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【オニ】を内包した不思議な老人の魂  作者: 桃井ルルール
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7)発展途上国?

 少年は、ヘリの窓から身を乗り出すようにして下界を眺めていた。  地上が遠ざかり、かつての自分の「標本室」があった山が、まるで箱庭の模型のように小さくなっていく。


「……すごいな。こっちの星では、鳥じゃなくても空を走れるのか」


 少年は、プロペラが空気を切り裂く振動を、まるで自らの足裏で地面を蹴るような感覚で捉えていた。  彼にとって、これは「飛行」ではない。空という名の、目に見えない透明な道を走っているのだ。この「空を駆ける」という感覚が、のちに彼自身の身体能力として、あるいはこの星の物理法則を書き換える「道」として顕現することを、今はまだ誰も知らない。


「……走る? 竜胆くん、これはヘリといって、浮いているのよ」


 黒川が優しく訂正するが、少年は興味なさげに窓を指差した。


「いや、走ってるよ。ほら、あそこの雲の段差をうまく蹴ってる。カワさんには見えないの?」


 黒川は苦笑して流したが、藍だけは少年のその言葉を逃さなかった。  (浮力ではなく、反作用……? まさか、空間そのものを『足場』にしているとでもいうのか)


 藍の疑念をよそに、少年は空の「道」の感触を楽しんでいた。  だが、その楽しさは、ヘリが内陸へと進み、高度を下げ始めた瞬間に一変する。


「……あ。やっぱり、あっちも逆だ」


 遠くに見える街の灯り、そして道路を流れる車の列。  すべてが、彼の知る「正しい流れ」の逆を向いて動いている。  少年は深いショックに打ちひしがれ、座席に深く沈み込んだ。


「ねえ、カワさん。この星の人たちは、みんなあんなに器用に、後ろ向きに生きてるの?」


「……後ろ向き?」


「だって、全部逆だよ。時間の流れも、太陽も、車も。俺だけが、みんなと逆を向いて走ってるみたいだ」


 少年の碧い瞳が、孤独な色に染まる。    やがて、ヘリは筑波の巨大な研究施設、その中心にあるヘリポートへと着陸した。  そこには、白い防護服に身を包んだ、表情の見えない集団が、無機質な檻のように彼らを取り囲んでいる。


「さあ、着きましたよ。有栖川凛道くん」


 藍が扉を開ける。  少年は、ボロボロになった子熊の皮をぎゅっと握りしめ、空という「道」から、再び不条理な地上の「道」へと降り立った。


少年を乗せたヘリは、筑波へと向かっていた。  藍が差し出したタブレットには、都市の風景や、少年が今後暮らすことになる施設の情報が映し出されていた。その映像の隅に、少年は違和感を覚える「何か」を見つけた。


「……ん? あれ、何だ?」


少年が指差したのは、東京オリンピックのエンブレム、あるいは街中で流れる大会のプロモーション映像だった。  画面には、躍動するアスリートの姿、そして空を駆けるようなクマのロゴが映し出されている。


「ああ、これは今年の夏に開催される、オリンピックというお祭りのマスコットキャラクターだ。ミライトワとソメイティ……」


 藍の説明を、少年は上の空で聞いていた。彼の視線は、ロゴの**「空を走る熊」**に釘付けになっている。


「……これ、俺と同じだ」 「同じ、とは?」 「空を走ってる。俺がさっきヘリでやってたことと同じだ。この星のクマは、みんな空を走れるのか?」


 少年は、自分のボロボロの子熊ウマの皮を見下ろし、そしてタブレットのロゴとを交互に見た。  彼にとって、それは「キャラクター」でも「抽象的なデザイン」でもない。自分と同じ「空を走る生物」の**『標本』**なのだ。


 藍は、まさか少年の異様な「空を走る」という感覚が、オリンピックのクマのロゴと結びつくとは想像もしていなかった。


「……いや、あれは想像上の生き物でだな……」


「そっか! 俺と同じ、想像上の生き物なんだ。だから空を走れるんだね。道理で」


 少年は、自分の認識が「正しかった」とばかりに大きく頷いた。  これで、彼の中で「自分は空を走れるクマの仲間だ」という、新たな自己認識が確立された瞬間だった。    やがて、ヘリは筑波の巨大な研究施設に着陸した。  そこには、白い防護服に身を包んだ集団が、無機質な檻のように彼らを取り囲んでいる。


「さあ、着きましたよ。有栖川凛道くん」


 藍が扉を開ける。少年は、自分の「仲間」が描かれたロゴをもう一度タブレットで確認すると、空という「道」から、不条理な地上の「道」へと降り立った。


筑波の研究棟の屋上。少年は、はるか上空を横切る旅客機の白い機影を、蔑むような目で見上げていた。


「ねえ、カワさん。あの銀色の筒、何なの。あんなに必死に、落ちないように努力し続けて……見てるこっちが恥ずかしくなるよ。無様なもんだ」


 黒川は、人類の英知の結晶である飛行機を「無様」と切り捨てられ、答えに窮した。


「あれは、翼で揚力を得て……」


「違うよ。あれは、ただ必死に『落ちるのを我慢している』だけだ。車とやらも同じ。地面にへばりついて、網の目みたいな道を必死になぞって……。二次元の情報を高速で処理しているところだけは、中世から近代へ移り変わろうとする中途半端な健気さを感じるけどさ」


 少年にとって、三次元を立体的に使いこなせない地球の文明は、まだ「情報の網」の上を這いずり回る未熟な幼体に見えていた。


「……君は、骨董品のヘリなら知っているのに、最新のジェット機は認めないんだな」


 後ろから、データを纏めたタブレットを手にした藍が加わった。彼の表情には、少年の「空走」のデータを解析しきれない苛立ちが滲んでいる。


「ヘリはいいよ。空気を叩いて、強引に『道』を作ろうとする意志があるから。でもあれはダメだ。……よし、今日も練習しよう。俺があの鉄屑よりマシだってことを、この星の空気に教えてやらないと」


 少年は屋上の縁に立つと、空を見据えた。  一歩。  空中の分子が、少年の意思に恐怖するかのように凝縮され、透明な足場へと変わる。パキン、と薄い氷が割れるような音が響き、少年は虚空へと踏み出した。


最初の一歩が遠い。すぐに割れる。これは第6感の念動力と念力の合わせ技だがいまだに使いこなせてはいなかった。山での生活には木々があったお陰で立体的な行動を可能にしていたからであって、空を踏み抜き自在に走っていたわけではなかったから。その代わり身体能力任せで速度を上げることによって飛行距離はどんどん伸びていった眠ることなく食べる事もなく、10日ほどで空を走ることができたが歩いたり止まったりは未だにできなかった。


 筑波の空を、一頭の「子熊」が駆け抜ける。  その姿は、地上で観測する科学者たちには、まるで空間がバグを起こしたかのように見えた。    だが、少年は知っていた。  高度を上げすぎれば、空気が薄くなり、足場は作れなくなる。  この星の物理的な限界。   「……もっと空気を。もっと、ギュッとできる場所があれば……」


 少年が空で喘ぐ中、地上では「警察署長殺害」派遣した「自衛隊員全滅」という真実を闇に葬った大人たちが、この「空飛ぶ奇跡」をオリンピックの象徴に据えようと、不気味な算段を始めていた。


高度三万フィート。安定した巡航に入ったジャンボジェットの機内。  乗客たちは退屈な空の旅を過ごしていたが、一人の子供が窓の外を指差して悲鳴を上げた。


「……何か、走ってる!」


 その瞬間、雲海を裂いて「それ」が現れた。  少年――有栖川凛道は、ジャンボジェットという巨大な鉄の塊を、ただの「動く指標」として利用していた。


(無様だなんて言ったけど、こいつの作る『気流』はなかなかに重くていい)


 少年は、飛行機が必死に空気を掻き乱して作った乱気流を、逆に足場として踏みつけた。  パキン、と空間が割れる音が、機内の厚いアクリル窓を震わせる。  少年はジャンボジェットの遥か手前から、その巨大な機体を飛び越えるようにして、一気に上方へと跳ね上がった。


 その刹那、少年の速度は音速の壁を突破した。  背後に発生した衝撃波が、激しい断熱圧縮によって白い円錐状のベーパーコーンを纏い、空に巨大な「足跡」を残す。    機内の乗客たちは、スマホを窓に押し当てて夢中でシャッターを切った。  本来なら衝撃波で機体がバラバラになってもおかしくない距離。だが、少年は「3つ目の時間」を無意識に操り、破壊的なエネルギーの指向性をコントロールしていた。


「……よし、加速。あっちの星の船より、今の俺の方がずっと速い」


 少年が垂直に近い角度で成層圏へと突き抜けていった後、機内の窓から撮影された数千枚の写真は、どれも「奇跡」とは程遠い、おぞましい光景を捉えていた。    それらの画像は、着陸後の空港のWi-Fiに繋がった瞬間、一斉に世界中へ拡散された。 「UFOではない。これは、生きている何かだ」 「撮影禁止? そんなこと言ってる場合か! 20億人がこれを見てるんだぞ!」SNSに投稿されたその写真は、またたく間に世界を駆け巡った。人々は畏怖を込めてその怪物をこう呼んだ。――「ラギッド・ベア(襤褸を纏った熊)」。


 筑波のモニターでそれを見ていた藍は、胃を押さえて蹲った。 「あいつ……旅客機の真横でソニックブームを起こしやがった。隠蔽どころか、もう全世界が目撃者だ」


 一方、黒川は少年の「空を走る道」が、誰にも邪魔されない高みへと到達したことに、奇妙な誇らしさを感じていた。


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