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政略結婚のはずが、完璧公爵の溺愛が子リス系令嬢を解き放ちました  作者: 宮野夏樹
第2章 溺愛が昇華するまで

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51.南方まで届いていた、溺愛

「……リシェルのご両親だな」


 窓から馬車が門をくぐるのを見て、ジュリアンは深く頷いた。その声には、わずかな緊張と、期待が入り混じっていた。リシェルの隣では、侍女のエミリアがやや緊張した面持ちで礼を整えている。彼女もまた、この重要な訪問に備えていた。


「はい。父も母も、私の妊娠がわかってからはずっと手紙ではしゃいでましたけど……こうして顔を合わせるのは、私も久しぶりで。なんだか、少し照れます」


 リシェルはわずかに頬を紅くしながらも、心底嬉しそうに笑った。その笑顔は、久しぶりに両親に会える喜びを物語っていた。それを見て、ジュリアンも柔らかく微笑む。


「本日、私は“完璧な婿”として臨む。君の両親に、私がどれほど君を大切に思っているか、そして生まれてくる子どもを心待ちにしているか、しっかり伝えるつもりだ」


 ジュリアンの言葉に、リシェルは思わず笑ってしまった。


「そ、そんなこと言って……いつものジュリアン様で良いんです。あなたが、私にとって最高の夫であることは、父も母も知っているはずですから」

「……そ、そうか?  いやでも……こうしてお腹の子のことを考えると……あれこれと……気になってしまってな。何か粗相があってはいけないと、つい考えてしまう」


 ジュリアンは、少しばかり慌てた様子で言った。彼の表情には、リシェルと生まれてくる子どもへの深い愛情が滲み出ている。


「……過保護です」


 リシェルが小さく苦笑する傍ら、エミリアが喉を鳴らして笑いを堪えていた。彼女は、ジュリアンの過保護ぶりを、温かい目で見守っていた。




 そのとき、ノックの音が響いた。


「リシェル!」


 扉が開くと、先に飛び込んできたのは、ふわりと明るい栗色の髪の女性だった。彼女の瞳は、リシェルを見つけると同時に輝き、そのまま駆け寄ってきた。その後ろに、貴族然とした落ち着きをまとった男性が続く。彼の顔には、優しい微笑みが浮かんでいる。


「お父様!  お母様!」


 リシェルは駆け出しそうになる足を、ほんの少しだけ理性で留め、ゆっくりと笑顔で近づいた。彼女の心は、喜びでいっぱいだった。


「……お久し振りです。お元気そうで、何よりです」


 リシェルは、深々と頭を下げた。


「まあまあ、リシェル!  随分と……顔がふっくらして!  でも幸せそうでよかったわ!  私の子が、こんなにも幸せにしているなんて!」


 セレスティアはそのままリシェルをぎゅっと抱きしめた。その抱擁は、温かくて、そして深い愛情に満ちていた。アルバートもにこやかに微笑み、娘をまるごと優しく見つめていた。彼の目尻には、わずかな感動の光が宿っている。


「元気そうで安心したぞ、リシェル。お前が幸せにしているのなら、私もセレスティアも、これほど嬉しいことはない。お前は、エルノワーズの誇りだ」


 アルバートは、穏やかな声で言った。


「はい。お父様……お母様……ありがとうございます。私も、お二人にお会いできて、本当に嬉しいです」


 その様子を見ていたジュリアンは、一歩下がって丁寧に頭を下げた。彼は、リシェルの両親に、最大限の敬意を示した。


「エルノワーズ伯爵、セレスティア夫人。再びこうしてお会いできて光栄です。これからもよろしくお願いいたします」

「うむ、うむ。肩肘張らずともよい、公爵殿。もう娘の腹に子がいるというのに、いまさら他人行儀でもなかろう。我々は、もう家族なのだから」


 アルバートはやや豪快に笑った。彼の言葉は、ジュリアンの緊張を少し和らげた。


「お父様!」


 リシェルが、頬を赤らめて抗議した。


「なに、恥じることはない、リシェル!  これは祝いだ、祝い!  ヴァレリオ公爵家とエルノワーズ伯爵家、両家の新たな門出なのだからな!」


 セレスティアもくすくすと笑いながら、ジュリアンに向かって小さく会釈する。


「ですが公爵様、私達の耳にも届いておりますわ。リシェルがどれだけ大切にされているかということが。私共の領地でも、公爵様の“溺愛”ぶりは、かなり有名になっておりますのよ」


 セレスティアの言葉に、ジュリアンが「っ……は、はあ……」と、不自然なほど真っ直ぐに背筋を伸ばした。彼の顔は、わずかに青ざめている。今度はリシェルが焦って言葉を挟んだ。


「あ、あの、お母様、お父様、ジュリアン様はちょっと過保護すぎるくらいで……本当に何でもかんでもやってくださるんですよ。私としては、もう少し自由に動きたいのですが……」

「どれほど?」


 と、アルバートが身を乗り出す。彼の顔には、興味津々な表情が浮かんでいた。


「例えば、お茶を注ごうとしただけで『危ないから』と止められてしまって。階段を歩こうとすれば、私を抱え上げようとしますし、夜中に寝返りを打とうとしたら『寝たままでいい、私が直してあげよう』って……」


 リシェルは、少し呆れながら、しかしどこか嬉しそうに語った。


「それは……確かに、少々過保護すぎるな。公爵殿、それではリシェルが息苦しくなってしまうのではないか?」


 アルバートが、ジュリアンに向かって眉をひそめた。


「昨夜も、部屋の温度を五回も変えてましたわ。私が少しでも暑がったり、寒がったりしないようにと、本当に細かく調整してくださるんです」


 リシェルは、さらに具体的なエピソードを語った。


「ふふっ」


 ついにセレスティアが口元を押さえて笑い始め、アルバートも苦笑した。


「公爵、今からそれでは……身が持ちませんよ?  お子が生まれたら、さらに大変になるでしょうに」

「……私も、そう思い始めていたところです。ミルダ医師にも、“過保護の拡大解釈”だと指摘されてしまいまして……」


 観念したようにジュリアンがこめかみに手をやると、ついにその場は柔らかな笑いに包まれた。ヴァレリオ家とエルノワーズ家の間に、温かい空気が流れた。


「けれど、嬉しいです」


 リシェルがぽつりと呟いた。彼女の瞳は、ジュリアンを真っ直ぐに見つめている。


「小さなことでも気にかけてくれて、一緒に心配してくれて……こんなにも大切にされていることが、本当に幸せだなって、思えるんです。ジュリアン様のおかげで、毎日が輝いています」


 ジュリアンは驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく頬を緩めた。彼の顔には、リシェルの言葉に対する深い感動が浮かんでいた。


「私も、幸せだ。リシェルが、ここにいてくれることが。君が私を選んでくれたことが、私の人生を豊かにしてくれた」


 ふたりの間に静かな空気が流れる。その瞬間、彼らの絆が、一層強く結びついたように感じられた。すると、アルバートがふと微笑を浮かべた。彼の瞳は、温かい光を宿している。


「良き夫婦だな。おまえのような娘が、ヴォレリオ公爵を愛情深い男にするとはな」

「……お父様?」


 リシェルが、抗議するように声を上げた。


「冗談だ、リシェル。しかし、本当に嬉しく思うよ。お前がこれほど愛されているのを見て、父親として、これほど幸せなことはない」


 笑いながら背を向けたアルバートだが、その目尻にはほんの少し、涙の光が見えた。娘の幸せな姿に、彼の心もまた、深く満たされていた。


 夕方になり、セレスティアがリシェルの手を取りながら庭をゆっくりと歩いていた。秋の気配が混じる風が、二人の髪を優しく撫でる。藤棚の下で腰かけると、彼女はそっと娘の腹に手を当てる。


「少しふくらんできたわね。……動く?  お腹の中で、小さな命が育っているのね」


 セレスティアの瞳は、慈愛に満ちていた。


「時々、ぽこってします。あ、いま、動きましたよ、お母様!」


 リシェルが、興奮したようにセレスティアの手を自分の腹に引き寄せた。


「まぁ!  本当だわ!  なんて可愛らしい……。この子が生まれてくるのが、今から楽しみだわ」


 ふたりで顔を見合わせて笑った。その笑い声は、庭の空気に溶け込み、温かい響きを奏でた。


「リシェル。私達の元にも、ちゃんと届いているのよ」


 セレスティアは、優しく、しかし確かな声で言った。


「……え?  何が、お母様?」


 リシェルが、問い返した。


「貴女が、幸せにしているってことよ。無理をせずに、毎日を笑顔で過ごしているってこと。そして、何よりも、貴女が心から満たされているということが、手紙の行間からも伝わってくるの」


 セレスティアの声は柔らかく、どこか遠い空のようだった。その言葉には、母親としての深い洞察と愛情が込められていた。


「お手紙の文字ひとつ、送り主の書き方、手紙の折り方、全部が私には分かるの。貴女が、愛されていると。貴女自身も、心から愛していると」

「……うん」


 リシェルの目に、涙がにじんだ。母親の温かい言葉が、彼女の心の奥深くに染み渡る。


「ありがとう、お母様。私、ちゃんと幸せだよ。ジュリアン様と、この子と、三人で、これからもっと幸せになるわ」




 その夜、伯爵夫妻が宿に戻ったあと。リシェルが寝台で髪を解いていると、ジュリアンが後ろからそっと抱きしめてきた。彼の腕は、優しくリシェルを包み込む。


「リシェル」


 ジュリアンの声は、穏やかで、そして満たされた響きを持っていた。


「うん?」


 リシェルが、彼の手にそっと自分の手を重ねた。


「……君のご両親は、素晴らしいな。こんなにも温かく、愛情深いご家庭で育ったからこそ、君はこんなにも優しい人なのだなと、改めて感じたよ」

「ふふっ、でしょう?  私の両親は、最高に自慢の家族です。少し食い違いはありましたけど……」

「……これから、君を支えることを改めて誓う。伯爵とセレスティア夫人に恥じぬ夫でありたい。君を、一生涯、大切にすると」


 ジュリアンの言葉には、深い決意と、愛情が込められていた。


「うん。……でももう、十分誇れる夫ですよ、ジュリアン様。私はそう思ってる。あなたは、私にとって、最高の夫だから」


 リシェルの言葉に、ジュリアンは何も言わず、ただ静かに頬を寄せてきた。彼の体温が、リシェルの体にじんわりと伝わってくる。胸の奥が、あたたかな光で満ちていく。


 ――この幸せが、ずっと続きますように。祈りのような想いが、ふたりの間に静かに流れていった。ヴァレリオ公爵邸は、愛と温もりに満ちた、真の家族の家となっていた。

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