第14話:精霊の揺らぎと沈黙の扉
夜が明け、シュワルツたちは山道を越えて北東の秘境「ラザリア渓谷」へと足を踏み入れた。
ここは地図にもほとんど記されていない秘境であり、伝承によれば《死者の泉》へと続く最後の試練が眠る場所とされている。
だがその道は、険しかった。
「……風の精霊の気配が、薄れてる……?」
リシェルが眉をひそめた。黒色の紋章が刻まれた彼女の腕輪が、かすかに震えている。
ティオも剣を握りしめ、辺りを見回した。
「妙だな。風も、土も、水も……それぞれの精霊の気配が、まるで揺らいでる。まるで、迷ってるみたいな……」
その言葉に、シュワルツも思わず剣を見下ろした。
彼の剣に宿る五つの精魂の紋章。
黄色、白、赤、黒、青――それぞれの属性が、いつもよりも淡く光を落としていた。
「精霊たちが……混乱してる?」
そのとき、空が揺れた。
雷鳴ではない。だが、空そのものが震えるような重たい音。
そして空の青が、一瞬だけ濁ったように見えた。
「おかしい……精霊たちに何が……?」
ミナが震える声で言った。
直後、渓谷の奥にそびえる崖の斜面が、わずかに開いた。
ごうっ――と地を割るような音と共に、そこには古びた《石の扉》が現れる。
「……あれが、“最後の試練”の扉……?」
リシェルが一歩前に出た。
扉には、五つの紋章がそれぞれの色で刻まれていた。
黄色(地)
白(水)
赤(火)
黒(風)
青(空)
その中央に、淡く光る“未完成の紋章”が存在していた。
「これは……六つ目……?」
だがそれは“未完成”だった。
どこか欠けている。不確かな、空虚な力。
シュワルツはその模様に、剣に宿っていた《紅蓮の幻影》を思い出す。
「……この扉、“もうひとつの試練”がある」
その言葉に、誰もが息を呑む。
すると、扉が静かに語りかけるように、淡い音を鳴らした。
精霊の声――ではない。
もっと深く、もっと古い、魂の底から呼びかけてくるような音。
『精魂、揺らぎの果てに、真実の選択を問う』
『選ばれし者よ――魂の源を見極めよ』
その瞬間、扉の紋章がゆっくりと淡く滲み、そして光を失った。
「閉ざされた……?」
ティオが駆け寄るが、扉はぴたりと動かない。
その代わり、足元に新たな紋様が浮かび上がった。
五色の円。まるで“試練を超えた印”が、再び問われているかのような輝き。
「まだ……足りないんだ」
シュワルツが、静かに言った。
「俺たちは試練を乗り越えたつもりだった。でも、精霊たちはまだ――俺たちを見てる。選んだ理由を、心の底から問おうとしてる」
リシェルが呟く。
「それが、“本当の意味での最終試練”……」
沈黙が降りる。
それでも、誰も諦めようとはしなかった。
「……行こう。扉が閉ざされても、ここに来れたのは無駄じゃない」
ティオが前を見据える。
「この先にあるものが何であれ、俺たちは“願い”を叶えるために来た。だったら、立ち止まる理由なんてない」
シュワルツが剣を腰に収め、ひとつ頷く。
「扉が開くそのときまで、俺たちは進み続ける。その想いが、きっと精霊に届くから」
新たな道は、まだ見えない。
だが確かに、彼らは歩き始めていた。
――魂の選択へと至る、本当の旅が始まろうとしていた。