3話 異世界side 猫耳少女
この異世界には、大きく分けて2つの国がある。
1つは大陸南部の広大な砂漠地帯を支配する『白砂の国』。元々そこは、ヒトや亜人による小さな部族が点在しているだけの辺境地域だった。やがて魔物への脅威に対抗するために、寄り集まって1つの国になっていったという。今でも沢山の種族がごった返していて、さまざまな文化が混在している地域である。
そしてもう1つが大陸の中央部にある、優汰たちの召喚されたエリシア王国だ。豊かな自然と肥沃な土地に恵まれており農耕が盛んで、さらに経済や工業技術などもそれなりに発展している。かつては大小様々な国家がひしめく地域だったのだが、後述するとある事情によって次々と吸収合併されていった歴史がある。
またエリシア城付近の街は多くの人口を抱えているが、白砂の国とは違いほとんどがヒトである。亜人は自然を愛する種族であり、彼らの多くがヒトの手の掛かっていない奥地に棲んでいるためだ。
「テメー、ざけんじゃねーぞ!」
そのエリシア王国の中心部ともいえる大聖堂の、すぐ正面にある噴水広場から男達の怒声が鳴り響いた。ただならぬ気配を察した住民は、巻き込まれないようにその場から距離をとる。
ヨルテス教のお膝元たるこの街の治安は、エリシア王国においてわりと良い方である。
とはいえ人と人が集まると、どうしても諍いなどは起こってしまうものだ。普段ならばさして気に留められないもの。大抵は口喧嘩までで終わるし、殴り合いになっても巡回の兵士が止めに入る。
ただし今回は様子が違った。武装した傭兵の男達3人が、1人の少女を取り囲んでいるのだ。
この世界における傭兵の仕事は9割9分9厘、魔物に関連するものだと言い切っていい。街から街へ移動するキャラバンを魔物から守ったり、魔物に襲われた村へ救援にいったりなど。
危険ゆえに成り手が少ない職業であり、競争相手がいないため高圧的な態度をとる輩は多い。というかほぼ大半がそうだ。
「あぁ、やんのか!」
「舐めてんじゃねえぞ」
「クソネコが、ブッ殺されてえのかコラ」
どうやらこの男達3人は、そういった暴力的な傭兵の典型例らしい。
事の始まりは些細なことだった。傭兵の1人の肩にぶつかった少女が、謝りもせずに通り過ぎるのが気に食わなかった。さらに数日前の荷物運びの仕事で、雇い主にケチをつけられ報酬を減額されたこともあり彼らは苛立っていた。
優汰たち勇者が召喚されたことによって、エリシア王国や白砂の国における傭兵業界の状況はかなり変化している。まだ優汰たちは大きな活躍をしてはいないものの、やはりその威光は極めて大きい。しょせんは一般人でしかない傭兵への風当たりは、元々の悪評も手伝い日増しに強くなっている。
この亜人のガキで鬱憤を晴らそう。脅して金品を奪って、ついでに裏の安宿に連れ込んじまえ。そんな下卑た欲求から少女に因縁をぶつけた。だが少女は恐れるどころか平然と反論していったのだ。言い争いはどんどんヒートアップし、初めは軽く怒鳴りつけるだけだった彼らも、青筋を浮かべいまや手が出る寸前にまで達している。
「クソ野郎」
少女は口を開いた。
「汚ねぇツラ見せんじゃねえ。ざけんなだぁ? 喧嘩吹っ掛けたのはテメーらだろうがビチクソ。アタシは忙しいんだ、テメーらクソ共に構ってる暇はねーんだよ!」
透き通った美しい声とは裏腹に、放たれるのはとんでもない罵詈雑言だ。少女自身も相当苛立っている様子で、退く気配は一切ない。
「ガキっ……!」
相手は女だということで多少は押さえていただろう傭兵達も、今の言葉で怒りがついに頂点へと達したようだ。おのおの剣やら斧を取り出すと、一切の躊躇なく襲い掛かった。
すでに相当な数の人間が集まっているのである。仕事柄ナメられたらおしまいだ。ここで引き下がっては彼らの沽券にかかわるのだろう。
だがそれは、彼らの致命的な判断ミスだった。
「先に手ェ出したな。なら正当防衛だよな」
怒り狂った彼らを前にして不敵に笑う少女。皮の腰巻をめくり上げて太腿に手をやり、バンドに差し込まれたものを取り出す。
それは尖った骨だ。草原に生息する肉食動物の骨を、ニードルのように鋭く尖らせたもの。少女は得物であろうそれを逆手に持ち、傭兵達に向かって一直線に駆けてゆく。
「なっ……」
傭兵達は驚愕した。速い、尋常ではない速さ。瞬く間すらないうちに少女が距離を詰める。人間にとって常識外れのスピードで、傭兵達の足元に潜り込んでいく。
ッ!
先頭にいた傭兵の踵骨腱が切り裂かれた。だが切断音が鳴り響く前に、更に少女は目にも留まらぬ速さでその傭兵の顔にハイキックをかます。無精髭の悪人面がぐしゃりと歪んでいく。
倒れこむ男を踏み台にして、少女は次なる傭兵へと拳を突き出した。そいつは鼻っ柱をぶん殴られ、吹っ飛ばされて数mほど転がっていく。レンガ壁にぶつかった2人目の傭兵は呻き声を上げて、それきりピクリとも動かなくなった。
それらは戦闘開始から僅か、1秒足らずのうちに全て完了していた。
「残りはテメーか」
あっという間に2人の大男をのした少女は、最後の傭兵へと目を向ける。その僅かの間に彼は、まるきり戦意を喪失していた。いかつい悪人面がうつろな目で口を開け、頬は引き攣りだらしなく鼻水と涎を垂らしている。
無理もないだろう。当の傭兵達は、攻撃はおろか彼女の影すら捉える事が出来なかったのだ。
「ま、待っ」
「待たねえ。ぶん殴る」
男の嘆願も虚しく、大股で近づいていく少女。
「その位でいいじゃん、ルリララ」
後方から声がした。呼ばれた少女は興を削がれたような雰囲気で振り向く。
声を掛けたのは莉子だった。隣に並んでいるのは優汰とヴァイスだ。
「勇者様かい。不細工なモン見せちまったな」
「別にいい」
優汰はややぶっきらぼうに答える。そんな彼の様子を見て、ルリララと呼ばれた少女は機嫌が悪そうに鼻を鳴らした。
ルリララ、外見は10代前半といったところか。濡れ羽のように美しい黒髪は、腰の辺りまで長く伸ばされている。活発そうな服装に似合わず、透明感のある白くてキメ細やかな肌。身長は莉子と比べると、少しだけ低めといったくらいか。
よくよく見ていくと彼女はかなりの美少女だ。やや幼さが残るとはいえ、すっとした顔立ちと女性的な丸みを帯びた身体のライン。街を歩けば誰もがハッと、通り過ぎていく魅力的な後ろ姿に、思わず見惚れてしまうことだろう。
しかし先程の乱闘を見ていなければの話だが。物憂げそうに半開きな瞳も、可愛らしい口元から覗く鋭い八重歯も、そのじつ虎視眈々と獲物を狙う肉食獣そのものである。
そうルリララはヒトではない。彼女はワーキャットと呼ばれる亜人の一種。頭の上にちょこんと付いているネコミミが何よりの証拠だ。
彼女の生まれ育った故郷は、大聖堂からみて東部にある広大な樹海。ルリララはその森の集落に住んでいる、牙猫族の女戦士である。
「ルリララちゃん可愛いーゴロゴロ」
「おい莉子。離せって、喉をくすぐるな」
そんな彼女に莉子はぺたぺた身体をくっつけていく。口ではモゴモゴ文句を言っているが、ルリララもまんざらでは無いようだ。
十数分後。
駆け付けた兵士によって、傭兵達はしょっぴかれていった。街中で、大聖堂のすぐそばで、しかも勇者の仲間に喧嘩を吹っ掛けたのだ。よくて絞首刑といったところだろうか。
一方のルリララは軽い質問を受けたのみ。もともと騒動の発端は傭兵達だし、なにより彼女は勇者が認めた仲間なのである。罰せられよう筈が無い。
ルリララもまた勇者パーティの一員である。召喚当日、たまたま街に買い物に来ていた彼女を、可愛いもの好きな莉子が強引にパーティへと引き込んだのであった。
その結果として彼女は毎日、ここ噴水広場にて優汰達と待ち合わせをしているという訳だ。そして今日はたまたま運悪く、ガラの悪い傭兵に絡まれてしまった。まあ本当に運が悪かったのは傭兵のほうなのだが。むろん同情の余地など欠片もない。
「それにしてもルリたんは強いなー」
「見てたんなら手伝え、優男」
ジロリと睨みつけられるヴァイス。串刺しのような視線を平然と受け止めつつ、手に持っている氷菓子を口元へと運ぶ。
「見てた見てた。下着チラとか胸チラとか、見逃さないよう眼を皿にしてたもん」
「テメーも殴られたいのか。よし解かったブッ飛ばす」
干し肉を食いちぎり、これ見よがしに指の骨をコキコキ鳴らし戦闘態勢に入るルリララ。
「ところでその干し肉セット、中にゴールドシール入ってない? あと1枚集めたらお皿が貰えるんだけど」
「話題逸らすんじゃねえ。左ストレートでブッ飛ばしてやるから覚悟しろ」
「おい、また暴れる気か」
険悪な雰囲気になりつつあるルリララと、どこ吹く風と言わんばかりのヴァイス。そんな2人の間に優汰が割って入った。
不服そうに武器を納めるルリララ。彼女はヴァイスをかなり毛嫌いしているようだ。どこからどう見ても、性格があまりに水と油なので、仕方が無いと言ってしまえばそれまでだが。
「そうだよールリたん。僕たち仲間じゃないか」
「何が仲間だ胡散臭え。ったく早く城に行こうぜ」
すっかり興醒めな様子のルリララ。さっきまで逆立っていた尻尾は小さく萎んでいる。
兵士と話している間に買った菓子などの包み紙を屑籠に捨てて、噴水前のベンチから立ち上がる。やがて莉子はルリララにくっつきながら、ヴァイスは優汰にちょっかいを出しながら、本来の目的地であるエリシア城へと向かっていった。
次話はキャラクター紹介です。