4話 異世界side 「じゃあユーたんも一緒に来る?」
「ジルハさん、すみません遅れちゃって」
噴水広場の一件があって、予定より少し遅れて到着した優汰たち。1人は申し訳無さそうに、2人はごくマイペースに、もう1人はしかめっ面で施設の中に入ってくる。
ここはエリシア城内にある兵士たちの詰め所の、そのすぐ傍にある鍛錬所だ。さすがに大聖堂ほどではないにせよ、それでもかなりの広さである。周りでは十数人ほどの兵士達が、模擬戦闘や腹筋腕立て伏せなどを上官の指示のもと行っている。
優汰と莉子がエリシア王国に召喚されたのはちょうど1週間前。当然と言えば当然だが、ただの高校生だった2人には戦闘経験などまるでない。そのため本格的な勇者活動をする前に、武器の使い方や戦闘のイロハを教えてもらっているのだ。
ちなみにヴァイスとルリララはその間、別の部屋で自主トレーニングに励む。たまにヴァイスは魔法学を、ルリララは筋力トレーニングを指導したりする。
「お待ちしておりました勇者様。ささ、こちらで用意して下さい」
「ユーたんリコたん今日も頑張ってねー」
暢気にそう言いながら、ヴァイスは自分の部屋へ移動していく。ルリララもつっつと足音を立てずに出ていった。
「ぜぇ、ぜぇ……」
「勇者様、まだまだ訓練は始まったばかりですぞ」
そして優汰と莉子の訓練が始まった。開始から30分足らず。早くも床に倒れこみ、酸欠状態で必死に空気を求める優汰。教育兵長のジルハは彼の腕を引っ張って立たせ、訓練を再開させようとする。
「(やれやれ、向こうの莉子殿は優秀なのだが。優汰殿はどうも不熱心だ)」
心の中でジルハはそっと呟き、彼女のほうを見やった。
優汰からほど近い場所にある的場で、莉子はキリキリと弓を引き絞っている。ビュンという轟音と共に放たれた矢は寸分の狂いもなく、黒点の中央に吸い込まれていった。
エリシア王国。現在はエリシア33世が統治するこの国の起源を語るには、ヨルテス召喚からさらに歴史を遡らなければならないだろう。
その頃の魔王は今よりはるかに脅威の存在だった。勇者など存在しない時代。力なき者は虫ケラのように死んでいった。力ある者は一抹の希望を信じて魔物に向かっていき、結局死んでいった。
ヒトも亜人もみな等しく、滅亡への道を歩んでいた。魔王の勢力は少しずつ確実に広がっていく。誰もが救いを諦めていた時代であり、誰もが絶望を受け入れていた時代だった。
だが彼は違った。後に剣聖エリシアと讃えられる彼は違った。熱き魂と優れた肉体の持ち主だった。魔王を憎み平和を望む正義の心を胸に秘め、剣をふるい戦場を走り抜けていった。
圧倒的な力で魔物をなぎ払うエリシアの活躍は、暗く闇に沈んだ人々の心を照らしていった。
エリシアの元には沢山の者が集まっていった。種族も身分も問わず、ときには他国の王族すら彼の元へとつどった。エリシアはその短い時代における、人々が信じるに値するべき希望となったのだ。
いわば規格外の輝き。エリシアはこの後に連綿と続いていく長きにわたる戦乱の、歴史の流れを決定づける絶大なる存在へとなっていった。
……もっとも勇者が召喚される術式が作られてから、彼の功績は少しずつ色褪せるようになってきたが。
「優汰、疲れたんだったら休憩しよ」
百本以上の矢を全て目標に命中させた莉子が、桃色の髪を揺らしながらそばにやってきた。手にはフルーツのしぼり汁が入った杯を持っている。
それを受け取った優汰は、縁を口にもっていきガブ飲みした。よく冷えていておいしい。強い甘みとほのかな酸味が、疲弊した身体をいやしていく。
「んくっんくっ……」
「優汰ってばいい飲みっぷり」
そんな彼を莉子は愛おしげに眺めている。他の誰でも無い、優汰にしか向けられることのない純愛の視線だ。
「……ふぅ。しかし何だ、こう訓練ばかりだとイヤになってくるな」
「そうかな? 私は楽しいよ、優汰と一緒にいられるし」
莉子はちょこんと首をかしげる。その可愛らしい仕草に不覚にもときめいてしまった優汰は、軽く咳払いをしてから話を続けた。
「いやまあ訓練もいいけど、流石にずっとだと飽きるなって」
周りの兵士に聞こえない小さな声で、優汰はそう不平を洩らした。2人はこの世界に召喚されてから1週間が経つのだが、未だにただの1度も街の外に出たことがない。こっちの世界に来ている時はほとんどずっと、戦いの訓練ばかりをさせられているのだ。
彼とて頭では理解している。街中ですら先ほどみたいに物騒な輩がいたりするし、それこそ一歩外に出れば凶暴な魔物が跋扈しているらしいのだから。
だがそれとこれとは話が別だ。天才肌らしくすぐに弓術をこなしている莉子と違い、いつまでたっても上達できない優汰。不満を感じるのも仕方ない。
さっきまでもずっと基礎体力作りのメニューをやらされていた。昨日はそれに加えて剣の構えのフォームについても口うるさく注意された。おとといも大体そんな感じ。きっと明日も明後日も同じようなことをやらされるのだろう。
それが嫌だという訳ではない。ヘトヘトになるまで運動するのも気持ちいい。ただそんな非日常は、優汰にとってあまりにも退屈過ぎるものだった。
「異世界に召喚されたんだぜ、もっと色々したくないか?」
「色々って?」
「ほら、俺たち城から出たこと無いじゃないか」
「うーん、確かにそうだね」
莉子も同意する。
「街の外とか行ってみたいし、それに魔物がどんな奴なのかってのも一応知っときたいし」
「じゃあユーたんも一緒に来る?」
「うおっ!?」
びっくりした様子で後ろを振り向く。いつの間にか背後に潜んでいた、いつもの派手なローブ姿のヴァイス。呆気にとられている優汰の杯をひょいと奪うと、残りの果汁を全部飲み干してしまった。
「人のを勝手に飲むな!」
「じゃあユーたんも一緒に来るんだね?」
「勝手に話を進めるな!」
しれっとした表情でヴァイスは応える。彼には何を言っても柳に風なのだろう。
「それで行くって何処なんだ?」
「村~」
「村って何処の?」
「ドコだと思うユーたん」
……完全にからかってやがるな。目を細める優汰。
「だから何処だって聞いてるんだ」
「えっ、何のこと。それよりユーたん兵士のヒゲは」
「だから!」
優汰が文句を言おうとしたら、莉子が間に割って入った。そしてヴァイスの顔をじーっと見上げる。
「その村は城からみてどの方角にあって、どれだけ距離があって、どういう地形なのか、何故その村にいくのか、その村で具体的に何をするのかを聞かせてほしいなー」
莉子は矢継ぎ早に、質問を簡潔に並べた。優汰には真似出来ない所業だ。
一瞬だけヴァイスはきょとんとした表情になったが、すぐに気を取り直して説明を始める、訳がない。
「うっは流石だなーリコたん。勇者パーティを纏め上げるにはやっぱりリコたんの頭脳が必要だよ! やっぱり」
「うっせえ不審者」
調子に乗っているヴァイスの頭に小さな拳骨が降り注いだ。
「酷い、ルリたん酷い。痛い痛い」
「うるせえ! アタシが説明するから黙ってろ!」
そんなんじゃ嫁に行けないよー等とヴァイスはぶつくさ言う。青筋をピクピク立たせながらルリララは解説を始めた。
「(イライラ……)今から行くのはグヌヌェット村ってところだ。こっから南西に、十麻ほど街道を進む。移動には馬車を出すそうだ」
「発音しにくそうな村でしょ~」
「るせ! この村がついさっき、魔物に襲われたという報告があったんでな。アタシとこの魔法剣士で向かう予定だったんだが、来るのか?」
報告によると、襲ってきた魔物の数は10匹足らず。初陣にはおあつらえ向きだろう。
渡りに船とはこのことか。優汰は特に考えずに二つ返事で承諾した。
一方の莉子はさほど乗り気でない様子。話の途中から、だんだん渋い顔になっていた。
「あっれーリコたんは微妙?」
「ねえ優汰、本当に行くの」
何かの返事をねだるような視線でじっと優汰のほうを見ている莉子。
「莉子、いやなら留守番しとくか?」
「……ううん、優汰と一緒にいく」
どうにも莉子の様子が優れない、優汰はそう感じた。普段の明るい彼女らしからぬ態度だ。
「大丈夫だって、僕とルリたんが魔物全部やっつけちゃうから。ユーたん達は見学するつもりで来ていいよ! 何事も経験経験」
ヴァイスにそう言われて、ようやく納得した莉子。それでも不承不承といった感じだが。
馬車はすぐに用意された。内側を金属で補強してある頑丈なもので、その上からエリシア王国の紋章が縫われた幕を張っている。
時は一刻を争う事態、すぐに装備など必要なものが詰め込まれていく。優汰と莉子とヴァイスとルリララの4人は、十数人ほどの兵士と共にエリシア城を後にした。
――――優汰は失念していた。
世の中に絶対は無いということを。嫌という程に思い知らされた、かつての己を。