第16話:青き虚空と最後の紋章
精霊試練も、残すところあとひとつ――《空》の試練。
シュワルツたちは、《風の谷》を越え、さらに北へと進んだ。
そこは《浮遊山脈アルセリア》。断崖と雲が入り混じり、地面が空に浮かぶように広がる、現実離れした景観だった。
「ここが……“空の精霊”の棲む場所……」
シュワルツが呟くと、冷たく澄んだ風が彼の頬を撫でていった。
風ではない。これは“気配”だ。
――誰かが、彼らを見ている。
「さすがに空の試練ってだけあって、空気が違うわね」
ミナが肩を抱き、寒さに身を震わせた。
「でも……不思議と落ち着くな」
ティオが空を見上げる。
彼の言うとおり、この地はただ寒いだけではない。
どこか“終わり”を思わせる、穏やかで静かな空間が広がっていた。
「行こう。きっと、ここに答えがある」
岩場の裂け目に架かる一本橋を渡りきると、霧の中に巨大な浮島が見えた。
中央には神殿のような構造物。
天空にぽっかりと浮かぶその神殿は、《空の精霊殿》――最後の試練の舞台だった。
入口には、青い光で刻まれた碑文が浮かび上がる。
『空とは、無にして全。終わりにして始まり』
『五つを揃えし者よ、最後の誓いを立てよ』
「……誓い……か」
シュワルツは静かに剣の柄に手を添えた。
彼の左腕には、すでに【火】【水】【風】【地】の四つの《精魂の紋章》が浮かんでいた。
だが、最後のひとつ――【空】だけが、まだ光を放っていない。
扉が静かに開いた瞬間、重力が消えるような感覚が全身を包んだ。
「……浮いてる……?」
ミナが足元を見て驚く。
足場は確かにあるのに、まるで空中を歩いているかのような錯覚を覚える。
神殿の中心に進むと、青い光の渦が現れた。
その中心に、白銀の衣をまとった“人の姿をした精霊”が立っていた。
「よくぞ来た、五つ目の旅人よ」
その声は男とも女ともつかず、澄みきった水音のように耳に届く。
「お前が、《空の精霊》……?」
精霊は静かに頷いた。
「試練の意味を問う。お前は、なぜ死者に会いたい?」
シュワルツはその問いに、まっすぐ答えた。
「母さんに、言いたい言葉がある。“ありがとう”と、“ごめん”と……“大好きだよ”って」
「後悔を抱くことは、弱さではない。しかし、それに囚われるのは、魂の“終わり”だ」
精霊は手をかざすと、青き虚空に光の断片が散った。
それは“もし母を救えた未来”の映像。
母と笑い合う自分。別の道を選んだ自分。
だが――それは幻だ。
「それは……俺じゃない。どれだけ夢に見ても、あの日には戻れない」
「でも、俺はもう逃げない。これが現実なら、この現実で生きていく」
その言葉と同時に、シュワルツの背後から光が走る。
これまで得た四つの紋章が一斉に輝き、胸の中心へと集まる。
そして、青く澄んだ光が広がり、最後の《精魂の紋章》――【空】の紋章が刻まれた。
それは、無であり、可能性の色。
「試練、完遂……」
精霊は静かに告げた。
「その身は、五つの魂と契約した。願いを果たす資格が、汝にある」
その瞬間、神殿の奥から扉が開き、青白い光を放つ“泉”が現れた。
「ここが……死者の泉……!」
ミナが声を上げる。
「でも……願う前に、俺はまだ、やらなきゃいけないことがある」
シュワルツは剣を見た。
――炎の試練で共鳴した、あの剣。
それには、まだ明かされていない真実がある。
「この泉に行くのは、その答えを見つけてからだ」
シュワルツの瞳には、もはや迷いはなかった。
空の試練を越えたその目には、未来が映っている。
――次なる旅は、“真実”の始まり。
死者の泉を前に、少年は再び、歩き出した。