7話 異世界side 対峙
ルリララは注意深く辺りを見渡しながら、猫耳をピコピコと動かし声の主を探した。だが彼女の野生の勘をもってしても、相手を見つけ出すことが出来ない。うっすらと気配は漂っているのだが、何処にいるのか判別できない。
「黒騎士? 誰だそいつは」
「……」
ヴァイスからの返事は無かった。いつもの飄々とした余裕が感じられない。そんな彼を横目で訝しめに眺めながら、ルリララは大声を張り上げる。
「おい姿を現せ、テメーは何者だ!」
『嬢チャンノ言葉ニ甘エヨウ』
その全身鎧は、目の前に唐突に現れた。
新月の真夜中よりも黒い、洞窟の奥よりも暗い、あらゆる彩光を無視する全身鎧。そんな奴が唐突に現れた。まるで最初からずっとその場にいたかのように、透明状態だったのを解除したかのように。
「――――!?」
『フム、コノ馬達ハ少シ毛並ミガ悪イヨウダナ。アマリ良イ餌ヲ貰ッテイナイノカ?』
そう言いながら全身鎧は、のんびりと馬の身体を撫でていた。馬達は気持ちよさそうに目を細めている。まるでずっと前から、そうして貰っていたかのように。
『黒騎士』の名の通り、一切の光を反射しない果てしなく真っ黒な鎧姿だった。その全身鎧は漆黒だった。いや、漆黒という形容はこの全身鎧のために造られたのではないかとさえ錯覚する。
どう見ても人間ではない、魔物である。だがそいつは、普通の魔物とはケタが違う。比べ物にならない程に危険で邪悪な、底知れぬ恐怖と絶望の権化。
断言できる、彼こそがグヌヌェット村を襲った全ての元凶なのだと。
「ユーたんリコたん逃げて!」
ヴァイスは叫んだ。既に後ずさりしていた優汰と莉子は、いっせいに村の中へと逃げていく。魔物をすべて退治した今、むしろそこのほうが安全だろう。
2人を見送って、ヴァイスとルリララはそれぞれ武器を構えた。黒騎士に立ちはだかりつつ互いに目配せをしあう。
「おい魔法剣士、あいつは一体何者なんだ?」
「<黒騎士 バルディオン>。名前くらいは聞いたことあるでしょ」
ルリララの問いかけに、ヴァイスは冷静に答えた。その名に心当たりがあった彼女は、らしからぬ動揺の色を見せる。
「おい、それってまさか悪魔将のことか。あれってただの伝承じゃ無かったのか!」
魔物は基本的に『○○魔』という名前で、より凶悪なものには頭に『悪』が付く。それが原則だ。
だが例外がある。悪魔将と呼ばれる者たちは、魔物の中でも最上位に位置する、いわば魔王の精鋭のような存在だ。
黒騎士もその1人である。かの剣撃は大地を裂き、山を崩す。ありとあらゆる武術と体術を極め『戦神』と恐れられた、漆黒の鎧を身にまとう誇り高き伝説の悪魔将。人々や亜人にはそう語り継がれている。
実際に垣間見た者などまずおらず、文献にも僅かに記述がある程度。ルリララも幼い頃に、牙猫族の長老からおとぎ話として聞かされただけだ。
剣聖ヨルテスが活躍していた時代にはその存在が確認されていたという。何であれ、そう簡単に出くわしていい相手ではない。
「間違いないよ、忘れる訳が無い」
「悪魔将だぞ。何で知ってるんだ」
「僕の主は、かつて黒騎士に殺されたんだ」
ヴァイスは苦々しげに言い放った。語尾に若干の苛立ちが混ざっている。
「んな奴がどうしてこんな所に」
「知らないよ。観光目的?」
さらりとヴァイスは過去を話しているが、そんなものに構っている場合ではなかった。
ルリララは素早く頭を回転させる。野生の勘が正しければ、黒騎士は相当な実力者だ。呼吸の継ぎ方やちょっとした挙動から察することが出来る。
もしルリララだけの単独行動だった場合、やられそうになったらさっさと尻尾を巻いて逃げてしまうだろう。あの全身鎧は相当に重そうだから、ヴァイスでも楽に逃げおおせるだろう。
だが次は? 逃げおおせたところで、結局その後どうなるか。答えは明らかだ。黒騎士がエリシア城を襲わない保証などない。1番の問題は優汰と莉子だ、襲われてはひとたまりもない。
つまりこの悪魔将を今どうにかしないと国も勇者も滅亡する。どうにかする手段は一切ない。エリシア王国には沢山の兵士や騎士や傭兵がいるだろうが、おそらくその誰もが黒騎士の足元にも及ばない。
というかそもそも黒騎士なんて伝説の魔物が、悪魔将が白昼堂々に襲ってくること自体ある意味反則に近い。はっきりいって出くわしたこと自体、運が悪いとしか言いようが無いだろう。
間違いなくこのままでは、1日足らずでエリシア王国は滅亡する。ただ繰り返すが、どうにかする手段は一切ない。完全に詰んでいる。
「もう1回聞くけど、アイツ本物の悪魔将なんだよな」
「間違いないよ」
やれやれとルリララは頭を掻く。彼女を含めたヒトや亜人にとって、悪魔将は単なる伝承に過ぎないのだ。
一週間前のルリララなら、迷いなく逃走を選んでいる筈だ。だが今の彼女には守らなくてはならないモノがある。優汰と莉子を護るため、引く訳にはいかない。
「どうすんだよ魔法剣士、打つ手なしか」
「どう足掻こうとも、絶望のイメージしか浮かばないなあ」
「あのな」
『雑談ハ済ンダカ』
黒騎士は背中に背負った大剣を抜いた。巨大なそれはどう見ても、武器とかそういうのを超越している。鍛冶場で使う金属切断のための重機械と言った方が、よほど納得できる。
その大剣を構え、横一線に勢いよくなぎ払ってきた。
「うおっ!?」
すんでのところで回避に成功するヴァイスとルリララ。重厚な全身鎧をまとうその姿からは想像も出来ない程に、速くて鋭い斬撃を放ってきた。外見どおりのスピードを想定していたなら、今頃2人の身体は真っ二つになっていただろう。
黒騎士は返す刃で、ルリララを逆袈裟に斬り上げる。今度もすれすれで回避、かわすのに精一杯で反撃の余裕は全くない。
『小動物ヲ、イタブル趣味ハ無イガナ』
「ざけんな、アタシは牙猫族の戦士だ。つーかお前何なんだよ」
黒騎士の上背は3m近くに達している。鎧の厚みも半端ではなく、とくに腕回りの太さはそこらの木々を完全に上回っている。そいつと比べるのなら、ルリララなど子猫と大差ない。
『何トハ? 儂ハ単ナル悪魔将ダガ』
「その天下の悪魔将さまが、なんだってこんな村を、直々に襲いなさったんだ? 罪のない村人や兵士を何十人も殺して!」
『ナニ、タダノ観光目的ダ』
「クソが!」
悪態を吐くも、ルリララの表情に余裕はない。今の攻撃で黒騎士が、完全に格上なのを把握した。パワーも戦闘技術も、黒騎士の方が遥かに勝っている。ならば搦め手で攻めるしかない。ただの搦め手では駄目だ、それこそとんでもなく突飛で常識外れなものでないと。
ふと隣から魔の圧力を感じた。間合いを測っていたルリララは目をそちらにやった。
「・・・・・――――」
「おい、魔法け」
ヴァイスは魔法詠唱を始めている。虚ろで生気が感じられず、ただ黒騎士の姿だけをその瞳に映していた。
「おい早まるな!」
ルリララは嫌な予感がして、制止させようと手首を掴む。だがヴァイスはそれを乱暴に振り払う。普段の彼からは、想像もつかないほど鬼気迫る様相で。
ゴオッッ!!
剣から炎渦が迸った。みるみるうちに巨大なエネルギーが集まり、一瞬で周りの草木を焼かんとする勢いにまで成長する。飛散する火花にルリララは顔を庇った。
「フレア・バースト!」
ヴァイスは爆炎に包まれた剣を突き向けた。炎は超高熱エネルギーの弾丸となって、黒騎士へと襲い掛かっていく。
『フム』
兜から覗く双眸がギロリと光った。轟音と共に押し寄せるそれを、黒騎士は冷ややかに見つめる。そして無言で大剣を真横に構え、ブンと横に薙いだ。その勢いで一瞬にして、強烈な爆風が発生する。
次の瞬間ルリララは驚愕した。なんと炎の矛先がベクトルを変えた。黒騎士は大剣を振るったその風圧だけで、ヴァイスの魔法を押し返したのだ。
「があっ……!」
風圧に吹き飛ばされて岩に打ちつけられ、更に反射された自分の炎が襲いかかる。ヴァイスの姿が、燃えさかる火炎の中に消えていく。
「ヴァイス!」
ルリララは叫んだ。だが炎の中からの返事は帰ってこない。助け出そうにも、ますます勢いを増していく灼熱の火柱に近づくことすら出来ない。
『期待外レダッタナ』
黒騎士はただそう呟く。ルリララはそれに否定も肯定もしなかった。
死を想った。ヴァイスと自分自身に。
悲壮感は無かった。勇者パーティに加わった時点で覚悟は済ませていた。逃げるという選択肢は無いのだ。むろん勝手に死ぬことも許されない。
黒騎士の目的はどうだっていい。ルリララは身を呈して、勇者を守らなくてはならないのだから。決意を胸に、黒ずくめの姿をキッと睨みつける。
「(莉子は何か察してたのかな……)」
思い返せば鍛錬所にいた時から、莉子は何かしら勘付いていた様子だった。その時点に分岐点があったのだろうか。
『サテ、モウ一匹ヲ始末スルカ』
「……おいおい、動物虐待は嫌いなんだろ?」
『アア、嫌イダトモ』
黒騎士は淡々とした口調で話しながら、おもむろに大剣を振り上げた。
『ダカラ、苦シマヌヨウ逝カセテヤロウ』