「ええどうぞ、好きに解釈すればいいわ」

 それは恐るべき事態だった。フェイスとてワイズマンズ、最大の望みはより多くの人類の生存、またはその幸福である。

 そして眼前の少女は明らかな敵性体だった。目的のためには市民の命などなんとも思っていない、悪人の類。

「最初から仕組んでいたのですね……。しかしなんて暴挙を、そこまでして何をしようとしているのですか……」

 その言葉にジュリエットは微笑みのみで返し、葉巻の男は急いで部屋を後にした。

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