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セカンドオピニオン

作者: 白桔梗

 なんでか急に書きなぐりたくなりました。

 姉からの電話で”パパが喉頭がんで”と言われた時、頭を過ぎった単語は「なぜ?」でした。


 壮年の義兄は喉頭ポリープ切除のため、初診から一月以上、空きベッドを待ち入院したばかり。二日後に簡単な切除手術を受ける予定だったのです。


 担当の若い医師から術前説明を受け、同意書を書け。と言われたらしいのですが、姉、義兄とも「わけがわからなくて……書いていいのか?」と聞くのです。わけがわからない姉から尋ねられても、私はさらにわけがわからない――。仕事を切り上げ義兄が入院している総合病院を訪ねました。


 義兄は明るい表情で「いやいやいやいや、ビックリでさあ」と、それは饒舌とも呼べそうな口調でまくしたて笑うのです。時系列も要点もぶっ飛んだまま、担当医の説明を再現しようと必死です。

 三十分経ち、これでは埒があかないと思った私は、ナースステーションへ行きました。たまたま、勤務中だった義兄の担当看護師と会えました。改めて担当医から説明を聞きたいとお願いすると、すぐに連絡をとってくれました。


 担当医の時間が空くのを待つ間、姉夫婦の言葉は二台の機関銃さながらに私を撃ち続けます。二人とも状況変化についていけてないのです。突然、告知を受けた興奮と、今後への不安、死の恐怖――全てを私に吐き出そうとしているのでしょう。


 義兄は声がかすれて――と、かかりつけの医院を受診し、風邪だろうか? と言っていたのですが、擦れ声(嗄声)が一向に良くならず、市内にある県立の総合病院へ紹介されました。

 初診の耳鼻咽喉科で、良性の喉頭ポリープと即断され、急がなくてもいいからと入院を待たされていました。

「リハビリしている人たちを見学したんだけど、なんだかね――力が抜けて……」


 最後に姉が肩を落として言った一言で、私の怒りは沸点を超えました。

 ――突然の告知と何の予備知識も準備もない二人に、術後のリハビリ風景まで見せつけたのか!


 その状態で担当医と面談と相成ったのです。

 どうにかイメージ出来たのは、簡単なポリープ切除ではなく、喉に五百円玉大の穴が開き、無声になる。人によってはリハビリで徐々に発声出来る可能性もある。だが、唾液はその穴から垂れ流し。食事は流動食で賄い、場合によっては胃に穴を開け、そこからチューブを通して、高カロリーの栄養剤を流し込むという事でした。

 簡単なポリープ摘出手術の前に、組織検査をしたら悪性細胞が検出されたというのです。

 そのため術式が変わり、耳鼻科では手に負えないので、外科の範疇になる。広範囲な組織切除となるため、喉に五百円玉大の――。

 ちょっと待て! 組織検査はするものではないはずです。通院中にされていて当然じゃないの? 裏づけもなくと診断したの? 私の中で、にきび顔の若い担当医への不信感が、大暴れを始めました。


 翌日私は仕事を休み、外科医と向き合いました。外科医は経験豊富な風貌で、今が盛りを匂わせる年代の医師でした。

 手術の方式とその後の義兄がどういうリスクを背負うのか。地方の総合病院で出来るのはここまでです。と、わかりやすく説明してくれました。

 小一時間説明に聞き入ったあと、私が質問したのは以下だけです。


「セカンドオピニオンは可能ですか? どうすれば出来ますか? どこか紹介していただけますか? 自分で探さなければいけませんか?」

 外科医は少し考えたあと言いました。

「T県まで行けますか? そちらに上部がんの専門病院があります」


 ――なんだT県で済むならラッキーじゃん。

 姉夫婦とは前夜きちんと話し合い、私の考えを説明し了解は取っていました。もちろん、必要な協力はするという前提の下で。


 私の交際範囲は広く浅いのですが――狭く深く長く付き合っている仲間の仕事は、医療従事者、救急隊員、生命保険外交員です。前夜、彼、彼女らに電話攻撃をかけ情報と知恵を貰い、外科医と向き合ったのです。


 その日のうちに紹介状やら、CT画像の白黒コピー(普通は画像現物を持たせるらしい)やら――持参資料を頂いて、T病院へ直接連絡をとって頂きました。受診日に合わせ、三人分の二泊三日旅行パックを手配し、義兄の退院手続きも済ませ、さっさと家へ帰ったのです。


 姉と私は一回り以上歳が離れています。姉夫婦の子ども達は遠く離れた地で、まだ学生だったり子育てに追われていたり――。姉の子ども達と仲良く過ごし、子ども達より長く姉の近くに居た私。姉が私を頼るのは自然な成り行きでした。

 とはいっても、姉夫婦は私より活動的で奔放。経験豊富な人生を歩んできました。


 問題があるとすればこの夫婦、私の上を走る世間知らず――いえ、電車に乗ったことがない人種なのです。おまけに義兄はともかく、姉は飛行機は死んでもイヤ! と譲りません。

 私の協力という意味の半分は二人を新幹線で移動させ、無事目的地へたどり着くことなのです。さすがに義兄が病気ですから、長時間のドライブとはいきません。もちろん残りの半分は一緒に治療の内容を聞き、噛み砕いて二人に理解させることですが。


 出発の日、駅までタクシーで向かい電車に乗り、最初の難関が乗り換え新幹線の改札を通ること。

 行きの乗車券、指定券、特急券――必要なものだけをそれぞれに渡し、改札機の前で見本を見せます。


「三枚入れたのに二枚しか出てこない」

 姉が叫びます。

 ――それで正解なの……。


「弁当だけ忘れなきゃいいんだよ」

 義兄が笑います。

 ――えっ? お弁当持参ですか……。


 他人のふりも出来ず、ともかく二人を電車へ誘いました。後が閊えていましたから――他人様にご迷惑をかけてはいけません。

 やがて指定座席に落ち着いて、ほっとして到着時間の説明を始めました。そして発覚した事態に冷や汗をかいたのです。

 二枚しか出てこない券を取ってくるという認識がなかった義兄。本当に弁当だけあればいいらしかった……。

 時計を見ながらホームを走りかけ――刻々と迫る発車時間に諦めました。

 結局車掌さんに説明すると、車掌さんは手にした機械のボタンを弄り――なんなく無事追加金もなく了承されたのです。


 実は私、新幹線より飛行機派です。目的地までの所要時間はさほど変わらなくても(場合によっては無駄に時間がかかるけど)、バカとなんとかは高い所が好き――なのです。

 それでも年に何回かは遠出もしていて、それなりに公共の交通機関に通じていると自負していました。

 T県郊外の病院までの経路図もプリントして、普段ならあまり心配しないのに、次は姉夫婦が何をしでかすかと、内心ドキドキしていたのです。

 義兄の不自然な活気にあてられながら、姉の作った弁当をつつき、二人に大丈夫、大丈夫――を繰りかえし、自らに落ち着け、と、いい聞かせていました。

 無事、新幹線を降りちょっと一休み――とも言っていられません。午前中に受診しなくてはいけないのです。


 ここからは私も未踏の地。T県はあまり馴染みがない場所です。エスカレーターを上がったり降りたりを繰り返し――勾配が急で前かがみ姿勢の姉が転がらないかと心配でした。

 JR、私鉄と乗り継いで、何とか最後の電車に落ち着き、車窓でも――と思ったら、映るのは土色の風景ばかり。

「なんだか、うちらのとこより田舎だね」

「そりゃ、名産が――だけだしね――けど、土地成金は多いらしいわよ」

 素直な姉夫婦の会話を苦笑いしながら聞き流します。


 目的駅で降りるとそこは駅以外何もないところでした。

 それでも病院直通のバスを見つけ、乗り込みました。持参資料の入ったバックを手に、どんな対応がされるのか――いかにもおのぼりさんの三人連れは、十五分程で病院へ着きました。

 地元の総合病院より落ち着いた緩やかな雰囲気の、外来受け付けへ向かいます。

 受付で紹介状を渡し説明された場所は二階の一角。ちょっと古さはあるけど、静かな趣の、口腔食道外科外来。

 やがて名前を呼ばれ姿を消した義兄。しばらく経って招かれた姉と私が対面したのは、地元の総合病院の担当医と、大して変わらない青年医師でした。一瞬不安がよぎります。

 ――ここまで来たのは間違っていたのかしら。

 まだ人生の残り時間が長い義兄。治療は地元の病院で聞いた方法しかないのかと、私は青年医師に尋ねました。

 三十分後、説明された術式や予後は、予想を超えるものでした。


「喉に穴を開ける必要なんてありません。胃と食道をつなぐ必要もありません。声帯も気道も残せます。初期と呼ぶには無理がありますが、末期じゃありません。まだ十分間に合います。治療も大事ですが、その後の生活がどうなるかはもっと大事です。年齢的に十分な体力があるんですから、今と変わらない生活ができる状態を前提に考えましょう。手術後、定期的な経過観察が必要ですが、遠方ですからそちらの病院と並行し、こちらへは最低限の通院をしてもらいます。先に手術日程を決めましょう。早速明日検査もしましょう」


 その夜私は、生まれてはじめて姉夫婦から『感謝される』という、世にも奇妙な体験をしたのでした。


 その年一月から始まった義兄のポリープ騒動は新緑の頃に一応収束したのです。

 私がT県を訪れたのは初回と、次の通院、手術当日の三回です。


 その後は姉夫婦二人でT県を度々訪れるようになりました。

 一旦概要を覚えると私以上に恥を知らず、度胸のある姉。大きな地図を広げて、片っ端から道行く人や、緑の窓口で尋ねまくったらしい。

 割安切符の手配をしたり、ややこしい乗り換えを避ける新たなルートを発掘したり――。義兄の入院中、姉は近くの旅館に逗留し、その後も行く度にそこへ一泊し、近辺の諸事情に詳しくなりました。

 今は年一~二回T県を訪れ、ついでに東京観光バスに乗り、私より先にスカイツリーを見て、二人でいろいろなコースの観光を楽しんで帰ってきます。


 義兄は営んでいた事業を私の兄に引き継いで引退。今は自宅を改造し、長年の夢だった趣味の教室を開きました。毎日、往年の奥様方相手に、夫婦で元気に先生をやっています。

 たまに私も呼び出され、遊びじゃなく基本を覚えるために通いなさい。と叱責されます。

 ――いえいえ、私は遊びで十分楽しんでますから! 巻き込まないで!

 

 あれから五年が過ぎ、最初の節目を迎えた二人を見て思いました。

 セカンドオピニオン――インフォームドコンセント――大事だなあ。そして好きなことに笑って打ち込めるって幸せなんだ! 

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― 新着の感想 ―
[良い点] セカンドオピニオンは大切ですよね!僕は副鼻くう炎になった時、有名大病院に行ったら、全身麻酔って言われ、しかも手術の為に空き待ちと!それで泣く泣く近所の耳鼻科に行ったら「今、やったる!」と、…
2014/10/25 05:18 退会済み
管理
[一言] 義兄さん大変だったのですね。でも白桔梗さんが尽力されて大変な手術をしなくて済んで良かったですね。 本当に病院選びは重要ですね。その後の人生を左右されます。 義兄さん達は第二の人生をエンジョ…
[一言] なにもなくてよかったです おだいじに
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