24.まさかの【素】との対面
ジュリアンとリシェルの新婚生活が甘く深まる中、リシェルの実家であるエルノワーズ伯爵家から、両親がヴァレリオ公爵邸を訪れるとの知らせが届いた。リシェルの母、セレスティア伯爵夫人と、父、アルバート伯爵だ。彼らは、娘が名門ヴァレリオ公爵家へ嫁ぎ、公爵夫人としての務めを果たしていることに、喜びと同時に一抹の不安を感じていた。淑女の鑑として育ったはずの娘が、公爵家でうまくやれているのか、心配でたまらなかったのだ。
リシェルは、両親の訪問を心待ちにしていたが、同時に一抹の不安を感じていた。ジュリアンとの関係が深まるにつれて、彼女は自分の「男前」な本性を隠さなくなっていた。ジュリアンの前では、淑女の仮面を脱ぎ捨て、本来の聡明で情熱的な自分をさらけ出していたのだ。だが、両親は、その本性を何よりも嫌い、彼女に淑女らしくあることを厳しく教育してきたのだ。幼い頃から、机上の学問や剣術に興味を示すたびに、母親に厳しく叱られてきた記憶が、リシェルの脳裏をよぎった。
「ジュリアン様、両親が来たら、わたくし、また淑女らしく振る舞わなければならないのでしょうか……。もし、わたくしの『素』の姿を見て、幻滅してしまったら……」
リシェルが不安げに呟くと、ジュリアンは彼女の手を優しく握り、無表情のまま、しかし確固たる声で言った。彼の視線は、リシェルの瞳を真っ直ぐに見つめ、その言葉には、彼女の全てを受け入れるという強い意志が込められていた。
「必要ない。君は君らしくいればいい。私の前でそうであるように。君の『素』の姿こそが、私にとって、何よりも愛おしいのだから。君の両親にも、その姿こそが、君の真の幸福であることを理解させよう」
その言葉に、リシェルは安心した。ジュリアンの隣にいると、どんな不安も消え去るような気がした。彼の揺るぎない愛と信頼が、リシェルの心を強く支えていた。彼女は、ジュリアンにそっと身を寄せ、彼の腕の中に収まった。
両親がヴァレリオ公爵邸に到着した日、リシェルはジュリアンと共に、玄関で彼らを迎えた。公爵邸の重厚な扉が開くと、セレスティア伯爵夫人とアルバート伯爵が、緊張した面持ちで立っていた。セレスティア伯爵夫人は、娘が深紅の美しいドレスを身につけ、ジュリアン公爵の隣に立派に振る舞っている姿を見て、安堵の息を漏らした。アルバート伯爵もまた、娘が幸せそうに見えることに、内心で喜びを感じていた。
しかし、その喜びは、長くは続かなかった。
昼食の席でのことだった。公爵邸の豪華な食堂には、季節の食材を用いた美しい料理が並び、優雅な雰囲気が漂っていた。ジュリアンは、テーブルの向かいに座るリシェルに、最近取り組んでいる領地改革の話について尋ねた。
「リシェル、先日君と話した、あの領地改革の論文の件だが、君の意見を参考にしたい。特に、農業生産性の向上に関する君の提案は、非常に興味深かった」
ジュリアンがそう言うと、リシェルは、目を輝かせ、身振り手振りを交えながら、普段の淑女からは想像もつかないほどの熱量で、改革案について語り始めた。彼女の言葉は論理的で、専門用語も飛び出し、その知識の深さは、並の貴族男性を凌駕していた。彼女は、まるで学術発表会に臨む研究者のように、堂々と自分の見解を述べた。その表情は、まさに「中身は騎士団長」そのものだった。彼女の瞳は、情熱の炎を宿し、淑女らしい微笑みは、その場にはなかった。
その様子を目の当たりにしたセレスティア伯爵夫人は、皿に盛られたスープをこぼしそうになり、「ああ、リシェル!」と叫んで、そのまま椅子に崩れ落ちそうになった。彼女の顔は真っ青で、今にも卒倒しそうだった。淑女教育に心血を注いできた娘が、公爵の目の前で、まさかこれほどまでに「はしたない」姿をさらけ出すとは、想像だにしていなかったのだ。彼女の頭の中では、これまでの淑女教育の全てが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくような気がした。
アルバート伯爵もまた、娘の豹変ぶりに、「リシェル! 何という無作法な! 公爵様の前で……!」と、思わず声を荒げた。しかし、その声は、ジュリアンの放つ絶対的なオーラの前で、かき消された。ジュリアンは、リシェルの熱弁に、無表情のまま、しかしその瞳の奥には、愛おしさと満足感が満ちていた。彼は、リシェルが話す間、時折彼女の髪をそっと撫でたり、彼女の言葉に頷いたりして、彼女の情熱を全身で受け止めていた。時には、リシェルが熱くなりすぎて身を乗り出すと、ジュリアンがさりげなく彼女の腰に手を回し、支える場面もあった。その光景は、誰の目にも、二人の間に確固たる信頼と愛情があることを示していた。そして、ジュリアンがリシェルの「素」の姿を、心から愛しているということを、雄弁に語っていた。
セレスティア伯爵夫人は、侍女に支えられ、何とか正気を保った。彼女は、ジュリアンがリシェルの「はしたない」一面を受け入れているどころか、むしろそれを愛おしんでいることに、驚きと混乱を隠せない。アルバート伯爵は、頭を抱え、娘の行く末を案じた。彼の頭の中では、淑女らしからぬ娘の将来が、真っ暗なものに思えたのだ。
昼食後、ジュリアンの書斎にアルバート伯爵が呼ばれた。重厚な扉が閉められ、ジュリアンは書斎の奥にある椅子に座るよう伯爵に促した。ジュリアンは、そこで初めて、先のシャルロッテに対する「最後通告」の件を、アルバート伯爵にも話した。シャルロッテがリシェルに対して行った数々の妨害工作、ジュリアンがそれらをどのように知り、リシェルを影から守っていたか、そして、ヴァレリオ公爵としての断固たる決意が、アルバート伯爵に告げられた。リシェルがシャルロッテからいかに守られていたかを知ったアルバート伯爵は、娘へのジュリアンの深い愛情と、公爵としての強い庇護を理解した。彼の顔は、驚きと、そして感謝の念でいっぱいになった。
「そのようなことが……リシェルが、そのような危険に晒されていたとは……公爵様には、心より感謝申し上げます」
ジュリアンは、アルバート伯爵の言葉に無言で頷くと、話題を変えた。彼は、リシェルが普段、どのように公爵邸で過ごしているか、そして、彼女がいかに公爵夫人としての務めを果たしているかを、さりげなく、しかし具体的に両親に伝えた。リシェルが学術書を読み漁り、時にはジュリアンの執務を的確な助言で手伝う姿、温室で花を愛で、その美しさを無邪気に喜ぶ姿、そして何よりも、ジュリアンと共にいる時の、心からの、偽りのない笑顔。
セレスティア伯爵夫人とアルバート伯爵は、ジュリアンの言葉を聞き、そして実際に目の当たりにしたリシェルの幸福そうな様子に、少しずつ考えを改めていった。彼らは、娘が淑女らしく振る舞わないことに、ずっと心を痛めてきた。しかし、目の前で、彼女が心から満たされ、生き生きとしている姿を見た時、彼らの価値観は揺らいだ。
その夜、リシェルが両親の部屋を訪れると、セレスティア伯爵夫人が、穏やかな表情で彼女の手を取った。彼女の目には、温かい光が宿っていた。
「リシェル……お前が、本当に幸せそうで、母は嬉しいわ。ジュリアン様も、お前のことを心から大切にしてくださっているのね……。お前が、お前らしくいられる場所を見つけられて、本当に良かった」
セレスティア伯爵夫人には、娘が淑女らしく振る舞わないことよりも、彼女の心の底からの幸福の方が、はるかに大切だと気づいたのだ。母として、娘の幸せを何よりも願う気持ちが、彼女の長年の淑女教育への固執を溶かしたのだ。
アルバート伯爵もまた、深くため息をついた後、リシェルの頭をそっと撫でた。彼の表情は、昼間の困惑とは打って変わり、深い愛情と安堵に満ちていた。
「お前が幸せならば、それで良い。ヴァレリオ公爵には、感謝しかない。お前を、あそこまで慈しみ、守ってくださるとは……。これからは、お前が選んだ道を、胸を張って進みなさい」
二人の両親は、ジュリアンとリシェルの間に育まれた、深く、そして真実の愛を目の当たりにし、自分たちの価値観を覆された。リシェルが自分の「素」の姿を見せられる場所があること、そして、その「素」の姿を心から愛してくれる人がいること。それが、何よりも大切なのだと。彼らは、ジュリアンがリシェルの「男前な本性」を愛おしく思うように、その個性を受け入れ、尊重することこそが、真の愛情であると学んだのだ。
公爵邸での日々は、リシェルとジュリアンだけでなく、彼らの家族にも、新たな価値観と温かい光をもたらしたのだった。公爵邸は、愛と理解が満ちた、真の家庭へと変貌を遂げていた。




