第七話 ジャスティア
猪のような魔獣が真っ直ぐに突っ込んできていた。
正面の門の向こう、はるか彼方に現れた魔獣は標的を見つけ――鋭い牙が月明かりに一瞬浮かび、その光る眼には殺意が満ちた。
速度が緩められることはなく、ますます加速しながら向かってくるその勢いたるや春先の突風のようであった。
その先に立っているのはジャスティア。
盾を持たず、身構えるわけでもなく、ただ立っていた。
そう、立っているだけ。
感覚を研ぎ澄ませるために。
魔獣が門から入ったとき、ジャスティアは再び本をかざして何事かを呟いた。
「風よ、渦を描き竜のごとくになれ――大竜巻」
途端に周囲に風が吹き始め、ジャスティアを中心にして渦を造り出した。魔導書のページがバサバサと音をたててめくれる。
徐々に徐々に威力と回転数をあげていく渦を目前にしながらも、魔獣は立ち止まらない。
止まれないのだ。
「――さぁ、皆さまご覧ください。只今より魔獣たちが曲芸を披露いたしますよ」
一人呟くと笑う。笑う笑う笑う。
そしてどこか壊れた笑みを浮かべたまま本を閉じて左手に持つと、腕を前に突きだし、迫り来る魔獣を指差して「まずはお前だ」と冷たい声を発すると、竜巻がジャスティアの元を離れて動き出す。
猪の魔獣をあっさりと巻き込むと、竜巻はなおも大きくなりながら門の外へと向かう。
その先にいるのは、魔獣の群れ。
魔獣たちは何が起きたのか分かる前に呑み込まれ、消えていく。
恐怖が群れを支配し、統制がきかなくなっていく様を無様にもさらしながら。
「ギュルァァァァゥゥゥッ」
「エェェェィァァ…」
風の音。魔獣の断末魔。抗うものの翼の音、爪が大地を抉る音。本体から何かが引きちぎれるような音。飛び散る四肢、翼、翅。
全ては黒色の灰のように崩れて竜巻に巻き込まれていくが、その光景はまさしく地獄絵図であった。
先頭を行った猪型が負けた時点で、魔獣たちの意志は挫かれていたのだったが、ここまでくるとそこには恐怖しか残っていなかった。
その景色を楽しげに見つめながら、ジャスティアは指揮者が指揮棒を振るように右手を左右に動かしていた。
生き残れたのは、遠くにいたわずかな魔獣と雑魚ではなさそうな体つきをした数匹、そしてあの狼だけだった。
群れをほとんど呑み込むと竜巻は満足したかのように天空へと吸い込まれて消えた。
「これで大分楽になったんじゃないかなぁ?こちらとしても大勢相手はつらいからねぇ」
ジャスティアが薄ら笑いを浮かべて言う。
その薄い緑の目は焦点が合わずにどこか遠くを見つめていた。
しかし、彼がなんどかまばたきをすると、薄緑色は消え、元の色に戻った。
その瞬間、ジャスティアは地面に座り込む。
「……っはぁ、疲れた…」
そうして辺りを見回すと、顔をしかめて
「これ、やりすぎですよ。後片付けとかどうするんですか」
他人事のように呟いた。確かに、辺りには松明が散乱し、非常に散らかっていた。
側に落ちている分厚い本を拾い上げ、「風よ、姿を現せ」と表紙を二、三度軽く叩く。
すると、本から薄緑色のきらきらした煙が立ち上り、くるくると回って凝縮すると小さな妖精の姿になった。
―――あはは、ごめーん、久しぶりだったからついやりすぎちゃったぁ~!!
悪びれる風もなくちろっと舌をだすと妖精は本の縁に座って足を組んだ。
薄緑色の瞳と、同じ色でツインテールにされている髪の毛。毛先はくるくると縦巻きになっていて、根元の方が色が濃い。腰のあたりまである髪を微風になびかせながら首をかしげ、上目遣いで尖った耳を触りつつジャスティアの窺う。
―――怒ってる?
「怒ってはいませんよ、レディ・シルフ。ただ後片付けが大変だなぁと」
―――怒ってるじゃないのー!!
薄緑色の妖精――シルフは情けなさそうな顔をした。ジャスティアは肩をすくめて、
「四大精霊の一人である貴女がそんな性格だと知ったら、世界中の作家たちはおとぎ話をかなり書きかえなくてはならないでしょうね」
と諫めた。
シルフはたれ気味の目をちょっと吊り上げて、口を尖らせる。
―――なによう、せっかく手伝ってあげたのに。そもそもこの姿はあたしの本当の姿じゃないんだから!!いいじゃない、自由にしたって…。
なぜか泣きそうな顔をするので、ジャスティアは慌てて「自由でいてくれる方がこちらも気楽でいいんです」とフォローした。
「私には、もうあんな大きな竜巻を発生させる気力はありません。でも、サラマンダーに手伝ってもらって、松明をまた灯さなければ」
―――そうね。倒しちゃったからあたしが責任持って立て直すわ。
シルフはそう言うと、本から空中に飛び立ち、《妖精の竪琴》を構えて指先で弦を弾いた。
ポロロン……と音が鳴る度に、シルフの周りに薄緑色の煙が立ち上る。大分煙が濃くなったところで、
―――よし、これくらいかな。みんな、いくよー!!
シルフの掛け声で煙が一斉に散り、次々と松明が立て直されていった。
「さすがシルフの長……」
唖然とするジャスティアの元にシルフが舞い降り、
―――どう、見直した?
と胸をはった。ジャスティアは笑って「そうですね」と言うと、シルフは満足げな顔をして、消えた。
「さて。焔よ、姿を現せ」
同じように本の表紙をぽんぽんと叩くと、今度は赤にオレンジのメッシュがはいった髪の毛と黄色の瞳を持つ妖精が現れた。
―――なんか用か?
空中で器用に胡座をかく。
「……いや、実はレディ・シルフが少々派手にやりすぎたんです。それで松明が消えてしまって」
赤い妖精――サラマンダーは顔をしかめ、ジャスティアは苦笑した。
―――またアイツやらかしたのかよ…。で、火をつければいいのか?
「ええ。魔法付加道具『無限灯』だったのですが、貴方もご存知の通り、四大精霊の力は並の道具をはるかに凌駕し、魔力を吸収してしまいますから」
―――あー、じゃあそれもついでに直しとくな!!
気軽に請け負うサラマンダーに、安心した顔を向けるジャスティア。
「助かります。それと、今からはここに残って、皆の状態を見るのを手伝ってほしいのです」
―――火を通して、か?
サラマンダーは焔の化身であり、焔の守護精霊であるため、ありとあらゆる火を通して物事を見ることができる。
それは他の四大精霊も同じ。
二人は頷きあうと、作業にかかった。
***
―――よし、直したぜ。これで元通りの松明だ。
「ありがとう、サラマンダー。……近くに強力な魔獣がいる匂いがするのですが」
サラマンダーは深いため息をつくと、ジャスティアを見つめた。
「嗅いだことのある匂いです」
いつになく険しい顔をするジャスティア。
―――知りたいか?
右掌に焔の塊を灯しながらサラマンダーが問いかける。揺るぐことなくジャスティアが頷いた。
―――それほど言うなら止めねぇよ。ただ、これだけは言っておく。……溺れるな。
サラマンダーは右手を差し出し、ジャスティアは焔を覗きこんだ。
そこに、映っていたのは―――――。
今回はいつもより少し長めになりました。1.5倍くらい。
初めて書いた戦闘パート(と呼んでいいものだろうか)ですので不自然でしたらごめんなさい(笑)
さて、のっけから大暴れしたジャスティアですね。
ちなみにこのシルフはまな板ちゃんなので、胸をはってもなにも説得力がありません。彼女自身はちょっと気にしてるみたいですけれど。
はい、こんな裏設定ばっかり考えてないで本編を進めるようにします(笑)
頑張ります!!
ここからはほぼ時系列が同じ状態の話が少しだけ続きます。
内容がなんども反芻する可能性がありますのであらかじめご了承ください。