第一話 山の門の外で
話に盛り込む程の長さのものではない捕捉を後書きに入れました。
今回の話はそれも含めて少しだけ長めです。
分ければよかったかもしれませんが、そうするとなんとも微妙になってしまって気持ち悪かったので分けませんでした。
小話だと思ってお楽しみください。
街のメインストリートを北にまっすぐ走っていき、街外れから広がる果樹園を抜けると、そびえたつ巨大な門と、頑丈そうなレンガ造りの壁が見える。
ここがこの街、シーサイムの裏門である山の門だ。
市のたつ海の門からそこそこの距離を走ってきたジャスティアとハルトは、秋であるにも関わらず、玉のような汗をかいていた。
二人はそのまま門に設置されている見張りの塔を上っていく。螺旋階段で目が回りそうになるが、やっとのことで堪えて最上階へとたどり着いた。
そこで二人を出迎えたのは、この街一番の剣の使い手であり、警備隊隊長であるロイ・メタルハートだった。
鍛え上げた肉体は無駄のない線を描き、何年間も着続けて馴染んだ制服は最早彼のトレードマークである。
白髪混じりの色の薄い金髪は、普段は綺麗にオールバックにしてあるのに、動揺したときの癖で右のこめかみの辺りだけ掻き乱したようになっていた。
「隊長っ、ハルト・アマギ、只今帰還しました!!」
「ああ……。ジャスティア殿、おはようございます。このような朝早くから申し訳ございません」
「おはようございます、ロイ。なんの問題もありませんよ。市にいたのが幸いしました」
汗を拭いながらジャスティアは答えた。
「早速、本題の件なのですが…」
ロイの瞳が不安そうに揺れる。
彼は、魔獣に教われて最愛の妻を失ったという過去をもつ。
魔獣を憎む気持ちは誰にも負けないが、同時に魔獣を誰よりも憐れんでいる。
召喚され命令され望まぬ汚い仕事を押し付けられる彼らを、ロイは憎みきれないのである。
しかし、ジャスティアにその優しさと剣の腕を買われて、今隊長となって街を守っている。
この街にいる者たちは、悲しい過去を背負い、しかしその過去を憎みきれない優しい者ばかりなのだ。
ジャスティアとて、変わりはしない。
「ロイ、その少女はどこにいますか」
先に魔獣と決めつけたりせずに少女と呼ぶ。そうすることでロイの緊張をほぐせることをジャスティアは知っていた。
「は……あそこです」
そう言ってロイが指し示したのは門の向こう側、遥か下にあるように見える地面に横たわる、薄汚れた白っぽいものだった。
「あれか…」
目を凝らして見てもよく分からない。
ジャスティアは生まれつき視力がよくない。
両親はそれを忌み嫌い、まだ幼子のジャスティアを乳母に押し付け、その乳母の故郷であるシーサイムの街で育てさせた。
両親とは連絡が取れず、乳母は「おいたわしや」と泣くばかり。
ジャスティアの子供時代がどれほど寂しいものであったか、誰にも計りようがない。
だが、今はその話よりも先に、現在起きていることを処理せねばならない。
「……ここから降りましょう」
ジャスティアはぽつりと言った。
「し、しかしジャスティア殿…何が起こるか分かりませぬぞ!!」
「構いません。あの子を放置する訳にはいけないでしょう」
ロイの揺れる瞳を正面から見据えてジャスティアは言った。
「今まで沢山の者たちをここで見てきた貴方なら分かるはず。あの子は本当に弱っていますから」
(ああ、この方は――)
ロイは心から信頼した目をジャスティアに向けた。
(己の身より他人を気遣う、優しいお方なのだ。なぜ俺はそれを忘れた?ついていくと、決めたではないか)
何年も昔の、二人の約束。
ロイの決意。
「……了解。下に参りましょう。ハルト、お前もついてこい」
「了解!!」
見張りの交代にでてきた青年二人に会釈と敬礼をすると、三人は螺旋階段を降り始めた。
***
大きな門のすぐ脇にある通用門の鍵を開け、外に出た三人を迎えたのは、
「……っ、なんだ、これは…」
「なんの匂いでしょうか?!」
「……これは、きつい、ですね……」
辺り一帯に強いお香の匂いがしていた。
それに耐えながら辺りを見渡すと、すぐ近くの地面に、薄汚れて伸び放題の白髪に、あちこちが破けている汚いワンピース、傷だらけのか細い手足といった姿の少女がうつ伏せに倒れていた。
上から見たときには見えなかったが、所々血が滲んでいた。
どうやらその少女が匂いの元凶らしい。
「ジャスティア殿、これは……」
「……恐らくこの子は魔獣ではありません。この匂いかた、おおかた何度も襲われたのでしょう」
「領主さま、なぜお分かりになるのですか?」
ジャスティアは悪戯っぽく目を煌めかせ、「私とロイの間の秘密、貴方にもお教えしましょう」と言った。
「実は私、あまり視力がよくありません」
「は、はぁ…」
何の話だろうとハルトが不思議そうな顔をする。
「その代わり、嗅覚がものすごく鋭いんです」
「きゅ、嗅覚ですか」
だから、とジャスティアは続ける。
「嗅ぎ分けることができるんですよ、微かな匂いでさえも。この子からはお香の匂いと、微かに甘ったるい匂いがします」
「だから魔獣ではないと?」
ジャスティアはこくりと頷いて「魔獣ならもっと硫黄臭いですからね」と言うとまた少女の方を見やった。
「この子を私の屋敷まで連れて行きましょう。ハルト、隊員に女性がいますね。その方を屋敷まで連れてきて下さい。あと、仕立て屋の姉妹も一緒にお願いします。」
「了解!!女性隊員と仕立て屋姉妹ですね」
「ロイ、貴方は対魔獣装備を持って私の屋敷まで。貴方と、ハルト、連れてくる女性の分があれば多分問題ないでしょう」
「了解。ジャスティア殿は?」
「……そうですね、私の馬が今はここに預けられているはずですから、それに乗ります」
そう言うとジャスティアは、見張り待機室から毛布を一枚とってきて少女をくるみ、横抱きにして抱き抱えた。
こうして各々は、ジャスティアの屋敷へ向かった。
「……っとと、出発する前に、領主さま、聞きたいことがあるのですが…」
「なんでしょう、ハルト?」
ハルトはどこか訊きにくそうであったが、意を決して言った。
「その、どうして魔獣ではないのかは分かったのですが、お香の匂いと甘い匂いの理由は…」
ジャスティアはまたにやりと笑う。
「その話ですか?お答えしましょう。
古より、人は魔界から魔獣を呼び出すのにたくさんの儀式と道具を必要としてきました。
今は大分省略されたようですがね。
しかし、その中で欠かせないものがいくつかあります。そのうちの一つがお香なのです。
だから、魔獣使いと、使役される魔獣からはお香の匂いがするのですよ。
そして、甘い匂いのことですが、これは魔獣から分泌される毒がこの世界――魔獣はあちらの世界、魔界から来ますからね――の者の血液と酸素に触れると、このように匂うのですよ。
これでご期待には添えましたか?」
「はい!!ありがとうございます。
……ちなみに、その毒は致死率が高いものですか?」
畳み掛けるように訊ねるハルトに、苦笑しながらジャスティアがまた答えた。
「専門家ではないので詳しいことは分かりませんね……危険なものもあるでしょうし、そうでないものもいるでしょう。
この子は多分、耐性があるのでしょうね…」
「……そうなのですか…」
「……ッ、こら、ハルト!!早く向かわないか!!」
まだ聞きたそうな素振りを見せるハルトは、遠くからロイに怒鳴られて「ひゃっ」と小さく悲鳴をあげた。
「す、すいませんっ」
ハルトはジャスティアに一礼すると、あっという間に走り去っていった。
「すいません、あいつ、お喋りで…」
「いいのですよ、それくらいが丁度いいのです」
二人はハルトのことを思い浮かべ、楽しそうに顔を見合わせた。