暗雲 Blood sin:Unrest
【曇りの日1】
その日の昼食時、ボストフ・ヨーンはテーブルより浮かんだ奇妙なニュースに眉をひそめた。見出しには〝オートワーカーの変貌〟とある。カペルタに従事しているロボットたちが殺戮機械に豹変するかもしれないといった内容の、不穏な話題だった。
「しょせんは機械でさあ、何が起こっても不思議はねぇやね」
向かいの席のドネフ・ヤキュリーはパンをちぎって口に入れる。
「優先順位だって向こうが上だ、ほらあの女優なんつったっけ? ああ、メリナス・ジャーキンだ、彼女の生家さ、こんど取り壊すんだと。ワーカーがそう申し出たって話だからコトよ、必死で反対してさ、かわいそうなこった」
「本当かよ」ボストフはコーヒーをすする「ありゃあ、築何年だっけ?」
「三十年かそこらじゃねぇかな、いい家だし、まだまだ立派なもんだよ。それをよ、人間様がおっ建てたもんをよ、邪魔だから潰せたぁやってくれるじゃねぇか」
「区長はなんていってる?」
「仕方ないの一点張りだよ、なんでもワーカーのすることが正しいんだ」
「くそめ」
「まったくです」
ボストフが悪態をついたとき、ふと、カウンター席の青年が話に割り入った。黒いスーツ、身なりの整った姿で、蛇のような笑みを浮かべている。
「ですが、カペルタの設計計画は実はまだ終了していないのです。オートワーカーの数が足りなくてね。本来的には、その設計思想をもとにワーカーが完成させるもので、彼らの邪魔はできないのですよ」
「んなこたぁ、知ってるよ」ボストフは鼻を鳴らした「見ねぇツラだな?」
「これは失礼、建設業の方ですものね。ええ、私は第二区画の者です」青年は微笑む「ビオ・コネットと申します」
「つまり未完成なんだろ」ドネフはいった「その足りねぇ部分を俺たちがちゃちゃっと建ててやったんだろうが」
「しかし、当初の計画と矛盾がある。……いえいえ、私はオートワーカーを擁護しているわけではありません。つまり、彼らのやりたい放題になっているという現実への懸念ですね、いつまで翻弄されなくてはならないのかと、やや遠回しになってしまいましたが、ともかくそういうことをいいたいのです」
ドネフはうなり、
「……そりゃあ、まあ、つまらねぇよな」
「そうでしょう、カペルタにおける建築物の実に半分が人間の手によるものなのです。それを彼らが後から好きに手を出している。それゆえに、もちろん混乱も起きます。これまで我が家だった場所が突然、通りになるというのですから所有権も何もあったものではない」
二人は頷き、
「……で、あんたは何者なんだ?」
「ええ、私はつまり人権保護団体の者なのです。〝我らが家〟協会ですよ」
「ああ、聞いたことあるな」ドネフは頷く。
「はい、調べるほどに現実の悲惨さが浮き彫りになっていると同時に、懸念も膨らむ一方です。実際、オートワーカーには謎が多い。その記事だって眉唾とは言い切れません。以前にも殺人事件がありましたでしょう、表向きは事故となっていますが」
「ああ、あったあった!」
「つまり我々は機械以下なんですよ。放っておいてもモノを作ってくれるロボットに頼るあまり、人命や人権が軽視されるなどという逆転現象、いいえ本末転倒でしょうか、そんなことが起こっているのです」
テーブル席の二人は揃ってうなる。
「私どもの協会では、意思を同じくする同胞が集まっています。オートワーカーをめぐる権利問題も煩雑化していますしね、いまこそ状況を整理し、理解し、然るべき行動を起こす時ではないでしょうか?」
青年は支払いを済ませ、
「懸念がおありでしたら我々の元へ、いつでも歓迎いたしますよ」
そして颯爽と店を出て行き、二人はその影を追うかのように出入り口を凝視していた。
【曇りの日2】
ジェイムス・ファインマン第一区長は頭を抱えていた。事実無根の噂話が蔓延し、その対処に追われているからだ。今日も電話口で区民代表と名乗る老人より罵声を浴びせかけられている。
「……ですから、着服なんてまったくのデタラメですよ。もちろんオートワーカーと内通などしていません。そもそも不可能なのですよ、あれらは独立して動いている。ええ、そう、我々の大事な隣人なんです。条文にもあるでしょう、彼らの行動が優先されます。余計なことをするとかえってインフラに影響が出るんですよ……ああいえ、そういうことをいっているのではなく……我々は終始そのことを広く伝えて……いえ、その噂は……ええ、ですが、これまでそんなことが起こったことなどなく……」
ほどなくしてジェイムスは通話を終えることに成功し、椅子にもたれかかった。なぜ皆、理解してくれないのだ。カペルタはとどのつまりオートワーカーのお陰で成立しているのだというのに。彼らが生活の基盤を整え、また修正してくれるからこそ、この安全な地下社会は存続できているのだ。
「おつらいでしょう」秘書のアンネル・ヌーは眉をひそめる「……皆、カペルタの実態を理解していないのです」
ジェイムスはうなった。そんなもの、学校で習うことではないか。なぜ齢を重ねるとオートワーカーを憎むようになってしまうのか。
そう、いってしまえば人間の労働力など不要なのだ。我々はただ黙って器物を破損させないよう気をつけ、水や食料、物資やエネルギーの無駄遣いをやめていればいい。あとは彼らが最適な社会のインフラを整えてくれるだろう。
とはいえ、理解なき区民がまるきり悪いわけでもなかった。
「……しかし、彼らもまた必要ではある。ワーカーたちがなにもかもしてくれるとなると、そのうち技術の失伝が起こる懸念があるんだ。そうなると、もしワーカーがなんらかの理由でその機能を停止したとき、インフラを維持できる存在がいなくなってしまう。そうなればカペルタも破滅だ。だから事実無根とはいえ機械への懸念はあった方がいいんだ」
「人がつくり、機械が壊してつくり直す。まるでイタチごっこですね」
「無駄なことだが……必要な様式なのかもね」
「しかし、本当でしょうか? ワーカーがキラーになるなど」
「前例こそないが、可能性はゼロではない」ジェイムスは頷いた「なんせ彼らの構造はカペルタに住む誰もが把握していないんだ。彼らに手を出すことは法律違反だからね。それに聞くところによると普通のハード構造ではないらしい」
「外部からのアクセスは不可能だと聞きました」
「すべてではないらしいが……生き物に近い形のものはスタンドアロンだと聞いたことがあるよ」
「……では、あるいは人と同じく感情で人を殺すこともあるかもしれないのですね」
「さあ、暴走した前例がないからね。ただ、人を傷つけないというプログラムはなされていないらしい。それを禁止すると労働環境に対応し切れなくなるんだと」
「それは……どういう意味ですか?」
「わかりやすい点では医療関係かな。治療の際、どうしても痛みを伴うケースがあるだろう。痛みを与えることが傷つけるの定義に含まれるのなら治療行為もまたできないことになる」
「ああ……なるほど」
「それに危険回避も完全に徹底すれば作業効率が低下するらしい。どこかで人間なんか死んじまってもいいやって部分がないと柔軟性を欠くんだってさ。つまり彼らは大局的には人間の味方だが、局所的にはそうとは限らないというわけだ」
「得心がいきました……」秘書は頷く「以前あった殺人事件もそのような理由があってのことなのかもしれませんね」
「あれは明確に人間の問題さ。開発を邪魔したら無理にどかせることもあるし、その際に転んで頭を打ったとしてなんだろう」
「……ずいぶん、ワーカーを擁護するのですね」
「それが区長としての本質だよ。私は緩衝材なんだ。なのに着服なんてまったく心外だよ、いったいどこからそんな噂が出てきたのやら……」
ジェイムスはすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含み、苦味に満ちた溜息をついた。
【曇りの日3】
ユリア・アーヴァレストは激しく脈動する心臓を抑えていた。頭は混乱の最中で、その恐怖の源泉は眼前に転がっている死体である。
メリナス・ジャーキンは両目を見開き、苦悶めいた形相で息絶えていた。ドレスは崩れ、あらわとなっている半身は酒で濡れている。テーブルの角は赤く染まり、また床には鮮血が広がっていた。
「……仕方ない、とにかく死体を運ぼう」
アラン・フェルトはそう呟いた。
「ど、どこに?」ユリアは息絶え絶えにいった「埋めても、ワーカーが発見……するかもしれないわ、めざといのよ、あれらは」
「そう、だからこそワーカーの仕業にするんだ。ちょうど彼女は協会の会員だろう、建て壊し反対の女神だ、協会もここぞとばかりにこの死をダシにしてくれるだろう、人の仕業とは思われない」
「……本当に、上手くいくのかしら?」
「埋めて見つからないにしてもこの地下社会だ、君が真っ先に疑われるだろう。ならば協会を上手く使う方が安全だと思う。幸い、ワーカーどもは弁解などしない」
「こっ、殺すつもりなんてなかったのよ、そもそも私たちは親友同士だった、なぜこんな……」
「……本当は不仲ではなかったと?」
「あなたまで疑うの、違うわ、ライルとも関係をもってないし、あの男のいっていることはデタラメよ、それにあのゴシップ記事! よくもまあ憶測だけであんなこと書けるものだわ……!」
「わかったわかった、とにかく夜を待とう、深夜に動くんだ」
「……でも、ワーカーの殺人なんて大問題になるわ……」
「以前に傷害事件だって起こったんだ、あり得ることさ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ユリアは親友の死体に向けて幾度となく謝罪の言葉を口にしたが、死体の表情には負の感情しか浮かんでいなかった。
【曇りの日4】
「本当さ、あいつ、思い切り突き飛ばしてきたんだ!」ジョグ・マッチンは机を叩いた「なにが人間の味方だ、俺の家を壊しやがって!」
「でも保証はされただろ」ライル・ストバスは肩をすくめる「悪くない家だ。フローリングも完璧だし、家具だって落ち着きのある佇まいだよ。あれをロボットがつくったんだからなぁ。悪いが人間様のものより出来がいい」
「けっ、だからって暴力が許されるかよ!」
「優しさが必要なことは多々あるさ」ピエール・ミグは安楽椅子を揺らした「理屈や合理よりもまずは心情だよ」
「そんな、口説き文句じゃないんだから」ライルは笑う「なんでもワーカーがやってくれるんだ、多少の我慢がなんだっていうんだ。これで彼らが心まで気遣ってくれたら、なにもかも依存してしまうだろうさ」
「はっ、お前は奴らの冷淡さを知らんからそういえるんだよ。あの感情のない目でやられてみろ、背筋が凍るぜ!」
「そうして殴りかかって痛い目を見たってんだろ、自業自得だよ。彼らにも身を守る権利がある」
「人間以上にな」ジョグは眉をしかめる「ここは奴らに支配されてんだ」
「大げさな」
ライルはため息をついた。しかしジョグの意見はあながち的外れでもないだろうと彼は考えている。人間に対し有益極まる彼らだが、それゆえに脅威の側面もある。
ライルは美男子だったし、健康でもあった。それゆえに女遊びは簡単にできるし、あらゆる娯楽を好む気質もあった。そしてはっきりいってしまえば、生真面目さと奉仕に強い喜びを抱く労働者が嫌いだった。特に苦労を貴ぶ人種はいっそう嫌いだった。苦労の必要性を説くことは文明の利器を多用する生き方と矛盾している。常日頃楽をしたがっているのに、自分の苦難に関しては特別視をするその態度は傲慢だと考えていたからだ。
そもそもの話、苦労は報われるとは限らない。これは彼自身、痛感していたことだった。彼はショウビジネスの世界に生きており、命懸けで各コミュニティを渡り歩きながら俳優としての自分を懸命に売り込んできた。しかし、その芽は開くに重く、華という明確な才能の差が歴然として存在することを痛感せざるを得ない状況にある。
華がない者はどれほど努力しようが脇役にしかなれない。それは徹底的な現実であり、ライルは自身の可能性に疑いを抱いていた。俺はアランより美男子だが、彼のような輝きはない……。
だからこそ搦め手も必要だし、たまたまここで再会したユリアとの関係もでっち上げた。そうすることで咲く華もあるかもしれない。彼は孤独にそう信仰したのだ。
そんな彼にとってオートワーカーは最高の隣人である。人が嫌がることも超過労働も文句ひとついわずにこなし、またそんな自分を褒め称えもしない。社会の脇役に徹する完全な職人、そして暇になった人間は存分にショウを楽しむがいい。この俺を、見るがいい。
「協会に入ったよ」ジョグは呟いた「いざというときの備えは必要だろう」
くだらんな。ライルは内心で吐き捨てた。
お前は労働に尽くし、自身の存在意義を保とうと躍起になっているようだが人間の労働価値はすでになくなった。世の人々も、図体と強面のわりに小心かつ気難しいお前より、あの素直なロボットたちを愛することだろう。
人間はすでに、ただ生きるという困難に直面している。暇や娯楽を愛せない者は狂死して潰えるのだ。
……いいや、俺とてうかうかはしていられない。演じるロボット、ユーモアに長けたロボット、ただ愛されるロボット……そんなものが氾濫してみろ、人間なんか完全に不要になってしまうことだろう。
しかし、あるいはそれもいいのかもしれない。人間の生み出した文化を継承し、あるいは進歩させるロボットたちがいて、それらが宇宙船で彼方の惑星に向かったとしたならそこの異星人たちは俺たちを記憶してくれるだろう。人が生んだものが人の全てを背負い、人ならざる者たちの元へ向かうこと。それができれば人類は消え去っても仔細ないのではないか。
ライルは冷淡で自虐的、孤独でありロマンチストでもあった。そんな彼はここでふと、以前立ち寄った花屋で出会った二人を思い出す。あの異様な雰囲気の青年と麦わら帽子の明るい少女。どちらも独特の華があり、しかも大輪だった。幸か不幸か、ショウビジネスには興味がないようだったが。
「なんだ、文句でもあるのか?」
漫然とジョグを見つめていたらしい。ライルははたと気がつき、少し微笑んだ。
「……いや、ないさ。毎日、懸命に働いてきたんだ、愚痴る場所くらいあってもいいのかも……などと思い直してね……」
あの明るい少女を思い出したからか、それとも深い虚無の青年に恐怖を覚えたからか、彼の口から出た言葉は自身でも意外に思えるほど優しいものだった。ジョグは目を瞬き、
「な、なんだ、いきなり……」
そういって目を逸らす彼を見て、ピエールはにっこりと微笑んだ。
【曇りの日5】
マルルはカウンターでぼんやりとしていた。ふと、ヴァロのところへ遊びに行こうかとも思ったがやめることにする。ルブランが黒服の青年たちを引き連れて訪ねているからだ。
彼女は幼馴染のことを考えた。彼はとてつもなく頭がいい。一を聞いて十を知るというのか、断片からでも全体を見渡す知力があるらしい。
それに加え、実はとても優しいのだ。私の花屋に専属のオートワーカーがいるのはヴァロのお陰だ。どういうわけか、彼はワーカーたちと通じることが可能らしい。私に対し、なんとも思っていないのならそんなことをするはずがない。それにあの詩……。
マルルは陰気な青年の詩が好きだった。というより、そこにしか本音がないのではないかと考えている。
「……犬の背をなでる。ぼくによく、彼にもよい。麦畑が一面、風に揺れている。誰かのためではなく」
マルルは詩をつぶやき、頭にもたげた強い懸念にため息をついた。いくつもの美点を差し引いて余りあるほどに彼には危うい側面があるからだ。終末論とでもいうのか、まるで世界の終わりを求めているかのような恐ろしい願望があるらしい。
彼はいつか、とてつもなく危険な存在になってしまうのかもしれない。そしてそのとき、彼を止めるのは私の役目だろう。
マルルはそう誓っていた。なぜなら彼女はヴァロを愛しているし、自身こそが彼の愛だと思っているからだ。