第五話 「奇跡の間」にて
夕陽が水平線の向こうへと沈む頃、松明の設置が終わり、全員の準備が整った。
ロイたちが身に付けている『退魔の鎧』はよく彼らに馴染み、ランプの光を反射して鈍色に輝く。使い込まれたロイの『破邪の剣』、ユノの『炎華槍』ハルトの『水牙刀』も、戦いに備えられしっかりと調整されている。
動きづらそうなロングスカートを脱ぎ捨て、軽装に着替えたサーシャとマーシャは髪の毛を結わえ、凛々しい姿になった。お揃いの短剣を携えた二人は万が一に備えて、持ってきた衣装バックからもう一本短剣を取り出すと少女に渡した。
それにあわせて少女の服装も、寝間着から少年のような格好になっていた。彼女の華奢な脚はもう震えたりせず、しっかりと立っていた。
ジャスティアはというと、先程とさして変わらぬ軽装備である。変わったところといえば、裾のながいローブを羽織り、手には分厚い本を持っているというくらいだった。
「りょ、領主さま、それでよろしいのですか」
ユノが驚き呆れて訊ねる。
「ん?ああ、この格好ですか。やっぱり変ですかね……大分昔の型ですから流行遅れでしょうか」
「いえそういう問題ではなく!!というかローブにも流行とかあるんですね……」
ジャスティアは呑気に答えた。
「ええ、色とか形とか……マイナーチェンジレベルですけどね」
「そ、そうなんですか……」
知らなかった、と驚くユノ。するとジャスティアがにやりとして
「冗談ですよ」
と軽く言いはなった。
「また、お得意のやつですか……」
ユノは呆れるが、
「まぁあながち嘘ではないようですわ。その年の服のトレンドにあわせて、変える人はいるようですよ」
と、サーシャがフォローをいれた。
***
「さて……そうこうしてるうちにもうすぐ真夜中ですね」
最上階の「奇跡の間」の開け放たれた窓から空を見上げてジャスティアは言った。
「そういえば貴女のお名前を伺ってませんでした」
いきなり話を振られた少女は驚き、じっと見つめていた鈴蘭の鉢植えから目を離した。
「名前は、ありません……」
ジャスティアは悲しそうに首を傾げた。
「そうですか……では、仮に、ということですが私がつけて差し上げます。戦闘中に困らないように、ね。後で気に入ったのを自分で選べばいいですよ」
そう言ってジャスティアは辺りを見回す。
そして。
少女が見つめていた鉢植えに目を留めた。
「スズランはどうでしょうか。貴女が見つめていた花の名前です」
少女は顔をパッと赤らめ、頷いた。
しかし次の瞬間、少女――スズランとジャスティアは真剣な顔つきになった。スズランの猫耳はぴくりとし、ジャスティアは鼻に軽くしわをよせる。
二人とも何かを感知したようだ。
「では、スズラン。また後で会いましょうね。もうお客様がいらしたようですから」
「では姉妹よ、防御は頼んだ」
「まっかせてーん!!」
マーシャの言葉を最後に四人は廊下に出て、ユノが外側から扉を閉めた。
階段をおり、広間についたとき、ジャスティアがふと思い出したように言った。
「……ああ、言い忘れていたことがありました。皆さんが配置についてから松明がつきますから驚かないでくださいね」
「うわ、それ忠告なかったら俺絶対ビビってますよ…」
「それはそれで見たかったですけれど、敵だけを驚かせたいので」
ジャスティアはにやっと笑うと玄関の扉を開く。
「それでは皆さん用意はいいですか?先ほども言いましたが、また後で元気にお会いしましょうね」
四人は頷きあうと、持ち場に向かって駆け出した。
***
少し時は巻き戻り。
昼間の喧騒とは打ってかわって静まり返ったシーサイムの街の向こう。
ティラタトル山の中に、奴らはいた。
きし、きしきしきしきしきしきしきしきしきし
かしゃかしゃかしゃ
この世のものではないおぞましい音をたてながら。
辺り一帯は硫黄の匂いに満ち、獣どもが唸る声がこだました。
それは波紋のように広がり、山中を包み込む。
やがて、奴らの中から一頭の巨大な犬が姿を現した。
犬というよりもむしろ狼に近い大きさで、漆黒の爪と牙、紅い瞳を持つ魔獣。
とたんに唸り声は静まり、獣どもは一斉に頭を垂れた。
「小娘はここまで来た」
魔獣は嗄れ声をあげた。
「しかしこの街には立ち寄っておらぬ。匂いは彼方へのびている。匂いを追え。今度こそは逃がすでない」
その言葉が終わるや否や、魔界より来たりし獣どもが駆け出す。
獣の姿をもつもの。昆虫の姿をもつもの。合成獣の姿をもつもの。
おぞましい百鬼夜行がジャスティアの屋敷へと向かっていった。
「くっくっく……終わりだ、小娘」
一人残った魔獣は嘲るように言う。
「ただの〈人間〉どもには、俺様の軍団を防ぐだけの力はあるまい。貴様は無駄な犠牲をだし、無関係な命も巻き込んで死んでゆくのだよ」
魔獣は高笑いをすると、その四肢をしなやかに動かしながら山を下りはじめた。