夜の貴公子 Blood sin:Godless
【破滅の世界】
また雨が降るだろう。かたむいた鉄塔が葬列のように並んでいる。長くつづいている。強風でうめいている。その足もとを、虫けらが砂塵とともにつき進んでゆく。
ゴッドスピードは眉間にしわをよせている。空気が重い、ねばついている。ウルチャムの呼吸もあさく、はやい。するどい感性をもつふたりは危機についての意見交換を沈黙のうちにすすめていた。聞き耳をたてている魔ものに気をつけよう。
「……そろそろだ。気を軽くしていこう」
「……はい」
指定された座標に近づきつつあった。うなる鉄塔のそば、いつの間にか、豆つぶが人影になっている。ぽつねんと、それは暗雲を背にうかんでいた。実在にとぼしく、まるで幽鬼のようだった。
「あれか。俺が単身でいく」
「了解しました」
やや離れた位置で車両をとめる。不吉なる影はない。だが歩みよりは慎重になっている。
「パシィは車両の保全優先だよ。攻勢はわたしが先取するから」
ハイスコアの眼光が輝く。獲物になりそうなものを目の当たりにすると、どうしようもなく笑みが浮かんでくる。
「ええ、わかっています」
ふたりは不測の事態にそなえている。ゴッドスピードは距離を選び、足をとめた。
「……やあ、ガードドッグだ」
顔いろの悪い男だった。無表情だが、ちいさく頷く程度の応答はあった。
「それで……我々の助けを望んでいるとか」
質問をするかたわら男の身なりを観察する。高級そうなスーツだがところどころほつれている。かためられた髪もどこかしまりが悪い。無精髭、虚ろな視線、ただし姿勢だけはとてもよい。
「そうです」
へんな間をおき、男は、思い出したかのように声を出した。
「現状においては漠然とした精神不安がたちこめているといった状況ですが、原因ははっきりしています。夜の貴公子と呼ばれる悪の種がカペルタをもてあそんでいるのです」
とたんにすらすらとしゃべりだす。悪いことではないはずだが、ゴッドスピードは眉をひそめた。
「……夜の、貴公子とは?」
「秘密結社、ブラックローズの構成員です」
「……そうか。調査はするよ」
見たところ怪しいふくらみはない。すくなくとも大型の銃や爆弾を隠しもっているわけではない。なにかありそうといえば、近くにとめてある小型のバイクと、手に握っている小型の装置くらいのものである。
「失礼だが、その手にあるものは?」
「出入り口を開くためのリモコンです」
男はふと歩みより、ゴッドスピードにそれを手渡した。危険なスイッチである可能性はあったが、やはり不吉なる影はどこにもいない。ためしに操作をしてみると、突如として近場の大地が起き上がり、人工的な斜面が現れた。
「あの通路はカペルタへと繋がっています。さあ、いきましょう」
「あ、リモコン……」
男はさっさとバイクにまたがり、地下へと消えてしまった。いれかわるようにハイスコアが並ぶ。
「ヘイお兄さん、のってくかい?」
「……なにか、妙だな。ハイスコア、お前は地上で……」
「えっ、やだー!」
ハイスコアは虎穴へと突き進み、またいれかわるように車両がゴッドスピードにならんだ。
「スピードさん、いきましょう」
「あいつ、穴ぐらは嫌だっていっていたのに……」
漆黒の穴である。誘導灯どころか、明かりになるものがいっさいない。車両は闇にのまれていく。入り口を開け放しにはできないので、自らの手でそれを閉じることになる。
残ったのは闇ばかり。もっとも、暗視センサーのおかげで先は見通せる。しかし不穏はつきまとう。
「……おかしくありませんか?」
「ああ……おかしいな」
なにもない。明かりも、説明も、警告も、歓迎の挨拶もない。地下コミュニティはとくに慎重かつ排他的であることが多いとされる。脱出の利便性が高くないがゆえに危険因子をとりこむことへの懸念が大きいのだ。
「あってしかるべきものがない、警戒を怠るなよ」
「はい……!」
アーマーを装備するか迷ったが、戦闘意思の発露にはリスクもある。いまはまだ、やめておくことにする。
斜面をくだること数分、ふとトンネルが終わり、明るみへとでる。そこは唐突に林道であった。木漏れ日の道である。
「……あらっ? くだっていたのに、外へ?」
「いや、あの空は映像だろうな」
「ああ、天候モニターですね、故郷の施設にもありました」
ほのかな擬似日光のふりそそぐ林道を進んでいく。穏やかな、明るいまだらの道が続いている。
「なにか動物がいたりするのでしょうか?」
ウルチャムは流れていく木々を眺める。もしかしたらリスや鹿などがいるかもしれない。
「ああ、大規模な地下コミュニティになると、飼うというか生息させるとは聞くな」
いたらいいな。できることならさわってみたい。ウルチャムの瞳が輝く。しかし、そのような期待はすぐに打ち砕かれることになる。
『あ、罠だよこれ。なんか……あれっ?』
「はい? えっ、罠といいましたか?」
『ええー?』
「ど、どうかしましたかっ?」
『ここ、終わってんじゃん』
なんのことなのか、答えはすぐにわかる。
「おい見ろ……!」
空が割れていた。
「こっ、これはっ……!」
快晴が砕かれ漆黒が顔を出している。天候モニターが破損しているのだ。さらに、林の切れ目より住宅地が見え始めたが、どれもがとても無事ではない。
「まさか、壊滅しているのかっ?」
「はいっ、いえっ……! スコアッ?」
『バック、戻って! メガハウンド系がいるから、その図体だとすぐに見つかるよ!』
緊急停止、そして後退させ、車両を木々の隙間に押し込んだ。ゴッドスピードはまず、嘆息する。
「……くそっ、メガハウンドだと? こんなところにか」
『間違いない、だいぶ遠くにいたけど! どっち優先するの?』
「奴の姿は見えるか?」
『いいえん!』
「ならばハウンドを……」
ふと、センサーに反応があることに気がつく。しかも人間のものである可能性が極めて高い。
「……いや待て、生体反応が近くに……」
みると先ほどの男が近くにいる。バイクにまたがったまま、ぼんやりと彼らを見つめていた。もちろん、ゴッドスピードは男につめよる。
「おい、どういうことだ……! カペルタはなぜ壊滅しているんだっ……?」
「壊滅……」男は首をかしげる「いいえ、それはまだです。ですが、ここで食い止めねばいずれそうなるでしょう」
正気ではないのか。ゴッドスピードはようやくそのことに気がついた。
「くそっ……!」
「で、そいつどうするの?」
いつの間にか、ハイスコアが戻ってきている。
「むりやりにでも、はかせてみる?」
「いいや違う、どうにも正気ではないらしい。逃げるようすもないし、こいつはあとだ」
「ええ……?」
「ともかくハウンドがいるなら始末する必要がある。今後のためにもな」
へんな状況ではあったが、ハイスコアには思いあたるふしがあった。あるいはアゴニーが仕組んだことではないか。この男はつまり案内人で、ハウンドと戦う状況をつくってくれたのではないか。
しかし、すぐに思いなおすことになる。いやに準備が早いし、パシィがいるのだから演技をしているならバレてしまうことだろう。
まあ、どちらでもいいか! アピールチャンスには違いないのだ。ハイスコアは枝葉に執着などしはしない。
「ねえ、ハウンドは私ひとりでやりたいなっ!」
ばかな提案である。ゴッドスピードはうめいた。
「なんでまたそんな危険をおかすんだよ……」
「アナタに私の強さを証明したいから!」
「そんなことをしなくても、ウルがいれば容易に……」
とめられるとは限らないと、ゴッドスピードは思いなおした。メガハウンド系のオートキラーはその名の通り猟犬じみた形状の、大型四足歩行機械である。よくみかける人型のそれとは別種かもしれない。その場合、ウルチャムを攻撃しないとは限らないのではないか。
「ひとりでやりたいの。実力を証明する的なやつだよ」
「そんなもの、誰も疑っていないだろう?」
「そーかなぁー? 一人前あつかいされてない気がするなー!」
「それはもちろん、お前は卒業したばかりだからな」
「その考えが間違ってるの! とっくに上位、十傑なみの実力はある……じゃないね、ちょっと謙遜しちゃった! まあ正直イチバンなんじゃないかなーって思うの! つまり、アナタにふさわしい女の条件を満たしてるってこと! でも、いまはまだ自称じゃない? だから機会をみて証明していかないとね!」
ゴッドスピードにとっては掛け違いのような理屈である。
「だめだ、大型機はチームで……」
そのときだった、ハイスコアは獣じみた素早さでブラックキャットを奪いとり、バイクで駆けだしてしまう。ゴッドスピードがアーマーを装備している隙をねらっての犯行である。
「これ借りるねー!」
「おいっ……!」
「だいじょーぶっ! らくしょーだって!」
「くそっ、あいつ! ウル、キラーに特効性がある君だが今回の相手に通じるという保証はない、車両を頼んだぞ!」
「えっ、車両をおいていくのですかっ?」
「あいつはあんなだし、うまく連携ができず誤射の危険があるので高火力武装の使用は難しいかもしれん! とにかく合図するまで待機だ、この男を見張っていてくれ!」
「りょ、了解しました」
まったく、とんだ箱入り娘ばかりだ! ゴッドスピードは舌打ちをしつつ、ブーストをふかした。
【聖なる戦い】
店頭の花々はよく手入れをされている。碧くみずみずしい香りが七色にかぐわしく、あいもかわらずどんよりとした空模様に抵抗をしめしていた。
マルルが花々に水をやっていると、隣家より輩どもが十一人もぞろぞろとあらわれた。ところどころ銀細工でめかしこまれた黒いスーツの青年たちである。そのなかにはヴァロやルブランの姿もあった。
わるい友人が増えたわね。少女は集団の接近に身構える。
「……花を、買いに寄ったわけではなさそうね」
「ああ」
ヴァロとルブランをのぞいた黒服たちは、花屋の裏手にある温室を見つめている。人のものではない人影がせっせと作業をしているからだ。
「よく聞かれるわ、なぜ私のところに専属のオートワーカーがいるのかって」
「それより話があるんだ」
「そう……」マルルは不穏を覚え、ため息をついた「あまりいい話ではなさそうね」
「どうかな」
マルルはしかたなく、リビングへと輩どもを通すことにした。お茶はでない。椅子すら足りないのだ。なにより招いてなどいない。
少女は定位置の安楽椅子に落ち着き、ヴァロは客用のソファに落ち着いた。他のものは立っているしかない。品定めをするように歪んだ笑みを浮かべているが、あくまで立っているしかないという立場にある。
「それで、あなたたちは何者なの?」
問いかけは冷笑にさらされた。しかし、マルルはなんとも思わなかった。どこかすれた若者がよくする所作である。
「カペルタの人間ではないのね」
「その通りだよ」
輩のひとり、ビオ・コネットがマルルを見下ろしていった。
「いってしまえば、悪の体現者といえるだろう。ズカレーニ・クダンシャールの演説を聞いたことは?」
マルルは眉をひそめた。
「そう、わかったわ」
「……我々はその意思を継ぐものなんだ。そしてここは我々の支配下にあるいわば実験場のひとつなのだね」
「実験場……。まさか、あなたの妄言だと思っていたわ」
ヴァロは首肯し、
「不穏には相応に原因があるものさ。人々の様子や話を聞き回ればそれをとらえることは造作もない。もっとも、ここに詳しいものたちに聞けばよいことだったが」
「あなたは……あまり家から出ないひとだと思っていたわ」
「夜に徘徊しているんだよ、生者を妬む亡霊のようにね。君は夜更かしをしないから気づかないのも当然だ」
そのとき、ルブランは疑問に思った。いくら我々に隙があろうともブラックローズの名まではもらすまい。いったい誰に聞いたというのか。詳しいものたちとはいったい。
「……それはいいわ。ところで悪ですって、どうしてそんなものに興味があるの?」
「それが人間の本質だからさ」
ビオはそう言い放ち、マルルはため息をつく。
「……悪なんて、たかが知れているわ。善も悪も、人間なればこそどちらかに偏った生き方はつらいもの。本当に恐ろしいのは……」
マルルはより、ヴァロに向けていった。
「ふりもどしなのよ。そうでしょう? 極端に善くあろうとすれば自身のささいな悪意にも嫌悪してしまうことになるし、逆に悪くあっていいとしたところで、他者の屈託のない善意にうしろめたい思いをすることになるの。人はどちらにかたよりすぎてもつらいものなのよ。あなたたちだって例外なんかじゃないと思うわ。ヴァロとは違うもの」
ビオはやれやれといわんばかりに冷笑し、肩まですくめてみせる。
「……よかろう、では君に教えてあげよう。我々は夜の貴公子と呼ばれている、この絶滅戦争の勝者となるべき最後の人間たちなのだよ」
マルルは眉をひそめる。
「……絶滅戦争ですって?」
「地上で行われている戦いだよ。これに生き残った者たちが次世代をになう強靭な種子となるだろう。そしてこのヴァロ君もその筆頭である夜の貴公子たり得る資質をもつと判断された。だから彼を仲間に迎い入れるわけだ」
「なんてことを……あなたたち、みんな死ぬわ。それもとても悲惨なかたちで……」
貴公子たちはやや面くらった顔をするものの、ヴァロの小さな笑声に同調し、やがて部屋は嘲りに満ちた。
「なにをいうかと思えば……ご心配にはおよばないよ、無垢なお嬢さん。我々は人の悪意を操ることにとても長けているのだから」
「いいえ、ヴァロはあなたたちの同族なんかじゃない。あなたたちは私と同じ側なの。いまはすこし、道を外れてしまっているだけ」
「おやおや」ビオはまた肩をすくめてみせる「君たち、つきあいが長いのだろう? ずいぶんないいぐさではないのかな」
「ええ、私は言葉をにごさないもの。それと私の愛情になんの矛盾もないわ。邪悪だからといって好きになってはいけない道理はないでしょう?」
マルルとヴァロの視線が交差し、ルブランは目を伏せた。
「もういちど警告するわ。あなたたちはいつか無残に殺されることになるのよ。なんせこのひとに足りないのは行動力だけなんだから、無闇に動かしては駄目なの」
「その思い込みは間違いだったというくだりがあったはずだよ」
「ええ、まあ、そうね」
ビオは鼻を鳴らし、
「ずいぶんと彼をかっているようだが、それほどまでに特別なのかね?」
「ええ、そうよ。ヴァロにくらべたら、あなたたちはまったく普通の人々だわ」
「……普通とは」ビオは首をかしげる「いったいどういった人間のことをいう?」
「それは砂漠で瀕死のとき、水や食べ物をわけあたえてくれた人に、その奇跡に思わず感謝をしてしまう人のことよ。いくども感謝してしまうの。そういう普通の、素敵な人たちなのよ、あなたたちは……」
ビオは眉をしかめ、
「ずいぶんとなめてくれるじゃないか、お嬢さん。まるで知ったかのような……」
「あなたたちはある種の超人になりたいのよね、そうでしょう? 分類するならば極端な機械的唯物論者といったところね。人の精神、悪意を理論で制御し世界を支配できると考えている」
「むっ……?」ビオは目を大きくし「……これまでのくだりでそう看過してみせる理屈はなかったはずだが」
「クダンシャールの信奉者ということはオーズカロー・デヌメクネンネスのことも踏襲しているはずだもの」
「なるほど……さすがはヴァロ君の幼馴染というわけか。しかし、我々がめざす先は超人どころではない。この世界を牛耳る……いわば神の座なのだよ」
その言葉にヴァロは小さくため息をついた。
「神か、なるほどいいだろう」
ヴァロは指を鳴らしてみせる。呼びだしの合図である。
「彼女の予言は正しい」
奥よりあらわれたのはオートワーカー、オーバーオールを着て、麦わら帽子をかぶり、右手にシャベルをにぎっている。
「ワーカーとキラーはその本質を同じくする。そう、オートキラーでしかないものなど存在しないのさ」
「なんだと……?」貴公子たちはそろって後退をする「操れるのか? くだりからしてあるいはと思ったが、まさか君は、エンパシアなのか……」
「それは超共感能力を有している人間のことだね。しかしちがうよ。僕はどうやら暗澹たる血筋の者らしい」
「暗澹たる……」ビオは目を見開く「まっ……まさか、偉大なるあのお方のっ……?」
そのときルブランは気がついた。オートワーカーから聞いたのだ、我々のことを。
「僕とマルルに危害を加えたもの、加えんと予測されるものを徹底して破壊せよ。そして、彼らがこの家から出たら殺せ」
『了解しました』
「ばっ……ばかなっ……?」
唐突なる死刑宣告のようなものに驚愕し、貴公子たちは部屋の片隅にてかたまった。しかしルブランはその場より動かない。せめてもの、ヴァロへの対抗心であろう。
「なぜ、そんなことを……!」
「なぜ、だって」ヴァロは冷笑する「それが君たちの正体だ。人を、人の悪意を自在に操れると錯誤した道化の末路さ」
「……だからいったでしょう」マルルはため息をつく「困るわ、この家に居座られても」
「いや、しかし……」
我々をここに縛る意味などないはずだ。そう、タチの悪い冗談に違いない。ビオはそう考え、妄執的な笑顔を見せた。ヴァロはその様子を一瞥し、
「人は神にはなれない。だからこそ、そうなろうとする願望はおそろしく罪ぶかい。なぜならそれは知性の限界を棚上げする最悪の愚行だからだ。とはいえ君たちの浅はかな理屈自体はそう特殊でもないだろう。他者の悪意を理論でもって制御するかたわら、自身のそれは奔放に発散しつつもその根源のありようは未知に置く、その矛盾にある種の特権性を抱いているのだ、というよりそう転嫁するしかないといえるだろう。他者は唯物的に解釈されるべき機械的物体にすぎないが、自身の根幹は神秘の秘奥というわけにね」
マルルは哀れみの視線を貴公子たちに向ける。
「……ヴァロは、神さまをふかく信仰しているの。どこの宗派のそれでもない、なんでもない、絶対的に存在しないものとして……」
「そう、それは必然だからだ。唯物的世界観においては、脳はあくまで意識を生み出す構造体でしかなく、神や霊魂、精神や心においてすらそれは生命というマシンが投影する虚像にすぎないという。しかし、万物がただの物体、構造体、システムの幻影だという考えに立脚するならば、その構成や破壊もまったく、すっかりと無意味でなくてはならない。あるものはあるべくしかないのだから、転がる石ころと変わらないわけだね。だが、君たちはすべてをそのような虚空に捧げて平気なのだろうか。例えば、その頭蓋をかち割られ、脳髄を引き摺り出され、踏み砕かれる運命に対し理不尽だとは思わず、そういうこともあるなとよく納得できるだろうか。さあ、暴力にさらされたる君たちよ、答えるがいい」
そのとき、マルルは立ち上がる。
「そんなことは不可能だし、極端だわ……! なぜそんな、かわいそうなことをするのっ?」
「その無残な死を恐れるなればこそ、君にでも同調していればよいのだ。しかし、彼ら自身の立場を思えばこそ憐れみなど徒労以外の何物でもないとしれよう。死に解釈を与えるのは信仰の領分だが、彼らは信仰されるべきものとして己をおいているのだから」
ヴァロはマルルを見つめる。
「死とは、いかなる知性におけるありとあらゆる可能性をもってしても突破不可能な完全なる限界であり、それを認識し、また仮想的に超越する存在を想定したことは知性におけるひとつの到達点だった。そう、神の想定だよ」
「神さま……」
「人間はこれを得て、あるいは超越たる存在が我が世界を俯瞰し、見つめているかもしれないという可能性に歓喜した。だからこそ人は神を尊び、死後の世界という可能性をも得て、見つめられたる結果を業としても想定したのだ。わかるかい、ありとあらゆる構造は崩れると知り、この肉体というごく身近な構造体もまたその運命より逃れられないという、知性的であればこそどうしても得てしまう冷徹な先見性が生み出す死という終わりの推測、その呪縛を超えようとした試みの話をしているんだ」
「……わかるわ」
「ならばこそ、可能性において神を愛すれば死をも超越できるのだとしれるだろう。いいや、そうでなくてしか死を突破する可能性を得ることは絶対にない……いや、あってはならない。人は神への信仰によってさらなる自由を得たのだからね。だが、愛さなければ死はただの終わりにすぎない。その限界の壁へと確実に衝突し、完全に消滅することを受け入れなければならない」
「……ええ、死は恐ろしいものだわ。それにたいし、神さまは希望なのね」
「そう、神を想定したとき、いってみればこの世界は愛の昇華をみる。死に意味をあたえ、それを受け入れることが可能となるんだ」
ヴァロは優しく微笑んでいった。マルルはその表情に愛情を覚えたが、それがおそるべき罠だとも感づいている。
「……だからといって、世界の破壊は赦されることではないわ。神さまは殺戮を肯定するための言い訳ではないのよ」
「いいや、むしろすべてを容認してしまっている無関心きわまる宇宙への報復として神は信仰されなければならない。なるほど、僕がその宇宙の軍門にくだり、尖兵として人類に刃を向けようとしていることへの非難は理解できる。だがそれは一時的なものでしかないと先に断じておこう。僕は本質的にどこまでも神の側にあるんだ」
「一時的、一時的ですって……? その間にあなたは人を何千、何万、何億と殺戮するわ! いいえ、なによりもあなたは神さまの存在を絶対に否定しているのではないの!」
「もちろん。神は構造であってはならないからね。それゆえに存在は常に胡乱であり、可能性として信仰する以外にすべきことはないんだ。姿や名前などなく、無論、神託などあるはずがない」
そしてヴァロはある断定をする。
「勘違いしてはいけない。神はいるいないではなく、存在してはならないのだ」
その異様なるいいまわしに場の誰もが息をのんだ。
「存在者は神ではない。信仰物も徹底して破壊せねばならない。信仰とは虚空のなかにしかないからだ。獣が神を知る前、神は微笑んでいた。だがわれわれが神を知ったとき、神は微笑まなくなった。だからこそ、すべてを破壊し忘却し、神をまた微笑ませてみせたいのさ」
埒外の理屈である。狂気の沙汰といってもよい。マルルの唇がふるえている。
「……それは、いわば……不可知論の立場なのでしょう? 神さまの属性として、それは認識たり得ないという」
「あるいは無神論か、かい。まあ、どういう分類でも構わないさ。僕の言い分はシンプルで、存在してはならないという領域においてのみかろうじて語り得るというだけのことだ。いると思えばこそ破壊する、知ったからこそ忘却する。矛盾が肝要であり、どうしても必要なのだね」
矛盾を要とし、ひたすら虚無へと突き進む異質な否定神論者は可能性において、すでに永遠の命を得ていた。そしてその絶大なる暗黒の力は宿敵であるはずの宇宙、その真の尖兵たり得る無機質なる殺人機械の援護を得て、ただひたすらにその暗澹さを深めつつあるのだ。
「……あなたは人でも機械でもない、もっとも狡猾な獣だわ。いったいどうして人に対して……そこまでのものを求めるの……?」
「完全なる信仰の円環をあたえ、人類を救済したいから……いや」ヴァロはふと目をそらす「つまりはそう、人間が好きだからかな。ほうってはおけないんだ」
マルルは小さくため息をつく。
「……だったらまずは私を殺すべきでしょう」
「宿敵たる君を追い詰めて悶死させることに異論はない。いつか世界の果てで孤独に朽ち果てることとなるだろう」
少女は事態の深刻さに戦慄しつつも、自身のやり方が間違っていなかったと、このとき確信した。この暗黒の力に打ち勝つのは、ただひたすら平凡なる愛に他ならないと悟っていたのだ。
「ではその間に、私はあなたに愛をあたえるわ。今日もパイを焼いたの。食べるでしょう?」
ヴァロはうなり、
「人の愛か……」
「そうよ、私があなたの愛なの。あなたがうたう愛の詩だってすべて私のためのものだわ」
「そう思えるのなら、それでもいいさ」
「ええ、世界は終わらせない。次の朝はくるのよ」
ヴァロは背もたれにより沈み、
「……彼らがこの家から出たら殺せという命令は撤回する」
夜の貴公子だった輩どもは胸をなでおろした。
「まったく、冗談がすぎるじゃないか……」
「いいや、ただの脅迫さ。よくあることだろう」
輩どもは額の汗をぬぐいながら、あやまちを認めていた。
たしかにこの男は、われわれと同じではない。
やるならいまではないか。
しかしやったあと、逃げるわけにはいかない。
あのワーカーが先ほどの命令を他の個体に伝えたとき、そこから鼠算式に敵対キラーが増え続けるからだ。
だが戦うわけにもいかない。手元の拳銃ではあのワーカーには通じないだろう。肉弾戦でも勝ち目はない。
脅迫をしかえしてはどうだ。
だめだ、決定打がない。
輩どもは諦めるほかなかった。
すくなくともいまは。
その後、ヴァロはほとんどのオートワーカーたちと、かつて夜の貴公子だった烏合の衆を引き連れカペルタを発ち、それからこの地下コミュニティが滅びるまでにそう時間はかからなかった。
マルルは所有するワーカーとともに破壊されていく日常を見つめ、側にのこったルブランをうとましく思った。
あなたさえ現れなければ……ヴァロは少し妄想的で陰気なだけの、私の夫になっていたかもしれないのに。
「もうここにいる意味もないわね」
ある日マルルはそうつぶやき、身支度を整えワーカーと一緒にカペルタをあとにした。小型の車両で外の世界を旅することにしたのだ。いつか再開するであろう青年を想いながら。
「さようなら」
別れの挨拶は実に簡潔だった。
そしてルブランはただひとり、滅びていく世界に残された。
【永遠の地平線】
メガハウンドの背には機関砲が左右に一門ずつ装備されており、猟犬の意匠をもつ頭部、その耳の部分にはレーザーガンが内蔵されている。そしてそのどれもがハイスコアに向けて射撃されたものの、超人たる彼女に駆られるバイクの挙動には追いつかず、いよいよ接近を許してしまった。加えて脚部にエラーが出ており、いつの間にか黒猫の牙がハウンドの関節部分に食らいついている。
関節部に食い込んだ刃は激しい摩擦の要因となり火花が飛び散った。そしてバランスを崩したその瞬間を狙ってハイスコアはハウンドの背中に飛びつく。背にはりつく異物をふり落とさんと暴れ狂う機械獣であったが、超人の膂力と獣のような柔軟性を前に引き離すことは容易ではない。背中の機関砲も稼働域に限界があり、砲身の長さも相まって彼女を狙うことはできなかった。
「こらこら、おとなしくしろこのー!」
そのうちにハウンドはいくども跳躍をはじめた。実質、体当たりの効果があるそれにはさしもののハイスコアにおいても平穏な状態とはいいがたい。
「うええっ、ちょっと暴れないでよー!」
しかし、その運動が半壊した関節部にさらなる負荷をかけつつあった。脚部大破の可能性が増大しており、ハウンドは近場の瓦礫に突入するという戦法に切り替える。
「あいたたたっ!」
常人ではとても耐えられなかったろう。砕け鋭利となった数多の建材がハイスコアを襲うが、かえってそれが好機でもあった。彼女は手頃な鋼材を入手することに成功したのだ。
「へへっ、覚悟しろーっ!」
ハイスコアの体重は同サイズの常人を遥かに超えており、その筋肉の質もまるで違う。その圧倒的な腕力で鋼材を叩きつけられたとき、いかに機械獣といえどもどうなるか。
金属のひしゃげる、嫌な轟音だった。機械獣の頭部がへこみ、レーザーガンが大破し、首部までも破損したさいにハウンドはバランスを大きく崩し、転倒にいたった。
「はははっ、終わりだよん!」
ハイスコアは背より飛び降り、各種関節部分に黒猫の牙をつき立て、ハウンドの行動能力をうばっていく。
のこったのは勝利の笑声である。すっかりと行動不能になってしまったハウンドを前に、大きな犬歯をギラギラと輝かせながら少女は笑う、笑う。笑いながらとどめをさす、猫が鼠をいたぶるがごとく、本能がそうさせるのだ。
ゴッドスピードが到着したのはすべてが終わったあとだった。
「……無事かっ?」
「もっちろん! ね、ひとりで余裕だったでしょ!」
なるほど重傷はないようだが、体の各所に傷や服のほつれがある。
「そのわりには、ぼろぼろなようだが……?」
「そんなことないよ、らくしょーでしたー! で、どうかな?」
「なにがだ?」
「だからぁ、さっきの戦い見たでしょ、私にはすごい才能があるし、これ以上いい女はいないと思うんだけどなって!」
なるほどかわいらしいには違いない。美しくもあるだろう。なにより強靭である。なつかれて悪い気もしない。しかしゴッドスピードの目にはなんだかネコ科の猛獣のように見えるのであった。
「その話は後だ、ともかくあの男に事情を聞いてみよう。まあ、得るものは少なそうだが……」
ハイスコアはうなり、
「思えばあの男が操ってたって可能性は低そうだよね。もしそうならここに入った直後にでも強襲かければいいし」
「そうだな」
「それにしても……」ハイスコアは周囲を見回す「とっくに滅んでたみたいだけど」
「本部も知らなかったんだろう。コミュニティは大小合わせれば無数にあるだろうしな」
「……キラーがやったのかな?」
「どうかな。さあ……」
同時であった。両者ともに、ある一方に注視した。
そこには瓦礫以外になにもないが、なにかがあった。
なんの動きもないが、なにかが確実にあった。
「……なんだ?」
「わからない」
ゴッドスピードは直感していた。奇妙な不穏さはあの男でも、壊滅した地下コミュニティでも、そこに転がっているキラーからくるものでもなく、あそこにあると。
黒い影は見えず、それがいっそう不気味であった。
だからこそいまは、近づかないほうがいいだろう。
「ちっ、なんだか嫌な感じだな……。あとは調査部隊にまかせよう」
コミュニティの壊滅が確認されたとき、ワイズマンズの特殊部隊が調査をしにくる慣習となっている。
「よし、いくぞ」
ゴッドスピードはバイクにまたがり、ハイスコアは勢いよく彼の背中に抱きついた。
「へへっ、デートみたい!」
車両へと戻った先では、いいつけどおりにウルチャムが男をしっかりと見張っている。
「あっ、大丈夫でしたかっ?」
「うん、チョー余裕だった!」
「……ハウンドなのですよね? 大型キラーを相手に……」
「それより、あやしい動きはなかったか?」
「はい、いくらか質問をしましたが、我々を罠にはめようとしたわけではないようです……」
まあ、そうだろうな。ゴッドスピードは頭をかく。
「……ともかく、視認できる脅威は排除した。だが他にもなにかいるかもしれん。後日、うちの部隊が調査にくることだろう」
「ありがとうございます」ルブランは頷く「これで平穏が戻るでしょう。とくにマルルの花屋は守りたかった」
「花屋って……」
みたところ、無事な建物はひとつとしてなかった。この男はどうやって生活をしているのだろうか。ゴッドスピードはうなる。
「やあマルル、大丈夫だよ。ガードドッグが守ってくれたんだ。もう不穏な噂に悩む必要はない」
しかし、男の前には誰もいない。
ゴッドスピードはまたうなり、
「いちおう聞いておくが……あんた、ここに残るつもりなのか? 近くのコミュニティなど、もっとマシなところまで送るぞ」
「まさか。ここよりいい場所なんてありませんよ」
「そう、か……」
顔いろの悪い男ではあるが、痩せこけてはいないし、臭くもない。それなりの住みかや食料などはあるのだろう。ゴッドスピードはリモコンを操作する。
「……じゃあ、これは返しておくよ。俺たちが出ていったあとは戸締りをしっかりとな」
その男、ルブランは彼らがカペルタより去っていく姿を目で追いながら、いくどとなくつぶやくように、礼をいいつづけた。
「さあ、今日も花の手入れをするのかい?」
そしてマルルの幻をしっかりと抱きしめ、眼前に広がる花畑の地平線へ向けて歩き始めるのだった。