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脱・現世知識チート病

作者: ○○
掲載日:2026/03/06

魔法学院の寄宿舎。


石壁に囲まれた部屋の隅の机で、エリオット――かつて「俺」だったはずの少年は、震える手で羊皮紙に図形を描いていた。


「……揚力。翼の上下で気圧の差が生まれて、それが……」


描かれたのは、歪な飛行機の断面図。

エリオットの脳内にある鮮明なジャンボジェットの映像に対し、彼の手が描き出したのは、幼児が遊びで描いたような無意味な落書きでしかなかった。


「エリオット、またその『おまじない』を描いているのかい?」


背後からかけられた声に、肩が跳ねる。

そこに立っていたのは、父であり、この領地を治める公爵だった。

その瞳に宿っているのは、かつて期待の新星と呼ばれた息子への誇りではない。

壊れ物を眺めるような、深い同情だ。


「父上……これはおまじないじゃありません。僕のいた世界では、鉄の塊が空を飛ぶんです。原理は、ええと、揚力といって……」


「ヨウリョク。以前も聞いたね」


父は溜息をつき、傍らに控えていた白衣の男に目配せをした。

王都から招かれた、高名な精神医だ。


「先生、どうでしょう」


「……典型的な『乖離性現実感喪失』ですな。苛烈な学院生活のストレスから、自己を別の世界の住人と定義することで精神の均衡を保とうとしている。彼が語る『科学』とやらは、既存の魔導論理を拒絶するための防衛本能が生み出した『作り話』です」


医師が手元のカルテにペンを走らせる。


「違う……。僕は、満員電車に乗って、スマホを弄って……」


「エリオット。では、その『ス・マ・ホ』とやらを今ここで作って見せなさい。あるいは、その鉄の塊を飛ばしてみなさい」


父の静かな問いに、エリオットは絶句した。

半導体の作り方も、リチウムイオン電池の構造も、ボーイングの設計図も知らない。

ただ「便利だった」「飛んでいた」という消費者としての記憶があるだけだ。

この世界の四属性魔法で再現できない現象は、実証不可能である以上、医学的には「妄想」と定義されてしまう。


「できないのか。……では、今日の土属性の基礎実習はどうした? 単位を落としたそうじゃないか」


「……教科書が、読めないんです。文字が、滑って……」


「嘘を吐くな! お前は五歳で全古典を読破したはずだ!」


父の怒号が飛ぶ。


無理もなかった。

転生という現象が起きた際、エリオットの脳内では情報の「上書き」が発生していた。

日本語という巨大な言語データが、元々この身体が持っていた現地の言語野を物理的に圧迫してしまったのだ。


「……あ、あ、あああああッ!」


エリオットは頭を抱えて蹲った。

脳裏をよぎる渋谷の交差点、コンビニの青い看板、母の笑顔。

イメージで魔法を使おうとするたび、脳のリミッターが外れ、鼻から熱い血が滴り落ちる。


「魔獣化の兆候もありますな。イメージによる無軌道な魔力行使……。これは危険だ。早急に『封印処置』を施すべきでしょう」


医師の冷たい宣告。


エリオットは、ぼやける視界の中で、自分が描いた「飛行機の断面図」を見つめた。

それはもう、チート知識には見えなかった。

自分の人生を狂わせ、家族との絆を断ち切る、忌まわしい精神疾患の象徴でしかなかった。


(……ああ、そうか。僕は、病気なんだ)


その瞬間、憑き物が落ちたように、身体から力が抜けた。

自分が「特別」であるという万能感が、物理的な苦痛と孤立に屈服した瞬間だった。


「……父上。すみませんでした。僕……少し、頭がどうかしていたみたいです」


エリオットは、自らの手で羊皮紙を破り捨てた。


「……先生。僕を、治してください。普通の人間に、戻りたいんです」


医師が満足げに頷き、鋭い銀針を取り出す。

それは、エリオットの「前世」という妄想を、脳内から消去するための魔術儀式だった。

エリオットは、ただ静かに目を閉じた。



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