6話 異世界side 退治
「まだ向こうさんは気付いてないね。というわけで奇襲を仕掛けよう」
ヴァイスは優汰たちと数人の兵士を連れて、魔物たちの死角となっている草むらに隠れた。ここからならば攻め込んでいくのも容易いだろう。
ルリララは馬車を出るなり単独行動。違う場所から攻撃を仕掛けて、魔物たちの注意を引きつける囮の役目だ。
「奇襲?」
「普通は敵の数とか戦力とか、そーゆうの色々調べるモノだけど、今は切羽詰まってるからねー」
ヴァイスはヒソヒソ声でそう言った。襲撃の知らせを受けてから30分以上が経過している。おそらく既にもう、村には甚大な被害が発生していることだろう。1人でも多くの命を助けるためには、あれこれ悠長なことをしている暇などない。
「今から突撃するから、絶対に、僕や兵士とはぐれちゃ駄目だよ」
優汰たちはこくりと頷いた。そして兵士たちも。
周りの兵士が持つのは、身体を全て覆い隠す巨大な金属盾。攻撃はほぼ全てヴァイスに任されている、兵士の役割は勇者を徹底的に守り抜くことだ。
予定では優汰と莉子には、離れた安全地帯から見学してもらう手筈だった。だが魔物の数が想定よりかなり多い。懐に置いておけば、万一の事態にも対応できるだろう。
「オーケイ、じゃあ行くよ」
言うやいなやヴァイスは草むらから飛び出して一直線に駆けていく。そして村の入口のところで見張りをしていた2体の<石魔>を、目にも止まらぬ斬撃で切り裂いた。
絶命する寸前に<石魔>は耳をつんざくような叫び声をあげた。岩や木々や民家の影から、わらわらと現れる異形の群れ。村中に響き渡る断末魔が、ぞくぞくと魔物たちを呼び寄せる。
遠くからルリララの咆哮が聞こえてくる。彼女もいま、激しく暴れ回っているのだろう。
「――――はあっ!」
襲い掛かる魔物の群れを次々と斬り伏せていくヴァイス。魔法は使わない、詠唱はスキが大きいからだ。かわりに圧倒的な剣の実力でなぎ倒していき、どんどん数を減らしていく。
その姿に兵士達すら見惚れた。魔法も剣術も超一流。その域に達するために、一体ヴァイスはどれだけ修業を積んできたのか。洒落や冗談などではない、生半可な道義心でもない。歴代の勇者に勝るとも劣らない、本物の信念と実力があるからこそ、彼は勇者パーティに加わってきたのだろう。そう感嘆させるだけの強さだ。
「相当な数だねえ」
こんな状況だろうとヴァイスは暢気な声である。
視界に入るだけでも魔物は数十体にのぼる。ルリララのほうにもかなりの数が集まっていることを考慮すると、総数は3ケタを超えるのではないか。事前情報とはまるで違う。
バリエーションも豊富この上ない。<土魔>、<石魔>、<悪辣魔>、<剣魔>、<悪面妖魔>……。
どちらを向こうと、牙を剥き出し血走った眼で爪を尖らせた魔物まみれである。前方は魔物、後方も魔物、左右どちらも魔物。地獄絵図という言葉がこれほど相応しい空間もそうあるまい。目の前に広がる光景は、まさにそのもの。
だがヴァイスに恐怖はない。もとよりその発想などない。魔物の数が多かったのは想定外だったろうが、どのみち全滅させてしまえば問題ない。
「(リーダーがいる筈だよね)」
闘いながらヴァイスは、冷静に戦場を見据えていた。
魔物のくせに妙に連携がとれている。これだけの数が、ただ自然発生的に集まったとは到底考えられない。何処かに元締めがいて、そいつが魔物たちを村に呼び寄せたのだろう。
そうならば魔物の種類が豊富なことにも説明がつく。これだけの数を束ねているのだ、指揮官も相当な実力者なのだろう。
魔物が徒党を組んで襲撃するというのは、さして珍しいことではない。だが軍隊の様に統制を取って行動するというのは、ここ数百年の歴史を紐解いてもそうそう見当たらない。
ヴァイスは目を細める。今くり広げられているのは、これまでの常識が通用しない戦いだ。
だとするとルリララが単独行動をとっているのはやや失敗策か。何らかの形で早めの合流をはかる必要があるだろう。狼煙でも上げて合図するか――。
「(……ん?)」
戦場のさなかでふと優汰は、家屋の傍でうずくまっている子供を見つけた。その辺りには魔物がいないから、今なら助けられるかもしれない。そんな考えが優汰の頭によぎった。
ヴァイスは一瞬だけだが、思考の迷路に閉じ込められていた。激戦のさなか、優汰たちから一瞬だけ意識が逸れていた。
だから、優汰が思いがけずその子供のほうへ駆け寄ったのを、ヴァイスは見逃してしまった。
「おい大丈夫か、しっかりしろ!」
優汰はしゃがみこみ、子供の肩をゆすって呼びかける。
子供の首は、ダランと揺れた。
「あ……」
その子供は、既にこと切れていた。首の骨が折れているのが死因だろうが、よくみると体中の関節がありえない方向に曲がっている。
5歳くらいの男の子なのかな、と優汰はぼんやり思った。この位の小さな子供が公園で遊び回っているのを、優汰はよく見かけた。同い年くらいの子と鬼ごっこやかくれんぼをしていたり、父親とキャッチボールをしていたり。
莉子と商店街で買い物をしている時などにも、駄菓子屋の前で駄々をこねている子供をよく見かけた。それで母親が呆れてどこかへ行ってしまうと、半ベソをかきながら追いかけていっていた。実に微笑ましい光景だった。
それが、こうも違うのか。
元の世界と、こっちの世界。生まれた場所が違うだけで、こうも運命は変わってしまうのだろうか。
ガルルルルッ
唸り声が聞こえる。
いつの間にか優汰は囲まれていた。二足歩行の狼のような魔物3匹が、じりじりと包囲網を狭めている。
喉元に喰らいついて、息の根を止めて、みたいな文章が優汰の頭によぎった。
まるで現実感のない光景。自分が死ぬ寸前の立場におかれて、けれども湧かない実感。
つい数年前にも似たような状況はあった。だがそのときは、単純に相手を斃す悦びしか感じなかった。小難しいことは一切考えずに、ただ闘って連中をぶちのめすことだけを、屑みたいに愉しんでいたあの頃。
あの事件がきっかけで、優汰と莉子は……。
「破っ!」
優汰の意識は現実に引き戻された。
きらめく刃が右から左へと軌跡をたどる。魔物3匹の胴体が、上下にぱっくりと分かれた。
「ヴァイス……」
「ユーたん怪我はない?」
倒れた魔物を踏みしめて歩いてきたのはヴァイスだった。いつも通りのにこやかな笑みを浮かべて、優汰のほうへと手を伸ばす。
「駄目だよユーたん、はぐれちゃダメって言ってたのに」
「……悪い」
全身返り血で紅く染まっているヴァイスに、申し訳なさそうに優汰は謝る。
「なあヴァイス」
「なーにユーたん、もしかしてトイレ?」
一瞬の沈黙の後、優汰は意を決して問いかけた。
「俺って必要なのか?」
「必要だよ」
即答。ヴァイスは至極当然とばかりにそう答える。
「この世界で、俺に救える命なんてあるのか?」
「もちろんあるよ。ユーたんとリコたんは、絶対にいなくちゃいけない」
「なんでだ?」
「勇者だから」
「……」
優汰はこれ以上、話を続けることが出来なかった。ヴァイスの言っていることの真意が、よく理解出来なかったからだ。
はたして『勇者』というたった2文字が、この世界でどれだけ偉大な意味を持っているのか、その2文字にどれだけの人々が救われているのか。優汰には理解できない。自分がそれだけ価値がある存在だと、優汰にはどうしても思えなかった。
「優汰……」
心配そうに見つめる莉子。彼女にも、心配掛けてすまなかったと、優汰は詫びた。
「向こうは全部片付けた。そっちはどうだ」
「ざっとこんなモンさ」
村中を見渡す限りに、累々と転がる屍の群れ。200匹近くもの魔物を屠ったのは他ならぬヴァイスとルリララだ。
今この場にいるのは優汰たち4人だけ。兵士たちは魔物や村人の生き残りがいないか探索をしている。
「ユーたんも1匹しとめたんだよ」
「へえ。感想はどうだい勇者様」
「大したこと無かった」
本当のところは、がむしゃらに振り回していた槍が、たまたま魔物の急所に当たっただけである。そう優汰は伝えた。
「構いやしない。偶然だろうが経験は経験だ、そのうち強くなれるさ。莉子はどうだった」
「リコたんはー、何と13匹も仕留めたんだ」
「何だよ、ビビってた割に上々の成果じゃねえか」
よく見ると減っている矢の本数はきっちり13本。全発必中で敵を仕留めており、その点に関してもルリララは褒めた。
「しっかしユーたんリコたんの初陣がコレなんてね。なにかディスティニーがあったりして、どう思うルリたん」
「知るか。まあ確かにこの魔物の数は異常だがな」
とにかく、と前置きしてルリララは立ち上がった。
「城から増援を呼ぼう。生き残ってる村人がいるかもしれんし」
4人は馬車を隠している森の中へと歩いていった。
「? 御者は?」
辿りついたそこには誰もいなかった。御者のほかに、数人の兵士も待機していた筈なのだが。いるのはのんびり草を食んでいる馬3頭だけ。
「なあ、大丈夫か莉子」
優汰が心配げに問い掛ける。莉子の顔色は、この村に来る前より更に悪くなっていた。まるで病人のような青白さだ。
「ここは駄目。逃げ、ないと……」
「えっ、いやでも、魔物共はヴァイスとルリララが全部倒してるから」
「違う、まだ、いる。 ……嫌な、予感がするの」
喘ぐように、か細い声で途切れ途切れしゃべり続ける莉子。その表情には焦りがあった。
「そういや兵士を見てないな」
ルリララは気付いた。ここまで歩いてくる間、兵士の誰1人ともすれ違うことが無かった。さっきから村中を探索している筈なのに。
莉子が言っている嫌な予感を、徐々にだが全員が共有しつつあった。自分たち以外の、人の気配がまるで感じられない。
『残念ダナ。全部斬ッチマッタヨ』
突如。地底の底の底から唸るような、低い無機質な男性の声が辺りに木霊した。その声にヴァイスは敏感に反応する。
「まさか、黒騎士……?」
そう茫然と、ヴァイスは呟いた。