地下 Blood sin:Heterogeneousness
【殺人談義】
贅を尽くした料理が絢爛たる食器に彩られ、完璧に清潔なテーブルクロスに映えている。そんな豊かさをよそに、身だしなみのよい青年たちは談笑にばかり花を咲かせていた。
「残酷であればあるほどよいというのはそうだが、偏執的ではいけない。それでは一介の蒙昧たる殺人者となんら変わりがないのだからね」
「そう、意味の介在は本質的ではない。動機などというものは錯乱者の妄言だよ。実際的には肉体の破壊、ひいては死という現象の認識が何よりも先行されている。その決定的な挫折を前にして逃避をしてしまう心理は理解できるが、いつだって動機の中には何もありはしないのだ」
「しかし、よく大衆と呼ばれる精神病質者どもはとかく動機を重要視するものだ。幻想に幻想を重ね、精神の袋小路に陥っては〝なぜ〟を連呼する。人間社会という精神病棟はいつも阿鼻叫喚だね」
「強盗殺人もそうさ。私はこれまでそれを行う者の心理をよく理解していたと思い込んでいた。それは死と金、双方の奴隷たる自身を表現するのにもってこいの題材だからだ。しかし驚愕するのは、そういった実感を抱いて、いわば芸術的表現の一環としてそれを行う者がこれまでほとんど皆無であったという事実だよ」
「むしろある種の特権性を夢想し、彼らはそれを行っているのだろうね」
「奴隷の自覚がない者ほど、よく自身を王だと錯誤するのだ」
「実際、本質に迫る殺人など存在しないのかもしれない。純粋なるそれは神かそれに属する存在による特権なんだ」
「それは正しいよ。あまりに正常な自覚だ。死への挫折は神への畏敬とその根底を同じくする」
「対し、彼は蒙昧の底なし沼に落ちてしまったな。まあ、もともと変わり者だったが」
「愛にそそのかされたのだ。しかし、愛は彼を惑わしたまま報いなかった」
「水槽が割れたのさ」
夜の貴公子はワインを口に含み、口元を上げた。その微笑にその眷属たちは畏怖を覚え、愛想笑いをする。
いまは仲間、同志のはず、あんなことは二度と起こらない。
しかし、彼らは不安を拭い切れなかった。あの少女の言葉がどうしても脳裏より離れないのだ。
【オート・スカベンジャー】
トラックコミュニティを後にした翌日の昼過ぎ、ゴッドスピードたちは打ち捨てられて永い飛行場にいた。がらんどうとした滑走路はひび割れて風化し始め、廃墟の管制塔は半壊し、そして斜めに朽ちている多数の航空機はもう空の夢を見ない。突風が吹き荒んでは砂埃が舞い、そして積もってはかつての栄華を覆い隠そうとしていた。
「あれは……オートキラーではないのですか?」
航空機には数多の人影がたかっていた。ロボットたちはまるで死骸を囲む蟻のようにそれを解体しては運び、素材ごとに分別をしている。
「どうかな、わからない」
ゴッドスピードはあくびを噛み殺しながらそう答える。三人は車両の屋根に上がり、陽光の下、解体作業を眺めていた。
「見た目だけではな。まあ、あれらは武装をしていないようだし、大方において違うとみていいだろう」
「ということは、武装していてもキラーではない可能性もあるということですね」
「そういうのは大方、キラーだと思っていいと思うけどねー」
ハイスコアはウルチャムの膝枕に落ち着いていたが、いよいよ空腹になってきたので仕方なく体を起こした。そして革のポーチからカロリーブロックを取り出す。超人である彼女の肉体は日々、大量のカロリーを必要としていた。
「オート・スカベンジャーっていうんだよね。集めた廃品をリサイクルしてどこかに貯蔵するんだとか」
「どこか、なのですよね」
「そう、どこか」
「なぜ決まった貯蔵先がないのでしょう?」
「監督者がいないからだろうな。逆にいえば、いなくとも奴らなりに可能な範囲で柔軟に作業を行えるということでもある」
「そういった意味ではとても賢いですよね」
「そう、だな……」
ハイスコアはカロリーブロックをかじり、
「唐突にキラーへと変貌する可能性はあるし、いまの内に潰しとく手もあるよ」
ゴッドスピードはうなり、
「対処するのは変貌してからだそうだ。つまり奴らはそんな危険を考慮してなお、とてつもなく有益な存在なんだろう。あんなに効率よく、しかも休まずに働き続けて資源を蓄えてくれるんだからな」
「まあ、便利だけどねー。でも、集めた資源がキラーの製造工場に向かってる可能性だってあるわけだよね」
「それは、そうだな」
「ウチも一応、監視とかしてるらしいけど」
ワイズマンズにおいてもスカベンジャーを追跡するチームは存在しているが、大抵の場合は民間組織の救出にその労力を割かれていた。貯蔵場所を突き止めればそのまま資源が自分たちのものになるので儲け話として美味しいと見なされ、素人チームがスカベンジャーを追い、そしてキラーと遭遇してしまう末路の尻拭いである。
「みな、真面目さんですね」
ウルチャムの感心にゴッドスピードは頷き、
「おまけに素直だしな。ああしている分には誰からも好かれるに違いない」
「……どうして、人を殺め始めたのでしょう」
「そう命令を下した者がいるからか、あるいは人間に愛想が尽きたか」
後者でなければいいとウルチャムは考えていた。彼らと仲良く暮らす未来は彼女にとって夢物語ではないし、また他の人々ともその夢を共有したいからだ。
「まあ、敵対するなら破壊するだけだよ」
ハイスコアがそういったとき、通信が入る。
『こちらスノウレオパルド、応答してください』
ゴッドスピードはまたあくびを噛み殺し、
「はいよ、こちら暇人三名」
『問題はありませんか?』
「暇ということ以外はな」
『それならちょうどいいですね、新たな任務です』
「また寄り道か」
『そうです』
「はっきりいいやがったな」ゴッドスピードはうなる『……それで、ハイスコアはどうする?」
『まだ処遇は決まっていません』
「ほう……」
『おや、含みがありますね』
「しばらく寄り道が続くんだろうと思ってな」
『わかりますか』
「あんた……もう少し言葉を濁したらどうだ」
「だからー、ずっとここでいいって!」
ハイスコアの訴えは黙殺され、彼女はまたブウウと頬を膨らませる。
先日の凶行は報告済みだが、正式な処罰などはない。スノウレオパルドより厳重注意が与えられたのみである。
ゴッドスピードはハイスコアの思想、行動ともに危険性を認め、再教育の必要性を説いたがそれは黙殺された。暴力的混乱を鎮圧した功績が評価されすぎたのだ。
『さて今回の任務ですが、地下コミュニティ、カペルタにて不穏分子が活動しているそうで、調査を依頼されています』
「活動とは?」
『わかりません、秘密結社の存在が浮かび上がっているそうです』
「秘密結社……」
『詳細は不明です』
「また丸投げかよ。もうちょっと事情を聞き出したらどうだ?」
『依頼者の認識が正しいとは限りませんよ』
たしかに、現場は我が目で確認してこそだろう。その点においては彼にも異論はなかった。しかし、それにしても情報が少ない。
「あんた……」
もう少し文句をいってやろうかとゴッドスピードは口を開いたが、そうしたところで誰もいい気分にはならないだろうと思い直し、言葉を飲み込む。
「……いや、いい」
『おやおや、含みますね』
「そんな意図はない。了解したさ、通信を終える」
『待って下さい、まるでこちらが怠慢かのように……』
ゴッドスピードは一方的に通信を切った。先日のような言葉の嵐はごめんだからだ。ウルチャムはうなる。
「カペルタねー、超大型シェルターかぁー」ハイスコアはため息をついた「わっかんないなー、自ら進んで穴ぐら暮らしなんて、サイアク!」
「ともかく行ってみるさ」
三人は飛行場を離れる。ややして目的地の座標が送信されてくるが、その備考欄には長々とした言い訳めいた文章が書き連ねられていた。
「どうすりゃいいんだ……」
ゴッドスピードはそう呟き、ウルチャムは苦笑いした。
【地下の青年】
談笑を聞き流しながらルブランは淡々と食事を続けていた。その仕草はいっそ芝居じみており、機械に燃料を補給するがごとく味気ない所作に終始している。そしていち早く食事を終え、立ち上がった彼に視線が集まった。
「ルブラン、どうした? 語り明かそうじゃないか、君も」
無感動な青年は小さく首を振り、食堂を後にした。そして階段を上る最中にまた、声をかけられる。
「正常と異常の違いには興味がありませんか?」
初老の執事である。完璧な姿勢にて支えられたトレーの上ではティーセットも微動だにしない。
「ああ」
ルブランはぼそりと一言だけを残し、自室へと戻った。優美な調度品の語らいや舞踏は一切、彼には見聞きできない。まるで関心がないからだ。彼が認識できるのは機能だけであり、その点においてこの部屋は安アパートの一室と大差なかった。
そんな砂漠の放浪者たる彼だが、唯一ともいえるオアシスがあった。ルブランはベッドに腰かけ、空間モニターを起動する。
そこでは金色の三つ編みおさげと淡いそばかす顔の少女が、腕いっぱいの花を抱えてまぶしいほどの笑顔を浮かべていた。ほとんどの物事に無関心な彼だが、この時ばかりはその瞳に光が宿る。
ルブランはしばらくして部屋を出ていった。廊下をまっすぐに進み、突き当たりにあるエレベータに乗り込もうとしたところで、また執事につかまる。
「おや、お出かけですか?」
「ああ」
「またあのご友人のもとへ?」
「ああ」
「いってらっしゃいませ」
ルブランにとって重要なのはその人物ではなかった。しかし、花束の少女はあの青年の幼馴染であり、彼女と会う口実はいまのところ彼を通してでしか得ることができていない。
エレベータはしばし下ってからそのドアを開放する。そこは唐突に林の中であり、人工の太陽光が木漏れ日となって林道を照らしていた。近くに隠されていた自動二輪にまたがり、ルブランは友人ということにしている青年の家へと向かっていく。
地下コミュニティ、カペルタは地上環境の再現に尽力されていた。人工太陽の光が注がれ、樹々は生い茂り、浄化された空気に満ちている。天井や壁はすべてスクリーン、解放的な景色を映し出し、眼前の風景を疑わなければそこは地上とほとんど違いはない。
林道を抜けると整然とした住宅街、走っている車両は実にゆっくりとしたスピードで走行している。コミュニティの面積に限界があるゆえに、急ぐことは狭さの再確認に繋がり、やがてストレスとなることを懸念しての対処である。
とはいえこの地下コミュニティは広い。一区画、その一辺だけでも数キロはあり、またスクリーンの効果もあって視覚的には全区画が一望できた。結果、カペルタは地下にあるとは思えないほどの感覚的広さを実現しており、人口も数万人を超えるほどになっている。
ルブランは住宅街を進み、目的の場所にたどり着いた。そこは横に長い平屋の店舗、店先には色とりどりの花々が並んでおり、その一輪一輪を見て回っている麦わら帽子を被った少女の後ろ姿に彼は愛らしさを覚えた。ふと、その気配を感じてか、少女は振り返る。
「いらっしゃ……あら、ルブランさん」少女はにっこりと微笑む「遊びに来たのね、ヴァロは家の中よ。薄暗いところでなんだかよくわからない本を書いているんだから、外に出してあげて」
「ああ」
彼女の名はマルルといい、無関心の塊であるルブランが珍しく興味をもった写真の少女である。今日も変わらぬ眩しい笑顔は、あの陰惨な青年とは対極にあるとルブランは思う。そして彼女がいなければ友人として彼と会うことなどなく、仮にあっても、あくまで観察対象の一人として接したことだろう。
ヴァロ、ヴァロニカル・リンカフフレスにはどこか悪魔的な雰囲気がある。好んで近づきたくなどない。
「……あ、また曇ってきた」
マルルの視線を追い、ルブランは空を見上げた。先ほどまでとは一転して、いつの間にかどんよりと曇っている。
「……ねえ、何か変じゃないかしら?」
「何かって?」
そう問い返したものの、その疑問は予期していたし、また、勘違いなどではないと彼は知っていた。
「なんというのか……不穏な感じがするの。ニュースでも献金の着服とか、誰々との確執や不仲だとか、そんな話ばっかり。その影響かわからないけれど、近所のみんなもどこか暗くってね、そもそもさ、最近、曇りの日が多くないかな、雨の日も。気候管理局は調整のためと発表しているけれど、その説明もね、なんだかちぐはぐな感じがするの」
その通りだ。そういう計画なのだから。ルブランは虚偽の同意を首肯にして表現する。
「……お天気は大事だわ。太陽が町を鮮やかにするのだもの。もちろん、いろんな天候が必要だとは思っているけれどね」
「そう……だね」
「あ、いけない、引き止めちゃったね」少女は隣の家を見やる「いいの、ただの思い過ごしよ。気にしないで」
「ああ……」
そのときルブランはふと、子供の頃を思い出していた。それはステーキを先に食べ切ってしまい、残ったつけ合わせの野菜を粛々と片づけた時の気持ちである。あの頃はまだ食事が美味しく感じられていたように思う。まるで興味をなくしてしまったのはいつからだったろうか。
「そうそう、すぐに私も伺うと思うわ。おいしいフィッシュパイを焼いているの、おすそ分けにね」
彼はそれを喜ばないだろう。ルブランはそう思ったが、口に出すことは憚られた。様々なことに鈍感な彼にでもわかる、マルルはなぜか、あの闇暗い幼なじみを好いているのだ。
ならばせめて自分が喜んであげよう。食事はつい先ほど終えたばかりだが、彼女の料理が入る余地はある。
「それじゃあまた」
マルルは仕事に戻り、ルブランは名残惜しそうにその場を離れ、隣家の前に立った。
古びた木造の家は乾きに喘ぐ旅人のように色あせ、庭はほうほうとしている。ルブランが幾度かノックをすると、ややしてドアがゆっくりと開き、陰気な表情の青年が現れた。
「……君か。マルルかと思ったよ」
「悪いね」
「いいや、逆だ。彼女でなくてよかった。最近はとかくうるさいのさ。誰しも隣人は選べないものということか」
二人は幼馴染だという話だったが、それはマルルからの話で、眼前の青年はそういったことにまるで無関心らしかった。
なんという贅沢だろう。ルブランはふとそう思ってしまい、多少なりとも腹を立てていることに気づいて動揺する。
「ちょうどよかった、君に大事な話があるんだ。下で話そう」
二人は軋む階段を下りていく。地下室の半分は大小の道具類やケースに占領されていた。大型の空調機が静かに唸っている。残り半分の空間には粗末なテーブルと椅子しかない。ルブランは暗い青年と対面する形で席に着いた。
その地下室では、互いにかろうじて表情が見える程度にしか明かりがなかった。闇の淵に誘えて喜んでいるのか、夜の色をした長い髪と瞳が笑みとともに、月明かり程度の薄暗い部屋に浮かんでいる。ルブランは不穏さから強張りを覚えた。
「深海魚だ」ヴァロは静かに口にした「あれに異形のものが多いのは、太陽光を浴びないからではないか、そう思ったことがあるんだ」
「そうかな」ルブランは無表情のまま、そう呟いた「奇妙な考えだね」
「もし太陽が美を約束するのだとしたら、地下世界に住まう者たちもまた、やがて美から離れていくことになるのかもしれない」
「そう、かな」ルブランは無表情に呟いたが、嫌な汗が滲んでいることを自覚した「ここには太陽光を模した輝きがあるんだ。昼と夜が管理され、物理的には地上と変わりがないよ」
「住み心地のよい水槽だといいたいのかい、そうでもあるかもしれないね。しかし、水槽の魚は鑑賞物か、あるいは食べ物に過ぎない。ルブラン、君は自身をどちらだと思う?」
「さあ……両方かな」
「我々は鑑賞され、やがてはなぶり殺されるだろう。あるいは君たちによって」
その言葉に、ルブランは目を大きくした。
「秘密結社、ブラックローズの構成員なのだろう。どうしてわかったのか、説明する気はない。問題はそこではないからだ。もしその点がどうしても気になるのなら、君はどうしようもなく組織というものに毒されているということだよ。反省したまえ」
「……君はいったい?」
「その問いにも意味はないな。答えなど好きに想像するがいい。重要なのは、鑑賞者たる君たちに神のような属性はない、という問題だ。とりわけ君にはその資格がないようだが、それはいい。永遠の鑑賞者であり続けることはできなかったのだろう。しかし君たちが神であり続けられないのならば、その思惑は単なる陰謀に成り下がる」
ルブランは眉をひそめた。眼前の青年は明らかに想定外の存在に違いなく、あるいはブラックローズも危機に瀕している可能性がある。
「血肉をもつ者が神を演じる罪は誰が贖うと思う。そう、ブラッド・シンは恐ろしいものでなくてはならない。重要なのは……」
ルブランは思わず立ち上がった。頭上からドタバタとした足音が聞こえてきたからだ。そして唐突に、彼は告白をした。
「私は、彼女に会いに来ているんだ」
ヴァロは冷たく笑んだ。それは恐ろしく不吉な笑みだった。
「あーっ、やっぱりこんなところにいた!」
階段を下りてきたのはマルル、
「ヴァロ! また地下室でコソコソやってるのっ? 地下社会のさらに地下って、どれだけ潜れば気がすむのよっ!」
「待ちたまえ、いま重要な話を……」
「だからって、こんな薄暗いところでしなくてもいいでしょう!」
ヴァロは少女に腕を掴まれ、引っ張られていく。
「あなたもよ、ルブランさん! ヴァロの陰気な趣味に付き合わなくていいんですからね! まったく、暇なら詩文でも書いてよ、あなたには才能があるんだからさ!」
「そんなものはないし、詩文などくだらないさ」
「あるし、くだりますぅー! あとパイを焼いたのっ、食べるでしょ?」
そんなやりとりをしながら二人は階段を上っていく。それを見送るルブランは汗をハンカチで拭き、数多の必要性を検証していた。